第193:忠孝
ロタ王都陥落を見届けデル・レイに入ったブランら一行は、その名声もあり賓客として迎えられた。隊員は下級騎士にいたるまで上級仕官用の宿舎を宛がわれ、本国に居る時にはお目にかかれなかった上等な酒と料理に舌鼓を打った。
近頃ではデル・レイに帰国せず皇国にて職務を行う事が多いデル・レイ王アルベルドだが、虎将ブラン帰順の報告に、まるで敵襲を知らせる早馬かのような強行軍を見せた。
自ら白馬にまたがり駆けたアルベルドは、愛馬まで埃だらけだ。身に受けた砂塵すら落とさずブラン、リュシアンらを謁見の間に呼び寄せた。彼よりも、用意された真新しい衣服を身に着けるブラン達の方が小奇麗なほどである。無論、アルベルドの左右にならぶ文官、武官達はさらに着飾っている。気まずさに、身に着けた装飾品をそっと隠す者も居た。
一番の権力者が一番小汚いという奇異な状況の中、それを微塵も気にした様子のない王の声が響いた。
「ブラン殿の勇名は聞き及んでいる。この世に稀に見る武勇の持ち主とか。その勇者を我が国にお迎えし、これ以上の喜びはない。我が国の騎士達も、貴公に敬意を払いこそすれ、他国者と蔑む者などおらぬ。存分に働いて貰いたい。我が国には先のロタの内乱では貴公の主と争った、前ロタ王ランベール殿もいらっしゃる。お互い気まずいところもあるだろうが、ランベール殿も度量の広いお方だ。今更、過去を蒸し返したりはすまい」
確かにブランの勇名は貴重だ。実質的な戦力としては勿論、その名だけでも影響力は大きい。アルベルド自身の演出もある。埃まみれの姿でブランらと謁見したアルベルドは、それほどまでに人材を大事にするのかと更にその名声を高めるだろう。
それに対しブランが口を開いた。弁舌に優れぬ彼だが、口上はリュシアンと打ち合わせてある。
「お言葉、光栄の極みなれど、我らはアルベルド陛下にお仕えする為にデル・レイに参ったのではありませぬ。アルベルド陛下が前ロタ王と称されたランベール陛下こそを、真のロタ王としてお仕えするのがロタ騎士としての使命と考え馳せ参じたので御座います」
言い終えたブランの表情が硬い。激すれば意外と饒舌な彼だが、冷静な時の彼の舌は今の表情ほども硬いのだ。事実、並みの戦場に出る以上に緊張していた。
その様子に、リュシアンは浮かびそうになる笑みを何とか皮膚の下に押し留め、口上を引き継ぐ。全てリュシアンが喋ればよさそうなものだが、ブランが隊の顔だ。初めくらいはブランが表に出なくてはならない。
「無論、隊長であるシャルル・ブラン以下、我ら独立騎兵連隊の隊員一同、何の面目あって、と羞恥を感じぬ訳ではありませぬが、その羞恥こそが私というもの。公の立場に身に置けば、恥を受けてでも正しき道に帰るべきと考えたのです」
これは流石のアルベルドにも予想外の答えだ。ブランは、前ロタ王と現王リュディガー・サヴィニャックとの決戦の勝敗を決定付ける活躍をした。実質的に、前王を追いやった張本人だ。それが、まさかその前王に仕えると主張するとは。
本気なのか? アルベルドは意外そうな顔を隠そうともしない。
「リュディガー王は、貴公らの主。主の為に尽力するのは当然だ。だが、ならば最後までリュディガー王に仕えるか、そのリュディガー王を見限るにしても、あえて自ら王位を追いやったランベール王に仕える事もなかろう」
「お言葉、尤もで御座いますが、我らは騎士として、人の子として忠孝の道に準じる所存。忠孝の道を考えた末、ランベール陛下にお仕えするのが筋と考えました」
「ほう。しかしその忠孝とは、誰に対してのものだ? リュディガー王かランベール王か。私には、そのどちらの道にも外れているように思えるが」
リュディガー王に殉じるならば、グレイスとの約束には反するが、ロタ王都にいる王と合流する手もあった。ランベール王に尽くすならば、そもそも内乱時に馳せ参じるべきだった。
ブランらを配下に加えたいアルベルドだ。ここで、不必要に非難すればその機会を失いかねない。しかし、このブランから引き継いで喋っている男は、前もって理論武装しているとアルベルドは見た。この程度の指摘は予測済みのはず。自分の疑問は他者も疑問に思う。今後の為にも、晴らしておくべきだ。
そしてその読み通り、リュシアンの口舌に乱れはない。
「無論、忠孝はお国に尽くすのが本分。ですが、忠を尽くすも、孝を尽くすも、順というものが御座いましょう。士が、お国に忠を尽くす為と主に従わず、子が、お国に尽くす為と父、母に反すれば、世の秩序が乱れまする。主に従うがお国に忠するにつながると、父母に準ずるがお国に孝するにつながると、信じて尽くすが忠孝の道ではありませんか」
「なるほど。確かに」
アルベルドが笑みを浮かべ頷く。
「先年の内乱では、我らの主はリュディガー王で御座いました。主に忠するがロタの為と信じておりました。これは騎士として当然。それを不明となすならば、何に従えば良いのか。世の騎士達は、その光を失いましょう」
リュシアンの言い分は、自身に都合の良いものではあったが、それはアルベルドにとっても都合の良い主張だった。逆に、リュシアンの言葉を否定する方が支障がある。偶然ではあるが、ブランらに取っては幸運だった。
リュシアンの台詞は豪華に飾られてはいるが、その装飾を取り除けば、とにかく目の前の上司の言う事を聞け、というものだ。副帝という地位を新設し、強引に皇国の権力を握ったアルベルドだ。これからも強引な手段は必要である。とにかく副帝アルベルドを信じ、尽くせというのは都合がいい。
アルベルドが頷き、先を促す。
「しかし、そのリュディガー王がドゥムヤータに捕らえられた今、我らは忠孝を示す道を失いました。そして改めてロタ王国に忠するには誰にお仕えするべきか。考え抜いた結果、ランベール陛下にお仕えすべきと判断したのです」
「それは何故だ?」
「リュディガー王はドゥムヤータに降伏し、ロタは事実上滅亡した。そうとも考えました。しかし、このデル・レイにはランベール陛下がおわします。ランベール陛下をロタにお迎えする事がかなえば、ロタは再建できる。それを目指す事こそが、ロタ王国への忠孝の道と考えたのです」
ランベールをロタ王に、か。アルベルドが顎に手をやり思案する。手札としては悪くない。実際、それを行うにしてもアルベルドの協力は不可欠。つまり、いつその手札を切るかの判断もアルベルドが握っている。そして切らない判断も。
リュディガー王からランベール王を預かった時、賢王と名高いアルベルド王ならランベール王を利用してロタに介入したりはすまい。そう世論は考えていた。世論を味方に付けるアルベルドには重い足枷だ。それが、両王の決戦時に大きな働きをしたブランらが自らランベール王が真のロタ王と主張すれば、その足枷から解き放たれる。
「貴公らの主張。あい分かった。貴公らを我が臣に迎える事が出来ず残念ではあるが、貴公らの意思を尊重しよう。改めてランベール殿にお仕えし忠義に励むが良い」
ブランの武勇を直接の部下として使えぬのは痛手だが、戦争を政治の一部としか見ないところは、サルヴァ王子以上のアルベルドだ。リュシアンの主張を飲めば、ロタへの侵攻の大義名分となる。以前はロタと同盟しランリエルに対抗していたはずが、これも時代の変化というものだ。
尤も、アルベルドは、リュディガー王のロタ王戴冠を支持してきた。今更それを覆しては、対外姿勢に芯がないと信用を損なう。その為の理論武装も必要だった。
「リュディガー王は多くのロタ貴族の支持を得て戴冠したものである。その王位は正当である。それは揺ぎ無いものだ。しかし、それによって前ロタ王ランベールの王位が無効となるものではない。そして今、リュディガー王がドゥムヤータに捕らえられた。王としての職責を果たせぬのは自明の理。次の王もドゥムヤータに操られる者となろう。そのような王位こそが効力を失ったと見るべきである。ならば、前ロタ王ランベールに復権して頂くが筋というものだ」
アルベルドはそう主張し、こうしてデル・レイの外交方針は転換されたのだった。
前ロタ王ランベールに仕える事をアルベルドから承認されたブラン達だが、根本的な問題がある。当のランベールがブランらを召抱えるかだ。尤も、そこは実はリュシアンも心配していない。
現状、ランベールはアルベルドに’飼われている’のだ。その意向には逆らえない。しかも、ブランらの主張で、一生飼い殺しの未来から、ロタ王に復権の芽も出てきた。それを、ここでブランらを拒絶すれば、彼自身の未来を閉ざす。
しかし、はい、そうですか。では済まぬ者達がいる。そしてランベールもその者達を無碍には出来ない。ランベールに従いデル・レイに落ちて来たロタ貴族達である。
内乱に勝利したリュディガー王もランベールに従った貴族達を全て討伐したのではない。貴族達の血縁は複雑に絡み合い、親族同士で敵味方に分かれた者も多かった。サヴィニャックについた親族に泣き付けば、爵位は降格され、領地も削られるがロタ貴族として国内に残る事も可能だった。ランベールについた貴族達の多くはそうして国内に留まった。しかし、領地を捨ててでもランベールについて来た者もいるのだ。
もし、ランベールがロタ王に復権するならば、彼らこそが、その忠誠の見返りとして高位高官を占めるべきなのだ。それは当然の主張だ。世の多くは凡人である。その凡人の長年の努力と献身を無視し、天才が現れたからお前達より優遇する、では組織は成り立たない。
それを、一旦はサヴィニャックについたどころか、ランベールを王座から追い落とした張本人達が、高位を得るなど許されるものではない。ランベールへの謁見の前にブランとその副官リュシアンを取り囲んだ。彼らのブラン達に向ける視線は氷点下の冷たさである。
「お主達、よくもおめおめと顔を出せたものよ。王の軍勢の忠義の将兵をその手にかけたのを、よもや忘れたのではあるまいな」
確かに、敵味方に分かれて戦ったという事は、相手を殺したという事だ。そして、一際、鋭いというにも物足りぬ視線でブランを射抜く男がいた。髪に白い物が混じった初老の男で、ブランらの父親といってよい世代だ。
「お主は、我らとの戦いで何人殺した?」
「殺した人数を数えるほど、悪趣味ではない」
ブランはその激しい視線に顔色一つ変えない。
「お主が覚えておらぬ、何人目かに殺した騎士が、わしの息子だ」
これは流石に不味いか。リュシアンは思案したが、ブランの表情は変わらない。そしてリュシアンにはブランの返答が予測できた。その予測通りの言葉の半分をブランが吐く。
「木の股から生まれたのでなければ、戦いで死んだ者は全て誰かの息子だ。珍しいものではあるまい」
自分の息子だけ特別だとでも思ったか。とまでは言わなかったのは、ブランにしては上出来だ。
まったくブランのいう通りなのだが、人の感情は理屈ではない。それはブランにも分かっている。リュシアンやアレットが死ぬのと、他の者が死ぬのを同じには感じない。ただ、別の者には、リュシアンと他の男も、アレットと他の女も同じ。それも分かっている。
王に付き従った軍部の重鎮といえば……。リュシアンは頭の中の人物一覧をめくり一つの名を探し当てた。グレゴワール・ヴァレス伯爵。国王を警護する部隊の隊長だった男だ。噂では、その能力を高く評価され、再三昇進の内示を受けたにも関わらず、王と離れるをよしとせず断り続けたという。
国王警護といえば花形部署。そこから出世し将軍になる者も多い。将軍閣下が、実はヴァレスの元部下という話も珍しくはないのだ。
それを知らぬ軍に入ったばかりの大貴族の子弟が、国王警護とはいえ所詮は一部隊の隊長とヴァレスを侮辱した。ヴァレスは若造の戯言など聞き流したが、それを目撃した者が将軍閣下達の耳に入れたのだ。翌日、顔に幾つかの痣を作り、その代わりに幾本かの歯を失った若造はヴァレスに跪いて謝罪した。
内乱時にはその将軍達も多くは敵に回ったが、戦場では顔を合わせるのを恐れヴァレスから逃げ回っていたという。ヴァレスが王と共にデル・レイに落ちると聞いて、ほっとした者も多かった。
そのヴァレスが、いわゆるロタ王家亡命政権の軍部の重鎮となっている。衝突は避けたいところだ。
改めて見ると亡命貴族達もブランを睨んでいるが、それは憎悪の視線というより威嚇に見えた。ヴァレスを前面にブラン達を攻撃している。体格や雰囲気から武人には見えない。文官か、戦場では味方の後ろに隠れている手合いなのだろう。
「ヴァレス殿の御子息を殺した挙句、ぬけぬけと顔を出すとは、お主は恥というものを知らぬのか」
本当は、王を裏切った挙句と言いたいところだが、それは彼らの飼い主であるアルベルドが認めてしまっている。
「アルベルド陛下のお口添えもある故、追い払いはせぬが、立場というものをわきまえよ」
「いくらランベール陛下やアルベルド陛下が御寛大なお方とはいえ、それを当然と思うは、勘違いも甚だしいというものよ」
「多少は名が知られているらしいが、ここでは大きな顔が出来ると思うな」
戦わぬ者ほど、相手の怖さが分からず強く出る事もある。味方である以上、武力に訴えるはずがないという読みもある。ブランの素手の一振りで吹き飛ぶような者達が泡を飛ばしわめく。
ブランは、まるでそれが聞こえていないかのようだ。視線をヴァレスに向けたままで、むしろヴァレスの方が貴族達の声がわずらわしいのか、険しい表情になっていく。
「各々方、静まられよ」
ヴァレスの苛立ち混じりの声が重く響いた。それは大きなものではなかったが、質量があるかのように貴族達の口を塞いだ。
「お主が息子を殺したのを責めるつもりはない。息子を殺した男が、どの程度の男か知りたかっただけだ」
「そうか」
ブランの返答は短い。リュシアンの予想だと、俺をどう見るかなど知った事ではない、と続きそうなものだが、やはり、ブランなりに思うところがあるらしい。尤も、軍の重鎮に対し、そうか、だけしか返答しないのも十分に無礼ではある。
「軍の重鎮たるヴァレス殿に無礼であろう」
早速、予想通り貴族の一人が噛み付いた。この者も、落ち目の王を見捨てぬだけあって忠義の心は篤いのだろうが、残念ながら忠義の篤さと知性の深みは比例しないらしい。自身の主張なく、ヴァレスの尻馬に乗るだけだ。
「静まられよ」
ヴァレスの声が、今度は僅かにゆっくりと、そして強く響く。それだけで、喚いていた貴族は肝を冷やし顔が青い。
ヴァレスの視線がブランを捕らえている。激しいものが消えうせ、その代わりに引き付けるものがあった。ブランの視線と交わる。お互いの瞳に気負いはない。それは静かに、しばらく続いた。
「私は、これで失礼致す」
ヴァレスが突然言った。
貴族達に顔を向け、その実、誰にも視線を合わせず目礼する。突然の退出に貴族達はあわてている。それを気にせずヴァレスが扉へと向かった。扉に手をかけ、そこで足を止めた。
「どうせお主は覚えてはあらぬであろうが、お主が息子を殺した時、息子は前を向いていたか背を向けていたか」
「ああ、覚えてはいないな」
「で、あろうな」
ヴァレスの足が部屋の外に一歩踏み出した。
「だが」
その足が止まる。
「俺は、俺を殺そうとする者を生かしてやるほどお人よしではないが、逃げる者は殺さぬ。お前の息子が俺に殺されたというなら、それは俺と戦ったという事だ」
「前を向いていたか」
言葉と共に扉が閉じられた。その短い言葉が、僅かに震えていた。