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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
28/443

第17:深奥の宴(2)

 白いドレスに身を包み、美しく髪を結ったセレーナは、アリシアに近づくと悠然と微笑み美しい唇から鈴の音のような声を発した。装飾品もアリシアとは比べ物にならず胸元のネックレスは大きなルビーが赤く輝き、その白い肌をいっそう際立たせた。


「これはサルヴァ殿下の御寵愛あついアリシア様。このような部屋の隅で如何なさったのです? アリシア様がこのようなところに居ては、殿下が寂しがっておいででしょう」


 サルヴァ王子が、もっとも足繁くその元へと通っていると噂されるセレーナの言葉に、冴えない貴族は呆然と口を開け、そして次にアリシアを見つめた。


 この地味な女は、本当にサルヴァ王子の寵姫の1人だというのか?


 しかもセレーナの、王子から寵愛あついという言葉も本当だとすれば、この女から王子への

「宴でとても無礼な男が居たのですよ。懲らしめてやって下さいまし」という一言で、自分など瞬く間に貴族社会の日陰者に成り果てる。


 サルヴァ王子がこの貴族の心を読めば

「俺が、女の言葉に篭絡され他を罰するような男と思うてか!」と激怒しただろうが、所詮人は自分の品性にそった考えしか出来ない。貴族は自分の品性に相応しい、無用の恐怖に脅えたのだった。


 貴族はセレーナとアリシアとに、あたふたと交互に顔を向けて傍目にも滑稽に動揺していた。だがセレーナは初めからアリシア以外眼中になく、アリシアの意識もすでにセレーナへと向いていた。


 貴族にしてみれば不幸中の幸いだった。2人が自分に関心がないのを見て取ると、こそこそと逃げるように立ち去ったのだ。だがアリシアとセレーナは、もはや貴族の事などお構いなしに対決を続けている。


 セレーナとて、態度に表しているほど、その心は穏やかでは無い。本来セレーナは心優しい女性であり、他の女性に嫌味を言ったりはしないのだが、サルヴァ王子をアリシアに取られはしまいかと、その心は焦燥にかられ荒れているのだ。


 とはいえセレーナは、貴族社会の、それも男を取り合っての女同士の戦いの、あえて余裕を持った態度をとってみせる。という駆け引きを、淑女の「たしなみ」として身に付けていた。そして、そのような宮廷女性の駆け引きなど、アリシアにはその存在すら知らない事である。


 寵姫の間にも格差がある。それはサルヴァ王子からの寵愛の度合い、家柄などで決まるが、セレーナは現在そのもっとも上位に立つ女性である。そしてアリシアは、自分より上位の寵姫を立てるようにと、役人から言いつけられていた。


 アリシアにしてみれば、そのような順位付けなどあきれ返るばかりだった。かかわらなければ立てる必要もない。と他の寵姫と会わないようにしていたのだが、遂に顔を合わせてしまった。しかも一番の上位者とである。


 しかも、そのサルヴァ王子様の御寵愛一等賞の寵姫は、最下位の自分に「御寵愛あつい」などと「嫌味」を言っているのである。セレーナに好意の持ちようがなく、嫌味の一つも言い返したくなったが、なかなかよい言葉が思い浮かばない。


 彼女から見ても、セレーナは女性として完璧だった。その髪は黄金に輝き白い肌に映え、鼻筋から唇にかけての形も良い。青い瞳も美しかった。自分とセレーナと比べれば男ならば誰もがセレーナを選ぶだろう。そうサルヴァ王子様も。


 不意にアリシアの顔に苦笑が浮かんだ。よくよく考えれば、サルヴァ王子様との事で嫌味を言われて、どうして自分が腹を立てねばならないのか。


「私などよりも、セレーナ様こそがサルヴァ殿下に相応しいのですから、そのような事を仰るものではありませんわ」


 アリシアにしてみれば、セレーナに対抗する意思などまったくなく、自分に嫌味など言わずどうぞ王子様とお幸せに。という積もりの言葉だった。だがセレーナの、いや、アリシアを除いた寵姫達全員の、サルヴァ王子からの寵愛を独占したく無いわけが無いという価値観からしてみれば、アリシアの言葉は宣戦布告でしかなかった。


「貴女こそ王子に相応しい」とは、何という痛烈な言葉。この言葉に比べればセレーナの「御寵愛あつい」「殿下が寂しがる」という攻撃は、春のそよ風のようなものだ。


 このアリシアという女性にとって、寵姫達みなが身を焼くほど焦がれるサルヴァ王子の寵愛はそれほど軽いものだというの? それとも簡単に取り返せると考えているの?


 それとも…………サルヴァ王子を「貸してくれる」と言っているの?


 セレーナの脳裏に、王子にアリシアの事を思い浮かべられながら抱かれた屈辱が甦った。自分はアリシアの代わりとして王子に抱かれたのだろうか?


 宮廷女性の駆け引きをたしなみとして身に着けてはいるが、実際セレーナがサルヴァ王子の寵愛を受けているのは、その駆け引きの手腕によってではなく、あくまで王子に対する献身的な奉仕の賜物だった。セレーナは生来の心根により王子の寵愛を受けているのである。だが、戦いの火蓋は切って落されたのだ。


 セレーナはサルヴァ王子を愛していた。心優しい敗者となり王子を失うなど論外である。鬼女と成り果てても勝者として王子に抱きしめられる事を望む。


「ですが、たまにはサルヴァ殿下とて、気晴らしをしたい事も御座いましょうし、私もそれには賛成ですわ」


 扇で口元を隠し、クスクスと笑いながら発したセレーナの言葉は、その余裕あるしぐさに比べ内容は直線的だった。セレーナにも見かけほどの精神的余裕は無いのである。


 アリシアも、さすがにこの言葉には気分を害す。自分がこの美しい女性の足元にも及ばないのは認めるが、それでも「気晴らし」とは言い過ぎだ。だがやはりよい言葉が思い浮かばない。サルヴァ王子相手ならばいくらでも言葉が出るが、宮廷女性との戦いは勝手が違う。やむなく目を細めてセレーナを睨んだ。


 これはセレーナにも予想外の反応だった。


 心の内を表情に出さず、余裕を持って笑顔で嫌味を応酬するのが宮廷女性の「ルール」である。そして、余裕を失って笑顔を崩した方が負けなのだ。


 笑顔を崩してしまった女性は、踵を返しその場から退場し、残った女達はその姿を上品にあざけ笑う。それが宮廷というものなのである。


 それなのにアリシアは、笑顔を崩したにもかかわらず立ち去らずセレーナを睨み続ける。だがセレーナも負けるわけにも行かない。ここで睨み返せば自分こそが敗者である。セレーナはさらに悠然と微笑み返す。


 宴の会場の一角に異様な雰囲気が生まれ、睨む女性と微笑む女性の対決を周囲の者達は遠巻きにした。


 同じ会場に居るサルヴァ王子もその異変に気付いた。人だかりの中心に顔を向けると、2人の寵姫の対決の場面が目に入った。


 前回アリシアと衝突した一件以来、サルヴァ王子はアリシアと顔を合わせないようにしていた。だが、さすがに棄てては置けない。何をやっているのかと小さくため息を付くと、王子は2人に近寄った。


「お前達どうしたと言うのだ?」


 2人の間に歩み寄り声をかけた王子に、セレーナが驚いた顔を向け、そして次の瞬間自然と王子に微笑んだ。


 その驚きによって一瞬作られた表情を脱ぎ捨てたセレーナの素顔に、アリシアは目を見張った。アリシアには今までの作った笑顔のセレーナよりも、自然と微笑む彼女の方がよほど美しく感じられたのだ。


 しかしサルヴァ王子に

「何でもありませんわ」と答えたセレーナは、また仮面を被ったかのように悠然と微笑んでいた。


 セレーナのあまりの変わりぶりに呆気に取られたアリシアは、キョトンとした表情でサルヴァ王子とセレーナを見つめていた。そこに王子の視線がこちらに向いた。


「お前は?」


 不意を突かれた彼女は、ついいつも通りに口を開く。


「何でもありませんわ。王子様」


 だが、このような席でサルヴァ王子を殿下と呼ばず「王子様」呼ばわりはさすがに不味い。王子はつかつかとアリシアに近寄ると耳打ちした。


「馬鹿か。 殿下と呼べ。他の者も居るのだぞ」


 馬鹿呼ばわりされ、むっとしかけたアリシアだが、確かに今回は自分に非がある。


「失礼致しました。サルヴァ殿下」

 と、王子にそう言って丁寧に頭を下げた。


 リヴァルの事もあり、サルヴァ王子には条件反射的に突っかかる傾向があるアリシアだが、決して非常識と言うわけではなく、場はわきまえている。


 そして王子もこのアリシアの態度には安堵した。ここで食って掛かられては面倒と言う事もあるが、前回のアリシアとの衝突について、王子は内心引け目を感じていたのだ。


 とはいえ王子には、高い身分として生まれかしずかれて育てられた者の常として素直に謝れぬ癖がある。次にアリシアと顔を合わせた時、どういう態度をするべきかと気まずく思っていたのだ。だがそれは、どうやらどさくさにまぎれてうやむやになりそうだ。と安心したのだ。


 その為

「まあ、良い」と言った王子の顔にも、微かに笑みが浮かんでいた。


 アリシアは、王子様が自分に笑顔を見せるなど珍しいものだ。とその顔を覗き込んだが、王子はついと顔を背けた。そして次には不機嫌そうな表情を彼女に向ける。人の顔を覗きこむな。と言ったところだ。


 そしてアリシアはアリシアで、さっきまで笑顔を向けていた相手から、次の瞬間には不機嫌そうに睨まれ、憮然とした表情を返す。だがそれも一瞬の事で直ぐに笑顔を返した。こんな場所で王子様と睨みあってもしょうがない。


 この光景にセレーナは孤独を感じた。サルヴァ王子とアリシアとの関係は、自分と王子との関係とはあまりにも違いすぎた。彼女は、この場に取り残されたような感覚を覚えたのだ。


 セレーナは献身的にサルヴァ王子に使え、そしてお褒めの言葉を頂き、可愛がってもらう事に喜びを感じていた。それが自分の幸せなのだと彼女は考えていた。いや、彼女だけでは無く、後宮の寵姫達すべての考えと言っていい。だがそれは、あくまでも主人とそれに仕える者の関係だった。主人が仕える者から顔を背けたり、仕える者が主人に憮然とした表情を見せるなど、どういう事なのだろう。


 いや、セレーナは気付いた。そもそも主人と仕える者ではないのだ。有り得ない事にこの2人は「対等」なのだ。


 サルヴァ王子はアリシアを自分と対等とは考えていない。アリシアも自分が一国の王子と対等など夢にも思わない。にも拘らず、セレーナの気付きは当たっていた。


 他の者がサルヴァ王子と対峙した時に持つ、権力者に対する恐れや取入ろうとする下心。その才能についての称賛も、死んでも構わないと考えるアリシアにとっては、意味のないものだった。アリシアには一国の王子もただの人でしか無かったのである。


 王子に対して一応の礼儀を守ろうと言うのは、それが無意識下での常識であるからに過ぎない。


 そして王子にしても、自分の地位や才能に怯まず向かってくるアリシアには、それらを除いた素の自分で対応せざるを得なかった。他の者がどう思おうと、多少無礼な振る舞いをされたからと言って処罰しようというほど、王子の心は狭くはないのだ。


 その為2人は、意識せずに自然と対等の関係を築いていたのだった。


 そう言う意味では、セレーナとて一歩踏み出し王子との壁を突き破って見せれば、王子と対等に近い関係になれるかも知れなかった。だが、宮廷のしきたりが血となり流れる由緒ある貴族のセレーナには、それはなしえない事だったのだ。


 その主人は、仕える者の中で一番のお気に入りの寵姫に右手を差し出した。


「セレーナ。私と踊ってくれ」


 宴の雰囲気を仕切り直す為、一区切り付けようというのだ。王子から差し出された手に、セレーナは笑顔で手を添えて応じる。


 自分の考え過ぎなのだろうか。やはり王子はアリシアより、自分の方をこそ気に入っているのだ。そうでなければ彼女を差し置いて、自分をダンスに誘ったりはしないはず。


 王子にエスコートされにこやかに進みながら、セレーナは後ろを振り返った。その場に残されたアリシアがどのような表情をしているか確かめたくなったのである。


 自分ではなくセレーナが誘われた事に彼女が悔しがっていれば、セレーナの溜飲は大いに下がっただろう。だが当のアリシアは、興味なさげにその場から立ち去るところだった。

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