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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
282/443

第191:合意

 これはさすがに本心では無い。ベルトラムの気負いない視線を受け止めつつ王子はそう判断した。


 現在はランリエルに抑えられているが、コスティラは元々兵力10万を数える大国。それにケルディラの中部と東部を加えれば一大勢力となる。ベルトラムの勢力をゴルシュタット、リンブルク、そしてケルディラ西部をふくめて考えても、それを上回るのだ。


 しかも、クウィンティラ王国再建を目指し、コスティラ人、ケルディラ人が手を組めばベルトラムに地の利は無い。ケルディラの巨人達は兵士でない者でも侮れない。ケルディラ西部の各地で、屈強な男達が反乱を起こし抵抗するのだ。ケルディラ西部を抑えるだけでも多くの兵をはり付けざるを得ず、その上でコスティラの侵攻を抑えるのは難しい。


 ベルトラムも優れた武人だが、優れている自分なら、その程度の不利は覆して見せる。などとは考えてはいまい。自分は優れているから勝てると考えるなど、それこそ無能の証明だ。敵にも優れた者はいる。しかもどこに隠れているか分からない。軍隊とは組織だ。大将が無能でも、一人の優秀な幕僚の存在がその軍勢を強兵と変えることもあるのだ。


 最大限、戦力で勝る状況を作ることを考え、寡兵で戦うのはやむを得ない時だけ。それがまともな軍人というものだ。自ら寡兵で大軍に挑むなど、無能を通り越して狂人である。


 ゆえにベルトラムの言葉は虚言だ。そして、王子は悟らざるを得なかった。ベルトラムの精神の巨石は突き崩せない、と。


 サルヴァ王子は自分と敵対出来ない。その原理原則から絶対にぶれない。ベルトラムの態度もそれを踏まえてのものだ。サルヴァ王子の挑発を、のらりくらりとあしらう。それだけで良いと考えていた。この大陸に君臨する、大皇国の軍勢を打ち破った覇者に対してである。


 無論、ここで我を通してケルディラ西部を得て、ランリエルと手を組んで皇国を滅ぼせばその後はどうなるか。その時こそ、強烈なしっぺ返しを食らい、ランリエルに滅ぼされないのか。ベルトラムはその危険を考えないのか。


 考えてはいるだろう。考えねばそれこそ阿呆である。考えた上での、サルヴァ王子へのこの対応なのだ。


 ランリエルと共に皇国を打倒し、漁夫の利を得てランリエルに対抗できるの勢力を作る算段か。また別の策があるのか。そこまでは王子にも読めない。だが、無策では断じてないはずだ。


「なるほど。流石は2ヶ国王とも呼ばれるベルトラム・シュレンドルフ殿。対した御覚悟だ」


 現時点では、ベルトラムに軍を引かせるのは難しい。ゴルシュタットによるケルディラ西部の占領を認めつつ認めない。それが落とし所だ。


「だが、クウィンティラではなく、我がランリエルと対峙する御覚悟はおありか。確かに我が軍もいまだケルディラ中央部を制したとは言い切れぬ。即座にゴルシュタット軍と事を構えるのは難しい。ベルトラム殿もそれを見越しての強気であろうが、中央を抑えたならば、その限りではないぞ?」


 即座ではないとはいえ、ゴルシュタット軍と戦うと明言したようなもの。双方の幕僚達に緊張が奔る。ムーリのみ一瞬王子に視線を向けた。ベルトラムの表情は変わらない。


「サルヴァ殿下には、何か誤解があるようで御座いますな。我が方は、ケルディラ西部の支配を認めて頂きたいと申して居るまで。ランリエルと敵対するなどとんでもない」


 この期に及んで引くのか? 緊張していたランリエル側の幕僚達にあざけりの色が浮かぶ。それには、僅かながらに安著の成分も含んでいた。


「ただ……」


 言いつつ、あざけりを浮かべるランリエルの幕僚達を一瞥する。


「そちらから攻めてくるというならば是非もありませぬ。矛を並べ迎え撃つまで」


 あざけりの表情のまま幕僚達が固まった。サルヴァ王子は探る視線をベルトラムに向けながらも表情は変わらない。


 サルヴァ王子とベルトラムとの間で言外の会話がなされていた。それを察したのは、ベルトラムの幕僚には誰一人いなかった。ランリエル側でもムーリが微かに不自然さを感じているのみ。それも、王子がベルトラムと手を組むのを望んでいる事をムーリが知らないのを考えれば、流石はランリエル軍の宿老というべきだ。


 だが、ゴルシュタット側に1人、気付いている者がいた。ゴルシュタット側として一席を与えられているが、ベルトラムの幕僚ではない男。リンブルク王ラルフ・レンツ。ルキノである。


 政治的な駆け引きの素養は無い彼だが、サルヴァ王子から将来の幹部候補として認められた軍事の才は伊達ではない。それに、サルヴァ王子は、ベルトラムとの同盟を望んでいたはず。その予備知識がある。他の幕僚達とてサルヴァ王子に認められた者達。無能ではないが、情報の差は大きい。


 王子はベルトラムと同盟を組む。さらに、ベルトラムからの話もあった。それから導かれる答えは、王子が、ゴルシュタットによるケルディラ西部の占領を、現時点では認めた。というものに他ならない。


 サルヴァ王子とベルトラム。両者の言葉を額面通り受け止めれば、いずれ西部をめぐってランリエルとゴルシュタットは争う。その’いずれ’を先延ばしにする。皇国と戦うまでだ。そして皇国との戦いが終われば、そのいずれは永遠に来ない。


 そこまで道筋を読んだルキノだが、実はそれすらもベルトラムの手の平の上だった。


 皇国の目をくらます為、表向はランリエルとゴルシュタットが争い、その裏で手を組む。この提案が、ベルトラムの一方的なものだとはルキノは知らない。事前に、サルヴァ王子も了承しているものと考えていた。この会談ですら皇国向けの茶番。ベルトラムからは、そうも聞かされていたのだ。


 それゆえ、現時点での領土の線引きは、双方にとって満足のいく終着点。そう考え笑みを浮かべたが、不謹慎かと瞬時に収める。皇国に露見するのを警戒し、幕僚達にも両国が手を組むのは秘密とされている。だが、その笑みを見逃さない者がいた。ほかでもないサルヴァ王子である。そして王子の胸中に疑念が沸いた。


 ルキノは忠実な腹心。今の今までその信頼は揺るがなかった。バルバールとの戦いでは、王子の身代わりに死ぬ覚悟さえ見せたのだ。そのルキノが裏切るなどと耳にすれば、一笑にふす。いや、笑う事すら馬鹿馬鹿しい。


 しかし、サルヴァ王子にとって、現時点での領土の線引きは大幅な譲歩だ。屈辱的といってもいい。それを笑みをもって迎えるとは。ルキノは完全にゴルシュタット側についたというのか。


 いや、笑み一つで、そこまで判断するのは早計だ。ルキノには目をかけ、抜擢もしてきた。裏切るはずがない。しかし……。どれほど目をかけ抜擢しても、一国の王の待遇を与えた訳ではない。ゴルシュタットにつけば、リンブルク王なのだ。


 違う! ルキノはそのような地位に目がくらむ男ではない。騎士の誇りを持つ男だ。主君への忠義は忘れまい。


 忠義とはいわば、それを守る自分。その理想の姿に酔う自己陶酔に過ぎない。だが、己を律するとは理想の姿を持つ事だ。悪党ですら、ひとかどの者なら、悪党としての理想の姿がある。ただ欲望のまま生きる者は、所詮、小者だ。


 ルキノは騎士たらんとし、そのように生きてきた。’騎士’それがルキノの人生の軌跡。それを否定するのは人生の否定だ。


「そういえば。今さらといえば今さらだが、一国の王たるラルフ王に挨拶もまだだった。失礼致した。このサルヴァ・アルディナ、リンブルク王ラルフ・レンツ殿にお目にかかり、喜ばしい限りだ」


 王子が立ち上がり口上を述べた。確かに今さらだが、実は、ベルトラムも名乗っていなけれれば、王子すら今まで名乗ってはいない。リンブルク王が王子の副官に似ているという事で場がざわつき、そのままベルトラムの一言で会談が始まってしまっていた。それには、ランリエル側で一際若く豪奢な甲冑を身につけている王子と、ゴルシュタット側で1人礼服のベルトラムという、双方の代表者が見間違えようがない事もあった。


 しかしそれでも、今まで互いに名乗りもなかったのに気付かなかったのは、ベルトラムに呑まれていたか。王子もそれを認めざるを得なかった。そして気付いてなお、ベルトラムにではなくリンブルク王への名乗りを優先した。ベルトラムの目が、面白げに光る。


「こ、これはこちらこそ名乗りもせず失礼しま、失礼した。リンブルク王ラルフ・レンツです」


 ルキノも慌てて立ち上がる。口上も、リンブルク王としての立場と王子の腹心としての立場で揺れる彼の心を表わすかのように危なげない。しかし、事情を知らぬ者達には、リンブルク王が、東方の覇者を前にして緊張しているようにみえる。ランリエル側から微かな失笑と、ゴルシュタット側から小さな屈辱の呻きが漏れた。


「今は領土で争う間柄だが、それが永遠の敵対を示す訳でもなかろう。貴国と我が国が手を結ぶ日も来るだろう。無論、この問題が片付いてからの事ではあるが」

「はい。確かに」


 王子が手を差し出しリンブルク王の手がそれと重なる。元副官として身近にいたルキノだが、その立場は対等ではなく王子と握手を交わした事はなかった。


 王子は運命という言葉を好まないが、奇異な偶然が重なりルキノがリンブルク王になったのは事実だ。それ以降、幾重にも重なった壁が両者を隔てていた。それがついに手が届いたのだ。両者の胸に熱いものが込み上げた。ルキノの目に微かに光る物が浮かび、王子の顔にも笑みが浮かんだ。


 その光景をベルトラムは冷ややかとも見える視線で眺めているが、彼の幕僚達は苛立ちを隠しきれない。


 王子が今まで名乗らなかったのはいい。それはこちらも同じ事。だが、改めて名乗るなら、まずは、我が主ベルトラム様にではないのか。リンブルク王など所詮、クリスティーネ女王に取り言っただけの男。ゴルシュタット、リンブルクの真の支配者は我が主なのだ!


「サルヴァ殿下。この会談の我が方の代表は、こちらにおわずベルトラム様で御座ろう。それを差し置きリンブルク王を優先するは、ベルトラム様を侮っての事か!」


 我慢しきれずゴルシュタットの武官の怒声が響いた。しかしそれを受けたサルヴァ王子どころか、当のベルトラムにすら苦笑が浮かぶ。


 誰に先に挨拶するかなど些事。ルキノに声をかけたのはルキノの本心を見る為だ。王子もベルトラムもそれは分かっている。


 とはいえ、外交的には無官のベルトラム殿よりリンブルク王の方が地位は上であろう。という台詞がいたずら心と共に頭に浮かんだ王子だったが、流石にそれを実行するほど幼稚ではない。


「これは失礼した。確かにベルトラム殿を差し置いたは我が落ち度。謝罪致す」


 王子が言い。ルキノも慌てて手を引っ込める。王子は平然としたものだが、ルキノは気まずそうだ。


「いや、お気になさらずに」

 立ち上がり制したのはベルトラムだ。


「名乗ずにいたは、私も同じ事。いや、東方数ヶ国を領するサルヴァ殿下へは、私から挨拶をすべきでした。これはむしろこちらの落ち度。どうかご容赦願いたい」


 ベルトラムが深く頭を下げ、怒鳴った幕僚は、他の幕僚達からの冷たい視線にさらされ気まずそうに俯いた。ベルトラムはそれには目もくれず、王子に右手を差し出した。


「改めて名のさせて頂きましょう。ベルトラム・シュレンドルフ。たまたまゴルシュタット、リンブルク両国の王の父というだけで、大きな顔をさせて頂いております」


 謙遜しているように聞こえるが、実際、その言い分はずうずうしいものだ。事実は、たまたま父なのではなく、息子と娘を両国の王と女王に送り込んだのだ。王子もそれに気付いたが、何食わぬ顔でベルトラムに手を差し出す。


 威圧。ベルトラムに手を握られた瞬間。それれを感じた。強く握られたのではない。王子の手を優しく包み込んでいる。だが、びくともしない。真綿に包まれ、鉄の塊に変わったのだ。それは、首筋に剣を突き付けられているかのよう錯覚を王子に抱かせた。


 羽交い絞めにされている訳でもないのに、まったく動けない。こちらが何かしようとした瞬間、右手が握りつぶされる。その光景が脳裡に浮かんだ。


 王子は動かず、ベルトラムも手を離さない。王子の額に微かに汗が滲む。握手にしては長いその時間に、双方の幕僚達が不思議そうに視線を交わしあった。


 腕力一つで人間の格が決まるものではない。しかし、今現在、この場において、王子の生殺与奪権はベルトラムが握っている。右手一つの問題ではない。ベルトラムがその気なら撲殺も可能。ベルトラムの腕力はそれが出来る。


 王子は、剣は腰に帯びていた。ベルトラムは帯剣していない。しかし、剣は左にさし右手はベルトラムに封じられている。左手で無理に剣を抜こうとした瞬間、右手が握りつぶされ激痛に動きが止まったところを殺られる。だが、一か八か――。


「東方の覇者と呼ばれるサルヴァ殿下とお逢いでき、光栄で御座った。名残惜しいですが、これで失礼致す」


 不意に右腕が解き放たれた。ベルトラムの声は相変わらず気負いない。媚も威圧もない。淡々としたものだ。


 右腕が解放された王子は、己の愚かな思考を打ち消した。命を他人に握られる。その心理的圧迫に追い詰められていた。冷静に考えれば、ここでベルトラムが王子を殺しても、それは心中だ。王子を殺せても、ランリエル側の幕僚達が剣を抜き放ちベルトラムは串刺しだ。ここで殺し合いなど馬鹿馬鹿しい。


 しかし、ベルトラムに’かまされた’のは事実だ。王子の背が冷たい汗で濡れていた。所詮は腕力。軍略の差でも知能の差でもない。ましてや国力の差では決してない。しかし、あの瞬間、ベルトラムは間違いなく圧倒的な強者だった。


「私も、2ヶ国王と呼ばれるベルトラムとお会いでき有意義だった。いずれ酒でも酌み交わしたいものだ」

 ベルトラムに言い、次にルキノに目を向けた。

「ラルフ王も、いずれ」

「はい」

 王子の声も落ち着いている。しかしそれは努力のたまものだった。


 ベルトラムが身を翻し、幕僚達が後に続く。ルキノことリンブルク王は、部屋を出る瞬間一瞬王子へと振り返った。


 ゴルシュタット側が退席した後、サルヴァ王子は人払いを命じ一人部屋に残った。今日の会談を初めから最後まで、何度も頭の中で反芻した。日が沈み、星の光が夜空を彩り始めた。それでも王子は微動だにしない。明りさえ付けず、王子の姿が闇に溶け込んだ。


 気にし過ぎだろうか。話が済んでから挨拶を行い握手を交わす。それすら、初めからベルトラムが考えた段取りだったのではないのか。サルヴァ王子はその疑念をぬぐい切れなかった。

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