第188:バンブーナの影
皇国の内乱は、思いの外、長期戦となっていた。皇国の内戦を見てから動いたランリエルらのロタ、ケルディラ侵攻が山場を越えた今もまだ続いている。
ランリエル討伐の大動員は公称100万、実数でも80万を超える大軍だった。いかな大皇国とはいえ負担は大きく、皇国の実権を握った副帝アルベルドは、ベルグラード、バリドット2ヶ国の討伐に大軍を派遣しなかった。その為、地の利を活かしたベルグラードとバリドットはよく守り、戦いは膠着状態となっていた。
皇国の大軍の襲来に戦々恐々とした2ヶ国である。国王達も座して死を待つくらいならと抵抗したものの、こうなってくると欲も出てくる。命だけではなく国も保とうと、血縁ある皇国貴族達に取り成しを頼み保身への動きを活発化させた。
頼まれた方も、初めは巻き添えなどまっぴらと断っていた。しかし王達の執拗な懇願と戦いが長引いている気の緩みに、王達の頼みを聞く者も出てきた。それには、約束された莫大な成功報酬に目がくらんだ者も多い。
「確かに皇国が困難な時に、皇国の為に尽力せぬとは言語道断でしたが、今回の懲罰でベルグラードもバリドットも肝を冷やし、深く反省したでありましょう。そろそろお許しになられてはいかがでしょうか」
「その通りです。衛星国家が皇国に攻められるはずはない。彼らにはその甘えがあった。ですが、皇国に逆らった者に例外なし。それを理解したはず。今後は大人しくなりましょう」
貴族達は続々とアルベルドに面会を求め、嘆願を行った。2ヶ国討伐を命じたアルベルドだが、自らの命令に逆らう貴族達の言葉に、首を縦には振らないものの激する事なく耳を傾けた。それがさらに貴族達を勢い付かせ、アルベルドの部屋の前の列をさらに長くした。
「こうも毎日貴族達が押し寄せては、職務をする時間すらありませぬな」
押し寄せる人の列を無理やり断ち切り一息付くと、腹心の部下であるコルネートが言った。すでに30をとうに過ぎている年齢だが10歳は若く見える童顔の顔にうんざりした表情が浮かぶ。優れた外交官である彼は、交渉相手の前では笑みを絶やさぬが、本来の性根はそれほど善良ではない。
「ああ。尤も、彼らの嘆願を聞く気はないがな」
彼の上官はもっと善良ではない。世間では聖王とも呼ばれる彼が、その本性の片鱗を見せる数少ない部下がコルネートだった。尤も、あくまで片鱗であり全てではない。
「彼らは飛んだ無駄骨ですか。ですが、ではなぜ彼らとお会いなさるのですか?」
「なに。未来の敵と味方を選別しているだけだ」
「なるほど」
助命嘆願に来たから敵だ。などという浅薄を言う積りはない。彼らとの会話からそれを判断するのだ。彼らはいわばアルベルドに’お願い’する立場である。会話の主導権を握るのは簡単だった。貴族達の選別には部下達を使っているが、やはり自らの目が一番信用出来る。
「それよりも、お主に依頼したい事がある。バンブーナを味方に付けたい」
「バンブーナですか。ですが、今のところアルベルド様に敵対する様子はなさそうですが」
「敵対せぬ者が欲しいのではない。手駒となる者が欲しいのだ」
「バンブーナ王を手駒にすると仰るのですか? ご命令ならば尽力致しますが、さすがにそれは難しいのでは」
バンブーナ王とて文字通り一国の王。副帝アルベルドも元は同じ衛星国家の王であり同格という意識がある。ベルグラードとバリドットの討伐の事もあり、アルベルドに逆らおうとはしないだろうが手駒になるのを良しとはすまい。ブエルトニス王のようにアルベルドに恩がある訳でもないのだ。
「分かってる。同格のバンブーナ王は私には従うまい。ならば、王の首を挿げ替えるまでだ」
その後、コルネートも下がらせたアルベルドは、2王国助命の嘆願者達との面会も打ち切り、本来の職務に戻った。尤も、本当に本来の仕事かといえば、それも疑わしい。皇国の副帝としての職務である。デル・レイの国政は大臣達にまかせっきりの状態だ。
そもそもアルベルドにとって、デル・レイは野心の道具。権力基盤としての意義しか認めず、愛着などない。
フィデリアとユーリは、ナサリオの処刑が行われた日から皇都に留まっている。ついでに言えば、フレンシスもだ。いつもは従順なあの女が、お前はデル・レイに帰れと何度言っても従わない。毎夜のように責めてもだ。
まさかあの女。俺を怒らせれば相手をして貰えるとでも考えているのか。アルベルドが、そう疑うほどだ。そしてそうなると、これ以上責めるのもあの女の思惑に乗るようで面白くはない。俺に相手をして欲しいなら、構わないのが一番堪えるだろうと最近では放置していた。
アルベルドは、書類の上で忙しく動かしていた筆を止めた。気付くと、窓の外はすでに暗くなっている。贅沢にも日中からも灯される明りの為に今まで意識しなかった。改めて見れば、部屋の中も手元以外はかなり薄暗くなっていた。
窓の外を眺めた。硝子窓も普及しているが、高級な上にその技術はまだ未熟で平らな板にするのは難しい。大貴族の屋敷の窓でもデコボコに歪んだ硝子を使っている。しかし、皇帝が住まうこの宮殿では、一枚一枚丹念に研磨され全て歪みのないまっ平らな硝子板だ。その一枚でも割れば、庶民の生涯は弁済だけで尽きる。
その硝子窓を透かし映る星々に目をやった。雲一つなく瞬いている。だが、小さいころ母と故郷で見た星は、もっと輝いていた気がする。
地上が明るければ、その光に邪魔され星は見えにくくなる。皇都は大陸中の財が集まる大都市だ。皇帝の宮殿だけではなく、夜に煌々と明かりを灯す貴族達も多い。だから、星が綺麗に見えないのだ。それだけの話だ。星自体は何も変わらず、自分の目が悪くなった訳でもない。
しかし、それでも子供のころの方が星が輝いて見えたのは事実だ。その頃は、世界はもう少し輝いて見えていた。
バンブーナ王国軍総司令チュエカは、先年、ランリエルとの間で行われたタランラグラ争奪戦に敗れた。そのさらに先のランリエル討伐にもバンブーナ王国軍を率い参戦し敗北している。ランリエル討伐の失敗は総督した元皇国宰相ナサリオの責とされているが、経歴に傷が付くのはやむを得まい。本来ならば。
彼は、ランリエル討伐時には、強敵バルバール軍を友軍たるエストレーダ王国軍に譲り、目先の手柄に目が眩まずと名声を得た。タランラグラ戦では主将を務めた挙句の敗戦にもかかわらず、被害を最小限に留めたと称賛された。立ち振る舞いの上手い男である。その男が今、アルベルドからの使者を前にしていた。コルネートである。非公式にチュエカの屋敷を訪問し、外交官として、笑みの仮面を被っていた。
「ほう。我が主バンブーナ王オダリスに、皇国への謀判の疑いがあると?」
「そうは申しておりません。ですが、オダリス陛下にはそうともとれる振る舞いがあるのです」
決して知能が低くないチュエカにも、それのどこが違うのかは分からなかった。まあ、この手の弁舌を得意と称する者の言葉を一々気にしても意味はない。と、聞き流した。それよりも問題は、それをなぜ私に聞かせるのかだ。とりあえずは腹の探り合いか。
「しかしそれは、アルベルド陛下の思いすごしでござろう。ベルグラード、バリドットが皇国に逆らい、副帝となったアルベルド陛下が神経を尖らせるのは分かりますが、疑いの目で見れば全てがそれらしく見えるものです」
「ですが、今、皇国はかつてない危機に瀕しております。重病人は、くしゃみ一つ見逃せば命の危険もある。その時になって、見過ごさねば良かったと後悔しても遅いのです」
「しかし、指に棘が刺さったからといって、一々指を切り落としていては両手両足の指が無くなりましょう。ましてや皇国には元々8本しか指は無く、しかも、その2つは消えようとしている」
チュエカが微かに人の悪い笑みを浮かべた。所詮、例え話など、いくらでも自分に都合よく作れる。このような抽象的な話を続けても意味はない。使者もそれを察したのか小さく咳をし姿勢を正した。
「実は、アルベルド副帝陛下は、新しき皇国のあり方を考えておるのです」
あえて陛下の前に副帝と付け、アルベルドが他の衛星国家の王とは格が違うと強調する。しかし、チュエカが感銘を受けた様子はない。
「どうやらそのようですな。しかもかなり過激だ」
皇国による衛星国家の討伐など今まで無かった事だ。無論、衛星国家を甘やかしたりはしない。増長しようものなら圧力をかけ王を退位させ息子に王位を譲らせる。時には息子にではなく、現王の弟や甥に譲らせる事すらあった。衛星国家を押さえつけるのはそれで十分だ。その、十分以上をアルベルドは行っている。
「そもそも衛星国家とは、この大陸に覇を唱えた皇祖エドゥアルド陛下に付き従い数々の武勲をあげた将軍達が与えられたもの。皆、文武に優れた方ばかりでした。覇気ある国々でした。それが昨今では、その興国の志を忘れ、王族達は惰眠を貪っております」
「その点、アルベルド陛下は、副帝となる前から東方の覇者と呼ばれるランリエルと競い、武勇を示されている。真に、衛星国家の王の鑑と言うべきですな」
チュエカの思わぬ追従に、コルネートの目付きが一瞬変わった。
もっと、腹を割って話せと言うのか。それとも誘いか。瞬時にそれを考えた。チュエカがこちらから言葉を吐き出させようとしているのは分かる。相手の思惑に乗るのは良いとは言えぬが、黙り込んでも話が進まぬのも事実だ。
「アルベルド副帝陛下は、他の衛星国家の王達もかくあるべしと考えておいでなのです」
「なるほど。ランリエルなどという東方の田舎者に遅れをとったのも、各王が惰弱であったから、と言う訳ですかな」
チュエカの顔に皮肉なものが浮かぶ。コルネートはそれを無視した。
「いえ。惰弱とまでは……。ですが、もう少し、自らの役目というものを理解して欲しいものです。ランリエル討伐のおりも、衛星国家の王で参陣したのは3ヶ国のみ。前線まではアルデシア一ヶ国。しかも、そのアルデシア王も、前線に居ただけで実際の指揮は他の者にまかせっきりだったと聞いております」
チュエカの笑みが、人の悪いものに変わった。コルネートもそれは無視せず、分かっていますというように頷いた。
「無論、ランリエル討伐に参陣しなかったのはアルベルド副帝陛下も同じ。その点は、陛下も深く反省しております。ですが、我が主は、ランリエルのサルヴァ・アルディナとは宿敵とも呼ばれているお方。その陛下が参陣しランリエルを討ち滅ぼせば、実態はともかく、皆は全軍を統率したナサリオ殿ではなく、陛下の手柄と見ていたでしょう」
「確かにその通りでしょうな」
「はい。それ故に陛下はナサリオ殿に遠慮し出陣はお控えなされたのです。当時は、まさかランリエルごときに万一にも後れを取るなど考えられなかったのですからな」
「それで、軍の司令官が務まるような有能な王達を揃えたい。という訳ですか」
「そして、ある程度の裁量も与えたいと考えております」
衛星国家にはそれぞれ総司令がいるが、皇国軍として動く時は、皇国が総司令で衛星国家は各隊の司令官なのが実情だ。
1人の有能な総司令の元に全軍を統括するか、有能な指揮官達にある程度の自由を許すか。難しい問題ではある。
総司令の意志の元に動かねば烏合の衆となる。1人の有能な者による完全な統括。それが理想だ。しかし、各隊への命令の伝達に数日かかるような状況では、そうも言っては居られない。それに相手のある事だ。味方の考えだけで物事が決まる訳でもなく、結果でしか判断出来ないとも言える。
尤も現実にバンブーナ王国軍の軍権を握るチュエカとしては、戦いを知らぬ国王にしゃしゃり出られるより、まかせてくれた方がやりやすい。しかし、今はそういう次元の話ではない。
「なるほど。我がオダリス陛下に危機感を抱かせ、文武に励むように仕向けるお考えですか」
あえて的を大きく外した。コルネートの笑みが一瞬固まる。
コルネートは、現在の王達に文武両道になれと言っているのではない。王達を文武両道の者に置き換える。そう言っているのだ。チュエカに王になれと言っているのだ。チュエカにはそれが読めた。だが、そう簡単に乗れる話ではない。
コルネートとて、言葉を匂わすだけで、はっきりと意思表示を行ってはいないのだ。この手の話は、はっきりと明言してはお互い後には引けなくなる。お互い逃げ道が必要だ。
「我が王オダリスは、聡明なお方。必ずやアルベルド陛下のご期待にそう事でしょう」
チュエカは韜晦を続けた。コルネートはそれを感じた。わざとらしい台詞で、チュエカが意図的に伝えたのだ。
お互い言質を取らせず腹を探らせる。そう。探るのではなく探らせるのだ。腸≪はらわた≫をかき回させ、だが、心の臓は握らせない。はっきりとした言質を与えず、己の意志を伝える。万一相手が失敗したり、密告したりした時に、そんな事を言った覚えはないとしらばっくれる。しらばっくれる事が可能だからこそ、相手を追い詰めない。
想像以上に癖のある男だ。コルネートはそう認めざるを得なかった。
オダリス王の下では収まらぬ男。チュエカをそう見込んでのアルベルドの人選だった。コルネートの見る限りでもそうだ。だが、これは一筋縄ではいかない。
軍事において、衛星国家の他の総司令達も引けを取るものではない。だが、この手の駆け引きが出来るのはこの男だけだろう。その意味においては、確かに総司令達の中で一番王に近い男だ。だが、癖がありすぎて、アルベルド陛下ですら手綱を付ける事が出来るかどうか。
決して、チュエカの器がアルベルドを超えるとは思わないが、人を思いのままに動かすのは並大抵の事ではない。僅差の勝利では不十分。大差をつけねばならない。信奉者達のように聖王の名に心服する手合いとも思えない。
「確かにオダリス陛下はご聡明なお方。その点は我がアルベルド副帝陛下も、微塵も疑ってはおりません」
「はい。私も、アルベルド陛下が本当に我が王を疑っているとは露ほども考えておりませぬ」
どうやら、道を逸らされたか。コルネートはそう判断した。バンブーナ王に謀判の疑いありとチュエカに討たすはずが、この会話の道筋ではそれも難しい。
だが、外交も戦である。そしてコルネートはその将だ。なかなか手強い城だ、とは認めるが、それで攻城を諦めたりはしない。彼は外交という名の攻城戦の名将なのだ。あらゆる手段を使い、城内に侵入してみせる。
「はい。バンブーナ王国軍総司令のチュエカ殿にそう言っていただければ、我がアルベルド副帝陛下も安心します」
とりあえず、正面攻撃は失敗に終わった。それを認め、一旦は撤退する。
「それでは、失礼致します」
コルネートは、下げた頭の中で、次はどう攻めるか。内からか、城壁を突き崩すか。穴を掘るか。それを考え始めていた。