第20話:ケネスの戦い(3)
決戦の日を数日前に控え、ケネスは従者の仕事の合間に槍術の稽古に励んでいた。
見てくれているのは当然ディアスではない。
初めはディアスに槍の稽古をつけて貰えないかと申し入れたのだが、ディアスは無言でケネスの肩を叩き首を振った。その目は「むちゃを言うな」と訴えていた。
ディアスは歴代のバルバール軍総司令官で第一の名将ではないかと称される反面、歴代のバルバール軍総司令官で一番個人戦闘が弱いのではないか、とも言われているのだ。
ケネスはタルヴォに勝つべく稽古をしているのだが、下手をすれば、そもそもディアスがタルヴォに勝てないかも知れないのである。
それでは、誰が槍の稽古を付けてくれているかと言えば、エスコ・ヒルヴィストという仕官で、以前新兵の訓練についての見事さでディアスに褒められた人物である。結局ディアスは、その者を一軍の仕官として抜擢したのだった。
意外と若くまだ20代半ばという。背も高く、標準的な身長を超えるケネスよりも、さらに僅かばかり高かった。赤みがかった茶髪に、濃い茶色の瞳を持ち顔も中々整っている。
際立って体格が良いという訳ではないが、それでも十分水準以上には鍛え上げられている。むしろ無駄な贅肉がないと言った方が適切だ。
実はヒルヴィストは結構な名門の出である。とはいえディアスやシルヴェンのように武門の名流という訳ではなく、貴族の名門なのだった。
彼は軍人を目指しディアスに認められた事からも分かるように才能もあったが、彼の両親はいつ命を落とすかも知れない軍人になるのに反対したのだ。しかし彼は両親の反対を押し切り、無理やり軍人となったのである。
それでも両親にとっては、やはり跡取りが亡くなってしまってはと気が気でない。多額の金品を使い裏から手を回し、息子を戦死する危険の無い、新兵の訓練所の教官になるよう働きかけたのだ。
その為、訓練所の教官から一軍の仕官へと抜擢したディアスはヒルヴィストに感謝される一方、彼の両親からは恨まれたのであるが、そこまではディアスも知らない事だった。
作戦においてはケネスへの助言を断ったディアスだが、槍の稽古については手を貸してくれヒルヴィストを紹介してくれた。
「助言を受けながら戦うのは論外だが、戦いの前に訓練するのは当然だ」
ディアスはそう言ってケネスの特訓に手を貸してくれたのである。
「千単位。せめて百単位の歩兵ならば、全員長槍を持って密集隊形を組んで突撃するのだが、10人では短槍を持つのが良い。長槍は懐に入られたら終わりだ。名人は長槍でも巧みに使い懐に入られても戦えるが、ケネスにはまだ無理だろうからな」
「はい」
ヒルヴィストの言葉にケネスは素直に頷いた。実際、にわかに特訓したところでタルヴォに勝てるとは思えないが、出来る事はすべてやって置くべきだ。
しかしやはりケネスには武芸に対しての才能以前に、体力が追いつかない。特訓開始早々にすぐに根を上げてしまったのだ。
ヒルヴィストを相手に槍を打ち込んだが、それが100本といかぬ内に槍を取り落としたのである。
「すみません!」
そう言って槍を拾おうとした手が滑ってまた取り落とした。
その様子にヒルヴィストはため息を付いた。
「どうやら基礎体力から鍛えた方が良さそうだな」
「はい……」
結局ケネスは槍の稽古と言いながら、その稽古の時間の大半は基礎体力作りにと、走る事に費やされたのだった。
そして決戦の日。
「良く逃げなかったな!」
型どおりとも言える台詞を吐いたのはタルヴォである。
戦いは、王都の郊外にある林に囲まれた広場で行われる事となった。
両軍10名ずつ。それぞれが槍を持っているが、タルヴォ隊が長槍を構えているのに対し、ケネス隊はヒルヴィストの助言どおり短槍を持っていた。勿論、双方槍の穂先は取り外し命の危険は無い。
両軍以外にも見物として多数の少年達が戦いを見守っている。
「ケネスがんばれ!」
「タルヴォに負けるな!」
と彼らから声援が上がるが、ケネス隊に対してのものばかりである。タルヴォ隊の面々には面白くないがこれは仕方がない。
そもそもなぜ10名ずつで戦う事になったかというと、やはり彼らの中でディアスの人気は高く、ディアスを批判しているタルヴォ派はタルヴォと取り巻き合わせて10名しか居なかったのである。
その為、ケネス隊もタルヴォ隊にあわせて10名に絞ったが、そうなるとタルヴォ派全員が戦いに出ている為、見物人からタルヴォ隊への声援が無いのは当たり前なのだ。
ケネスは自分に声援を送ってくる者達に手を振って答え、タルヴォを見てにやりと笑う。まるで味方が沢山居る事を自慢するかのようだった。
「いい気になるなよ。ケネス!」
タルヴォは怒鳴ったが、ケネスは平然としたものである。
「別にいい気になってなんて居ないさ。応援してくれている人に手を振って何が悪いんだい?」
そう言って肩をすくめさらににやりと笑ったのだ。
その様子にタルヴォは激しく睨みつけてきた。戦いが始まれば真っ先にお前を倒してやる! そう言葉を発するような鋭い視線を投げかけている。
「それでははじめるけど、準備は良いか?」
審判を勤めるサウリの言葉にケネスとタルヴォは軽く右手を上げた。了解の合図だ。
「では。初め!」
サウリの掛け声と共にタルヴォが飛び出した。
「ケネス! 覚悟しろ!」
開始前のケネスの態度に腹を立てていたタルヴォは、真っ直ぐケネスに向かってくる。
「ケネス危ない!」
見物人から叫び声が上がった。両軍の大将は当然ケネスとタルヴォが務めている。ケネスが討ち取られてしまってはケネス隊の敗北である。だがタルヴォが近づくと、なんとケネスは背を向け逃げ出したのだった。
「はっ! 情けないぞケネス。それとも戦わないディアス将軍の物まねか!」
タルヴォはケネスを追いかけながらその背に嘲笑を浴びせ、ケネスはその言葉に腹を立てながらも、歯を食いしばって耐え逃げ続け林の中に入り込んだ。
逃げるケネスを林の中を駆け抜けタルヴォは追うが、手にした長槍が邪魔で仕方が無い。時には木の枝に長槍を絡め取られ、槍を取り落としてしまう。
今戦えば勝てるかも! その誘惑に耐え、ケネスはさらに逃げ続けた。
「いつまで逃げ続ける気だ! 臆病者め!」
木々が邪魔で思うように追いかけられないタルヴォは苛立ったように叫んだが、やはりケネスは逃げ続ける。
「実際の戦いでも敵が逃げる事はあるんだぞ! 敵に、待ってくれ! とでも言う積もりか!」
ケネスは珍しく声を荒げ、タルヴォを挑発しつつさらに逃げるのだった。
「貴様!」
その挑発に乗ったタルヴォはさらに追いかけ続けるが、やはり長槍が邪魔になりケネスとの距離は広がるばかり。
そしてケネスとタルヴォが走り疲れてくたくたになったころ、やっと2人は元の場所。広場へと戻った。そこには7人の少年達が待ちかねていた。マルティがへとへととなったケネスに声をかける。
「遅かったな。こっちはとっくに、邪魔者が居ないうちに片付けておいたぜ」
ケネスは、大きく息を乱し短槍を杖のように使い、今にも倒れそうに成りながらもマルティに笑顔を向けた。
「いや、万一こっちがまだだといけないと思って……長めに走ってたんだ」
「まぁ、じゃあ後は任せておけ」
マルティは苦笑してそう言い、ケネスの肩を叩いた。
ケネスに遅れてやっとタルヴォも広場に戻って来たが、その光景に我が目を疑い大声で叫んだ。
「他の奴らはどうした!?」
広場に立つ7人の少年達はすべてケネス隊の者達だったのである。
両軍の大将はケネスとタルヴォだが、戦力としてみた場合タルヴォ隊の主力はタルヴォ自身だが、ケネス隊の主力といえるのはケネスではなくマルティであり、むしろケネスは最弱である。ケネス隊は最弱の戦力で、タルヴォ隊主力を引き付けたのだった。
しかも、ケネスは大将である自分が不在になる事を見越し、マルティを副将として自分がいない間の指揮を任せていた。だが大将不在を想定していないタルヴォ隊は、タルヴォの代わりに指揮する者も決まっていなかったのである。
結局、ケネスとタルヴォを除いた9名ずつの戦いは、主力と指揮官を欠いたタルヴォ隊の一方的な敗北に終わったのだった。ケネス隊の損害は2名だけである。
マルティを初めとするケネス隊の面々は、ケネスを守るように広がってタルヴォに短槍を構えた。この期に及んで、万一ケネスがやられてしまっては馬鹿馬鹿し過ぎるというものだ。
「貴様らどけ! ケネスと一騎打ちをさせろ!」
タルヴォは叫んだが、勝利を目前とした軍勢の大将が、ただ一人となった敵将との一騎打ちに応じる訳がない。
「悪いな」
マルティが短く言うと、ケネス隊7名はタルヴォを取り囲んだ。
「ちくしょっっう!!」
タルヴォが叫び、それが合図かのようにケネス隊7名は一斉にタルヴォに対し槍を繰り出した。タルヴォの巨体は7本の槍に突き立てられ、吹っ飛んだのだった。
「おめでとう御座います」
晩餐の場で勝利の報告をするケネスに、ミュエルが笑顔で迎えた。ミュエルの言葉を嬉しく思いながらも、微かに胸がチクリと痛んだ。
やはり、まだまだミュエルへの想いを完全に思い出へと昇華させているとは言い難く、この笑顔が恋人として自分に向けられる事が無いと思うと微かに胸がうずく。だが表面上はおくびにも出さない。
「ありがとう」
とケネスも笑顔を作り礼を言った。
「よくやった」
と言うディアスにも、ケネスは身体ごとディアスに向き直り
「ありがとう御座います。ディアス将軍のおかげで勝つことが出来ました」
と礼を言った。
「ディアス様のおかげで?」
不思議そうに言うミュエルに、ケネスは視線をディアスからミュエルへと移した。
「ディアス将軍のご助言のおかげで勝つことが出来たんだよ」
「まぁ!」
ケネスの言葉に嬉しげに声を上げると、ミュエルは顔をほころばせてディアスを見つめた。
なんだかんだ言っても、やっぱり自分の夫はケネスを見捨てたりはしなかったのだ。そう思うと、自分がその妻だという事にも嬉しくなる。
だがそれに対しディアスはそ知らぬ顔である。
「さて、何の事かな?」
そう言うとディアスは、ミュエルの作ったチキンのミルクシチューを口に運んだのだった。