第192:王位の行方
長引いていた皇国の内乱が、遂に終焉を迎えた。副帝となったアルベルドは財政難を理由に大軍を動かさなかったが、ここに来て更なる動員を行ったのだ。
しかし、その命令は衛星国家全てにではなく、バンブーナ一国だった。
「バンブーナがタランラグラの地でランリエルと戦い敗れ財政が苦しいのは重々承知。しかし、ならばこそ名誉挽回の機会と思って頂きたい」
アルベルドはそうバンブーナ王に要請した上で、財政が耐え兼ねるというなら拒否して頂いて結構、とまでの配慮を見せたが、ベルグラード、バリドットの現状を思えば断れるものではない。
アルベルドを副帝として敬うべきか、同じ衛星国家の王として対等という態を保つべきかを考えあぐねたバンブーナ王は
「いえ、我が国は皇国に忠実たるを信条としておりまする。その命に応、以外の言葉は持ちませぬ」
と、アルベルドではなく皇国の命令に従うのだという態度を貫いたのだった。
だが、財政が厳しいのも事実。そして戦費の負担を軽くする方法は多くはなく、その1つを命じた。
「被害などいくら出ても構わん! ベルグラード、バリドットを早急に落とすのだ!」
戦死者の補償などない時代だ。いくら兵が死のうと戦が早く終われば財政への負担は少ない。討伐軍の司令官となった総司令のチュエカは、少なくとも表面上は顔色を変えずに王の前に跪いた。
「謹んで拝命いたします」
この人選も若干の紆余曲折があった。全ての戦いに総司令が出陣するものではない。今回も別の将軍を討伐軍の司令官にという声もあった。バンブーナ軍部も一枚岩ではなかった。チュエカの後釜を狙う勢力もあり、ここで手柄を立てればチュエカを追い落とすのも可能だ。
タランラグラ戦では、負けて逆に名声を得たチュエカだが、負けは負けである。ここで彼に次する者が華々しい武勲を立てれば、チュエカは勇退。その者が新総司令、という線が濃厚である。
「冗談じゃない」
まだ働き盛りのチュエカだ。髪の毛が真っ白になるか、禿げ上がるまで総司令の席に居座り、その後、軍務大臣を歴任し、引退してからは悠々自適の生活。それが彼の人生設計である。ここで勇退などしては、その後の計画に支障がでる。現軍務大臣は若くはないが老齢という訳でもなく、後10年は居座りそうなのだ。総司令の座から退くならば、軍務大臣が引退する時に合わせなくてはならない。
「皇国に敵したとはいえベルグラード王もバリドット王も、元は我が主と同じく衛星国家の王。それを討つにしても、それ相応の礼を尽くすべきだろう。軍の最高位を持って、その任に当てるべきである」
討伐軍の司令官を選定する会議でチュエカはそう主張した。無論、ここでいう軍の最高位とは実働部隊の、という意味であり、チュエカ本人である。
チュエカを追い落とそうとする者達も簡単には引き下がらなかったが、身分意識の高い時代だ。チュエカの主張を覆すに至らず、総司令のチュエカが自ら討伐軍の司令官となったのである。
それ故、被害は幾ら出ても良いという命令に辟易しながらも、その命に従ったのだ。ここで、王命に逆らおうものなら、ならば私が出陣致しますと、他の者が手を挙げる。
バンブーナ軍を率いたチュエカは、まずバリドットにその矛先を向けた。理由は単純にバンブーナから近いからだ。軍事とはどこまでも現実である。奇想天外は不要だ。軍勢の動きは水の流れにも例えられる。水が高きから低きに流れるように、軍勢の進軍も自然であるべきだ。
とはいえ別の現実もある。皇国を縦断し一直線に進んだ方が早いのだが、衛星国家の軍勢は無闇に皇国に足を踏み入れるべきではない。という不文律があった。チュエカ率いる5万のバンブーナ軍は皇国の周囲をカスティー・レオン、ブエルトニスと迂回して進みバリドットに辿り着いた。
バリドット王国軍は国境に近い要衝を固め、皇国と衛星国家の連合軍から頑強に抵抗していたが、バンブーナの大軍に動揺した。少ない皇国側の動員に、最終的には許されるのではないか。それまで持ち堪えれば、そう考え、心の支えにもしてきた。それが、どうやら皇国は本気でバリドットを潰しにかかっている。
「ど、どうしたらいいんだ!? 皇国に本気になられたら終わりだ!」
「こうなったら最後の一兵まで戦うぞ!」
「俺は死にたくない! 故郷を捨ててでも逃げる! 死ぬよりはましだ!」
玉砕の決意を固める者もいたが、戦意を喪失した者も多い。
そしてある日の朝。多くの者が逃げ出したのに気付いた玉砕派の面々は顔を青くした。自分は死ぬが生き延びる者がいる。その現実に、戦意が低下するのもやむを得ない。そしてそこに、バンブーナ軍は思わぬ行動に出た。
要害に立て篭もる彼らを尻目に、元からいた皇国の軍勢に抑えを任せ自分達は素通りしたのである。無論、そもそも国境を全て固めるのは不可能。物理的には今までも彼らを無視しての通過は可能だった。しかしそれをしては、バリドット国内奥深くに進撃してから補給を絶たれ、後ろから攻撃されかねない。それは自殺行為である。だが、チュエカはそれをした。
そして要害に立て篭もったバリドット兵達は、バンブーナ軍の補給を絶たず、背後を討つ事もなかったのである。
玉砕覚悟の彼らだったが、それはあくまで受身。諦め、という後ろ向きの考えである。敵が攻撃してくるなら玉砕だ! という覚悟を発揮するが、自ら出撃し敵の背後を討つという積極的な行動には出なかったのである。
そしてそれは、バリドット王都の攻防戦にも影響した。国境の要害をバンブーナ軍が素通りし、バリドット兵達も手を出さず見送ったという現実は、王都を防衛する軍勢にも、もはや抵抗は無駄だという認識を持たせるのに十分だった。
しかも、皇国とその衛星国家に刃向かう者などいる訳がない。その信仰の元、皇国、衛星国家の都は防衛を想定されていなかった。正確には、かつては敵襲を想定し、都の外郭、内部の各地に防衛目的とした建築物があったのだが、人口増加による王都の再開発時に、我らに敵対する者など居るはずなし! と、ほとんどが破棄、または放置された。皇祖エドゥアルドがそれを知れば、墓穴から這い出し、当時の王の首を刎ねたであろう。
こうして易々と王都に突入したチュエカ率いるバンブーナ軍は、敵兵の士気が低い事もあり瞬く間に王城の門も突破し城内に雪崩れ込んだ。あっけなくバリドット王城は陥落したのである。
簡単にバリドットを落としたかに見えるチュエカだが、初めの国境の要害を馬鹿正直に攻めていれば、状況は全く違っていた。バリドット兵達は玉砕するまで抵抗し、バンブーナ側にも多くの被害が出ていた。王都の兵達も、国境の仲間が玉砕するまで戦ったのを知り、頑強に抵抗していたはずだ。
タランラグラの敗戦時に見せた行動で兵達の心を掴み地位を保ったチュエカである。兵達の心情を読むのは、彼の得意とするところだ。バリドット兵の心の動きも彼には読めていた。チュエカの判断が、バンブーナ軍を大勝利に導いたのだ。
尤も、チュエカにも幸運があった。ランリエル討伐にも参戦したバリドット王国軍総司令が、バンブーナ軍が到着する前の戦闘で流れ矢により負傷し、国境付近の前線に不在だった。王都の防衛では傷をおして戦場に立った彼だが、士気の低下という現実に、劣勢を覆す事が出来なかったのである。
そしてバリドット陥落の報に、ベルグラード王国軍は更なる士気の低下に悩まされた。それどころか、ベルグラード王国軍総司令アディス自身が戦意を喪失していた。無論、彼は無能には程遠く有能な軍人である。
それ故に
「バンブーナに勝ったところで先の展望がない」
そう認めざるを得なかった。
皇国の動員の少なさに、いずれ許されるのではないか。その希望に縋っていたのだ。それが消えた今、今回バンブーナ軍を追い払っても次が来るだけだ。ベルグラードが皇国から遠く離れた僻地にあるなら話は別だが、現実は皇国の隣国。皇国がベルグラード討伐を諦めるはずはなく、永遠に守りきれるはずもない。
彼は前線から取って返し王都を目指した。国王に謁見すると降伏するように訴えたのだ。しかし、そもそも命惜しさに皇国への抵抗を始めたベルグラード王だ。今更、降伏して自分の命の変わりに家臣、領民には寛大なご処置を! などという自己犠牲の心は発揮しなかった。
「貴様! 取り立ててやった恩も忘れ、我が身惜しさに主の首を差し出すか!!」
王は激昂しアディスの首を刎ねよと命じたが、周囲の者達に宥められ、牢獄に入れるに留めた。だが、冷たい石畳の牢に毛布もなく寝転がったアディスの呟きを聞いた者は居なかった。
「首を落とすと言われた時は肝を冷やしたが、何とか上手くいった。これでベルグラードが陥落した後、無謀な王を諌めたと厚遇されるはずだ。最低でも命は助かる。これが未来への展望というものだ」
こうしてバリドットに続き、ベルグラードもバンブーナの軍勢が到着する前に有能な総司令を欠く事となったのである。
共に抵抗していたバリドットが陥落し、総司令も失ったベルグラードの将兵の士気は、飛ぶ鳥が気絶したかのように急落した。特に、アディスが降伏を進言しても王が拒否した事により、将兵達の間で、王は我らの事など露ほども憂いず! との声が高まった。新たに任命された総司令がいくら奮起を促しても、どうなるものでもなかった。
ベルグラードは、特記すべき事もないほどあっけなく陥落した。歴史書にもベルグラード陥落、とそれのみが記されるだろう。牢獄から助け出されたアディスは、降伏したベルグラード将兵の管理を任された。その後、新たなベルグラード王の元で、総司令に再任されるだろうという噂もある。
2ヶ国を短期間であっさりと攻略したチュエカは、タランラグラの敗戦の汚名を返上して余りある武勲を立てたが、しかし、事はそれではすまなかった。
「色々とやってくれるもんだな」
バンブーナに帰国後、執務室で戦後処理の書類の山を相手にしていたチュエカが一息つき零した。山といっても実際は拳の高さほどだが、枚数に換算すると気が遠くなる。
彼は今回の戦いで前回の敗戦を補って余りある名声を得た。タランラグラでサルヴァ王子に負けたのも、妙な奇策(妙でない奇策があればだが)にかかっただけ。尋常の勝負ならば王子にも勝るのではないか。そう称えられるほどである。だが、それと同時にある悪しき異名も密かに広まっていた。
王殺し。
計画では、バリドット王、ベルグラード王共に生かしたまま捕らえ、皇国に移送するはずだった。それが、ベルグラード王は陥落時の混乱に、それが王と知らぬ兵士によって殺され、生かして捕らえられていたバリドット王も、その数日後に軟禁されていた部屋で冷たくなっているのが発見された。正面から一刀の元に切り殺されていたという。調査の結果、特に逃げた形跡もない事から、王を殺害した者は警護の兵の振りをして近づき、いきなり切りかかったのだろうと推測された。
本当にそうなのか? 偽の兵士ではなく、本物の兵士だったのではないのか。ベルグラード王は本当に王と知らずに殺されたのか。本当は王と知っていて殺したのではないのか。しかも、バリドット王を殺害した者も、ベルグラード王を殺した者も、いまだ見つかっていないのだ。
そして、その黒幕がチュエカなのではないか。そのような声が密かに囁かれ始めたのだ。
どうやら俺を追い詰める気らしいな。
以前、副帝となったアルベルドからの使者に、バンブーナ王になれと示唆された。しかしチュエカはそれに気付かぬ振りを貫き韜晦した。そして今回のバンブーナを名指しした出陣要請。アルベルドは、タランラグラの敗戦の名誉挽回と称したが、アルベルド自身が言った通りバンブーナの財政は苦しい。真にバンブーナを憂うならば出兵要請などすまい。
裏があると考えるのが自然か。
そう、それが自然なのだ。バンブーナ王になれと示唆された事を知っている者に取っては。そしてそれは当のチュエカのみである。
その時、規則正しく扉が3回叩かれた。
「入れ」
返事と共に音もなく扉が開かれ、彼の従者が現れた。なかなか整った顔立ちの青年でチュエカも気に入っている。同性愛の趣味などないが、見栄えが良い方が良いに決まっている。尤も、これはチュエカが己に自信があるからだ。自信がない男ならば、己より美男子の部下に、妬みの感情を持つ事もある。
「閣下。アルベルド副帝陛下から、御戦勝祝いの使者が参っております」
狙いすましたような使者に、チュエカが小さく噴出した。やはり、相手も悪評を流したのが自分達の仕業と隠す気はないらしい。
「如何なされたのですか?」
従者は怪訝そうな顔だ。
「いや、何でもない。お通ししろ」
「はっ」
釈然としない顔ながらも忠実な青年は命令に従い、ほどなくしてアルベルドの使者コルネートが扉を潜った。相変わらず若々しいが、実際はチュエカより年上のはずである。
「お久しぶりです。チュエカ閣下」
そういって童顔の使者は右手を差し出し
「お久しぶりです」
とチュエカも応じる。とはいえ、実際は、久しぶりというほど久しぶりではない。型通りの挨拶だ。双方、細かい事は気にしない。
「今回の戦では、まことに見事な御働きで御座いました。アルベルド陛下も閣下が優れた軍人であるとは知っていたが、これ程とはと、驚きを隠せぬ御様子でした」
「運が良かっただけですよ。バリドットの総司令が前線に不在でしたからね。彼が前線に居れば兵達の動揺も抑えられ、こうは順調に行かなかったでしょう。バリドットで手こずればベルグラードも簡単には落とせなかった」
「いやいや、御謙遜を」
「事実ですよ」
実際、謙遜ではなくチュエカはそう考えていた。尤も、バリドットの総司令が前線に居たら居たで、他にやりようはあったとも考えている。
「それで今日は何の御用でいらっしゃったのですかな?」
「取次ぎの方にお伝えしたように、アルベルド陛下からの御戦勝のお言葉をお伝えに来たのです」
「なるほど。先ほどのお言葉の事ですな。ならば、もう用は済んだという事ですか。それでは、アルベルド陛下には、陛下のお言葉、チュエカが光栄に思っていたとお伝え願いたい」
その顔に皮肉なものが浮かぶ。チュエカの悪評を流しのはアルベルドの指示によるものだろう。味方になるしかないように、チュエカを追い詰めようというのだ。
なかなかえげつない手を使ってくれる。と、その瞳が怪しく光りコルネートを捕らえた。
単にチュエカの悪評を流したという事ではない。ただその為だけに国王2人を殺したのだ。しかし、コルネートも悪びれない。
「それはつれない。折角久しぶりにお会いしたのです。酒でも酌み交わし交友を深めようではありませんか」
さて、深めるものは友好なのか、それとも別のものなのか。そう考えながら、チュエカは酒席の用意をさせる為、整った顔立ちの従者を呼ぶ。その呼び鈴を鳴らしたのだった。