第203:偽戦
夜。月は厚い雲に覆われ、その姿は見えなかった。空の星もその姿を消したが、いつもより深い闇に閉ざされた地上には点々と星々が浮かぶ。人々の生活の明かりだ。
星は強く輝けば1等星と呼ばれ2等星、3等星と格が落ちていく。本来その星々には何の差もなく、時には小さい星であるにもかかわらず、それを見る我らから近いというだけで大きな光を放って見え1等星となる。星々の格差など全くの偶像でしかない。
しかし、地上の星の格差は現実だ。庶民が灯す松明や質の悪い油の光はか弱く、王族達は質の良い油を惜しげもなく使い巨大な宮廷を煌々と照らす。皇帝の宮廷などは彼らと比べれば太陽にも等しいほど光り輝いた。地上の星の格差は人間の格差と同義語だった。
天界の星と地上の星との違いはそれだけではない。天界の星は己自身で光を放つ。しかし地上の星は、大きな星が小さな星から財という名の燃料を奪い更に輝くのだ。
その地上の星の中でも、3等星ほどの光を放つ屋敷の一室に2人の男が居た。大きな男が1人ともう1人も小さくはないが、大きな男に比べると小さく見える。腕の太さは大人と子供ほどの差があった。ブランとリュシアンである。
「政党王朝の軍勢としての、デル・レイの民を納得させるだけの戦果、か」
ブランの声が重く響いた。彼自身にその自覚はないのだが、他の者を威圧する凄みがある。
「そうだ」
リュシアンが、アルベルドとの会話を反芻した。
「戦果、で御座いますか?」
「うむ。お主達を無駄飯ぐらいなどと侮辱する者がいるのだ。私としては、そのような慮外者、縄をかけ罰してやりたいところだが、私はデル・レイの王だ。如何にお主に友情を感じていても、お主らを守る為に我が民を捕らえる事は出来ない。口惜しいが……」
「い、いえ。陛下のお立場なら当然です。あまりご自分をお責めにならないで下さい」
「そう言ってくれるとありがたい。しかし、我が民の不満が高まっているのも事実。私としては、その不満を晴らさねばならん」
「それで、我らによる大きな戦果、なのですね?」
「ああ。民達は、城の一つでも落とせ、などと言っているらしいのだ。戦いを知らぬ者達だ。例え小城でも、落とすとなると、どれほどの人員と資材が必要になるか、分かっていないのだ。いや、民に戦いを理解しろというのが無茶だとは思うのだが……」
アルベルドは、言葉を選びつつも、結局は、民が納得する戦果をと抽象的な表現を使い、リュシアンも断る事が出来なかったのだ。
「戦わざる者、食うべからず。という事だ」
ならば戦うのではなく畑でも耕せという方が理にかないそうなものだが、現実はそうはいかない。開墾された土地は民自身の貴重な財産であり、それこそ他国者に譲るなど言語道断。まっさらな荒地を耕すとなると何年かかるか。
「リュディガー王など認めぬ。我らこそ正統王朝、などと言いながら、ただ飯を集りに来たのではないと証明しろというのだな?」
「そうだ」
「勝てんぞ」
ブランが腕を組み断言し
「分かっている」
リュシアンが目を閉じ認めた。
ブランなど武勇のみ。それを制御するのはリュシアンである。リュシアンが居なくばブランなどただの猪武者。ブランを妬む者はそう陰口を叩くが、決してそうではない。リュシアンこそがブランを信じていた。ブランが勝てぬというなら勝てぬのだ。
ランベール王は、リュディガー王に敗北しデル・レイに預かりの身となった。そのリュディガー王も現在はドゥムヤータの影響下にある。だが、ドゥムヤータに領土の一部を削られ、賠償金の支払いもあるとはいえ、ロタの南半分を領する現実は大きい。
戦力の差は10倍以上。とはいえ、亡命政権でありながら2千余の戦力を有する正統王朝は、健闘しているといえる。本来なら蟻と象の戦いなのだ。それでも王権復帰を目指せるのは、デル・レイ、ひいては皇国の支援があると思うがこそ。それがなければ話にならない。
「小競り合いならどうにかなる。敵の手薄なところを攻めて打撃を与え、すぐに撤退すればよいのだからな」
「ああ。デル・レイに逃げ込めば、追っては来れまい。しかし、それでは……」
「デル・レイの民が納得せんか」
「それどころか、デル・レイの影に隠れなくては戦も出来ないのかと、非難が増す恐れすらある」
長い沈黙が流れた。気付けばリュシアンの額に汗が浮かんでいた。部屋の温度が少し上がっていた。その熱源は、彼の目の前に居た。組んだ腕に力がこめられ、一回り太くなっている。その腕を握り潰さんとするように大きな掌が掴む。全身から熱を発している。
「それは、我らに死ね、と言っているのではないのか」
「かも知れん」
リュシアンが呟いた。
ブランが居なければ、アルベルドを盲信していたかも知れない。この呟きもなかった。アルベルドを盲信し、その言葉を尤もだと信じていた。何がなんでも期待に応えようと奮闘し、無茶だという味方を努力が足りないのだとなじっただろう。敵の城壁の前にロタ将兵の屍の山を築いていたはずだ。
戦で相手が全滅するまで戦うなどほぼありえない。それまでに、どちらかが怯み敗走する。ブランは強い。そして、それだけではない。その身に纏う獣気が敵を怯ませ味方を燃え上がらせる。それは天性のものだ。戦場において、その影響力は千の軍勢に匹敵する。
だが、それにも限度があり、得手不得手もある。万の差は覆せず、城塞に篭る敵にブランの獣気は届かない。ロタ正統王朝が動かせる軍勢は2千余。それで城が落とせるのか。
小城なら落とせなくもない。敵に援軍がなければだ。援軍が来る前に落とせる可能性もある。だが、それはただの博打であり、まともな軍略家なら博打前提の作戦など論外。博打をするのは、それ以外に手がない時だけだ。
「城を囲んでいる時に、敵の援軍に逆包囲されては全滅は必至だ。援軍が来れば撤退するにしても、城から打って出た敵に追撃される。戦果なく、被害ばかり増えるのは目に見えている」
「それで口減らしも出来、デル・レイの民も納得するのだろうが」
「アルベルド陛下の狙いも、そのあたりかも知れないな」
この世界は身分意識と共に家長意識の高い世界でもある。養っているのは戦力となる士官の貴族や騎士達であり、その他はあくまで付属だ。その家長が戦死すれば、それまで。家長が戦死しても遺族を養い続けろという方が図々しいのだ。
しかし、貴族や騎士として生きてきた者達だ。今更、農民として生きるのも難しい。良くて女達はデル・レイ貴族の侍女や家庭教師。幼い子供は、名門貴族の子弟の遊び相手といったところか。問題は、それになれなかった者達だ。国が滅んだ後に、亡国の貴族の姫君が街角に立つのも珍しくはないのだ。
それに、戦って大きな被害を出したならばと、同情から支援するのをデル・レイの民も認めるだろう。アルベルドとしては、一石二鳥という訳だ。
「しかし、アルベルド陛下の要請を断るのは困難だ。どうにかして、被害を最小限に留め、デル・レイの民を納得させる戦果をあげねばならない」
「アルベルド王から、どの城を攻めろという話はあるのか?」
ブランが、アルベルドに敬称を使うのが嫌なのか陛下ではなく王と呼んだ。呼び捨てにしないだけの分別はある。
「いや。それはない。我らに大きな被害が出た時に、責任を回避する為かも知れないがな」
リュシアンもアルベルドを疑って見るようになっていた。アルベルドが、この城を攻めろと指定し被害が出れば自身の責任も追及される。アルベルドとしては、それは避けたいところだ。
「ならば、どの城を攻めるのが被害が少ないか。見極める必要がある」
「ああ」
机に地図を広げ2人で見入った。城の名前が彼方此方に記されている。リュシアンの頭の中には、主だった城の情報が入っている。城の規模は、記される名前の文字の大きさに等しい。
「やはり、小城を幾つか落とす程度では駄目か」
ブランが、リュディガー王が支配するロタ南部とデル・レイ国境付近にある小さな文字をトントンと叩いた。
「おそらくは」
「落とすだけで、占領し続ける必要はないのだな?」
「ああ。攻め落とし、城内の物を戦利品として根こそぎ持って帰ればいい。それをランベール陛下に献上するのだ。その後、陛下からデル・レイの民に、世話になっている礼にと配れば、それで格好がつく」
その意味でも、小城では戦利品が少ない。1城では足りぬと、戦利品を運びながら次の城に向かうのも行軍が遅くなる。即効で小城を落とすという利点を殺してしまうのだ。やはり、ある程度の規模の城を狙う必要があった。
ブランが地図を睨んだ。その視線が徐々に鋭くなる。
前回の戦いでも机上でディアスの策を見抜いた。いや、虎の嗅覚で嗅ぎ付けたブランである。リュシアンも地図に目を向けつつ、ブランの言葉を待った。そして、それは思いの外早かった。考えての読みではないのだ。気付くなら一瞬だ。
「ここだ」
「は?」
リュシアンが、場違いないほど気の抜けた声を漏らした。ブランは、気にした様子もない。
「ここなら落とせる」
「落と……」
確かに落とせはするだろう。だが、これは今までの会話の全否定だ。
「ここを落とすんだ」
ブランが繰り返した。口元に肉食獣の笑みが浮かんでいる。
不意に、リュシアンが小さく吹き出した。それは次第に大きくなり、部屋中に響く。
「やはり、お前には敵わないな」
翌日、リュシアンはアルベルドに出陣の許可を願い出た。ロタ正統王朝の大臣達には事後報告でいい。そもそも出兵要請はアルベルドからのものであり、大臣達が拒否できるはずがない。
「シェブール城を目指します」
「シェブール?」
その名に、アルベルドから漏れたその言葉は、意外そうな音色だった。思わずリュシアンの顔を見直す。
「はい。確かにシェブールはロタでも有数の堅城。ドゥムヤータとの戦いでも最後まで落ちず、リュディガー王の降伏後に王命で開城したほどです。ですが、だからこそ、我らが攻めるはずもないと油断している。その油断に乗じ城門を突破すれば、如何に高い城壁も、強固な城門も、あって無きが如しです」
「ほう。なるほど。流石はロタでも知者で知られるリュシアン殿だ」
アルベルドは、苦労して顔に侮蔑の色が浮かぶのに耐えた。
確かに、攻められるとは思ってはいないだろう。だが、それで落とせるかは話が別だ。要衝の城塞にとって偵察は日常業務。まともな軍隊ならば、攻められそうにないからといって怠るものではない。リュシアン達が城に到達するころには城門は固く閉ざされ、立ち往生し矢の雨にさらされる。
まあいい。それで数を減らして帰ってくれば、デル・レイの民も同情する。それで私が彼らの支援を宣言すれば、民は元のは自分の金にもかかわらず、私を慈悲深いと賞賛する奇妙な生き物なのだ。
正統王朝の戦力は減るが、彼らを大義名分に攻める時には皇国をも動かす。その大軍の前には、正統王朝の2千の兵が半分に減っていようが大差はないのだ。所詮、奴らの存在価値は、その名、のみ。
「お主の考えは分かった。物資の心配はない。2千の兵が十分に活動できるだけの物は用意させよう」
「はい。ありがとう御座います。ですが、物資は最低限の量で十分です」
「何故だ?」
「シェブールを落とすならば速度が命。速攻で城門を突破できねば攻略の目はありません。大量の物資を持てば足が鈍ります。勿論、攻略が難しいと見れば、他の城に矛先を変える必要があり、その時には追加の物資を要請させて頂くかも知れませんが……」
ふむ。一応、考えてはいるか。そうでなくてはロタ一の知者とは呼ばれぬか。だが、それでもかなり漠然とした作戦だ。
「分かった。あまり無理をせぬようにな。もしお主やブラン殿に万一の事があれば、悲しむ者が居る事を忘れないで欲しい」
「は。ありがたきお言葉。胸に刻みます」
一国の王からの友情の言葉。本来なら胸を打つはずが、リュシアンの心には何も響かなかった。
その後、正統王朝の大臣達にもアルベルド王からの命令だと出陣を伝え、ランベール王からも承認を得た。とはいえ、ロタ南部とデル・レイは国境を接していない。アルデシアを通過せねばならず、その許可証もアルベルドが副帝の権限で発行してくれた。そして、亡命政権にもかかわらずと言うべきか、亡命政権だからと言うべきか、格式ばった出陣式を行い、2千余の軍勢は隊列を組み出陣したのだった。
数日後、ロタ正統王朝の軍勢がある城を落とした。
その名はアラソン。ロタ北部にある小さな城である。