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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第19話:後宮の邂逅(4)

 朝目が覚めて起き上がろうとしたセレーナは、下腹部に激痛が走るのを感じた。


 そうだ自分は昨日「女」になったのだ。そう思い昨夜の出来事を反芻した彼女の顔がたちまち赤くなる。


 王子が考えていたよりも怖くなさそうな人だったのには安心したが、この「痛い事」をこれからもしなくてはならないのかと思うと気が重くなる。だがそれ以上に憂鬱にさせたのは、彼女に仕える侍女達だった。


「昨夜はサルヴァ殿下が起しになられたとか。おめでとう御座います」

「他の寵姫様達に先駆け、お嬢様のところに起しになられたのは、やはり殿下はお嬢様をお気に入りなのですね」

「殿下はお優しかったですか?」

 と彼女達は口々に言うが、自分が「女になった」事を他の人間がよく知っている、という状況は、逃げ出したくなるほど恥ずかしい。


 しかも女の世界ではこの手の情報が広まるのは早い。セレーナがサルヴァ王子から一番最初の「お情け」を頂いた事は、後宮中に広まっている。


 ヴァレリアあたりなら得々として後宮中を闊歩し、「偶然」顔を合わせた他の寵姫達に王子がどのように自分を愛してくださったのかを赤裸々に語るであろうが、セレーナなどからすれば常軌を逸しているとしか思えない。


 他の寵姫と顔を合わせるのも恥ずかしいと、部屋に篭ったセレーナが部屋から出たのは、結局王子が寵姫達全員の部屋を訪問した後だったのである。


 自分が王子に抱かれたという事をみんなに知られているのは恥ずかしかったが、いつまでも部屋に篭っている訳にも行かない。王子がすべての寵姫の部屋に足を運んだのなら、恥ずかしいのはみんな同じ事。そう考えたのだ。


 朝、庭に出てみると数人の寵姫達が集まり談笑をしていた。


 後宮に来た初日のようにいまだにいがみ合っているのでは? と心配していたが、どうやら自分が部屋に篭っている間にみな仲良くなっていたのだ。と安心し彼女達の傍へと歩み寄る。


「皆様、おはよう御座います」


 セレーナが挨拶をすると寵姫達も

「これはセレーナ様。おはよう御座います」と挨拶を返してきた。


 ずっと部屋に篭り出遅れた自分はもしかして仲間はずれにされるのでは? と微かに不安に思っていたセレーナは安心して思わず微笑んだ。だが、その微笑みはすぐに凍りつく。彼女達の談笑の話題は、サルヴァ王子に「どうお褒め頂いたか」だったのである。


「私はこの髪をお褒め頂いたのですよ」

「私は声が美しいと」


 ここまではまだ聞いていられたが、

「肌が滑らかであると言って頂きました」

「良い声で鳴くのだと、殿下は大変喜ばれ」

 とまで来ると、聞いていられず赤面するしかない。


 この女性達には羞恥心というものが無いのだろうか? とセレーナは思ったが、彼女達にしてみれば少しでも自分が優位に立とうと必死だったのだ。


 後宮での順位は、王子からの覚えの良さが全てであると言って良い。いくら順位付けが家柄と寵愛の度合いからと言っても、所詮寵愛が優先されるのである。王子にどうお褒め頂いたかは、彼女達にとって最も重要な事なのだ。


「それでセレーナ様は?」


 遂に矛先を向けられたセレーナは戸惑った。


 実際サルヴァ王子からは、髪の毛からつま先まで、さらに声からしぐさまで、他の寵姫達への言葉を全て合わせた数を超える言葉をセレーナ一人で掛けられていた。しかし緊張していたセレーナはほとんど覚えてはいなかったのである。かろうじて髪をお褒め頂いたのは記憶にあるが、それもこの場で言う気にはなれない。


「いえ。お褒めの言葉は特に……」と申し訳なさそうに答えた。


 すると寵姫達は「まぁ!」と驚きの声を上げる。


 セレーナの美しさは美女揃いの寵姫達の中でも群を抜いている。寵姫達は彼女を一番の強敵と見ていたのだ。だが、その強敵はお褒めの言葉を頂いていないという。


 この美しい女性に自分は勝てるかもしれない。と彼女達の心に微かな希望の光が灯された。確かに美しさでは敵わないかも知れない。しかし人には「好み」といものがある


 どれほどセレーナが美しくてもサルヴァ王子の好みではないのだ。そしてお褒め頂いた自分は王子の好みなのだ。彼女達はそう考えたのである。


 そして王子の好みではない、可哀想なセレーナをみんなで慰めた。


「セレーナ様の髪はこんなにもお美しくていらっしゃるのに……」

「この青く澄んだ瞳など吸い込まれそうですわ」

「この形の良い唇など、私と代えて欲しいくらいでありますのに」


 慰めてくれる彼女達をなんて良い人達なんでしょう。と素直に思ったセレーナだったが、注意深く彼女達の言葉を聞いていれば、ある事に気付いたに違いない。


 セレーナの髪を褒めた者は王子から髪を褒められた者であり、瞳を褒める者は瞳を、唇を褒める者は唇を、それぞれお褒め頂いているのだ。


 どんなに貴女のどこそこが美しくとも、自分のどこそこの方が王子の「好み」なのだ。暗にそう言っているのである。こうしてセレーナは幸いにも、他の寵姫達に敵視されずにすんだのだった。


 王子の訪問が二周目に入り、二周目もやはりセレーナが最初だった事から、やはり王子は美しいセレーナを選ぶのかと寵姫達に緊張が奔った。だが、どうやら単に一周目と同じ順番で回っているだけらしいと分かると、それもすぐに収まった。


 しかし王子の訪問が三周目、四周目となってもその訪問の順番は変わらず、これでは王子がもっとも寵愛しているのは誰なのか分からない。寵愛の度合いの判断は、王子が誰にもっとも足げく通っているかであるのに、王子はみなを平等に通っているのである。


 もっともヴァレリアは

「サルヴァ殿下がみなに平等に接しているのはお優しい為。本当は自分こそがもっとも王子に愛されている」

 という態度をとり続けているのだが。


 そしてその頃になると寵姫達にも、いくつかのグループが形成されていた。


 まずは自称「もっともサルヴァ王子の寵愛あつい」ヴァレリアを中心とするグループである。

 ヴァレリアの言葉を信じ、王子の寵愛が篤いなら、もしかして将来はヴァレリアが王妃になるかも知れない。と、そのおこぼれに預かろうという者達の集団である。


 そして次に「反ヴァレリア同盟」ともいえるグループ。

 このグループはヴァレリアの言葉を信じてはいるものの、彼女に負けてなるものか! と諦めきれずに居る者達である。


 そして最後のグループといえば、その二つのグループに属さない者達である。

 ヴァレリアの言葉を信じてはいるものの、おこぼれに預かるに気はなれない者。そもそもヴァレリアのいう事を信じていない者。そしてセレーナのように、他の女性と争ってまで王子の寵愛を受けようとは考えていない者などだ。


 後にセレーナは、王子からの寵愛を失いたくないと焦燥にかられる事になるのだが、それはあくまでも将来の話である。


 王子の訪問が十周目近くになる頃、寵姫の数はさらに増えていた。


 美貌で名高いセレーナ・カスティニオ公爵令嬢の出馬に、勝ち目が無いと尻込みしていた他の貴族達だったが、一向にセレーナは王子の寵愛を独占しないらしい。


 それどころか漏れ伝えられた話を聞くと、セレーナはサルヴァ王子からお褒め頂く言葉も少なく、もしかすると美貌のセレーナはサルヴァ王子の好みではないのではないか。と言うのだ。


 この頃になると王子の訪問時にもセレーナの緊張も幾分ほぐれ、王子の言葉をすっかり忘れてしまう事も無いのだが、彼女がそのお言葉を他の寵姫達に漏らす事は、やはり無かったのである。


 その為、貴族達は今からでも遅くは無いと、第一陣であるセレーナやヴァレリア達とほぼ同数の第二陣を後宮に送り込んだのだった。


 しかし皮肉にも、この第二陣がサルヴァ王子の訪問をセレーナに偏らせるきっかけになったのである。王子は一番奥のセレーナの部屋から順番に回っていたのだが、それが第二陣の到着で把握できなくなったのだ。


 第二陣と言ってもセレーナ達のように纏まって来た訳ではない。数日おきに一名ずつやって来るのである。そうなれば王子も順番に訪問していたのを中断し、新たにきた寵姫の部屋を訪問する事になる。


 そしてそのような者が4人、5人となるともはや順番とは言っていられなくなった。そもそも王子とて毎日後宮に足を向けえている訳ではない。大体みんなを満遍なく回っているはず、という感覚に頼っていたのである。


 こと軍略に関しては、幾らでも細心の注意深さを発揮するサルヴァ王子も、女の部屋を回る順番についてその能力を発揮する気にはなれなかったのだ。


 ところがある日、後宮を管理する役人がやってきて、王子に寵姫達の序列について判断を仰いだ。


「今まで、そのような話は出て来なかったではないか。突然どうしたというのだ?」


 不思議がる王子に、役人は説明する。


「今まで殿下は、寵姫達を平等に訪問しておりました。その為序列を変える必要は無かったのですが、最近、殿下の訪問に偏りがありますので、お気に召された寵姫がいらっしゃるのかと……。そうなれば序列を変える必要が御座います」


 寵姫達を訪問している回数を管理されていたのかと王子は不愉快に思ったが、それをこの役人に言っても仕方があるまい。それがこの者の仕事であると、かろうじて我慢した。


「それでどう偏っていると言うのだ?」


 王子自身はみなを均等に訪問しているはずと考えていた。誰かに偏って足を運んでいる積もりは無いのだ。


「カスティニオ公爵家のセレーナ様を他の寵姫達の2倍から3倍の回数ご訪問なさっております。他にはダルベルト侯爵家のヴァレリア様の訪問数が激減しております」


「セレーナが3倍だと!? いくらなんでもそのような事はあるまい」


 王子は驚いたが、役人は間違いないという。しかしサルヴァ王子には合点が行かない。


 セレーナは美しく気立ても優しい。王子も気に入っているのは確かに認める。しかしセレーナに溺れている訳ではないし、他の寵姫達の部屋も同じように足を向け、セレーナばかりを贔屓としている積もりはない。


 役人にはとりあえず序列はそのままにと言い置き、そして馬鹿馬鹿しいと思いながらも、わざわざ紙に書いて寵姫達への訪問を管理する事にしたのである。


 こうして、あえてセレーナを一番最後にするように順番を決め、改めて寵姫達を訪問していた王子だったが、現在人数も増え15名となっている寵姫達の、三分の一も回ったところで苦痛を感じ始めたのだった。だが、なぜ苦痛に感じてしまうのか王子にも分からない。寵姫達はみな王子を楽しませようと至れり尽くせりに奉仕した。


 王子が喜ぶと思ってと言って部屋に花を飾り、お口に合いますでしょうかと珍しい飲み物や料理を王子に勧める。そして王子が抱き寄せると、しな垂れかかって身を任せる。


 何の不満も無いはずであり、苦痛を感じる理由など無いはずだった。にも拘らず実際心楽しくなかったのである。


 それでも王子はそれから2人、3人と寵姫の部屋を訪問したがやはり苦痛を感じる事に変わりはない。結局順番を変更し、セレーナの元へと身を進ませたのだった。


 四桁の寵姫を集めたというゴドフレード王に言わせれば、なんと不甲斐ない事よ。と笑ったであろうが、サルヴァ王子にしてみれば、どうして自分の為であるはずの後宮の問題で、自分が我慢せねばならぬのか。


 苦痛に耐えてまで、寵姫への訪問の順番を守る必要を認めなかったのだ。

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