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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
407/443

第311:暗躍

 今宵どこに行ったか。他言無用。シュバルツベルク公爵は御者にそう厳命し馬車を走らせた。御者は8年前から公爵家に仕えている。他家に仕える御者の数倍の賃金を受けていた。しかし、それも他言無用。


 舞踏会などに出席すれば、主催者の屋敷に貴族達の馬車が集まる。馬車は主人を降ろせば一旦立ち去り、舞踏会が終わる頃に戻ってくるのだが、シュバルツベルク公爵などの名門貴族、有力貴族などは馬車を待たせておく場所が用意される。


 そこで御者達は顔見知りになる。馴染みの商売女の話になる事もあり、収入の話になる事もある。


「どうしてお前はそんなに金を貰っているんだ?」


 そういう話になれば誰しも不審に思う。何か公爵の秘密を握っているのでは? と考えるのは順当な思考だ。金を揺するネタにと、その秘密を暴こうとする者も出るだろう。


 勿論、人は強欲なものだ。公爵から高い賃金を貰っていても、更に金が欲しいと秘密を売るかもしれない。その為、シュバルツベルク公爵は、喋ったら殺す。シュバルツベルク公爵家から逃げられると思わぬ事だ。と脅しも忘れない。飴と鞭。十分な報酬があるのだから、欲をかかなければ安全に大金を得る事が出来る。


 同じような御者がもう1人居る。その者を3年前からこの男と一緒に寝起きさせている。対外的には共同生活の貧乏人だ。


「10年。多額の報酬を貰っているのを隠して2人で貧しく暮らせ。10年経てば貯めた金を持って他の町で暮らせばいい。そこで土地を買い嫁を貰って暮らすには十分な金をやる。5年置きに新しい男と1人づつ入れ替える」


 御者達にはそう言っている。入れ替える御者は、それまでの御者と全く無関係の者を選んで連れてくる。共同で暮らしていれば隠し事も難しい。どんなに親しくなっても、もしかすれば公爵に命じられて自分を監視しているのかも。お互いがそう思い公爵を裏切れない枷となるのだ。そして、10年仕えれば他の町で安心して暮らせるという約束は必ず守る。


 秘密を守る為、前任の御者は密かに殺す。などという馬鹿な真似はしない。そんな事をしていては、それこそ裏切り者が続出する。御者だけではない。公爵に仕える者達、全てが公爵を信じなくなるからだ。


 将来のリンブルク王フリッツ王子と将来の王妃シモンから、訪問と双子の赤子への贈り物の返礼が届いたのは2日前。公爵への贈り物は全て入念に調べる執事達も、将来の王と王妃からの贈り物には触れられない。そのまま公爵の元へと届けられた。それはシモンも分かっているだろうが、それでも念の為なのかシモンからの手紙は巧妙に隠されていた。


 必ずシモンからの手紙があるはず。そう確信していても、なかなか見つけられず、まさか無いのか? と、諦めかけたほどだ。結局手紙は、銀のブローチが収められていた革張りの箱をナイフで切り刻んで見つけた。


 本来ならば、こちらから日付を指定したいところだったが、相手にも都合がある。必ず会いたいなら日程は相手に任せるしかない。シモンから今日という日を指定された公爵は、親しくしている貴族と予定してた晩餐会を断った。


 馬車が止まったのはフリッツ王子らが暮らす屋敷の1000ケイトほど手前。静まり返った夜の森は思いの他音が響くもの。万一屋敷の者に気付かれないようにかなり手間で馬車を止めたのだ。そこから公爵は徒歩で更に500サイトほど歩いた。


「さて、ここで待てという指示だったが……」


 独り言。というには大きな声で呟いた。無意識ではなく、シモンへの自分はここに居るという合図の意図がある。だが、その配慮は不要だった。


「お待ちしておりました」


 その声は思いの他近くから聞こえた。真後ろ。振り返ると手が届きそうな距離にシモンが立っている。合図が必要どころか、公爵がここまで歩いて来るのを見張っていたようだ。


 公爵もただの貴族ではない。一度は、あのベルトラムとリンブルクの覇権を争った男。負けはしたが、ベルトラム政権下でも影響力を維持しベルトラム亡き後も彼は生き残っている。最後に立っていた者が勝者。その意味では、ベルトラムに勝ったとすら言える。勝てぬなら雌伏の時を耐え忍び次の機会まで力を蓄える。それも優れた政治家というものだ。


 その彼が、最も把握すべき事はシモン。ひいてはダーミッシュの一族の現在の動向、立場だ。順当に考えればベルトラムの息子であるゴルシュタット王オスヴィンの手足となっているはずだが、これは無い。と、シュバルツベルク公爵の政治家としての嗅覚がそれを告げていた。


 ゴルシュタットの情勢はリンブルクと無関係ではない。彼は腐心してゴルシュタットの情勢を掴んでいる。その結果、オスヴィン王はあまりにも対応が後手だ。ダーミッシュの一族を活用できているとは見えない。オスヴィン王は一族を掌握していないか、あるいは、持て余していると予測していた。


「久しいな。お父上は元気か?」


 会話の取っ掛かりでしかない意味の無い問い。公爵は、はい。という返答を予測し、それは何より。と返して次の言葉に繋げる予定だった。しかし、返された言葉は公爵の予想に反した。


「父は、去年、病を得て亡くなりました」

「そ、そうか。それは……ご冥福をお祈りする」


 そう答えるしかなく、しばらくの沈黙の後、

「では、お父上の後は誰が継いだのだ?」

 と問うた。


「兄が継いでおります」


 その言葉に頷きながらも頭の中で人物相関図を整理する。ベルトラムはシモンの父に諜報を任せていると言っていた。つまりシモンの父親が一族の長。それが亡くなった。その会話により、公爵は重要な情報を得た。シモンの父が亡くなった。それは些細な事だ。それよりもそれをシモンが口にした。それこそが重要なのだ。


 長の死。次期長が誰なのか。それは重要機密なはず。それを会話の流れで躊躇無く口にする。この女は今も自分を味方であり、しかも上位者と認識しているのだ。これは大きな収穫。元々は、味方を装って自分に近づいた女だが、ベルトラムと組むと決めた時に、これからは味方であるとベルトラムが正体を明かした。お前は俺の手の平で踊っていただけなのだ。ベルトラムによる格上宣言。


 公爵に対し今後の力関係を自覚させる演出であったが、秘中を明かしたベルトラムの協力者。そうも見える。シモンもそう認識した。それが解除されないままベルトラムが死んだ。どうやって探りを入れて情報を引き出すか。それに頭を悩ませていた公爵からすれば思いがけない幸運である。


「そうか。では、お主の兄にも一度会ってみたいものだな。これからの事も話し合わねばなるまい」


 用意していた探り合いの台詞を全て捨て去って本題に入った。口調も上位者としてのそれに変る。先ほどまでも次期王妃に対するには礼節を守っているとは言いがたかったが、それでも多少は気を使っていた。


「兄とは、まだ連絡が取れておりませぬ」

「連絡が取れていない?」


 我が耳を疑った。信じられぬ。その言葉をかろうじて飲み込む。


 諜報活動に優れたダーミッシュの一族の致命的なまでの政治的感覚の欠如。フリッツ王子が次期国王になりシモンは次期王妃。このような情勢ならば、真っ先にシモンと連絡を取るのが政治的にみて当然の配慮だが、一族はシモンに対して長期潜伏状態の一族への通常通りの対応しかしていなかった。


 勿論、この期に及べばサルヴァ王子もダーミッシュを呼び出しフリッツ王子についての情報を問うていた。そして一族の女がフリッツ王子の妻という事実に驚愕し、急いで連絡を取るように命じていた。とはいえサルヴァ王子が居る前線からの指示は迅速とは言い難い。数日の差で公爵が先んじていた。


 ならばと、現在の状況を問うと一族は既にランリエルに身売りした。という衝撃的な事実に直面した。


 遅かったか……。眩暈に襲われそうになった公爵だが、彼も一角の男。それならばそれで身の振り方がある。と持ち堪えた。とにかく、シモンが現在、指示待ちの空白状態なのに代わりは無いのだ。


 だが、いつまでもこの状況が続く訳でもあるまい。このシモンの空白がいつまで続くのか。公爵が更にシモンに問うと、定期的に連絡を取り合っているので、そろそろ指示が来る頃だという。


 では、その、そろそろ、までに手を打てば主導権を握れるという事か。


「しかし、お前はフリッツ殿下の即位に賛成したと聞いたが。それは一族の指示ではなくお前の独断だったのか?」

「いえ。私は殿下に、妻として貴方に付いて行きますと申し上げただけなのです。それを私が賛成しているのだとお受け取りになったのです」


 何事にも動じぬ女。シモンをそう評価していた公爵だが、この言葉にはいい訳めいたものを感じた。確かに今までの話を聞く限りでは、彼女が求められているのは現状維持だ。彼女もその積もりだった。それが図らずとも夫は国王。自身は王妃。命令違反をしてしまったのではないか。一族の命令こそを至上とし、死ねと命令されても眉一つ動かさない。それが一族だ。だからこそ命令違反には敏感になる。


 常ならば生半可な手には乗らない女だ。しかし、この不安に付け込めば打てる手はある。


「なるほど。人は自分に都合よくものを見るもの。確かに殿下はお前の言葉を自分に都合よく受け止めたのであろうな」


 シモンは言葉を発しなかったが、微かに頭が上下に動いたのを公爵は見逃さなかった。やはり、この女ですら自分の言い分を肯定して欲しいという感情を抑え切れないところまで追い詰められていた。


「もはや、お前は口を出さぬ方が良いであろうな。口を出せばお前が殿下を炊きつけていると考える者が増えるだろう。お前は殿下の意向に従っているだけで意図したものではない。大人しくしていればそう考える者も増える。実際、そうなのだろうしな」

「はい。勿論で御座います」


 シモンが肯定の言葉を漏らし頷いた。一度、心の城壁を乗り越えればこちらのもの。命令を遵守するのが一族の特性。上位者と認識されている公爵が彼女を操るのは難しくは無い。


 当然、一族を裏切るような命令は言語道断。問題外だ。つまり、現状維持という一族の指示に沿うと彼女に認識させられる範囲内でなら命令できる。


 さて、とはいえ、すぐにどうこう出来るものではないな。まずは時間稼ぎが必要か。


「ところで、お前からフリッツ殿下に口添えして欲しいことがある。勿論、お前が口出ししたとは悟られぬように妻としての自然な提案としてだ」


 その2日後、フリッツ王子とシモン。双子の赤子達は逃げるように屋敷を後にした。向かった先はシュバルツベルク公爵の屋敷である。


「フリッツ殿下。ご無事で何よりで御座います」

「公爵にも世話になる。まさか私を襲撃しようという者が居ようとはな」


「現国王が退位するならば、自分こそが王に相応しい。そう考える方が居ても不思議ではありませぬ。本人の意思とは関わらず」

「確かにな」


 現女王はベルトラムの娘クリスティーネ。その即位時にも反対派が存在し、他の王族を立てていた貴族が居る。フリッツ王子は父王殺しの罪で廃嫡となったのだから、クリスティーネとルキノが退位するならば、次は自分。そう考えても不思議ではなく、本人がそう考えなくても取り巻きの貴族がそう考えるかも知れない。


 しかし、あくまでも仮定の話だ。


 シモンとの密議の後、屋敷に戻った公爵はすぐさまフリッツ王子に使者を差し向けた。王位を狙い陛下を襲撃しようと企てている者がいる。という情報を掴んだというのだ。実行犯も主犯も不明な確証のないものだが、だからと言って放置も出来ない。どこかに避難する必要があり、我が屋敷ならば警護も十分と伝えさせた。


 王子も初めは乗り気ではなかった。そのような曖昧な情報を信じて逃げ出すのは、次期国王としての沽券にかかわるのではないか。というのである。しかし、公爵の使者も子供の使いではない。


「鷹揚と愚鈍。勇気と無謀を同一視する者も多い御座いますが、それは似て非なるものです。真に偉大な人物は大事の前には危険を避けるもの」


 公爵の使者はうやうやしくフリッツ王子に進言し古事を引き合いに出し説得にあたった。


「ある馬術に優れた将軍が居りましたが、決戦を前に戦場に向かう道中に幅1ケイト(約75センチ)ほどの小川に差し掛かりました。それを見ていた者達は、華麗なる馬術で小川を飛び越えるのだろうと期待していましたが、なんとその将軍は馬から降りて従者に背負われて小川を渡ったのです。馬術に優れていると評判だったが、飛んだ評判倒れだと笑う者も居りましたが、ものを分かった者ほど感心いたしました。馬術に優れながらも僅かな危険を避ける。あれこそが大事の前の分別であると」


 権力を握り他を従わせるには、それを支える背景が必要。それは血筋であり、武力であり、財産であるが、時には人格がそれになる。フリッツ王子には武力も財産もない。血筋は前王の嫡子であるが、事故とはいえ父王殺しを理由に廃嫡された身でもある。人格の面での評価には敏感だ。曖昧な噂で逃げるのに躊躇したのも、その為である。しかし、逃げる方が評価されるというなら話は別。


 更に妻であるシモンが我が子の心配のあまり狼狽し、怯えて王子に縋りついた事もあり決断した。シモンにとっても、王子に万一の事があれば、一族の指示である’現状維持’に反する。公爵の命令に従うのに抵抗は無かった。


「分かった。公爵の元に身を寄せよう」


 こうしてフリッツ王子は公爵の屋敷に向かった。公爵はシモンが一族と連絡を取り合う前にまんまと次期国王を手中に収めたのである。その上で自分からランリエル側に接触したのだ。しかも、大胆にもシモンに仲介させた。


「私はかねてよりフリッツ殿下の妻であるシモン嬢が亡きベルトラム殿の手の者であると存じておりました。しかし、それも過去のこと。今はフリッツ殿下と仲睦まじく暮らすのみ。そう考え、構えて触れずにおりました。そのフリッツ殿下とシモン嬢が、このたび次期国王、次期王妃におなりになると聞き、何かお力になれぬかと四方尽くしていたところ、フリッツ殿下襲撃の情報を得たので御座います。殿下は我が屋敷にてお守りいたしますので、ランリエル皇帝にはご心配は要りませぬ」


 噂を軸にした行動は、ある意味では無敵だ。誰が言ったかが明確でない為、誰も責任を取らなくてもよい。にもかかわらず、その噂が本当であったならば、情報を得ていたにもかかわらず手を拱いていたことになる。と行動に移すのも自由。後で、それが間違いであったと分かったとしても、自分も騙されていたと言えば良い。そして、現実的にベルトラム亡き後、リンブルクで最も影響力の高いシュバルツベルク公爵にランリエルが強硬な態度に出ることはないだろう。


 まるでサルヴァ王子がシュバルツベルク公爵に手玉に取られているようだが、勿論、五分の条件で争えば勝者は変る。今回は条件が五分ではなく公爵に有利だった。皇国と戦い余裕の無いランリエルだ。回避可能な揉め事は避けようとするのが当然である。そして、今ならばランリエルが強硬に出ないと予測する程度の能力はシュバルツベルク公爵も持っている。


 勿論、予測しながらも、もしかしたらと腰が引ける者も多い。その意味では今回の公爵の振る舞いは小ベルトラムと呼べるものだ。ベルトラムと手を組みながら、公爵もベルトラムの豪胆さを学んでいた。今はランリエルは強硬策に出れない。故に多少、強引な手を打っても安全。それが公爵の計算だ。

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