第201:誠意
デル・レイ国内には他国があった。ロタの前国王ランベールを擁立するロタ王国正統王朝である。
ランベール王とその家臣達は王都郊外に屋敷を与えられ仮の宮廷とした。その仮初の宮廷に人々が列をなしていた。多くは徒歩であったが、ところどころ馬に乗る者や馬車の姿も見える。馬具はほつれ、車輪は泥だらけだったが、彼らなりに威厳を保つ為か、屋敷の門を潜る時には大事に保管していた一張羅を身に纏い胸を張った。ロタ全土から逃れてきた貴族とその家臣だ。バルバールやドゥムヤータに領地を奪われ、僅かな財産と共に落ち延びて来たのだ。
軍事力は飛躍的に強化されたが、リュシアンは頭を悩ませた。
ロタ王国正統王朝では、ランベール王に付き従ってデル・レイに落ちた者達が重要な地位を独占している。現国王のリュディガー王も無慈悲ではなく、ランベール王に付いた者達も領地の削減などの処罰を受け入れれば許した。しかし彼らはそれを善しとせずランベール王への忠義を守ったのだ。真に美しい話ではあるが、残念ながら忠義者が人格者とは限らず、有能とも限らなかった。中には優れた騎士などもいるのだが、国政となるとものの役に立たないのだ。
結局、彼らはお飾りでしかなく、実務はリュシアンが取り仕切っている。今回の問題もリュシアンが解決するしかないのだが、彼らを無視もできない。話を通す必要がある。会議という名の説明会を開いた。
元々デル・レイの歴代の王が別荘としていた屋敷だ。調度品も最高級の物で満ちている。リュシアンが一人立ち、他の者達は本国にいる時には触れる事も出来なかった高価な椅子に腰掛けていた。
「ロタからランベール陛下を慕い、多くの者が流れて来ております。それは喜ばしい事なのですが、アルベルド陛下から提供されている資金にも限りがあり、喜んでばかりはいられません」
すぐさま反論したのは正統王朝宰相ワトーだ。過去にも宰相を輩出した名門だが、近年では舞踏会でも名前が挙がる事は少なくなっていた。しかし、落ち延びた貴族の中では比較的名門として、ワトー家として8代ぶりに宰相となったのだ。神経質な為か40前にもかかわらず頭髪は白い物が多いが、元が金髪なのでほとんど目立たない。その指摘も嫁いびりする姑のように感情的だ。
「ならば、金がないから追い返すと申すか! 王を慕ってきた者より金が大事と申すか!」
誰もそんな事は言っていないと、うんざりしたリュシアンだが、それを表情に出すのは堪えた。この手の者は、話を悪い方に曲解し、その曲解の元に非難するので厄介だ。
「そうは言っていません。純粋に資金が足りない。という話をしているまでです」
「何が違うか。結局は金がないから養えぬという話であろうが」
「違います。どうにかして資金を集めねばならないという話をしているのです」
違います。は幾分声が大きく滑舌が良かった。
「ならば、それをどうにかするのがお主の役目であろう。何をぐずぐずしておるか」
「は」
理不尽だが、何とか本来の話題に軌道修正できた。ブランだったら殺しているな。そう考え、それによって冷静を保つ。
「まず陛下を慕って来た者達が住まう住居が足りません」
「それは、アルベルド陛下がデル・レイ貴族達も説得してくれて、その者達の別荘などを用意してくれたのではなかったのか」
アルベルドは抜け目ない。ブラン達が来て、更にランベール王がロタの正統を宣言した事により、現在ロタでうだつの上がらぬ者達が押し寄せるのは予測していた。
「そうなのですが、それが予想外の者達も集まって来たのです」
「予想外とは?」
「はい。貴族の妻子は無論、親兄弟までは予想しておりました。ですが、親類縁者、中には長年仕えてくれた執事や侍女を置いて来るのは忍びないと随行させて来る者までいる始末」
国軍の構成が王家の軍勢と貴族の私兵の混成である以上、貴族はすなわち士官だ。決して御伽噺に出てくるような舞踏会で踊るだけが能の者ばかりではないが、それでも士官1人に、非戦闘員が何十人も付いて来るのは割に合わない。
「余計な者など、追い返せばよかろう」
「それはそうなのですが、奥方達が、ここまで連れて来た老いた執事や侍女を追い返すのは、彼らに死ねというのと同じと泣いて懇願するのです。彼女らは自分の善意を疑っておらず、まるでこちらが無慈悲な極悪人かのような目で見る」
実際リュシアンも、お前達の所為なのだから、だったらお前達がロタまでもう一度送り届け、今度はお前達だけでやって来い。と言いたいところだがそうもいかない。
戦力的には圧倒的に劣勢なのを覆さなければならないのだ。その為にはランベール王は善王でなくてはならない。どこの誰が悪王が王位に就くのを助けてくれるというのか。元々、国内では評判が良くなかったからこそ簒奪されたランベール王だ。それが反省し、今では善王に生まれ変わったと宣伝しているどころだ。ここで、その評判を落とす事は出来ない。
「どうだ。ランベール陛下の名で、ロタ貴族の爵位を売るというのは、裕福な平民や爵位なしの貴族の中には爵位が欲しい者もいよう」
小太りの若い貴族が発言した。リュシアンの見るところ悪い人間ではないが、それだけの男でもある。
「ここが他の国ならば、それも可能だったと思いますが、このデル・レイではそれも出来ません」
本来、爵位と領地は表裏一体。しかし近年ではその片方だけを売買する事も多く有名無実となっている。裕福な庶民が爵位を買うのも可能だ。しかし、ここは皇国の衛星国家。他国など全て格下。ロタ貴族の爵位など自慢にもならない。
「ならばアルベルド陛下にお縋りするしかなかろう」
ワトーの苛立った声が割って入った。
「ですが、そこまでご厚意に甘えてもよろしいものでしょうか」
「何を言う。アルベルド陛下は世に聞こえた名君。必ずや我らの窮地を理解し援助して下さろう」
「なるほど。では、早速、アルベルド陛下にご支援のお願いをしてまいります」
素直に頭を下げたリュシアンだったが、図々しいとは自覚している。そして現状アルベルド王に資金提供を求める以外に手がない事もだ。気は進まないが仕方がない。とにかく、会議での結論という名分を得た。それで自身の尊厳と立場は守れる。
ロタ正統王朝の対応は専門の大臣、官僚を置かずアルベルドが直接とっていた。無論、実務となれば話は別だが。
アルベルドは、皇都に詰め通しでブランらがデル・レイに来たと聞いて帰国したが、しばらく滞在した後、皇都に戻った。それから、しばらく皇都に詰め通しだったのだが、ちょうどまた帰国していた。忙しい方だ。とは思うが、今はその偶然に感謝すべきだ。
取次ぎの者に謁見を申し出ると、ほどなくして返答があった。皇国の衛星国家といえば他国ではお高い印象があり、王に謁見するのも何日も待たされると聞いたが、アルベルドは謁見を望む者は全て連絡せよと命じている。ただし、執務の邪魔にならないように身分と名前が書かれた紙片を執務室の専用の箱に置いて来る。アルベルドは手が空いた時にそれに目を通し、会うかどうかを判断するのだ。
今回は、どうやら直ぐに目が止まったようだ。アルベルド王がデル・レイに戻っている事自体といい、かなりついているらしい。しかも、通されたのは謁見の間ではなく執務室だった。
「リュシアン・リュシェール殿をお連れ致しました」
取次ぎがそう言うと、決まりなのかアルベルド王の返事を待たずに通された。下品にならぬ程度に素早く視線を巡らす。大皇国に連なる衛星国家の王の執務室とは思えぬほど質素な作りで、正統王朝の宮廷の方が豪奢なほどだ。
皇国の復興で民に負担を掛ける為、自らも倹約の範としたという事だが……。金の無心をしに来た者としては、あまり居心地の良いものではないな。さて、どう切り出したものかと考えながら頭を下げた。
「リュシアン・リュシェール。今日はロタの正統なる王ランベールの使者として参りました」
「リュシェール殿。私と貴公の仲だ。そう硬くならずともよい」
確かにアルベルドと会うのはこれが初めてではないが、それにしても親しげだ。身分意識の高い世界。人間の格差は公然と存在する。格上の人間から親しくされれば反射的に嬉しく思うのも事実。それは知性を超えた感情の反射であり、リュシアンとて例外ではない。
一瞬、良い王様だ。という思いが芽生えた。しかし、リュシアンの優れているのは、自身を客観視出来るところだ。言葉一つで乗せられそうになる自身を冷静にも見ている。
アルベルド王の本心か。それとも懐柔の演技か。ともかく、今は乗っておくか。
「ありがとう御座います。アルベルド陛下にそのように言って頂けるとは、光栄の極みに御座います」
「はは。まだ硬いな。だが、まあいい。それで今日はロタから流入する貴族とその家族達への援助要請で来たと思って良いのかな?」
リュシアンは絶句した。確かにアルベルドへの取次ぎは申請した。しかし、要件までは告げてはいない。なぜ、それを知っているのか。
「驚く事はない。私はランベール王も君達も大切な友人と思っているのだ。その友人を気にかけるのは当然ではないか。貴殿らの屋敷に人が溢れているのは知っている。まるで監視されているようだと、気味が悪いと思われたかも知れぬが」
「い、いえ。監視などとは。それほどまでお気にかけて頂いているとは知りませんでした。感謝の言葉も御座いません」
「そう言ってくれて安心した。どれほどの資金が必要かは遠慮なく言ってくれ」
「は。ありがとう御座います」
「だたし……」
「はい?」
「貴殿らの希望に添えるかはまた別だ。知っての通り、我が国も皇国再建に尽くし財政に余裕はない。民達にも苦労をかけている。君達が望むだけの物は出せぬかも知れん。だが、出来る限りの事はさせてもらう積りだ」
微笑むアルベルドの手がリュシアンの手を暖かく包んだ。
出来ぬ事を出来ると言わず内情を包み隠さず話し、その中での精一杯の協力を約束する。アルベルドの言葉は誠意に満ちていた。リュシアンは、感動の波が心に打ち寄せるのを感じた。深く頭を下げ、アルベルドに隠れ歯を食いしばった。心が巨大な感動の津波に押し流されぬようにだ。
これが計算ならば、恐ろしい人だ。リュシアンの’客観視’が警鐘を鳴らした。しかし感動の津波は、その心の防波堤を越える勢いだ。
「それで、どの程度の人数がやって来ているのだ? 支援するにしても出来るだけ正確な数が知りたい」
「主にロタ北部の者がほとんどですが、南部も少なくはありません」
北部はバルバールが完全に支配している。貴族の私兵が国軍に加えるのがこの世界の軍制だ。ロタ貴族をバルバール軍に編入するのは現実的ではない。当然、ロタ貴族の領地は全て没収である。
また、リュディガー王の統治が認められた南部でも、ドゥムヤータに見返りが無しとは行かない。戦争時にドゥムヤータに占領された領地の内、返還された領地も多いが、当主が亡くなった家はそのまま断絶となり領地はドゥムヤータの物となっている。その中にはかなり強引なものもあり、当主の息子が幼くても認められなかった。
それでも領地を保てた貴族に縁があれば、その者を頼ったが、それ以外の多くはデル・レイを目指したのだ。
「大凡ですが、貴族が約50名。騎士が1800ほどです。それと歩兵が600」
この世界の軍隊は、基本的に職業軍人で構成されている。歩兵もまた然り。とはいえ、やはり意識の違いがあり、騎士はどこまでも騎士。だが、歩兵を生業としていた者には元農民も多く、故郷に戻って帰農する者が大半だ。また、騎士はロタ南部の軍縮で職を失った者もいる。無論、騎士の中にも戦いを捨てた者も多いのだが。
「その家族らは?」
「……6000を越えます」
リュシアンの言葉は歯切れが悪かった。ほとんどが貴族と騎士の家族で、歩兵は実家と縁を切り天涯孤独な者が多い。
「なるほど。多いな」
「は……」
「それほどの数となると、住む場所を用意するだけでもかなりの資金が必要だ。私は構わないのだが、我が民が黙っているかとうか。民には良い暮らしをさせたいと考えておるが、全ての民を貧しさから救ってやれておらぬのも事実。その者達を捨て置き、他国の者を救うとなればな……」
「た、確かに。返す言葉も御座いません」
「いや、済まぬ。お主を責めているのではない。全ては我が統治、不甲斐なさが原因。お主達のあずかり知らぬ事だ」
「しかし、そういう訳には……」
「気にするな」
「はい」
やはり、アルベルドに惹かれるのを抑えきれず、理性が踏み止まらせる。
「ただ、バルバール、ドゥムヤータの統治も徐々に安定して来ているようです。今後は流入も減るでしょう」
「なるほど。正直、際限なく増え続けられては養いきれんからな。おっと、これは失言と忘れて頂きたい」
「いえ。仰る通りです」
リュシアンの口元に思わず笑みが浮かぶ。
「しかし……」
「はい? しかし、何で御座いますか?」
「彼らからロタを取り戻さんとする我らが、彼らの統治の安定を歓迎せねばならぬとはな」
「確かに」
今度は2人の口元に同時に苦笑が浮かんだ。
しかし、彼らの予測は外れ、デル・レイへの流入は増え続けたのだった。




