第315:新世界
ゴルシュタット王国の政局に介入しランリエル側に引き込めと命じられた外交官ドナトーニは対応に追われていた。
「昨日、会ったのは誰だったか?」
自問し咄嗟には思い出せないほど連日人に会っている。あまりにも思い出せないので自分が若年性健忘症になったのかと不安になるほどだ。
思い出せないだけでやるべき事を怠ってはいない。これから会う人物については入念に資料を読み込んで万全の準備で望む。家族構成、血縁関係は当然として交友関係までも頭に叩き込む。血縁なので親しいと考えていたら、実は犬猿の仲。というのも珍しくはない。
話の取っ掛かりに、ご親族の誰それともお会いしましたよ。と気軽に話題に出したところ、相手を不機嫌にさせてしまっては無駄に交渉の害となるだけだ。
貴族に会うのにはこちらから出向く。並みのゴルシュタット貴族とランリエル全権大使とでは格は大使が上。時間的な効率を考えても貴族達をこちらに招いた方が良く、格の面からもそれは妥当なのだが、そこは貴族社会の機微というもの。あの大国ランリエルの全権大使がわざわざ屋敷まで出向いてくれた。それだけで交渉が何割か有利に進むのだ。
「それでは、良いお返事をお待ちしております」
にこやかに挨拶をして馬車に乗り込むと、次に会う人物の資料を読み込むのだ。食事も馬車の中で行う。物忘れがひどいのではなく、既に過ぎ去った事をあれこれ考える暇がなく面会を終えた人物に思考を割り振る余裕がないのだ。
しかも、資料を読むだけではない。時間がない為に貴族の身辺調査と面会は同時進行だ。時には時間を節約する為、情報収集しているダーミッシュの一族やカーサス伯爵の部下から馬車の中で直接、話を聞く事も多い。
やはり、余裕がない時にはカーサス伯爵の部下の方が使い勝手が良いか。ドナトーニはそう思わずにはいられない。確かにダーミッシュの一族の調査能力は驚くべきものだ。
しかし
「バルヒェット伯爵殿は今朝から3回も大便を行っており腹を下しているご様子」
などと報告されてもどうしろというのか。
ベルトラムは情報の重要さを知ると共に情報の不要さも知っていた。核心以外の情報は雑音と断じ全く動じない強さを持っていたが、その域に達していないドナトーニには煩わしい。
確かにドナトーニと会う前に緊張のあまり腹を下したというのなら、気が弱く神経質なのかとも判断出来るが、実際、それが交渉に影響を与えるかと言えばほとんど影響はない。
「やはり、俺のような凡人にはカーサスの者共の方が使い勝手が良いな」
ドナトーニは、そう自己採点したが、これは謙虚に過ぎるだろう。少なくとも、この時期の彼の働きは凡人とは言い難い。
オスヴィン王や旧王家の貴族とその他の貴族。貴族の中には旧王家の家臣だったのが現体制で同格の貴族となった者もいる。基本的な方針は決まっており、彼らに何を納得して貰うかも決まっている。しかし、彼らがどういう理由でならば、それに納得するかは千差万別。ドナトーニは、その千の差。万の別を調べ上げた。
時には利で釣り、時には時勢を説き、時には脅迫すらした。大国ランリエルの大使である自身を売り、娘婿になると匂わせた者も数知れない。それを本当に履行しようとすれば彼は重婚で訴えられるだろう。多くの貴族の娘と同時に結婚しなければならないからではない。ランリエル本国に妻が居るからだ。とはいえ、そう匂わせただけで紙面にした訳ではないので問題はない。
ゴルシュタット貴族達も馬鹿ではなく、実はドナトーニが本国に妻が居る事くらいは掴んでいる。万一彼が本国の妻と離縁してまで自分の娘と結婚するなら儲けもの。そうでなくとも、我が娘と結婚すると言いながらドナトーニ殿もお人が悪い。今後、そう言ってドナトーニに多少の便宜を払って貰えるだろうという計算だ。
交渉の効果としては僅かなものだが、ドナトーニにはそれで十分。完全に均衡している天秤は1粒の砂で傾く。去就を決めかねている貴族の判断の1粒となれば良いのだ。
貴族の朝は遅く訪問は昼過ぎから。何人もの貴族の屋敷を回り訪問が終わる頃には夜も更けている。そこから自身の屋敷に戻るのかと言えば、そうではなく何と野宿である。
訪問用の馬車とは別に野宿用の馬車を用意し、着替えや何やら全てが整えられている。ゴルシュタット王都には有力貴族のほとんどが集まっているが、それでも王都は広い。いちいち自分の屋敷に戻っていては翌朝からの訪問は難しいのだ。それに有力貴族の中にも王都に不在の者もいる。朝から会うには夜通し馬車を走らせる必要があった。
本来ならば年単位で行うべき改革。それを10分の1。数十分の1の期間に圧縮する。冷静に考えれば実現不可能だ。ならば、冷静に考えなければいい。改革、政変の奥の手である’なし崩し’に持っていく。
連日のように貴族達に会っているのも、その為だ。貴族という者の多くは動きが緩慢だ。その緩慢な彼らが集まって相談する暇もないほどに個別に話を進める。
貴族達は、どの程度まで話が進んでいるのか掴めない。中には不安に思った貴族が特に親しい者と集まり相談するが、やはり情報不足で全体像が掴めない。彼らにとっては政策よりも誰と誰とが組んでいるかの方が重要だ。それ故に政策の是非よりもドナトーニが誰と会ったかの方に情報が偏る。
「ドナトーニ殿はマインゲン公爵ともお会いしたとか」
「私はレムブルク公爵とお会いしたと聞き及んでおります」
「つまり、主だった旧王家の方々には全てお会いしているという訳ですな……」
全ての貴族に話を通そうとしているドナトーニにとっては当たり前なのだが、貴族達にとってはそれこそが脅威。ドナトーニの提案に頷きつつも内心では二の足を踏んでいる者も多いが、その優柔不断さ故に他の者は賛成しているのかと思えば反対は出来ないものだ。
「本当は誰も賛成していなくても、全ての者が、自分以外は賛成しているのだと思い込んでくれればいいのだ」
その勘違いに気付かせない為に動いて貰わねばならない人物が居る。尤も、ゴルシュタット貴族ではないが。
「オスヴィン王。多くの貴族が納得しております。どうかご決断を」
本当に皆が納得出来ているのかドナトーニ自身も把握できていないままオスヴィン王に面会を求めた。勝負を賭け大きく踏み込んだのだ。把握するのに時間を掛ければ、それだけ貴族達、いや、オスヴィン王も含め関係者達に冷静になる余裕を与える。失敗すればドナトーニは取り返しの付かぬ失態となるが、今は、それを意図的に考えぬようにしていた。
「う、うむ……」
オスヴィンは慎重だ。今までと国のありようが全く変わってしまうのだから、それも仕方がない。中々煮え切らぬ王にドナトーニは、警護の者すら同席せぬ2人だけの単独会見を求めた。国王同士ならともかく一国の王と大使とでは異例(グラノダロス皇国の大使は別だが)ではあるが、オスヴィン王は頷いた。
その数日後、王は旧王家の者達と主だった貴族のほとんどを招集する布告を行った。王の求めに応じて、いや、時勢というものに乗り遅れまいと病気に伏せる肉親すら置いて貴族達が集まってくる。数百人の貴族達は王宮内には入りきらず王宮前の広場に集まった。王がバルコニーから宣言する。
「本日よりゴルシュタット王国はゴルシュタット王国連邦として新たに建国を宣言する!」
オスヴィン王は高らかに宣言したが、事前にそれを知っている貴族達は驚く事無く一斉に拍手を送る。中には
「ゴルシュタット王国連邦万歳!」
と叫ぶ者も居た。
さて、本当に喜んでいるのは、この内の何人だろうか?
この事態を仕掛けたドナトーニが皮肉にそう考えた。勿論、心から賛成している者も多いだろうが、それ以上にみんなが賛成しているところに自分だけ反対とは言い難いから賛成の振りをしている者ばかりだ。それはドナトーニ自身が一番分かっている。
ゴルシュタット王国貴族となっていた旧王家を残らず再興し、それぞれを王とする。では、ゴルシュタットを小国家群として分裂させるのかと言えばそうではない。
ゴルシュタットを小王国を集合させた連邦国家とするのだ。そして、今までゴルシュタットを統べていたオスヴィン王のベルガルト王国をゴルシュタット王国連邦議長国としてゴルシュタットの王国群を統括させるのである。
元々貴族は領地からの収入は税金が免除されており、法律に関してもある程度の独立性はある。ゴルシュタット全体として規定されている犯罪を無罪には出来ないものの、その領地だけの罰則はある。故郷で道端にある木の実を散歩がてら食べるのを習慣としていた男が、他の領地に入った時に同じようにして窃盗で捕まった。という話もある。
サルヴァ王子はカルデイ帝国を支配下に収める時に使った貴族達を独立国としたのと似ているが、それはカルデイを小国家群に分裂させて国力の低下を狙ったものだ。今回のゴルシュタットの処置では旧王家を再興させつつも1つの国家として国力は保っている。
次の議長国への選出は現議長国以外の国のみで投票を行い過半数を取得した国が議長国として使命される。もし過半数を取得した国がない場合は、現議長国が継続して務めるのだ。
とはいえ、それぞれが我こそはと考えている王家達が投票して過半数を取るなど至難の業。ベルガルト王国がぼぼずっと議長国を務めるだろう。勿論、時のベルガルト王が余程酷い統治をしたり、他の旧王家達の支持を集められる大政治家が旧王家に出現したりすれば覆されるだろうが、それは仕方が無い。そうなるくらいだったら連邦制でなくとも権力を失うに違いない。
旧王家達は、このまま事態が進めばオスヴィン王を倒すのは容易かった。だが、その後にゴルシュタットを纏められるほどの人物がいないのも事実。そうなれば皇国なりランリエルなりに吸収されるという線すらあり得た。無論、高い確率ではないが、そうなれば取り返しが付かない。その皇国とランリエルが争っている今ならば、吸収されずに独立を保てる。不可能なゴルシュタットの支配者を目指すより、確実に数歩進むのを選択したのである。
危機管理とは、万一の対処不可能な損害を回避するために対処可能な損害を受けることを言う。ここで無理をして全てを失うより、オスヴィン王の支配下からオスヴィン王を盟主と仰ぐ連邦制に移行する方がリスクに対して損が少ないと判断した。
「我が王国は不滅である!」
王家再興を果たした旧王家の者達の屋敷では一族を集めて祝宴を開いた。尤も、貴族達の血縁関係は複雑である。今日はこの王家の祝宴に参加して乾杯し、翌日には別の王家の祝宴で食事を楽しむ。という者も珍しくない。連日顔を合わせる者も居て苦笑を交わすのだ。
確かにオスヴィン王の支配力は以前より衰えたが、現実的に見て、このままならば衰えるどころか失いかねなかった。しかし、旧王家の独立性が高まったとはいえ、それはランリエルの後ろ盾があってこそ。
一見、ランリエルが旧王家に味方したかに見えるが、見る方向を変えれば映る姿も変わる。ランリエルが後ろ盾となって王国連邦制の枠組みを作ったなら、その枠組みから逸脱する行動を取れば、それはランリエルへの反逆である。再興された旧王家がゴルシュタット連邦議長国に叛乱を起こせばランリエルへの敵対行為とみなされる。オスヴィン王の権力は浅くはなったが、その地盤は強固になったのである。
更に、旧王家から3つの参議国が任命された。この参議は他の王家にはない特権がある。基本的に今後の法律の立法や改正には連邦議会の議決が必要だが、可決されたとしても参議の3ヶ国がそろって反対すれば施行を無期限で凍結できるのだ。
尤も、3ヶ国の意見が一致するのは現実的には難しい。その為に有力なマインゲン、レムブルクとは別にリューセン王国も参議に引き上げたのだ。実は、これがオスヴィン王に決断させた一手となった。
「マインゲンとレムブルク。同格の2ヶ国だけならば膝を付き合わせて話し合い合意する事もあるかも知れません。しかし3ヶ国になれば、話し合いも格段に難しくなる。特にマインゲン、レムブルクは次にゴルシュタットを担うのは我こそはという国。その中にあってリューセンは格下であると同時に参議としては同格。双方、リューセンを取り込もうとし、その面では敵対する。ますますマインゲンとレムブルクが手を組むのは困難になります」
次期議長国最有力の両国が仲がたがいしていれば、オスヴィン王は安泰。参議国という制度はマインゲンとレムブルクに特権を与えると見せかけ、実は彼らの共闘を防ぐ装置なのだ。その事実に、彼らは気付いていない。
勿論、オスヴィン王と参議国にだけに恩恵があるのではない。他の旧王家の当主にも十分な恩恵がある。それは名誉だ。
「確かに連邦制を一度認めれば、貴公の代ではゴルシュタットの覇権を握るのは難しくなるでしょう。しかし、王家を再興したのは紛れも無く貴公です。中興の祖として貴公の名は長く語り継がれるでしょう」
「なるほど」
と、頷く旧王家の当主に更に耳打ちをする。
「もし、将来、貴公の王国がゴルシュタットの覇権を握っても、それは王家を再興した貴公が居ればこそ。半分は貴公の手柄と言っていい。当然、名声もです」
ゴルシュタット地方に君臨したなになに王国はベルガルト王国の台頭により滅んだが、中興の祖と呼ばれる何某によって再建された。そしてその数代後についにゴルシュタット地方を統一したのだ。歴史書にはそう記されるだろう。
緊急事態条項というものも規定された。これは戦争になった場合には様々な国家運営に対して早急に手当てをする必要があるのに、いちいち連邦議会の承認を待っていては対応が間に合わないという事で、その場合は議長国は議会の承認なしに法案を通過させられるというものだ。
他国に攻められた場合に緊急事態と認められるのは当然だが、議長国が今は緊急事態と宣言してそれが議会で承認された時も認められる。この場合、議会で否決されるまでは緊急事態として扱われるので、その間、議長国は法案を通したい放題なのだが、それをやれば反発を招いて緊急事態が否決されるのは火を見るより明らか。信頼も失墜し地に落ちる。後を考えれば実際には出来るものではない。
これはグラノダロス皇国でも副帝アルベルドが現在、戦時体制として承認なしに軍勢を動かしている事もあり、別段、斬新な発想ではない。斬新なのは戦時ならば当たり前だろうと不文律だったのを明文化した事だろう。
何せ連邦国という今までにない制度を作るのだ。不文律では心もとなくゴルシュタット王から後退したとはいえ、いざともなれば、やはり自分がゴルシュタットの主なのだ。と、オスヴィン王を説得する為でもあった。
オスヴィン王には時勢を説いて議長国として面目を保ち、旧王家には実利と王家再興の名誉を与えた。
これがドナトーニの裁きだ。全員に満額の利益は与えられないが、彼らの面目、名誉は保たれた。
「確実に10年は寿命が縮まったな」
大仕事を終えた外交官は、長椅子に身を投げ出して呟いた。




