第1話:小国の総司令(3)
邸宅に帰ったディアスはケネスと居間にいた。今回の出陣について聞きたがる甥に、もったいぶりながら話を聞かせてやっていたのだ。
勿論その話では、ディアスは敵陣に一騎で踊り込み雲霞の如く攻め寄せる敵兵をばったばったと切り倒し、幾人もの敵将を討ち取った事になっている。だが、ケネスもそのあたりはわきまえたものだ。その部分については話半分ならぬ話零分で聞いていた。常に敵からの矢が届かない距離に居る人間が、雲霞どころか1人の敵とも戦っている訳が無いのだ。
それでもケネスは楽しく話を聞いていたが、そこにディアスの従者が居間にやってきた。
「閣下にご報告をしたいと申す者がやってきております」
「そうか。書斎に通してくれ」
ディアスは、部下に各国の情勢を調べるように命じてあったのを思い出しながらそう返事をし、次に視線を甥に向けた。
「この話の続きはまた今度にしよう」
「分かりました。それでは失礼します」
話を中断されケネスは残念がったが、職務の邪魔をする訳にはいかない。将来軍人を目指す身としては、ここで無理を言っては軍人としての資質を疑われかねないのだ。
ケネスが部屋に戻ると、ディアスはすぐさま書斎で部下と対面した。強国2つに囲まれた小国の将軍として、情報の収集と分析は軍勢を率いるに劣らぬ重要な任務である。その情報とは、バルバールの東に国境を接するランリエル王国の動向についてだった。
ランリエル王国は、さらに東に接するカルデイ帝国と過去数十世代に渡り争ってきた。だが近年、帝国の軍勢を決戦にて打ち破り、帝国内深く進攻してその帝都まで占領した。との情報が入っていた。その為さらなる調査を行うべく部下を派遣していたのである。
もっとも、永きに渡る帝国との戦いの歴史の中で、一方が他方を滅亡寸前まで追い詰めたという事は幾度と無くあった。だがそのたびに、滅亡寸前のランリエルなり帝国なりの貴族と民衆は徹底抗戦を続け、数年間をかけて遂には勝利者を追い払う。という事を繰り返していた。
しかもその結果、勝利国が数年間に及ぶ国外出兵に経済が破綻し弱体化した。という事態となり、どうせ今回も数年間戦った挙句失敗する。そう考える者はバルバールにも少なからず存在したのだ。だが部下からの報告は、愉快なものとは言えなかった。どうやらランリエルは長年争いなびく事を知らなかった帝国を、夫に逆らえぬ貞淑な妻とする事に成功しそうだと言うのだ。
「なぜそのような事が可能なのだ? なぜランリエルの支配を不服として、帝国の貴族や民衆達は抵抗しない?」
その疑問に対する部下の答えは、ディアスの想像を超えていた。
「ランリエルは、有力な帝国貴族達を独立させたのです」
「独立だと?」
「はい。半ば強引に、という話ですが。現在帝国内には、公国、候国、はては伯国から子国まで独立国家が乱立しております。その為カルデイ帝国は、大国から小国に囲まれた中国と成り果てたのです」
なんだそれは?
部下からの報告にディアスは唸った。征服した国の貴族など領地を取り上げるのが常である。それを独立させるなど、むしろ優遇している。
さらに報告を受けると、帝国に毎年多額の賠償金を支払えと命じる一方、増税はしないように言い渡したという。極秘裏に増税するなど不可能だ。もしそのような事をすれば、カルデイの民衆がランリエルに訴えるだろう。
領内の貴族が独立し、さらに賠償金を払い増税も禁じられたカルデイ帝国が、以前と同水準の軍事力を整えるのは不可能だ。これでは、ランリエルの支配から逃れようにも肝心の貴族達も民衆も当てには出来ない。こうして帝国はランリエルに対抗する力を失ったのだ。
無論、このような手段をとれば、カルデイ帝国全域を支配する事に比べ実入りは減る。
「だが、支えきれぬほど大きな果実を無理に取ろうとするより、手中に納まる獲物を確実に取りにいった……。と言うわけか」
「はい。それでもランリエル王国の国力はかなり増強されたと思われます」
そして、どうやらランリエルの国力は3割増にはなるであろうと推測された。だが3割とはあくまでも現時点での話である。この先数年、十数年をかけて帝国支配は強まっていく。
未だ帝国に組する貴族達に難癖をつけて取り潰し、ランリエルに組した帝国貴族とて隙あらば取り潰して自領へと組み入れる。
カルデイ帝室の存続は民衆の反乱を懸念し、かろうじて許されるはずだ。だが、その領土はやはり無理難題を押し付け削り取っていくに違いない。
そうなれば3割増どころか5割増、6割増の国力となり、その時西に強敵を有するバルバール王国はさらに東にも強敵を抱える。しかしディアスは、ランリエルの国力が増すという事よりも、さらに恐れるべき事実に気付いた。ランリエルに、永きに渡る帝国との戦いに終止符を打った「人材」が出現した。という事実に。
「カルデイ侵攻の計画と指揮を執ったのはどのような人物か?」
「ランリエル王国の第一王子です。名はサルヴァ・アルディナ。歳は27で御座います」
「王族。しかも第一王子という事は次期国王か……」
それでここまで大胆な方法を取れたという訳か。
有能でも一将軍ではカルデイ帝国征服に、過去の政策から逸脱した方針は取れない。次期国王にして軍人であればこそ、ここまで自由な裁量がふれたのだ。だが勿論、軍人且つ王子であれば誰にでも出来たものではない。発想と行動力。それ以上に強靭な意志が必要だ。
ランリエルによる帝国支配が安定するであろう十数年後、かの王子はまだ40代の働き盛り。その時バルバールはかつて無い危機に直面する。ディアスの胸中に暗雲が立ちこめていた。