第22話:叛乱(1)
その日、サルヴァ王子は執務室でカーサス伯爵からの報告を受けていた。ランリエルとカルデイ帝国との関係に、楔を打ち込もうとする者達の調査を命じていたのだ。
伯爵はサルヴァ王子が主催した宴の後、あえて定まった住居を持たず、すり寄ってくるランリエル貴族からの招きに応じその屋敷を転々としていたのだ。
屋敷に招くのは本心から歓迎しているか、さもなくば伯爵を失脚させる為に手元に置いて探ろうとするか。そのどちらかだ。
自分を失脚させようとする者を探るのに大胆な、害される危険を考えないのか? とも思われるが
「表立ってサルヴァ王子に敵対せず、影から足を引っ張ろうとしている者にその度胸があるものか」
と高をくくっていた。この点伯爵も胆力に優れている。
もっとも貴族達の屋敷を渡り歩くのに、次はどの貴族の屋敷に招かれているかを周囲の者達に明らかにする事も怠らない。
「もし屋敷に誘き寄せて私を害する気でも、私が屋敷に入ったのはみなも知っている。人知れず葬るなど不可能ですよ」という牽制である。慎重さを兼ね備えない大胆な行動など、匹夫の勇というものだ。
屋敷に客を招くならば、屋敷の主人が客を持て成すのは当然である。カーサス伯爵は屋敷の主人と会食し、時には共に乗馬を楽しみながらその人となり、自分に接近する思惑などを探った。だが腹に一物持つ者が容易に馬脚を現す筈が無い。むしろ滞在中よりも屋敷を辞した後、その屋敷を配下の者に見張らせたのである。
伯爵に取り入ると言う事は、自然その後ろ盾であるサルヴァ王子に取り入る事だ。そのような者達は成果を独り占めにしたいものである。だが王子に対抗しようとする者は仲間を必要とする。現在ランリエルで単独で王子に立ち向かえる者など存在しないのだ。伯爵が屋敷を出た後仲間が集まり、伯爵からどのような事が探れたか検討するはずである。
伯爵は自分が屋敷を出た後、にわかに人の出入りが多くなった貴族をリストにし、さらに客達も調べ上げた。そして同じ人物が客として訪れる屋敷の主を改めて探ったのである。
こうして炙り出された王子に敵対する者達の中には、かなりの大物も多く含まれていた。
「ガスパーレ・ガリバルディ公爵に、ロターリォ・バリオーニ公爵、それにライモンド・アラビーソ侯爵か。2公爵、1侯爵とは中々壮観ではないか」
楽観できる状況とは思えぬが、王子の声がどこか楽しげにすら聞こえた。
「はい。もっともバリオーニ公爵は爵位は最高位でも最近では落ちぶれ、彼らの盟主といえるのは実力と爵位を兼ね備えたガリバルディ公爵と思われます」
「そうであろうな。そしてその下に無数の貴族達と言う訳か」
「はい。その通りです」
伯爵はそう言って首肯した。
もっとも彼らの勢力については王子の予想の範囲内だった。次期国王であるサルヴァ王子に敵対するならば、自身も相応の力を集結させねば不可能だ。それよりも、王子に意外と思わせる者が含まれていた。
「ララディがか……」
「……はい」
またもや頷く伯爵だったが、その声は幾分遠慮がちだった。
ジェレリ・ララディ将軍は、サルヴァ王子がランリエル軍総司令になる前の一軍の司令でしかなかった時から仕え、常に先鋒を任されてきた猛将である。
確かに思慮深いといえる者ではないが、彼の打撃力を評価し信頼もしていたのだ。それが、まさかララディまで自分に敵対するとは……。
その為、カーサス伯爵が実は自分の陣営を混乱させる為の反間(二重スパイ)ではないのか。と一瞬疑ったほどだ。だが、それにしてはランリエルに亡命までした伯爵の行動の合点が行かない。いくら不快でも現実は直視せねばならず、ララディが敵するという事実を認めない訳にはいくまい。
問題は炙り出した者達をどう処遇するかだったが、これについてはすでに王子は決断していた。
バルバールとの戦いの最中、後方から打たれては致命傷ともなりかねない。その戦いの前に片付けてしまわなくてはならないのだ。つまり今の内に彼らを挙兵させて一網打尽にしようと考えていた。
それでバルバール侵攻が予定より遅れても仕方があるまい。すべてが自身の思い通りに行くと考えるほど王子は夢想家ではない。侵攻が不可能となるよりはマシというものである。
そうなれば次に問題となるのは、どのようにして彼らを暴発させるかだった。彼らに十分勝算がある。そう思わせねばなるまい。
勿論、彼らとて王位を簒奪する気はさらさらない。何せサルヴァ王子はその呼び名が示す通り王子であって国王では無いのだ。
王子を捕らえ「精神の御病気になられた」とでも言って幽閉し、帝国対策の実権を握る事を考えていると思われる。さもなくば、いっそ王子を亡き者にするかだ。殺した後でどうとでも理由は付けられるのである。
精々王子を捕らえる事が容易と思わせなくてはならない。だが、このランリエル王都フォルキアでそれは不可能である。
王子は情勢を鑑みて軽々しくは王城の外に出ないようにしていたし、王城の内部に臣下が私兵を入れる事は出来ない。狙うならば王都の外で行わなくてはならないのだ。
「貴公は中々役に立つ者を多く召抱えているようだな。すまないが、その者達にもう一働きして貰おうか」
伯爵は王子との以前の会話を思い出し、確かにこき使われる。と考えながら深々と一礼した。
数日後、サルヴァ王子がカルデイ帝都ダエンに座するベネガス皇帝を訪問すると発表された。
帝国を威圧する為ではなく、あくまで親善を目的とした訪問である。万の軍勢は必要としないが、帝国には王子を敵視する貴族も多い。その為、5千の軍勢を率いて向かう事となった。
随員はカーサス伯爵を含めた6名の文官。そして王子の配下の武将としてララディ将軍とならぶギラルデ・ムウリ将軍以下8名の武官である。勇名を馳せるララディ将軍は随員とはならなかった。
「今回は帝国と戦う為に行くのではない。貴公がくれば戦いになりかねんからな」
サルヴァ王子は冗談めかして猛将にそう言い渡し、残留を命じたのだった。
王子が出立してから間もなく、王都では次のような話が囁かれるようになった。
「サルヴァ殿下は、帝国に僅か数千の軍勢で向かわれたが大丈夫だろうか? もし王子に反感を持つ帝国貴族達に国境を封鎖されては、帝国国内で孤立する。そのような事になれば、お命も危ないのではあるまいか」
だがサルヴァ王子の一行は、その危険にまるで気付いていないかのように帝国国内を進み、18日をかけて帝都ダエンへとたどり着いた。
「ベネガス皇帝にはご機嫌麗しく」
サルヴァ王子はカルデイ皇室の謁見の間でベネガス皇帝に対して跪いて恭しく一礼し、さらに長々と口上をたれた。相手は皇帝、サルヴァ王子はあくまで王子。当然の礼節である。
もっとも前回2人が顔を合わせた時は、実質帝国の降服宣言である和平の誓約書に署名しあった時だった。その時はサルヴァ王子は勝者でありベネガス皇帝は敗者だった事を思えば、礼節の馬鹿馬鹿しさを思わずにはいられない。
いや、この状況をもっとも奇異に感じているのは当のカルデイ皇帝ベネガスだった。
彼は王子の訪問の目的を、自身の廃位なのではないかと戦々恐々としていたのである。自分の死命を制する者に跪かれる居心地の悪さに、カルデイ皇帝は身じろぎした。
「サルヴァ殿下は大切な御客人、いつまでも跪いておらず寛がれよ」
あまりの居たたまれなさにベネガス皇帝は促したが、王子は応じず、
「いえ。ベネガス皇帝は我が父とも思う方。そうは参りますまい」とさらに口上を続けたのである。
ベネガス皇帝の心理を察せられない王子ではないが、ここで尊大に振舞えば帝国貴族に無用の反感を覚えさせる。それは避けるべきだった。
結局ベネガス皇帝からの再三の言葉により、場の空気が王子への反感から情けない皇帝よ。と矛先が変わるのを十分に確認してから跪くのを止め、立ち上がったのだった。
その後ベネガス皇帝は連日贅を尽くした大宴を行い、王子の機嫌を取ろうとした。帝国臣下達は財政難のおりに贅沢な、と渋い顔となったが、王子は抜け目無くその批判が自分へと向く前に手を打った。
「宴ばかりでは身体が訛ってしまいますので、明日は狩りにでもまいりましょう」
とベネガス皇帝に進言したのである。
臣下達は、王子は別に宴を欲してはいなかったのだと思い、無用の大宴で浪費したとベネガス皇帝へと白い目を向けたのだった。
そしてこのような日々が続く中、王子が不在のランリエルでも動きがあった。ガリバルディ公爵を中心とした、反サルヴァ王子の貴族達が挙兵したのである。
はじめは彼らも挙兵までは考えてはいなかった。例の帝国貴族達が国境を閉鎖すれば王子の命が危険である。という流言の通りに事が起こるのを密かに期待していただけだったのだ。
もし流言の通りになればすべての問題は解決するのである。王子が亡くなればその責任を糾弾して改めて帝国に侵攻し、帝国貴族達を残らず討伐して領地を取り上げてしまえば良いのだ。
しかし一向に帝国貴族達は立ち上がらず、国境を封鎖しない。
もっとも帝国貴族達が行動に移さないのはサルヴァ王子の予想通りだった。反王子の貴族達は流言に惑わされたが、ランリエル国境付近の貴族が国境を封鎖するのは現実的には困難なのである。
現在帝国には数多くの独立国が乱立しているが、その国々が成り立つのはランリエルの後ろ盾があってこそに他ならない。自然、独立国はランリエル国境側に多く集中していた。
勿論、国境が独立国で埋め尽くされている訳ではないが、帝国貴族達が国境を封鎖しようとするのを妨げる程度の勢力は十分にある。
その為、国境は封鎖されずにいるのだが、反王子の貴族達にとってはなまじ期待しただけに落胆も大きい。だが、それでもまだ彼らとて挙兵に踏切るまでには至らない。そこへまた新たな話が伝わってきた。
「サルヴァ王子は帝国貴族達と宴に狩にと親交を深めている。カーサス伯爵のように、領地ともどもランリエルに属する者達も今後増えるのではないか?」
勿論この流言もカーサス伯爵配下の者達の仕業であるが、反王子の貴族達には面白い話ではない。
本来ランリエルにとっては好ましい話だが、彼らの主張は帝国貴族達から領地を取り上げろ。というものだが、帝国からランリエルに鞍替えされては領地を取り上げられない。いくら新参とはいえ、名目上ランリエル貴族の領地を攻め取るのは、彼らも無理があると認めざるを得ないのだ。
しかしまた流言である。
「いや。確かにランリエルに組しようとする帝国貴族もいるが、多くの帝国貴族はやはり王子に反感を持っている。むしろランリエルに組する貴族の出現を彼らは苦々しく思い、さらに不満を募らせている」
反王子の貴族達はこの話に安心したが、すぐに別の話も伝わってくる。
「多少の帝国貴族達が不満を募らせたところで何ほどの事も無い。実際ランリエルに組しようとする帝国貴族は日々増えているのだ」
王子は、貴族達を落胆させる話と安心させる話を交互に流させたのである。
流言に一喜一憂する彼らは、次第に今この時こそが千載一遇の機会であると錯覚した。今を逃せば王子に対抗するなど不可能となってしまう。
そして遂に、
「王子に反感をもつ帝国貴族達が挙兵に踏切れぬのは、万一王子に逃げられるのを恐れているのだ。何せ失敗すれば後が無いのだからな」
という流言に彼らは挙兵を決意したのだ。挙兵するといっても国境を封鎖するだけで良く、王子の首は帝国貴族が取ってくれるはずだ。
国境閉鎖に関しては
「ランリエルに不満を持つ帝国貴族が攻め寄せてくる、という情報が入った為」
と宣伝した。だがサルヴァ王子が帰国しようとしても通す積もりはない。何かと理由をつけて追い返す考えだった。
ガリバルディ公爵を筆頭とする彼らは私兵を中心に兵士を集め、さらにララディ将軍など武官は指揮下の軍勢をも動員した。軍隊において上官の命令は絶対である。出陣と言われれば従わざるを得ない。もっともその上官は総司令官に弓引こうというのだが……。
反王子の貴族達が集めた軍勢は2万5千。稀代の名将と呼ばれるサルヴァ王子とて、5千対2万5千では敵すべくもない。
いや、険阻な地形の国境で守りを固める2万5千に5千で攻め勝てると本気で考えるなら、そもそも名将というに値しない。あまりにも非現実的である。
ランリエル国内には他に10万の軍勢が控えているが、それらの兵は動きようが無い。
ガリバルディ公爵は国内屈指の実力者である。もし公爵に敵対し、彼の唱える国境封鎖の理由が事実であれば、後々どのような処罰が下されるか。
勿論、総司令官であるサルヴァ王子からの命令があれば動くのだが、当の王子は帝国国内に留められているのである。だが、この状況に国王であるクレックス王が動かない訳は無い。ガリバルディ公爵を呼び寄せ問いただした。
サルヴァ王子と13歳しか違わぬ金髪碧眼の国王は、我が子の危機に普段の温厚さをかなぐり捨てて公爵を怒鳴りつけた。
「王子が帝国に居ると言うのに、国境を封鎖するとはいかな考えか!」
「それは誤解で御座います。帝国に不穏な動きがある為国境を固めただけで、むしろ王子が御帰国なさるのをお助けする所存」
ここで取り乱しては万事休す、後ろ暗いところはなにもないというふうに、平然と公爵は答えた。
「誠であろうな!」
「勿論で御座います」
「しかし他の者は、公爵が王子を害そうとしていると申しておるのだぞ!」
「それは私を陥れようとしている者の讒言で御座います」
とガリバルディ公爵は、国王からの追及をのらりくらりとかわし、その日は何とか追求から逃げおおせる事に成功した。
そしてこれ以上追求されてはボロが出かねないと、自身も国境へと向かい軍勢と合流したのである。勿論、バリオーニ公爵やアラビーソ侯爵を筆頭に主だった者達も追求を逃れる為こぞって出陣した。
クレックス王は国境へと使者を派遣し公爵達を再度召喚しようとしたが、彼らはそれに対しても、なにやと理由をつけて応じず国境を固め続けたのである。
サルヴァ王子とその軍勢は帝国国内で孤立したのだ。