第195:王座の行方
大陸暦637年春。ケルディラより先に陥落したロタ王国だが、その戦後処理に手間取っていた。
ロタ王国の領土は、王都から北をバルバール、南をドゥムヤータで2分する。その為、拠点も新たに建築しなければならない。ドゥムヤータは、ロタ南部の中心地モントバーンに、新たに都を建設する事で決定した。とはいえそれも先の話。暫くは元の王都を使うしかない。
ロタ王リュディガー・サヴィニャックは、ドゥムヤータ本国に移送し、そこで(軟禁した屋敷の中でだけ)何不自由なく暮らさせる。ロタには選王侯達がそれぞれ代官を派遣し、執政官として管理する計画だ。現在、選王侯達は全員ロタに集まり代官達の権限について話し合いが行われていた。
「やはり、全ての行政の権限を等しく7分割するのは効率が悪い。それぞれ担当の部署を決めるべきだ」
口火を切るのは選王侯の纏め役フランセル侯爵だ。他の選王侯達も活発に意見を述べる。
「それは確かにそうでしょうが、軍事に関しては、やはり権限を分けるべきでは。それを一手に掌握するとなれば、権力の集中を招きましょう」
「それよりも、財政を1人で握る方が問題ではないですかな」
「しかし、財政の権限を分割するのは、いかにも効率が悪い。予算を承認するのに一々7名が署名せねばならぬのですか」
「確かに、6名が承認しても1人が否認すれば不承認ならば、行政が滞りますな」
「1名の署名で承認とし、他の6名には写しを回覧するとすればよろしいのでは」
「それでは、判断の緩い者のところに決済の書類が集まるだけなのではないですかな」
「確かに、その問題はありますな……」
文字通りの役得というものが認められている世界だ。無論、何事にも限度がある。職務に支障が出ない程度というのが暗黙の了解だ。しかし、緩いところに役得が集まるならば、最終的には全ての者が緩くなってしまう。それでは行政は成り立たない。
通常の占領地政策なら、ここまでの面倒はない。問題は7名による選王侯体制だ。ドゥムヤータ本国では王家の力など微々たるもの。その財政を誰が握ろうと対して問題にはならなかった。
しかし、ロタの財政を一手に握れば選王侯の力の均衡が崩れる。以前のロタからの侵略やブランディッシュとの戦いでは結束が固いように見えた選王侯達だが、やはり、そこは甘くはない。自分達は良くても、次の世代への責任もある。
頭一つ出る者は抑え付けねばならず、抑え付けられない為には、出過ぎるのを自重せねばならない。適正を考えれば、財政はシルヴェストル公爵家が見るのが適任なのだが、公爵自身が、ここで自分が財政を握れば均衡が崩れると自覚しているで話が進まないのだ。
会議は数日に及んだが、中々結論が出ない。そしてそこに、思わぬ情報が齎された。
「前ロタ王のランベール王が、自分こそが正統なるロタ王と主張しているだと!?」
リファール伯爵の怒声が会議室に響いた。他の者達もざわめく。
「ランベール王はデル・レイにいる。当然、デル・レイもそれを承認しているはずだ」
「では、アルベルド王が後ろ盾になったというのか」
「皇国の副帝が……」
選王侯達の顔が青く染まる。それは、好戦的なリファール伯爵とて例外ではない。
ランベール王がデル・レイに居るのは分かっていた。しかし、表舞台から退場した部外者。その認識だった。その引退したはずの俳優が、突如、現役復帰を宣言したのだ。
ランリエルなどの口車に乗ってロタになど手を出さなければ良かったのではないか。その思いが頭をよぎる。そして、そのランリエルとの交渉を行ったシルヴェストル公爵に視線が集まった。
「お、お待ちを。大丈夫です。何の為のランリエルとの同盟なのですか。ランベール王がデル・レイを後ろ盾にするなら、我らはランリエルを後ろ盾にするまで。ロタ攻めが表向きはバルバールとの同盟とはいえ、ランリエル側と見られる可能性はあった。それを今更、皇国が敵に回るのを恐れてどうするのですか」
公爵は額に汗を滲ませ弁明するが、その効果は公爵が期待するほどではなかった。
「味方の敵は敵。などと小児の理屈を持ち出し、どちらにしろ同じなどと言う気ではありますまいな」
「左様。皇国の敵であるランリエルに助力するのと、皇国の敵としてランリエルに助力を乞うのとでは天と地ほども差がありましょう」
「我が国が、皇国の圧力を正面から受ける事になるのですぞ」
いつもは飄々とする3老侯爵の言葉が激しい。冷たい視線を公爵に向けた。
外交は非情である。皇国の矛先がランリエルに向き、その時にランリエルが不利ならば、あっさりとランリエルを裏切り皇国に付く。ランリエルの味方としての皇国の敵ならばそれが不可能ではない。無論、ドゥムヤータの信用は地に落ちる。しかし、国が滅びるよりはまし。それが外交というものだ。
どうにかして、皇国の矛先をそらさねばならない。
「いっその事……。ロタ王国を放棄するのはどうでしょうか。ランベール王に明け渡すのです」
フランセル侯爵の顔が苦渋に満ちている。侯爵とてそれを望みはしない。多くの血を流し獲得した領土を手放す口惜しさに拳を握り締めた。他の選王侯達とて同じだ。険しい表情ながらも、やむなしと唇を噛む。
「お待ち下さい。皆さん、冷静になって下さい。確かにデル・レイが、ひいては皇国がランベール王の後ろ盾となったのでしょう。ですが、あくまで後ろ盾。我らの後ろに付くランリエルと張り合う覚悟があるのか。今は皇国もランリエルとの戦いを避けている。早まった事はすべきではありません」
確かにその通りではある。そもそものロタ王国侵攻、そしてランリエルのケルディラ侵攻も、今なら皇国が動かないと睨んでの事だ。
「それはそうですが、皇国の体制が整った時、ランリエルに兵を向ける皇国軍の側面を我らが突く。その計画が、皇国の矛先が我らに向いてしまうと言っているのです」
「ですが、今すぐの話ではない。早急に結論を出すべきではありません」
公爵が必死に食い下がる。他の選王侯達とて望んで手放すという選択をしているのではない。そこは公爵とて同じだ。しかし公爵には、更に責任問題が覆いかぶさる。
今回のロタ王国侵攻は、公爵とサルヴァ王子との繋がりから発生している。無論、他の選王侯達の承認は受けているし、彼らは公爵を非難すまい。問題は他の貴族達だ。彼らも公爵が主導してるのを知っている。
戦いには多くの戦費が必要だ。貴族達は、勝てば略奪品や領地が得られると期待し戦いに参加するのだ。無論、負ける事もある。だが、今回は勝ったのだ! 貴族達は、どれほどの利益が得られるのかと期待に胸を膨らませている。それが、勝ったにもかかわらず寸土も領地を得られないとは。彼らがそれを知れば反乱すら起きかねない。ドゥムヤータの選王侯体制が揺らぐ。彼らを宥める為には公爵に責任を取らせるしかない。
どれほどの出費となるのか。ドゥムヤータ屈指の経済人であるシルヴェストル公爵とて破産は免れないだろう。
「ならば……。我らがランベール王をお迎えする。という事ではどうですかな? ランベール王をロタの王座に据え、実権は我らが握る。それでデル・レイと交渉するのです。我らが直接支配するほどの利益は望めませぬが、全てを手放すよりはましなはず」
フランセル侯爵が妥協案を提示したが、他の選王侯達の反応は芳しくない。
「そう上手くいくでしょうか。アルベルド王がランベール王の後ろ盾になっている以上、ランベール王をお迎えすればアルベルド王も相応の権利を主張するはず。こちらにどれほどの権益が残っているのか」
「それに、ロタをランベール王、アルベルド王、そして我らと共同で統治するなら、ランリエルとの関係はどうする。皇国との戦いになれば、何食わぬ顔でランリエルに付くというのか」
「そうなれば、機密を保つのも難しくなりますの……」
「いっその事、ランリエルとは手切れし、皇国に付くというのは……」
「そ、それはいけません!」
公爵とて国家の運営には責任がある。個人の友誼を優先する積りはない。皇国とランリエル。その国力を比べた場合、一度は負けたとはいえ、やはり皇国が頭一つ上だ。だが、それだけでは判断は出来ない。
「貴方がたは、サルヴァ殿下の恐ろしさを分かっていない。確かに国力ではまだまだ皇国が上。我らが総力を挙げてランリエルついてもです。ですが、我らの協力なしにランリエルは皇国軍を破ったではないですか。そこに我らが加われば、皇国軍など恐れるに足りません」
「確かにサルヴァ殿下は皇国軍に勝った。ですが、正面からの決戦ではありません。同じ手が利かなければ、次には皇国が勝つのではないのですか?」
「そうだ。それに、我らが皇国に付いた方が勝算は高いのではないか?」
「それは……」
違う。そうではない。その言葉を吐けぬもどかしさに公爵が唸る。彼らの言い分はもっともなのだ。理屈ではそうだ。だが、理屈だけではない。理屈では勝てぬはずの皇国軍に勝った王子だ。
公爵自身も、前回のロタとの戦いでは王子と対決し勝った。初めはそう思っていた。だが、結果を見れば王子の掌の上で踊っていただけなのではないか。そう思えてならない。勝ったはずが、いつの間にか逆転しているのだ。その王子の恐ろしさは、実際に対決した者にしか分かるまい。
どうにかして、ランリエル側に留まる方法はないのか。無論、手を尽くしても無理なものは無理。それは当然だ。しかし、文字通り、それは手を尽くしてからだ。
折角、バルバールを出し抜きロタ王リュディガー・サヴィニャックを捕らえたというのに……。
「駄目です! ロタは放棄できない! ランベール王に明け渡すのもです」
そうだ。どうしてこんな単純な問題を失念していたのだ。皇国がランベール王の後ろ盾になるという言葉の衝撃に、思考が乱れていたのか。
「なぜですかな。シルヴェストル公爵」
「なぜも何も、ロタ北部はバルバールが占領している。我らと分割統治しているのです。それで、どうしてランベール王に明け渡すというのですか」
「それは……」
同じく失念した他の選王侯達も言いよどむ。
「我らが制圧している南部のみを明け渡すのでは……」
「それでは、アルベルド王は納得しますまい」
ランリエルがケルディラ東部を占領したのを散々非難したアルベルド王だ。今回は皇国内部の反乱を理由に手を引いたが、再度、干渉してくるなら問題とするはずだ。
「何とかバルバールを説得し、北部も解放して貰う事は出来ませんか? 例えば、バルバールもロタの共闘統治に参加して貰う……。いや、それはあまりにも馬鹿げていますな」
フランセル侯爵が言いかけた案を断念した。ランリエル側のバルバールと皇国が仲良く共同統治など出来るはずがない。
「やはりここは、ランリエル側としての立場を貫くしかありません」
「では、皇国はどうするというのだ!」
リファール伯爵が机を力いっぱい叩いたが、ドゥムヤータから運ばせたドゥムヤータ胡桃で作られた密度の高い机は、軋み一つ鳴らない。
ランリエル側の立場を保ちながら、皇国からの矛先もかわす。そのような手があるのか。
「いっその事、ロタの王族など全て滅ぼしロタ王家など断絶させてしまえ! そうすれば後腐れもあるまい」
「リファール伯爵。それは暴論です。それにデル・レイにランベール王がいる以上、王統は残ってしまう」
「刺客を向かわせ殺す事は出来んのか」
「あまり無茶を仰いますな。そのような事が簡単に出来るならば、この世に戦争などありますまい」
相変わらず選王侯の会議ではリファール伯爵は無茶を言う。誰かが止めてくれるという前提の暴論だ。実際、伯爵家の家裁は大過なく治めているのだ。尤も、本人も計算しての事ではなく、無意識の甘えのようなものだ。
「そうだ……。違う。逆だ」
「どうなされたのですかな? シルヴェストル公爵」
はっとした顔の公爵に、フランセル侯爵が言葉を向けた。
「アルベルド王は、我らに捕らえられたリュディガー王の王位は効力を失ったから、ランベール王の王位が正統だと主張しているのですね?」
「ええ。その通りです」
王権を失った王は王ではない。過去にも王が敵に捕らえられ、多額の身代金が要求されたがその王を廃嫡し、新たな王を立てて乗り切ったという事例がある。そして価値が減った元王の身代金を減額させ助け出したという。その後、その元王が、王座に返り咲く事はなかった。
「リュディガー王に、ロタを返すのです」