第308:適材適所
現在、ゴルシュタットではランリエルによる自陣営への引き込み工作が行われていた。カルデイ帝国軍によって皇国軍を牽制し、その影響を排除している間に乱れた国内を纏め上げ政権を安定させる。当然、ランリエルに友好的な政権としてだ。
カルデイ帝国軍は総勢4万ほど。総動員数10万と言われたゴルシュタットからすれば、物の数ではない。しかし、現在では、その兵力のほとんどが出払っており、国内の兵力をかき集めてもカルデイ帝国軍の半数にも満たない。大国ゴルシュタットが小国カルデイに屈服するしかない状況だ。
その意味ではベルトラムの豪胆な動員も欠陥があったと判断出来るが、ベルトラムにしてみれば自分が死んだ後に破綻することなど
「知った事ではない」
と一蹴するだろう。自分が死ねば計画そのものが失敗なのだ。自分が死んでも大丈夫なように。など意味不明だ。
その4万の軍勢に対抗できないゴルシュタットでは、多くの貴族が領地に引き篭もっている。国家の軍隊とは王家の直属兵と貴族達の私兵の混成軍。軍勢が出払っているとは即ち貴族の私兵も出払っているのだ。領主が王都に居れば、王都と領地の両方に警護の兵が必要になるが、そのような余裕はない。どちらを取るかとなれば領地を取るのが当然である。
しかし、このような中でも王都に留まっている者達もいる。次期国王の座を狙う王族達と、現在のゴルシュタット王国に統一される前にこの地方に割拠し、現在ではゴルシュタットの貴族となっている小国家群時代の旧王族達だ。
現在のゴルシュタット王は前王の血を継がぬベルトラムの息子オスヴィンだ。父ベルトラムも亡くなり、王位を狙っていた他の王族達には絶好の機会。しかし、その王族達もベルトラムの政策によって多くの力が削がれている。今までにはないほど王家の統治が揺らいでいた。
旧王家の者達にとっては、絶好の機会どころか、類を見ない機会。最後の機会だ。ここで復権出来なければ、永久に彼らの出番はないだろう。少なくとも、現在、生きている彼らの代では。
「現王朝とて、元来はこのゴルディス地方に君臨する一小国だった。その命運も尽きようとしているのだ。今こそ我が国が台頭し、新生ゴルシュタット王朝として君臨するのだ」
旧王家の者達は、それぞれが異口同音に唱え活動を開始した。他国者からすれば、現在のゴルシュタット王家を打倒したら、次の王家は新生ゴルシュタット王朝ではないのではないか。とも考えてしまうが、それにはこの国独自の建国の経緯がある。
ゴルシュタット王国はゴルディス地方に住んでいるゴルシュタット人が作った王国。というものであり、現在のゴルシュタット王家もかつては、この地に割拠していた小国ベルガルト王国であり、ベルガルト王家と名乗っていた。そのがベルガルト王国がゴルディス地方を統一した時に他の王国からの反発を薄れさせる為、ベルガルト王国が他を併呑したのではなくゴルディス地方を纏め上げた王国という体をとったのだ。
ちなみに、実はベルガルト王という地位は消滅しておらず、ベルガルト王がゴルシュタット王を兼ねる。という事になっている。つまり、厳密にはゴルシュタット王家とはベルガルト王家の慣例的な呼び方であり、現実には存在しない。
その建国の経緯も旧王国の者達には、下克上についての道徳的な罪の意識は薄い。別にベルガルト王家を滅ぼそうというのではないのだ。ベルガルト王家はそのまま。ゴルシュタット王の地位だけ欲しい。今後は我が王家がゴルシュタット王を兼任する。という理屈である。
このような情勢の中、サルヴァ王子から全権を委任された外交官ドナトーニがゴルシュタット王都に到着した。能力を認められているのは勿論だが、今回、特に彼が選ばれた理由は、いかにもゴルシュタット人好みのその容姿からだ。
ゴルシュタット人は質実剛健を貴ぶ。軟弱な外見の者は能力以前にその外見により侮られるのだ。逆に言えば、逞しい身体。鋭い眼光などゴルシュタット人好みの容姿を備えていれば、それだけで評価が割り増しされるのだ。
彼は、逞しい身体と鋭い眼光。そして男らしい低い声を備えていた。そして針金のような硬い黒髪を短く切りそろえ、質実剛健の具現化に努めている。しかも、今回は服装から眉の形までも整える為に専門のスタッフまで同行している。
とはいえ外交官の容姿だけで交渉がうまく行くものではない。交渉には正確な情報が必要である。宿舎として借り上げた屋敷に入り、既にゴルシュタット国内で情報収集をしているカーサス伯爵の部下とダーミッシュ一族の者と合流した。
部屋に到着してすぐに彼らを呼び寄せたドナトーニは、
「旧王家の者達がゴルシュタット王の地位を狙っているらしいが、武力を背景に他を制圧しようという者は出ていないのだな?」
と、上着を脱ぎつつ問いかけた。このような’少し野蛮そうな’振る舞いもゴルシュタット人好みであり、彼はそれを自然に振舞えるように訓練している。言い終わったころには、上着を傍らの椅子に掛けている。
「は。全ての貴族が兵を出払っており、それは旧王家の者達とて例外ではありません。他を攻めれば自らの領地が手薄になる状況で、武力で威圧する余力はありませぬ」
「とはいえ多くの傭兵を雇い入れ、着々と兵を蓄えている者もおります。いつまでも平穏とは参りますまい」
元々、この大陸のほとんどの国は職業軍人ばかりで領民を徴集して兵士とする事は少ない。それだけに軍人であった者には身分意識というものがあり仕えていた主君が滅び職を失っても農民や商人にはなりたがらず、他家への仕官を望むのだ。しかし、それにもあぶれる者もいて、そのような者は傭兵となる。特にこのような戦乱の時代には雇い主を求める傭兵は彼方此方にいた。
かつてカルデイ帝国もランリエルに敗れて軍縮を命じられ職を失った元軍人が国内にあふれた事があった。カルデイ帝国総司令のギリスは、その救済の為に自ら営業活動を行いランリエルに傭兵として雇って貰ったほどだ。
「あまりのんびりしている暇はない。という事か。まあ、皇国の攻勢も強まっている。初めからのんびりする気もないが……」
「現在、現王家以外で勢力を誇っているのは、旧マインゲン王家のダニエル・マインゲン公爵殿。旧レムブルク王家のクヌート・レムブルク公爵殿です」
「その御二方には及びませぬが、虎視眈々と復興を狙っている旧王家はいくつか御座います。ご油断なきように」
そうは言っても、実は武力蜂起する者が出てくること自体は、ランリエルに利するともいえる。武力蜂起に対抗できない貴族、特に旧王家は現王家に助けを求めまい。むしろ、これを好機にランリエルに支援を求める可能性は高い。
その者はそのままランリエルの後ろ盾を得て国内の主導権を握られる。まさに災い転じて福となす。だ。ランリエルとしても求められての介入ならば名分がたつ。のんびりする気はないが、あえて鷹揚に構え動きを待つ。というのも結果的には、最速の手かも知れないのだ。
だがドナトーニは、その手段を取る気はない。武力を背景にした交渉と武力による解決は天と地ほどの違いがある。外交官としては、あくまで交渉による解決が己の存在意義と考えていた。
複数の利害が絡み合った問題を解決するには理想を捨てる事だ。みんなが満足する解決方法。などは絵空事。非現実的である。必要なのは問題の落としどころだ。
そして理想の落としどころとは、実は、それぞれが同じだけ利益を得られる解決方法でも、それぞれが同じだけ少しずつ我慢する事でもない。それぞれの面子が立つ解決方法である。
昔、1人の男が金貨3枚を落として別の男がそれを拾い、落とした男に返そうとした。普通ならば、それで話は終りなのだが、その2人は揃いも揃って男気に溢れていた。落とした男は拾った男の物だと言い、拾った男は落とした男の物だと主張したのだ。
困った周囲の者達が代官に調停を求め、代官が自身の懐から金貨1枚を追加して金貨4枚とした。
「私が金貨1枚を出して金貨1枚の損。お主達はその金貨4枚を2枚ずつとし、3枚受け取れるところを1枚ずつの損。3方1枚ずつの損ということで納得してはくれまいか」
そう調停し解決させた。この話を聞いた多くの者が、全員少しずつ損をするのだから納得しろ。という事だと認識するが、実際はそうではない。元々、男達は要らないと言っているところに金貨2枚を得るのだから、実際は3方1枚ずつの損ではなく1方1枚損の2方2枚得である。しかし、2枚貰えて得だろう。などと言えば男達が反発するのが分かっていたので、3方が1枚の損’ということにして’男達の面子を立てたのである。
ドナトーニに求められているのは、その調停だ。特に貴族、王族というものは面子に拘るもの。実際は、どうかではなく表向きだけでも彼らの面子を立てる。これが重要なのだ。それには、彼らがそれぞれ何に拘っているのか。それを知るのが重要だ。
「それぞれの主張を吟味して、彼らにとっての譲れない線。というものを調査出来ないか? 出来ないなら、彼らの主張をそのまま報告してくれてもいい」
「は。畏まりました」
「必ずや、ご期待にそえまする」
2人が退出すると、ドナトーニは、やれやれとこぼし長椅子に倒れこんだ。彼の体躯に長椅子が小さく悲鳴を上げる。
「あの2人。サルヴァ陛下は、競うように働くだろうから、きっと効率が上がるだろうと仰られていたが……」
確かに競い合ってはいるのだろうし熱意はありそうだが、2人とも毎回、相手が口を開けば自分も口を開こうとするのが少し煩わしい。まあ、それでも能力については信頼が置けそうだ。
それからドナトーニは、彼らからの報告を待ったが、その間も無為な日々を送りはしない。ランリエルからの大使が国王に謁見しないなどあり得ず、到着の2日後にゴルシュタット王オスヴィンと謁見した。隣には王妃テルマが座する。
オスヴィンは亡きベルトラムの息子。テルマは前国王の娘だ。政略結婚の代名詞になりそうな2人であるが、オスヴィンは父親に似ず善良な男で王妃を大事にし夫婦仲は良いらしい。彼らの家庭に興味はないが、人物評価の材料にはなる。手を組むならば組し易いと判断出来るだろう。とはいえ、その一事で全てを評価するのは軽率だ。到着早々、誰と組むか旗色を鮮明にするのも賢明ではない。
「このたびは、お父上の事。まことにお悔やみ申し上げまする」
真の目的はあからさまだが、ランリエルの外交官がゴルシュタットに入国した公式の立場はベルトラムの弔問である。とはいえ、要は入国こそが目的であり、表向きの理由は何でも良かった。というのが実情だ。
「ランリエルからのご使者が参られ、父も喜んでいよう」
オスヴィン王も無難に応じる。ベルトラムが亡くなったのは公式には乱心による自刃となっている。ベルトラムはそれをクリスティーネへの贈り物と称したが、確かにサルヴァ王子の元副官であるリンブルク王がベルトラムを殺した。となっていれば、このような友好的な雰囲気はあり得なかった。
とはいえ……。ゴルシュタット王であり実の息子となれば、本当はリンブルク王が父を殺した。という情報も得ていよう。(実はそれも偽りで致命傷を与えたのはクリスティーネなのだが)
オスヴィン王も、少なくとも表面上は、それをおくびにも出さず、にこやかに応接するあたり、意外と強かな人物かも知れない。ドナトーニは気持ちを引き締めた。
その彼の判断を裏付けるものか、オスヴィン王から歓迎の舞踏会を開くとの申し出があった。ランリエルの後ろ盾が欲しいのはオスヴィン王も他の王族、旧王家の者達となんら変ることはない。貴族社会にとって社交界とは政治の場。政治には根回しが重要だが、その根回しは社交界で行われることも多い。その意味では議会よりも舞踏会などの集まりが重要とも言える。オスヴィン王が舞踏会でドナトーニを紹介するという形を取れば、それ自体が王がランリエルと手を組んだとの宣言となる。
「よろしいか?」
とオスヴィン王に問われたものの、国王からの招きなど受ける以外の選択肢はない。しかし、彼とて有能な外交官。
「オスヴィン王のお招きを断る者等御座いますまい。喜んでお受け致しまする」
と断りきれなかった。という雰囲気を漂わせた。
そうして舞踏会が開かれたが、オスヴィンの返答の効果があったのか、報告にあった旧王家のマインゲン公爵やレムブルク公爵などからも次々と舞踏会の招きがあった。これらの招待も受ければ、自然と現国王寄りという認識も薄れた。そうなると、更に多くの王族、旧王家からの招待が続く。
「人気者というのも悪くはないが、こうも連日連夜だと、さすがに疲れるな」
しかも、舞踏会に参加する貴族の数は開催する者の財力と人脈を示す秤となる。多くの貴族は領地に戻っている為、王都に残る貴族を片っ端から招待する事となる。毎回、ほとんど同じ顔ぶれだ。
招かれた方も主催者との今後の関係を考えれば断れないが、こうも毎回同じ面子では談笑する話題も尽きてくる。しかも、ご婦人方は、同じ衣装での参加などあり得ず、新しく衣装を新調し続け出費も馬鹿にならない。
「まるで笑い話のような状況だが、笑ってばかりもいられぬか。こうも出費が多いと貴族達から逆恨みされかねん」
実際、舞踏会を開催するのも貴族を招くのも彼ではないが、彼が存在しなければ連日の舞踏会がなかったのも事実。恨む方にしても、舞踏会を開催する数多くの貴族よりもドナトーニ1人に的を絞った方が感情をぶつけ易いのだ。
「まったく。ご婦人方も同じ衣装を着るくらいいいだろう。誰もあんたの衣装なんて覚えてないだろうに」
そう愚痴を溢したが、それは認識不足というものだ。彼女達は覚えている。自分は苦労して新しい衣装を揃えているのに、他の婦人が同じ衣装で誤魔化そうなど言語道断である。もし同じ衣装のご婦人が居れば、どれほど嫌味を言われ爪弾きにされるか分かったものではないのだ。
そうして連日の舞踏会に飽き飽きしている頃、命じていた情報収集を行っていた者達が報告に来た。
「待ちわびたぞ」
というのは彼の本心だ。
「王族方、旧王家の方々。我こそは次の国王。そう公言している者が数多く居ります」
まずはダーミッシュの部下がそう報告した。更にその者の氏名、爵位、家族構成などを詳しく語った。国王が健在にもかかわらず、我こそは次の国王などと公言する者が居ること自体、現在の王の権力の低下を物語っている。いや、現在のではなく未来においてもか。現国王が王位を守りきり、将来、権力を盛り返せば報復が待っているはず。彼らはそれを恐れては居ないのだ。
「確かに我こそは次の国王。そう公言している者は多いのですが、現実にそれをなすには多くの味方が必要。その実態を調査したところ、皆、賛同者を集めるのには苦労しているようです。おそらくは有力者が多過ぎて貴族達も散ってしまっているのでしょう」
次に報告したのはカーサス伯爵の部下だ。そうやら情報収集能力ではダーミッシュ一族が長け、分析能力はカーサス伯爵の部下が優れているようだ。優れた道具と便利な道具。ドナトーニは内心、彼らをそう評した。
ダーミッシュの一族は使用者が事細かに指示すれば絶大な効果を発揮するだろう。カーサス伯爵の部下は、細かい指示を与えなくてもある程度の成果が得られる。
ダーミッシュの一族とやらは、かのベルトラム・シュレンドルフが用いていた者達と聞く。ベルトラム殿やサルヴァ陛下が直接指示を与えるならば使いこなせるのだろうが、自分には少し荷が重い。そう判断したが、それを持って自身を無能とは考えない。自分はあくまで外交官であって諜報員ではないのだ。勿論、諜報活動も外交の一環だが、自分は外交部の外交員であって外交部の諜報員ではない。
まあ、今回はカーサス伯爵の部下を重用しよう。今回の任務は考えなければならないことが多すぎ、その上でダーミッシュの一族を機能的に動かす余力はないのだ。
サルヴァ陛下からは基本的な方針は指示されている。だが、金を落とした男と拾った男の両方の面目を立てさせるように、陛下の方針を飾り付けて見栄えよくして見せればゴルシュタット貴族達の面目を保てるのか。それが彼の使命だ。
そういえばゴルシュタットはドイツをモデルにしていますが、ドイツの政治家として有名なビスマルクは元々はドイツ連邦に所属するプロイセンの政治家で、同じドイツ連邦に所属するオーストリアと戦争したりしてドイツ連邦を統一してドイツ帝国の宰相になったのだとか。
オーストリアってドイツの一部だったの? とか、その割にはオーストリア皇帝を名乗ってたりとか、日本の感覚ではよく分からない部分がありますね。




