第20話:ケネスの戦い(2)
その後一息ついた彼らは、場所を提供してくれたサウリの勧めでおやつにありついた。
育ち盛りの彼らである。みなは争うように手を出し、出されたおやつは瞬く間に無くなる。そして腹を満たした後は、お茶を飲みくつろいでいた。
軍人を目指す、いや、将来の名将たらんとする彼らの話題は、自然当代の名将達のものが中心となる。そして当代のバルバールの名将といえばディアスである。
「ケネスはディアス将軍から直接兵法をご指南頂く事もあるんだろ?」
「うん。極たまにだけどね」
ケネスは友人の言葉に何気なく答えたが、すぐにあちこちで羨望の声が上がる。
「それは凄い」
「僕も一度で良いからディアス将軍から教えて貰いたいな」
現総司令官から直に指南して貰うなど、彼らにしてみれば夢のような話であり羨ましがるのも無理はない。そこへ場所の提供者であるサウリが提案してきた。
「まったくケネスが羨ましいよ。一度で良いからディアス将軍にお越し頂けないかな?」
「それは良い。ディアス将軍に頼んでみてよ」
「お願いだからさ」
みなから羨望の眼差しを受け悪い気はしないが、ディアス将軍に迷惑をかける訳にもいかない。
「いや……ディアス将軍も忙しいし」と、ケネスは断った。
それでも、みなは諦め切れないのか執拗に食い下がり、ケネスもそれに対し断り続ける。そういったやり取りが繰り返されていると、突然部屋中に怒鳴り声が響いた。
「あんまり、いい気になってんじゃないぞ!」
みなの視線が怒声の主に集中すると、それは先ほど机上演習で「まぐれ勝ち」した者だった。そして怒声の主は、さらに怒鳴り声を上げた。
「大体ディアス将軍なんて、自分で戦う事もしない臆病者じゃないか!」
「それは違う! ディアス将軍は臆病なんかじゃないぞ!」
ケネスが言い返すと、続いてディアスを尊敬する者達が加勢してきた。
「自分は戦わずに勝つから凄いんじゃないか」
「そうだ。総司令官が自ら剣を持って戦う事こそ恥だ!」
だが、その加勢に怯まず、怒声の主はさらに叫ぶ。
「叔父上が言っていたぞ。ディアス将軍の真似をして戦おうとしない者が増えてきて困るって」
現総司令官のディアスを批判するなど、ただの従者でしかない者にあるまじき行為である。だが意外にも、それに同調する声が上がった。
「そうだ。みんなが戦わないようになっては、戦いに負けてしまうだろ!」
「ディアス将軍の真似をすべきじゃない」
まさかディアスを批判する者が何人も居るとは、と意外に思っているとマルティが耳打ちしてきた。
「あいつは、タルヴォって言ってシルヴェン将軍の甥なんだ。同調している奴らはその取り巻きさ」
シルヴェンがディアスを常日頃中傷しているのは良く知られていた。
それは自分の能力を棚に上げてのディアスへの嫉みだったが、ディアスさえ居なければバルバール軍総司令は自分だとシルヴェンは考えていた。勿論、ディアスが居なかったとしても無能で有名なシルヴェンが総司令官になる事などありえないのだが、シルヴェン自身はそう信じているのである。
そして甥にも吹き込んでいたのだった。
タルヴォはシルヴェンの姉の息子である。身長ばかり高くて身体の線は細いケネスと違い体格が良く、身長はケネスと匹敵し、横幅は叔父のシルヴェンに匹敵した。つまりけっこうな巨漢である。髪と目の色は叔父と同じくこげ茶と黒だ。
ケネスも初めは気付かなかったが、言われてみれば確かにシルヴェンを若くしたらこうなるのではないか? と見えなくも無い。
そして、現当主は不甲斐ないが、軍部でのシルヴェン家の影響はまだまだ大きい。そのおこぼれに預かろうという者も少なからず居たのである。
もっともそのような者達は、自分の才能に自信の無い者や、シルヴェンのように名門の血筋を誇る者達ばかりだった。大国に囲まれたバルバールでは、血統だけを頼りにつける職など高が知れているのだから。
親ディアス派と反ディアス派との口論は続き、当初は双方それなりの根拠を持った言葉の応酬だったが、次第に感情的な中傷へと変わっていった。
そして遂に決定的な一言がタルヴォから放たれた。少なくともケネスにとっては。
「ディアス将軍なんて、12歳の女の子を嫁にする倒錯家じゃないか!」
「なんだと!」
ケネスは激怒しタルヴォに飛び掛った。
しかし残念な事に体格の差はいかんともしがたく、飛び掛った勢いでタルヴォをぐらつかせはしたが、あっさりと踏みとどまれてしまう。タルヴォはケネスの両肩を掴むと無造作に「ふん!」と地面に向かって振りぬき、いとも簡単に床に投げ飛ばされてしまったのだ。
「ぐっ!」
床に叩き付けられたケネスは、全身を打ち付けた痛みに体中が軋み呻き声を上げた。。
「従弟がこの程度じゃ、ディアス将軍も高が知れているな」
タルヴォの嘲笑にケネスは唇を噛んだ。自分が不甲斐ない所為でディアスが馬鹿にされるとは、と目に悔し涙が滲む。
「じゃあ、シルヴェン将軍の甥はどの程度って言うんだ?」
みなの視線が声の主に集まると、マルティの姿があった。
「今のを見ていなかったのか! 俺がどの程度かは、そこで倒れている奴と比べて見るんだな」
タルヴォはマルティを睨んだが、当のマルティは平然としたものでむしろ、ふっと鼻で笑った。
「俺達は将来、一軍を率いる将軍を目指しているんだろ? だったら力で勝ってもしょうがない。ケネスに勝ってると言うなら、知略で挑むんだな」
「知略でだと」
「そうだ。ケネスと机上演習でもしてみるか?」
「ちっ!」
タルヴォは大きく舌打ちをした。
ディアスの薫陶よろしく、さらに勉強熱心なケネスは、元々軍人の子であるみなと比べ当初は出遅れていたが、今では仲間内でも一、二を争うほど机上演習は強い。机上演習で戦えば、タルヴォはケネスの敵ではないのだ。
舌打ちをし黙り込んだタルヴォに背を向け、マルティは助け起す為ケネスに近寄った。マルティに無視された形のタルヴォは激しくその背を睨んでいたが、そこに取り巻きの一人が耳打ちをし、何を吹き込まれたのかタルヴォはにやりと笑った。
「ああ、良いぜケネスと戦おうじゃないか」
「なに?」
上半身を起したケネスの肩に手をやり助け起そうとしていたマルティが、その声に振り向き驚きの声を上げた。力比べ以外にタルヴォがケネスに勝てるとは思えない。いやそれはタルヴォにも分かっているはずなのだ。
「ただし机上演習じゃなく、俺とケネスを大将に実際に軍勢を率いて戦うんだ!」
ケネスとマルティは顔を見合わせた。
「シルヴェンの甥とかいうのと戦う事になったんだって?」
ディアス家の晩餐で、料理に舌鼓を打ちつつディアスが問いかけた。
今日の料理もミュエルが手伝った。メインはチキンのチョコレート煮である。以前にはチキンのオレンジ煮を作った。
どうしてこの娘は鶏肉を甘いもので煮るんだ。と、ディアスも思わないでもなかったが、実施食べてみると意外と旨いので特に問題ない。
「……ええ。そうなんです」
ディアスの言葉にケネスは力なさげに答えた。
「まぁでも、どうしてそのような事になったんですか?」
ミュエルが驚いたように声を上げたが、ケネスは返答に窮した。ディアスがミュエルを妻にした事を馬鹿にされたからとは、とてもではないが言えるものではないのだ。
「いや……。まぁ売り言葉に買い言葉で……」
と言葉を濁したが、ディアスは見透かしたようににやりと笑った。
「それで勝算は?」
だが、それに対するケネスの答えは
「それが……どうやったら勝てるのか分からなくて」
と、やはり力ない。
「そうなんですか? だって机上演習とか言うのではケネス様の方がお強いんですよね?」
「それはそうなんだけど、軍勢って言ってもお互い10人ずつなんだ。これじゃ作戦も何も無いよ……」
「それで武器は?」
と、ディアスがチョコレートに埋まった鶏肉をフォークで突きながら問いかけた。
「全員槍です」
「それじゃあ軍勢を率いて戦うと言っても、作戦の差し挟む余地はなく強い者が勝つって事かい?」
「ええ。そうなんです」
「まぁ……」
ケネスを家族として好意を持っているミュエルであるが、そのミュエルから見てもケネスが強いとは思えず、かける言葉は無かった。
「そのタルヴォって言うのが向こうでは一番強いんだな。お前の方に同じくらい強い奴はいるのか?」
「マルティが強いです。同じくらいかは分かりませんが……。体格ではタルヴォに負けていますが、マルティは動きも早いですし、勝てないまでも一方的に負ける事は無いと思います」
「なるほど」
とディアスは頷く。
「ディアス様、ケネス様に何か助言して差し上げてはどうでしょうか……」
ミュエルの遠慮がちな提案に、一瞬ケネスの顔に希望が浮かぶ。ディアスの作戦ならどんな敵が相手でも勝利は間違いない。だが……。
「いや、それは出来ないな。実際の戦いでも誰かに教えて貰いながら戦う積もりかい?」
とディアスはにべもない。
一瞬期待したケネスは、自分の力で戦おうとしなかった事に顔を赤らめ俯いた。そしてミュエルもつまらない提案をしてしまったと意気消沈した様子である。
2人の様子に、冷たすぎたかな? とディアスは思わず苦笑した。だが、やはり直接助言をする気にはなれない。
食事もすっかり終わると、この後はミュエルの勉強をケネスが見る時間である。
「それでは、邪魔者は席を外そう。私が戻ってくるまでに片付けておくんだよ」
ディアスはそう言って書斎へと向かう為席を立った。
「あ。はい。行ってらっしゃいませ」
「はい。分かりました」
2人に見送られ、食堂に出る扉をくぐりながらちらりと2人に振り向く。まぁ、この程度の助言なら良いだろう。ケネスが気付かないなら、それはもう仕方が無い。
もっとも、これを助言と受け止めるには余程感が良くなくては難しいだろうが……。