第19話:後宮の邂逅(3)
寵姫達が後宮に入ってから数日が経っていた。いまだサルヴァ王子が寵姫の部屋に通ったという話は無い。
初日の騒ぎにうんざりした王子は、これ以上面倒に巻き込まれるのは御免と後宮が落ち着くまで時を置いていたのだ。
そしてそろそろ良いだろうと判断したが、寵姫の部屋に向かうには事前に役人へ連絡が欲しいという。
「女の部屋に行くのに、どうして一々断りが必要なのだ?」
女を抱きに行くと他者に宣言せねばならぬなど真っ平なのだが、役人は規則なのだと言い、さらにその規則がある理由を述べた。
「殿下をお迎えするとなると、寵姫にも色々と準備が必要で御座います。それに……女性には月のものがあります。殿下が寵姫の部屋に向かった挙句そのような事にな……」
「もう良い!」
王子は役人の生々しい話を遮るとため息を付く。あまりにも煩わしい。
「それでどの方の部屋へとお出になるので御座いましょうか?」
王子の心中も知らず役人はそう問いかけた。寵姫の部屋に行くのならば聞く必要がある。とはいえ王子も、寵姫の部屋に行くのに、どうして断りがいるのか疑問に思ったのでまず聞いたのであって、明確に誰の部屋に行こうとまで考えていた訳ではなく、役人の問いかけに考え込んだ。
そして、手っ取り早く名前と顔が一致しているセレーナを指名した。ヴァレリアの顔と名前も一致しているが、彼女を指名する気にはなれなかったのである。
勿論いずれは指名せねば成らず、結局ヴァレリアは一番最後に指名される事になるのだが、それについてヴァレリアは
「殿下は、私を一番大事にして下さっているのですわ」
と吹聴し愉悦に浸るのだが、それはまた別の話である。
今宵サルヴァ王子がいらっしゃる。セレーナの胸は緊張に張り裂けそうだった。
サルヴァ王子の第一印象は最悪と言って良かった。何せ初めて聞いた王子の口から放たれた第一声は
「お前達、何を騒いでおるか!」という怒声なのである。
戦を好み恐ろしい人と王子を見ている彼女にとって、その考えを補強する事にしかならなかったのだ。
夜となり部屋の扉が軽く叩かれた。
来た!
セレーナの緊張は極限にまで高まり、つい
「サルヴァ殿下で御座いますか?」と問いかけた。だが王子がくる事は前持って分かっており、他の者は遠慮してやって来る事はない。
本来ならばすぐさま扉を開け
「ようこそお越し下さいました」とにこやかに返し、出迎えるべきなのだ。もし火急の用事で王子ではない者が来ていたとしても、その時はその者が間違いを訂正するだけの話だ。
もっともそのような決まりなど王子は知らない事だった。セレーナの問いかけに不思議とも思わず扉の前で立ったまま
「ああ、そうだ」と返事した。だがセレーナの方こそが自分の失敗に気付いた。
王子を扉の前で待たせるなど、なんという不手際。また王子に怒鳴られるのではないかと慌てて扉を開け、不安げな顔を覗かせた。
あからさまにビクビクするセレーナに、王子の顔が思わずほころぶ。
寵姫達の部屋への訪問を開始するにあたって、自分に取り入ろうとする者は誰か、自分を探ろうとする者は誰か、と見極める為、王子なりに身構えている部分もあったのだ。
しかしこの娘は……。とてもではないがそのどちらとも思えない。まるで何かの間違いでやって来たのではないかと思われるほどである。
もっとも実際のところ彼女は「乱暴者の王子」を好きでは無かったのだが、まさかそのように思っている者が後宮に来ているとは、さすがの王子にも想像の範疇を超えていた。王子の目には、この娘が初めての事に怖がっているのだと映ったのである。
セレーナは終始どう乱暴に扱われるかと緊張し、王子の一挙手一投足に過剰に反応し王子を苦笑させる。
「美しい髪だ」
と王子がセレーナの髪に触れると、彼女は反射的に目を瞑り身を縮ませ、抱き寄せれば王子の身体に押し付けられたやわらかい胸から、激しい鼓動の音が伝わってくる。
加虐趣味などないサルヴァ王子であるが、セレーナの反応は王子の「いたずら心」を暴走させるには十分だった。
セレーナが身を縮ませるのを承知の上で立って抱きしめたまま、背に、腰に、足にと手を這わせ彼女の反応を楽しんだ。さらに首筋に口付けると、セレーナは微かにうめき声を上げる。
その声を耳ざとく聞き逃さなかった王子は、彼女の身体に手を這わせる一方執拗に首筋に口付け、時には舌を這わせた。彼女のうめき声は次第に大きくなり、はっきりと聞き取れるほどになると、王子は彼女の首筋から顔を上げた。
そしてことさらセレーナの目を正面から見つめると、恥ずかしさのあまり彼女は泣きそうな目を向け、つい王子はその胸に彼女を抱きしめた。
あまりにも初々しいセレーナの反応に、王子の心に愛おしさが込み上げ、
「俺はこれほど惚れっぽかったか?」と内心苦笑させた。
もっともあくまでこの場限りの気持ちであり、本気でセレーナを愛したといえる代物ではない。
道端で子猫を見つけひとしきり可愛がった後、名残惜しげにその場を立ち去っても、翌日になれば、その子猫の存在などすっかりと忘れている。その程度の気持ちに過ぎない。少なくとも現時点では。
もしこれが自分を油断させる為の演技というなら、到底自分の手の負える相手ではない。そしてそれはおそらく無いだろう。そう思ってセレーナの滑らかな髪に指を滑らせた。いたぶり過ぎたのを反省し彼女を安心させるように。
セレーナも王子に頭を撫でられながら、大人しくその胸に身を委ね、そして気持ちが落ち着いていくのを感じた。もしかしたら、それほど怖い人ではないのかも知れない。あまりにも他愛無いともいえるし、純真ともいえるが、王子の胸に抱かれ素直にそう思った。
そしてしばらくすると王子は優しくセレーナをベッドの上に横たえる。
「怖がる事は無い」
セレーナの耳元で囁き、彼女に覆いかぶさった。