第207:王子か王か
コスティラ王ロジオン・ウォロノフは、前国王マクシームの異父弟である。マクシームがランリエルとの戦いに敗れ退位し、その後ランリエルが後ろ盾となって王位に就いたのだ。表面的にはランリエルのおかげと見えるが、コスティラの内情に詳しい者は、なんと皮肉な運命と感想を漏らした。
本来ならばこのような紆余曲折を経なくともロジオンが国王になって当然だったのだ。ロジオンの母は正妻。マクシームの母は妾。制度的にはロジオンが嫡子。マクシームは庶子である。年下といえどロジオンが王になるのが自然であった。
それが狂ったのには2つの要因があった。まず、父である国王がロジオンが産まれてすぐに急死したのだ。遠乗りの途中に落馬し、そのままあっけなく亡くなったのである。そしてその時マクシームはすでに成人していた。
産まれてすぐの嫡子と成人した庶子。どちらが次の王に相応しいか。容易には判断出来ない。だが、マクシームには取り巻き達がいた。ロジオンが産まれる前は庶子でもマクシームが王位に就く可能性は高かった。その将来を見据えてお零れにあずかろうという者は少なくなかったのだ。
そしてロジオンには取り巻きはいなかった。何せ産まれて間もない赤ん坊。まさか、赤ん坊に酒を勧める訳にもいかない。彼を取り巻くのは柔らかい綿布のみであった。
マクシームの取り巻き達は奮闘した。ロジオンが産まれ、折角今まで太鼓持ちに徹して来たのが無駄になるのかと絶望していたところに国王崩御の知らせ。不敬にも狂喜乱舞し、これが最後の機会と心に決めた。しかし、当時の大臣達はまともだった。彼らの運動に惑わされず、幼くとも嫡子が王位を継ぐのが混乱を防ぐと考えていた。無論、彼らも完全なる聖人君子ではない。いまだ喋れぬ赤ん坊を王位に就けた方が、自分達もやりやすいという計算もあった。
しかし、この世には良かれと思って足を引っ張る者がいる。マクシームの取り巻き達の運動に動揺したのは、大臣達ではなくロジオンの母だった。彼女はとある国の王女であった。
「我が子が幼く皆が不安と思うならば、私の祖国にいる兄を招き宰相として後ろ盾と致しましょう」
そう宣言してしまったのだ。大臣達は驚愕した。
「幼い王の後ろ盾に外国の王子をだと!」
「そのような事をされては、我が国は外国の傀儡となってしまうぞ!」
「絶対に、阻止せねばならん!」
王妃の’良かれ’は完全に事態を逆送させた。余計な事をしなければ我が子が王位に就けたものを、大臣、マクシームの取り巻き達全てから背を向けられたのだ。こうしてロジオンに被せられるべき王冠は、その小さな頭から滑り落ちマクシームの頭めがけ落下したのだった。
産まれて間もない赤子に、父の寿命や母の行動の責任があるはずもなく、全くの不運だった。しかし、運命はまた反転する。
兄を越えようとランリエルとバルバールとの戦いに介入し、バルバールの裏切りにあってランリエルに捕えられ、コスティラの王位どころか生命すら失いかけたのが一転、マクシームは退位、ロジオンはランリエルの傀儡政権の王座に就いたのだった。
その後、戦争時の参謀だったイリューシンを宰相にそえ、王としてコスティラの復興に心血を注いでいる。そのコスティラ王ロジオンが、サルヴァ王子と会談を行っていた。
とはいえ、王子の思惑はロタ正統王朝対策に伴う牽制と陣頭指揮。その為にサルヴァ王子は軍勢2千と共にコスティラまで出張って来たのだ。サルヴァ王子にとって会談は名目だけのもの。だが、ロジオンがそれに付き合う義理はなく、折角の機会だ。名目を事実として有益なものとすべく動いている。
「殿下のお考え通りケルディラは攻略しましたが、以前お話して頂いた内容と現実には、いささか隔たりがあると思われるのですが」
「なに、全てが思惑通りに進むとは限らん。多くの人間がかかわれば尚更だ」
「ですが、思惑通りに進まないのと、進まなくても仕方がないのとでは、大きく異なりましょう」
ロジオンが問題とするのは大きく2つだ。1つは、コスティラとケルディラを統合し、かつての大国クウィンティラ王国の姿を取り戻すというのが戦いの大義名分。ならば、コスティラがケルディラを併合すべきなのに、ケルディラの存続が許されている。次に、ケルディラ西部がゴルシュタットに占領されたまま放置されている事だ。
「仕方がないなどとは申してはおらん。だが、今ケルディラを消滅させるとなれば抵抗は必至だ。元は同民族。貴族、民衆の交流が深まれば、両国の国民も合併に抵抗がなくなる。合併も自然となろう」
「合併? 確か、コスティラによるケルディラ併合であったと記憶しているのですが」
「失礼した。併合だ」
即位した時には甘いところもあったロジオンだが、数年の時を経て鍛えられていた。王子自身の記憶でも、もっと組みしやすい人物だった。感情的で、理性という手綱をたびたび振り払っていた。それがサルヴァ王子と堂々と渡り合っている。
人は自身の成長には意外と気付かぬものだ。アリシアなどから見れば、バルバールと戦っていた当時とでは、王子はかなり成長しているのだが、王子自身にその自覚は薄い。故に、ロジオンの成長ぶりに、追いつかれつつあるのかと危機感を覚えるほどだ。
「とにかく、何をするにも時期というものがある。急いて手を伸ばし、熟さぬ果実をもぎ取れば、熟す機会を失い腐れ果てるのみ。熟すまでは手を出さず、落ちて来るのを待つべきではないか」
「ですが、落ちてくる寸前に他の者が掠め取る事もありましょう。せめて自分の物だと印はつけて置きたく存じます」
「なるほど。では、具体的には何をお望みか」
腹案なしに、印、などとは言うまい。まず、それを聞き出す必要がある。
「ゴルシュタットに、我がコスティラとして、領土返還の抗議文を送る事をお許し下さい」
「なるほど。了解した」
王子が即答した。ロジオンはケルディラ西部の領有権はコスティラにあり、との外交記録を残したいのだ。領土の奪い合いが激しい時代である。取られたにもかかわらず抗議をしないならば、領有権を放棄したとみなされる。この場合は、ケルディラは、コスティラの支配下にありとの主張だ。
とはいえ、王子が即答したように、それでコスティラの所有権が確定するほどではない。領有権争いに手を上げた、という程度である。それくらいならばランリエルとしても問題ない。ゴルシュタットも、形だけは不満を表明するだろうが、それで紛争にまでは発展しない。
「それと、ケルディラの王女と結婚するのは、我が兄の息子ルスランを予定しておりますが、そのルスランを我が養子とする事をお許し願いたいのです」
「ルスラン王子を養子に?」
「はい」
王子の視線が鋭くなった。これは、かなり露骨である。
ケルディラの降伏の条件では、ケルディラの王女とコスティラの王子が結婚しケルディラ王となる。勿論、ランリエルの監視下に置かれるが、行政、軍事の裁量を完全に奪われた訳ではない。コスティラの王子がケルディラ王となれば、コスティラの力が強くなる。
しかし、実はルスランとロジオンは、あまり仲が良くないと聞いていた。マクシームは納得済みの退位だったが、本来ならルスランが次のコスティラ王だったのだ。そもそもマクシームではなく、ロジオンが王位に就くべきだったという理屈は通じない。それどころか、ケルディラ王になれるように、ケルディラと交渉してくれたサルヴァ王子に好意すら持っている。マクシームを退位させたのがランリエルとしてもだ。このあたりは、負けたのなら仕方がないという無骨なコスティラ気質というものだろう。
それ故にルスランがケルディラ王となっても、両国の間にはある程度の距離が出来る。そう読んでいた。それが、いつの間にか和解でもしたのだろうか。
今はランリエルに頭を押さえられているコスティラだが、ほんの数年前まではランリエルに匹敵する大国だった。それが更にケルディラをも合わせるとなると、ランリエルの制御を離れる危険がある。その意味では、コスティラとケルディラの統一を大義名分にしたサルヴァ王子の失策だ。だが、今は今の問題があり、その対応が必要だ。将来の損失を考え、消せる火を消さなければ、大火となって結局は全てを失うのだ。
「ご安心を、ルスランと和解などしておりません。むしろ、私が義父となるといえば更に私を避けるでしょう。ですが、それでもルスランの子は、私の孫という事になる」
王子の胸に浮かんだ疑惑を見透かしたようにロジオンが言った。サルヴァ王子も苦笑せざるを得なかった。確かに印である。しかも、かなり気の長い印だ。ルスラン王子も断らないだろう。コスティラで燻っているしかない未来より、傀儡でもケルディラ王になれるのは望外の幸運。如何にロジオンを嫌っていようと、それを捨てる事はすまい。
「よく分かった。ルスラン王子を養子にする件。お考え通りになされるが良かろう」
覇気と行動力がある王子からみれば先の話し過ぎ、それまでに手を打てばよいと考えるが、ランリエルの支配下にあり受身にならざるを得ないロジオンは、このまま事態が進むならば、この手を打っておくべきという考えだ。どちらが優れているかというより、両者の立場の違いだ。
一通り内の話が済めば、視線は外に向いた。ロタ北部はコスティラと国境を接する。国境の紛争はコスティラの経済にも無関係ではない。ロタ方面を通り交易を行う商人や、その商品を産する者達への影響は計り知れない。
「また、戦いが始まるかと軍勢の準備は進めておりますが、実際、どの程度の確証がありましょうや」
コスティラ王としては気になるところだ。一般的に血の気が多く戦いを好むと言われるコスティラ人だが、為政者ともなれば、その熱い血を冷やす必要がある。戦費の問題もあるが、民の被害も無視できない。
「さて。私も戦いは回避したいと考えてはいるが、相手のある事だ」
「アルベルド王も、戦いは回避したいとの考えとお見受けしますが」
確かに、人道支援部隊などというものを担ぎ出しているのは戦争回避の動きに見える。だが、それを額面通りに受け取って良いものか。我ながら人が悪いと思いながらも、今までの経緯を考えるとアルベルドの動きには身構えてしまう。
人道支援部隊についても、アルベルドの思惑如何では、その性質はがらりと変わる。言葉通りの人道支援から、ランリエルを陥れる罠へと。ランリエル人に見せかけた部隊が人道支援部隊を襲えば、世論はデル・レイに一気に傾く。
それを会談直前に行い、会談に向かうサルヴァ王子を襲ってもアルベルドの名声にどれほど傷が付くか。世論操作に長けたアルベルドだ。確かに騙まし討ちのようになったのは非難に値するが、ランリエルの非道を考えれば、アルベルドばかりを非難できない。とでも、もって行きかねない。
アルベルド王と会談する予定のディールはロタ北部にあり、周囲に軍勢を隠す場所のない平原だ。そこに軍勢2千で向かい、更に後方をバルバール軍に固めさせる。万一アルベルドが軍勢を向かわせ襲わせようとしても発見は容易であり、逃げに徹すれば危険は少ない。
まあ、アルベルドも今回はそこまでの事はすまい。その予測が王子にはある。あるが、予測は予測。警戒は必要だ。
「お互い戦いを回避したいが故の警戒だ。なまじ隙を作れば、戦う気のない相手まで戦う気にさせるものだ」
「確かに」
拳を振り上げている者へ、殴られても殴り返さないと答えるのと、殴られたら殴り返すと宣言するのと、どちらが殴られなくて済むかなど自明の理。一旦はこちらが引いて回避できたとしても、すると相手はこちらを格下と認識する。次に抵抗すると、格下のくせに歯向かうのかと余計に関係が悪化するものだ。
そこに世論というものもかかわってくる。無責任な国民は、相手が弱腰ならば弱いと考え、ならば攻めてしまえばよいとまで飛躍する。善人ばかりの世界ではなく、やられたらやり返すという態度こそが均衡を保つのが現実だ。
「会談には、我が軍は連れて行かなくてもよろしいのですか? 今すぐにでも、千程度の軍勢ならば動かす事も出来ますが」
ロジオンの提案に、王子が頷いた。それは肯定を示すものではなく、聞いている、という程度のものだ。ロジオンもそれは理解し、王子の、本当の意味での頷き、を待った。
さて、どうしたものか。と、王子が思案する。
確かにバルバールだけではなくコスティラの軍勢も参加すれば、ランリエル側の団結を示せる。しかし、ロジオンも善意だけの提案ではない。コスティラの利益を考えての事。
コスティラとバルバールは歴史的に戦いを重ね、不倶戴天の敵同士。バルバールがコスティラを警戒するように、コスティラもバルバールを警戒している。
そしてコスティラとバルバールが戦うと仮定すれば、ランリエルを味方に付けた方が勝つ。バルバールへの傾倒が見られるランリエルに、コスティラも焦りを感じているのだ。
王子としても、客観的に見てバルバール寄りになっているのは感じている。コスティラよりバルバールに気を使っている。とも言える。そしてそれは、ディアスの計算でもある。
ディアスは、バルバール軍はバルバール王国とその民の為にあると公言する男だ。しかし、そのような言葉を公言すれば、当然、非難を受ける。実際、王子などはそれを潔いとも受け取っているが、他の者達は、なんと利己的な男かと、ディアスを非難している。しかし、ディアスは自分の評価など露ほども気にせず、バルバールの国益のみを考える。
そして王子すらも、いざともなればディアスは何をするか分からないと、その動きに気を配らざるを得ない。馬鹿馬鹿しい事に、物分りが良く忠実な者ほど扱いが悪く、聞き分けの悪い者ほど扱いが良くなる事もあるのが浮世の世界だ。ロジオンの言葉に、はたと王子もその事実に気付いた。
「それではお言葉に甘えよう。コスティラ騎士には、私の左右を固めて貰う」
その数日後、王子は2千の軍勢を率いて出発した。ここまで連れてきた自身の軍勢の内、半分をコスティラに残し、その代わりにコスティラ兵一千を合流させたのである。デル・レイ側には2千の軍勢で会談に向かうとすでに連絡してあったので、このような処置となった。
ディールはロタ北部のバルバールが占領している地域から、約1ケイト(8.5キロ)ほど、正統王朝軍が占領している地域に入ったところにある。その境界上にはバルバール軍がひしめいており、万一の事があれば雪崩れのように突入する予定だ。
そのバルバール軍の中央を、コスティラ兵に左右を固めさせサルヴァ王子が進んだ。そのあからさまな行動に、5百の兵で合流したディアスも苦笑を禁じ得なかった。
ディールにはアルベルドより王子が先に到着した。デル・レイ側である正統王朝の占領地での会談なので、アルベルドが先に到着していても良さそうなものだが、この会談の名目は、アルベルドの人道支援部隊への謝辞である。それが建前でしかないのは、大陸に住むほぼ全員が理解しているが、建前だからこそ形が重要なものだ。
礼を言う側が言われる側を出迎えるのが当然と、サルヴァ王子が先に到着したのである。そして、数千サイト手前で待機していたデル・レイとロタ正統王朝の軍勢がサルヴァ王子の到着を確認して動いた。
到着したアルベルドは、会談が行われる小屋の向こうに整列するランリエル側の軍勢に眼を向けた。その光景に違和感を覚えた。つい、確認するように自らの軍勢を振り返る。
デル・レイ王国の旗や率いる部隊の隊旗。ロタ正統王朝を示す旗もある。サルヴァ王子が率いる軍勢に視線を戻した。同じように何種類かの旗が風に揺られている。バルバールの旗もあり、コスティラの旗もある。
気のせいか。だが、何かが違う気がする。
コスティラの旗があるのは予想外だった。だが、予想外ではあるが、考えてみれば納得できる話でもあり、違和感とはまた質が違う。意外なのではなく、違う、のだ。
まあいい。ここで立ち止まっていても仕方あるまい。いきなり、攻めて来るという事はないはずだ。
小屋に入ると、当然の事ながらサルヴァ王子の姿があった。椅子に腰掛けていたが、アルベルドを視線に入れるとすぐに立ち上がる。隣に居たディアスも続いた。アルベルドには正統王朝の代表として、リュシアンが付いている。
「アルベルド王。ご健勝で何よりです」
「サルヴァ王子。貴殿こそ、ご健勝でなにより」
年齢はアルベルドが下だが、上位者としての態度だ。’王’が’王子’に対応するのだ。当然ともいえる。
しかし、その時王子の瞳が光った。アルベルドには、その輝きが挑発的なものに感じた。
「実は、その事なのですが、今回はランリエルの王子としてではなく、セルミアの王として参りました」
どのような政策を取れば世界が平和になるか。コンピューターを使い、様々な条件でシミュレーションした結果、一番平和になったのは、同規模の国力の国々が、やられたらやり返すという政策を取る事。という結論になったそうです。