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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
275/443

第184:再戦

 ブランが駆けた。吠えず駆けた。獲物を襲う時に虎は吠えない。威嚇が必要な相手なら吠える。バルバールの猛将グレイスは威嚇が通用する相手ではない。しかし吠えずとも、身体から発する獣気は見ている者達を圧した。そしてそれはグレイスすら例外ではない。


 まるで熱風をうけたかのように兜を通し頬を焼く。馬の腹を蹴った。訓練され恐怖心を取り除かれた軍馬は、猛獣に向かい怯まず駆けた。


 全力疾走するブランに対し、グレイスはだく足だ。双方の距離が縮まる。ブランが動いた。虎牙槍を横に構える。グレイスの記憶では、まだブランの間合いではない。だが、虎牙槍が襲う。


 馬を狙ったか?

 グレイスが戦棍を構える。虎牙槍は伸びグレイスを襲う。反射的に戦棍を縦にし受けた。衝撃に弾き飛ばされそうになり両足で馬体を挟み込み耐えた。愛馬が不満げに嘶く。すれ違い馬首を返し、改めて対峙した。腕が痺れる。


 ブランは対峙している時は虎牙槍の中頃を掴んでいる。だから気付かなかった。その柄はグレイスの記憶にあるより50ミール(約43センチ)は長い。以前は、グレイスの戦棍とそう変わらなかった。


 おいおい。洒落にならんぞ。

 その呟きを兜の中で押し殺した。

 虎牙槍は、ただでさえグレイスの戦棍に比べても先の部分は重い。それが50ミールも伸びれば、必要な腕力は桁違いだ。


 重くなれば、当然扱いは難しくなる。しかしその太刀筋にぶれはない。完全に使いこなしていた。武器は長い方が有利。単純な真理。その分、懐に入り込まれれば不利とも言えるが、グレイスの戦棍とて短くはなく、接近戦に持ち込んでも有利とはいえない。


 まったく。強くなるだろうとは思っていたが、強くなり過ぎだろうが。


 グレイスの顔に苦笑とも戦慄とも見える表情が浮かぶ。感触を確かめるように戦棍を軽く振った。風を切る鋭い音が短く鳴る。その何気ないしぐさにも優れた技量が見える。


 馬上での一騎打ちの方法は大きく分けて2つ。駆けぶつかって討ちあいそのまま駆け抜け、ある程度の距離で馬首を返し改めて突撃を繰り返す方法と、足を止め討ちあう方法だ。


 正式といわれるのは基本前者だ。一騎打ちの大会などではこの方法だ。だが、戦場ではそうも言ってはいられない。戦っているのはその2人だけではなく、敵の射手に射られかねない。足を止めて打ち合えば射手も味方に当たると手を出しかねる。


 だが、今は兵も2人の一騎打ちを固唾をのんで見守っている。この状況ならば’正式’を選択しても問題はない。


「少しは成長したようだな。一騎打ちで勝負をつけるか」


 すでに一騎打ちの状況だ。それをあえて口にした。これでさらに他の者達は手が出せぬ。かつてランリエルの虎将ララディと戦った時は、一騎打ちを口にしたのはララディだった。ララディはサルヴァ王子が退却する時間を稼ぐ為に’正式’な一騎打ちを挑んだ。


「はっ!」


 馬の腹を蹴り突進する。ブランも駆けた。戦棍と虎牙槍が激しく打ち合い、ブランはその場で馬首を返したが、グレイスは駆け抜けた。金属が激しくぶつかった焼け焦げた匂いがブランの鼻孔をかすめる。


 距離を置いたところで馬首を返したグレイスとブランの視線が交わる。双方探るような目を向けるが、ブランは少し苛立って見えた。虎牙槍の刃が欠けていた。


 どちらからともなく動いた。ぶつかり、今度はブランも駆け抜けた。虎牙槍がさらに欠ける。ブランの視線が険しい。同時に攻撃を繰り出しているように見えて、グレイスはブランの動きに合わせていた。あからさまな武器狙いだ。一合一合打ち合う方が狙いやすい。


 虎牙槍は刺す事も切る事も出来る。重量もあるので撲殺も可能だ。グレイスの戦棍は基本、殴り殺すだけだ。突く事もあるが、急所にでも当てなければ致命傷にはなりにくい。その為、武器の性能としては劣るとも見えるグレイスの戦棍だが、頑丈さでは上回る。


 双方駆けた。今度はブランが僅かに早い。柄の長さの有利があるにもかかわらず、グレイスの間合いにまで踏み込んでの斬撃。グレイスがブランの身体を狙えば食らう距離だ。その代わりに虎牙槍がグレイスの身体を深く切り裂く。しかし、グレイスは乗ってこず、虎牙槍をはじく。虎牙槍がまた欠けた。破片が兜に当たって場違いな澄んだ音色を響かせた。


 ブランが駆ける。グレイスが応じる。グレイスが主導権を握っていたかに見えた戦いが、いつの間にかブランがしかけていた。ぶつかり駆け抜ける。それを繰り返した。虎牙槍が欠け、痩せ細る。もはや、ほとんどの刃はつぶれ平たい鉄の板だ。重量を失い、打撃の威力でも戦棍に劣る。


 ひびも多く、折れるのも時間の問題。後、1撃持つかどうか。


「うぉぉぉっ!!」


 虎が吠えた。びりびりと大気を震わす。威嚇ではない。己の力を解放する咆哮。バルバール兵どころかロタ兵も、その雄叫びに肝を冷やした。消極的にだが、一応は戦っていた兵士達の動きが完全に止まった。自然と敵と離れグレイスとブランの一騎打ちを見守る。


「一々吠えるなよ」


 グレイスが呟いた。その声に緊張はなかったが、額に汗が浮かぶ。理性の裏の本能がブランの獣気に触れた。感じぬはずの熱風を身体に受ける。


 すでに、ブランが駆けていた。グレイスも馬の腹を蹴った。訓練された愛馬が、進むのを嫌がる気配を見せた。もう一度強く蹴ると、しぶしぶ駆けだした。駆けだすと自らの役目を思い出したのか怯みは見せなかった。


 ブランの身体はグレイスより大きい。だが、今はそれ以上の体格差に感じた。明らかに今までよりも力を込めた一撃。深い踏み込み。迷いなくグレイスの頭を狙う。グレイスが戦棍を合わせる。


 ぶつかり、一瞬双方の武器が止まったかに見えた。まるで硝子のように虎牙槍が砕けた。キラキラと破片が舞い散る。グレイスにはそれがはっきりと見えた。


 勝ったか。虎牙槍の破片が舞う中、一瞬の思考。光を切り裂き、柄に、手の平程に僅かに残った虎牙槍が、顔面を襲う。


 考えるより早い反射。避ける。避けきれない。残った虎牙槍の刃が兜を切り裂く。ブランが虎牙槍を振りぬき駆け抜けた。血を纏った虎牙槍が振り抜かれる。血が飛び散り、大地に赤い染みを作った。


 ブランが馬首を返す。グレイスの身体は傾き倒れる。踏みとどまった。緩慢に手綱を引き馬首を向ける。


「ってえな。頭が持ってかれるかと思ったぜ」


 切り裂かれた兜の下から血が滴っていた。頬を切り裂かれ骨まで達した。だから助かった。虎牙槍の刃が完全につぶれていれば、兜は切り裂かれず、衝撃もまともに受けた首はへし折れていた。その口調ほど、軽い傷ではない。


 にもかかわらず

「おしかったな」

 そう言って、まるで首を、こったかのように回すグレイスの口調は余裕すら感じさせた。演技である。猛将に率いられた兵は、将の武勇への信頼によって力を発揮する。彼は、それを十分に理解し猛将然としたふるまいを自らに課している。


 ブランの武勇と兵士への影響は天性のものだが、グレイスのそれは技術的なものといえた。


「今のがお前の奥の手だったか」


 戦場の興奮と強敵への戦慄に、痛みは思ったほど感じない。戦いが終わった後に襲ってくるであろう激痛を一瞬予想しすぐに頭から追いやった。出血よりも頭への衝撃に脳震盪を起こし視界が歪む。視界が戻るまで時間を稼ぐ必要があった。


「それは、もう使い物にならんだろう。なんだったら、替えてもいいんだぜ」


 ブランの武器は特殊な物だ。グレイスにもそれは分かる。替えていいといっても、予備などあるまい。もしあったとしても、今すぐ戦いが再開されるよりはマシだ。時間を稼ぐ必要があった。


「いらん」


 短く答えたブランが駆けた。虎牙槍は大半の刃を失い、もはや、ほとんどただの棒だ。長さもグレイスの戦棍より短くなった。しかしグレイスの状態を考えれば不利ではない。グレイスの状態を見抜いたのではないが、虎の嗅覚が勝機を告げた。尤も、初めから虎牙槍の替えなど存在しない。


 気が短い野郎だ。


 グレイスがごちて駆けた。視界はまだ戻らない。ブランの姿が見えない訳ではない。多少歪んで見える。だが、その多少が命取りとなる。攻撃を避けるのは不可能だ。


 歪んだ視界では微妙な距離感は分からないが、大まかには分かる。迫るブランの馬の頭と自分の馬の頭が1サイト程まで近づいた時に斜めに振り抜いた。浅い。それは分かっている。しかし受けねば馬に当たる一撃だ。重い甲冑を着けての落馬は致命的だ。ブランが受ける。そのまま駆け抜けた。


 馬首を返したブランがすぐさま突進する。焦るブランにグレイスは余裕を持って切り返し進む。周りの者にはそう見えた。


 ちっ! グレイスが兜の下で舌打ちした。視界はまだ戻らない。思ったより長引く。脳震盪を起こしている時に頭を揺らすのは厳禁だ。しかし、馬上、それは不可能。切り裂かれた頬の出血も影響していた。


 早い内に仕掛ければ勝機あり。その感にブランが駆ける。時間を稼ぎたいグレイスは悠然と進む。そしてかけ逃げの攻撃。事実はブランが優勢なのだが、他からはブランが焦っているように見えた。


「ブラン。何をやっている。お前が負ければ終わりなのだぞ」


 一騎打ちを見守っていたバルバストルが苛立つ。リュシアンは無言だ。彼の眼にもブランの優勢は見抜けなかったが、熱い視線を静かに向けている。手が汗ばむ。噛んだ唇から血の味がした。


 尋常な一騎打ち。手だし無用。しかし、ブランが劣勢と見るバルバストルが手にする弓を強く握りしめた。馬上で使う短弓だが、至近距離なら甲冑を貫通できる。


 ブランが負ければ、我が軍は敗走する。兵数では劣勢なのを、ブランの武勇と獣気に酔って普段以上の力を出しているだけなのだ。その酔いが醒める。バルバストルの左手が馬に括り付けた矢筒に伸びた。


 ブランが仕掛け、グレイスが先手を取り逃げる。視界の歪みは薄れていた。しかし、出血も多い。脳震盪が収まっても、そのすぐ後には出血で目が眩むだろう。


 まともに戦える間に決めるしかないか。


 今まで、遠い間合いから戦棍を繰り出していたグレイスが、深く踏み込んだ。その急激な変わり身にブランは受けるのが精いっぱいだ。しかし、虎の嗅覚が匂いの変化に気付いた。


 今まで仕掛けていたブランが守勢に回った。グレイスが激しく攻め立てる。双方馬の脚が止まった。グレイスが戦棍を乱れ打ちブランが受ける。牙を失った虎牙槍に常の冴えはない。受け切れない。急所は外す。だが、確実に傷つく。一歩一歩勝利に近づいていた。ブランがだ。グレイスがだ。


 グレイスが力尽きるまで耐えきればブランの勝利。力尽きる前にブランを打倒せばグレイスの勝利。どちらもが勝利に向かっていた。相手が力尽きるのを待つブランは消極的にも見えるが、その傷を与えたのはブランである。なんら恥じるところはない。


 グレイスの一撃で、ブランの兜が拉げた。兜を投げ捨てる。その隙を狙ったグレイスの戦棍を弾き飛ばす。激しい動きにグレイスの出血が激しくなる。甲冑の中を流れる血液が、馬体を赤黒く染め、大地に滴る。


 ブランの額から血が流れ落ちた。身体のあちこちが赤く腫れ熱を発した。グレイスの視界が歪み始めた。限界が近付く。どちらもだ。次の一撃で倒す。次の一撃で相手は力尽きる。そう思い打ち、防ぐ。だがブランは立っている。グレイスは立っている。


 いつまで続くのか。もうすぐ終わるはずだ。だが、永遠に続くような気もする。考えるのは止めた。相手が動かなくなるまで続ける。最後に立っていた方が勝者だ。それすらも考えず打ち、防ぐ。


 不意に、ブランの姿を映していたグレイスの視界に青空が広がった。それが僅かに遠ざかる。背中に強い衝撃。身体中の骨が悲鳴をあげる。その時、落馬したのに気付いた。


 出血で朦朧としていた意識が、落馬の衝撃でさえた。隙を付かれ馬を狙われたか。意識が朦朧とし、それに気付かなかった自分の落ち度だ。負けたか。


 純粋な技量ならば、まだグレイスに一日の長がある。グレイスの頬を切り裂いたブランの一撃は僥倖だ。二度と出来るものではない。今の技量ではだ。明日は分からない。だが、負けは負けだ。


 しょうがねえな。

 止めを刺されるのを覚悟したグレイスだが、待てどもそれは来なかった。もしかしてあいつも力尽きたのか。

 痛む身体を起こした先に見たのは、弓を手にした味方の士官を燃える目で射ぬくブランの姿だった。

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