第183:ロタ西部戦線
ゴルシュタット勢のケルディラ進出は、ランリエル一国の問題ではなく、同じく出陣したバルバールらも無関係ではない。
ケルディラ北西部を抑えたゴルシュタット勢に対し、テレス川下流部から渡河し南部に出たバルバール、ベルヴァースらの軍勢はそのまま更に西進しゴルシュタット勢を南から牽制した。中流部から渡河したコスティラの軍勢は南東からだ。全戦線に渡ってゴルシュタット勢とランリエル勢が睨みあう。
元よりケルディラは他国。それぞれ侵略しているのであり、各地に抑えの兵を置かねばならない。お互いの支配地域に進出して決戦する余力はなく膠着状態だ。
それに対しバルバール軍は増援を行った。しかしその元は、バルバール本国ではなくロタ戦線だった。なんとロタ北部でロタ軍と対峙している2万の軍勢から2千を割いてケルディラに派遣したのだ。その動きにロタ軍首脳部は驚愕した。
「リュシアン殿。艦艇をバルバールに戻し袋の鼠だったバルバール軍が、更に軍勢を減らしたぞ」
とある城の一室で、バルバストルが机に広げた地図を前に言った。
他にブラン、リュシアン。それ以外にも各隊の士官がいるが、発言する事は少ない。バルバストルはリュシアンとブランは認めているが、それ以外の者を軽んじていた。発言するたびにバルバストルに論破され、仕舞には誰も発言しなくなった。組織として良い傾向ではないが、部下同士で生き馬の目を抜く競争をする彼らだ。論破され無言となるのも自業自得という雰囲気がある。
「ロタ戦線とケルディラ戦線。奴らにとって別々だったそれぞれの戦線を1つに繋げたのだ。しかもロタの色に染めた」
リュシアンは何かに耐えるように自らの顔の下半分を鷲掴みにする。歯軋りが漏れるほど噛みしめる。
「ロタの色だと?」
「奴らはケルディラに派遣している軍勢で王都を突く。ブランの言う通り、それは間違いない。しかしその前にロタから兵を送り、ケルディラの兵をロタの戦線に参加させても非難されぬ状況を作ったんだ」
ロタを攻めるのはバルバールの単独外交。その軍勢を派遣するのにコスティラ経由の陸路は取れない。その意味ではケルディラ攻めに派遣している5千の軍勢をロタ攻略に参加させれば非難が上がる。だが、逆にロタへの軍勢をケルディラに回す分には非難されない。そしてそうなれば、今度はロタ戦線が苦しくなったからとケルディラへの軍勢をロタに回して何が悪いのか。そういう話になる。
「つまり、ブラン殿の指摘通りになる可能性が強まったという訳か」
バルバストルの声にも歯軋りが混じった。
「ならば、もう打って出るしかないぞ。バルバールの軍勢は2千をケルディラに割き1万8千。我らは1万5千。いや、根こそぎ掻き集めれば、我らも1万8千だ。何を恐れるか!」
ブランは少し後ろで2人のやり取りを聞いていた。バルバール軍のケルディラからの進撃。それを虎の嗅覚で見抜いた。しかし、まだ何かある。それをおぼろげに感じる。それが、形にならない。嗅覚が鋭いからこそ、近くの危機に引き寄せられる。まず、初めの獲物を片付けるべきだ。
「しかし、軍勢は各城を分散して守り、敵に包囲されている。集結し決戦出来る状況ではないぞ」
「これはと思うところにブラン殿を配し、全城一斉に打って出ればいい。ブラン殿が敵を打ち破れば、次にはその軍勢を率いたまま近くの城に援軍に行くのだ。そうして敵を打ち破って行けばいい」
無言だったブランが進み出た。
「あまり俺を買い被るな。奴らはドゥムヤータ軍とは違う。柵を張り巡らし槍を並べる敵に突っ込むなど死にに行くようなものだ」
野生の獣の勇猛は無謀と同義語ではない。むしろ対義語である。野生の獣ほど危険は避けるものだ。
「では、ならばどうする! 座して死を待つのか!」
「とにかく。まず、ケルディラから来る兵を潰す。後は、それからだ」
「しかし敵はロタから動かした兵も合わせれば7千だぞ! 我々が城外で掻き集められるのは精々3千だ」
「いや、さすがにケルディラの戦線は空にはすまい。ロタからの2千と入れ替える形でこちらに戻ってくるのは5千ががとこだろう」
リュシアンが言ったがバルバストルが食って掛かる。
「それでも、兵力の差は圧倒的ではないか!」
「乱戦に持ち込めば、勝機はある」
ケルディラからロタ王都までには木が生い茂る山林地帯もある。当然敵も警戒し、多数の索敵を放ち進むだろうが、十分な隊列は作れまい。
戦いとは如何に多くの敵を殺すかではない。如何に敵を敗走させるかだ。敵国内の進軍は、兵達の心も安定しない。通常なら耐えられる程度の不利にも浮足立つ。乱戦となればなおさらだ。敵を怯えさせ味方を奮い立たせるブランである。遭遇戦こそが真骨頂とも言える。
「しかし、ブラン。その後はどうするのだ? その5千を打ち破っても、バルバールからの増援が来れば後はあるまい」
「知らん」
「知らん!?」
「目の前に敵がいるのだ。次の敵など来てから考えればいい」
リュシアンとバルバストルが思わず顔を見合わせた。次に2人同時に噴出した。
「確かに、確かにそうだ」
バルバストルが腹を抱えて笑う。リュシアンも額に手をやり笑いをこらえる。彼らは優秀だ。だからこそ完璧な答えを求めていた。しかし、次の敵を考えた挙句、目の前の敵に座して喉を食い破られるなど馬鹿馬鹿しい話だ。
「よし! まずはケルディラから来る軍勢を潰す。後は後だ」
バルバストルが不敵な笑みを浮かべ言った。
数日後、バルバールの港で、ロタへの援軍を送る為に用意していた艦艇同士が衝突し、何隻か破損したと言う事故の情報を掴んだ。普段ならば、間抜けな奴らと鼻で笑い見過すが、今の彼らにとっては出陣の鐘である。
「恐らく、ランリエルに対する言い訳の為だろう」
「艦艇で兵を送るはずが送れなくなったので、ケルディラ方面の兵をロタに向かわさせて欲しい。というところか」
「では、こちらも動くか」
ブラン達は抜け道から城を出てロタ西部で兵を集めた。とはいえ、留守をあずかる当主の妻子や親類などは出し渋る。領地に兵を残しているのは、何も敵軍に備えてばかりではない。野盗などの襲撃に備える為でもある。
「何も一兵残らずと言っているのではない。籠城に耐えられる程度の兵は残していく」
そう言ってほとんど無理やり兵を出させた。
「これだけ強引に兵を集めて負けては、貴族達に吊し上げられるぞ。敗戦の全責任を負わされかねん」
「負ければ国が無くなっている。気にするな」
バルバストルにブランが応じた。リュシアンは不機嫌そうだ。アレットがいれば、あんた妬いてるの? と言ってリュシアンに睨まれただろう。
こうして集まった兵は2千8百。想定していたより少ないが贅沢も言えない。それに、少数ずつだが、各城から独立連隊の隊員を抜け出させた。合せれば何とか3千近くにはなった。
無理やり連れて来られた兵達も気が進まなさそうだったが、ブランと共に行軍している内に、ブランの獣気が彼らを酔わせた。自然と鋭い顔つきになって行く。ただブランと共にあるだけで、己が強者≪つわもの≫になったと自信がみなぎる。ブランらはその軍勢と共に、バルバール軍が通るであろう山林地帯に向かった。
そして索敵を放ち待ち受ける事、三日、ついにバルバール軍がやって来た。すぐさま出陣する。敵国内を行軍するのに索敵をしない馬鹿はいない。敵もすぐにこちらを発見する。しかし敵は行軍隊形。前後に伸びきっている。敵が激撃態勢を整える前に乱戦に持ち込むのだ。
ブランを虎牙槍を構え先頭を駆けた。騎兵が続く。歩兵が遅れるのも構わず駆ける。とにかく切り込む。歩兵は乱戦になってから到着すればいい。
バルバール軍が見えた。駆ける。矢の雨が降る。小雨だ。敵は迎撃態勢を取れていない。槍衾も薄く狭い。横に回り込むふりをすると簡単に乱れた。乱れた隙間から切り込んだ。バルバール兵を薙ぎ払う。力一杯振った虎牙槍に吹き飛ばされ、兵士が舞った。バルバール兵が怯み後退する。
しかし、そこにバルバール騎兵が駆けて来た。先頭の者の武器は戦棍である。その男の出現に、バルバール兵の動揺が収まる。ブランも虎牙槍を構えなおした。バルバールの猛将グレイスである。
「いたか……」
リュシアンが呟いた。北部の戦線からグレイスを見たと言う報告は何度も受けていた。見間違いではないかと、何度も調べさせた。それが今、目の前にいる。しかしその瞳に驚きはない。
グレイスに応じるようにブランが進み出た。
「お前が来るだろうとは思っていた」
「なんだよ。少しは驚くかと思っていたんだがな」
「フィン・ディアスは名将だ。我らの策など読んで当然だろう。ならばお前が来る」
「まあ、確かにな」
城の抜け穴から出入りするなど少人数だから出来る事。ケルディラからロタ西部を通ってロタ王都を突く策が万一見破られても、バルバール軍5千に対し、ロタが用意できるのは精々2、3千。その兵力で5千を打ち破るには、例によってブラン頼みしかロタには策が無い。確かにディアスはそう読んだ。
「そういう訳で、ケルディラに居るカーニックと交代してくれないか?」
ディアスがそう命じた時、その声には不機嫌そうな響きがあった。
「それはかまいませんが、何か気に障る事でも?」
「ロタの連中とは相性が良くないらしくてね。どうも後手に回ってしまう」
ディアスから見ればロタの策は素人くさい。だが、それゆえに読みにくい。結果を見て、こういう意図があるのだ。こうしているのだとは分かるのだが、それが分かった時に手遅れとなっていては意味が無い。
奇策という意味ではサルヴァ王子も同じだが性質が違う。サルヴァ王子が基本を極めた者の抽象画なら、ロタのそれは基本を会得していない者の抽象画である。
サルヴァ王子の奇策は軍勢の力を発揮させるものだが、ロタのそれはどこまでもブラン1人の力を発揮させるものだ。それがディアスの思考とあわない。
そしてそのブラン頼みに対するに、効率という面を考えるとディアスもグレイス頼みになる。そうなってしまう状況にも苛立ちを感じていた。
「ですが、ロタ王都を突く軍勢をブランが狙うのを読んだのなら、後手とは言わんでしょう」
「まあ、今回は彼らが城の抜け穴を通って移動しているのが分かっているからね」
「なるほど」
「まあ仕方がない」
ディアスは大きくため息をついた。
「敵には敵の思惑がある。こちらの都合は聞いてくれないさ。勿論、こちらも相手の都合を聞いてやる必要はないけどね。ブランを止めてくれ」
「しかし、敵がこちらが王都を突くと読んだのなら、迎撃に来ずに王都の防衛をする事も考えられるのではないのですか?」
「そしたら、王都手前で引き返してロタ西部を制圧するさ。我らと対峙しているロタ軍の後を脅かすんだ。それでロタは詰みだ」
「ロタは、王都を落とされても詰み。西部を制圧されても詰みですか」
「ああ、とはいえ、西部を制圧して前後から圧迫して降伏させるのは時間がかかる。王都を落とす方が手っ取り早いから、まずはそれを目指すけどね。尤も、向こうも我々が王都を突くと読むくらいなら、西部を制圧されては終わりなのも理解するだろう。読んで迎撃に来るか、読めずに王都までがら空きかのどちらかだよ」
「そういう事ですか。それで、今度はブランを討った方がよいですか?」
「いや。任せるよ。こうと決めて動くと選択肢が少なくなる。ロタ王都を突く事を優先に考えてくれ。ブランにそれほどの価値は無い。少なくとも現時点ではね」
万一にでも起これば対処不能の危機を防ぐ為に、対処可能な危機をあえて受ける。それが危機管理だ。ランリエルと戦った時には勝利よりもサルヴァ王子を討ち取るのを重視した。それはサルヴァ王子のバルバール再侵攻があれば致命的と判断したからだ。勝利を捨てるほどの価値を、ディアスはブランに見ていない。
ディアスの言葉を思い出し、グレイスの口元が僅かに歪む。
こいつらにそれを言ったら激怒しそうだな。まあ、勝利より優先される首など、そうそう転がってはいないが。
グレイスが戦棍を一振りすると、ぶんと音が鳴った。特に大きな音ではない。その何気ない動作にロタ兵が後ずさる。ブランのみ下がらない。
「それより、あれから少しは強くなったか?」
「お前こそどうなのだ」
「心配するな。こう見えてもけっこう歳なんでな。お前ほど伸びしろは残っちゃいねえよ。お前が追い付く事があっても、広がりはしねえ」
「俺が抜くとは考えないのか」
「お前、意外と細かいな。まあ、そういう事もあるだろう。いずれな」
グレイスの人を食った言い草にブランの視線が鋭くなる。
双方の兵士達もそこかしこで小競り合いは発生しているが、大きな衝突にはなっていない。ブランが勝てばロタ兵の士気上がりバルバール兵は崩れ勝敗が決する。グレイスが勝てばその逆だ。兵士達もそれを感じ2人の戦いを見守る空気だ。サルヴァ王子やディアスが嫌悪する、一騎打ちに戦いの勝敗を委ねる状況である。
こうなったら、やるしかないか。
ディアスからは、ブランを討つよりロタ王都攻略を優先せよと言われているが、この状況では一騎打ちの勝敗が戦いの勝敗に等しい。そして、既に兵力が枯渇しているロタだ。この勝敗がロタ王都攻略に通じる。
「じゃあ、ま、やるか」
その何気ない言葉が開始の合図だった。