第17:深奥の宴(1)
「今宵お招きしたカーサス伯爵を、ランリエル貴族として迎える事が出来、まことに喜ばしい限りである。伯爵は、ランリエルと帝国との新しい関係の礎となろう」
サルヴァ王子は宣言し、杯を掲げた。他の者達もそれに倣う。みなの視線を受けた伯爵は礼儀正しく一礼した。
カーサス伯爵を帝国から招いたサルヴァ王子が、歓迎の宴を催したのである。
国王を除けば、現在王子はランリエルで最大の権力者であり、将来的には除く者の居ない最大の権力者となる。その招きを断る貴族は皆無であった。それどころか招かれる事が名誉と考え、宴には多くのランリエル貴族が出席した。だが、その招きに応じながらも王子に反感を持つ者も居る。帝国支配の方針について、王子と意見が対立している者達である。
彼らにしてみれば帝国の領地などすべて取り上げて、ランリエル貴族に分配すべきなのだ。それでなくては何の為に数百年も帝国と戦ってきたというのだ! だがサルヴァ王子にとってはあまりにも馬鹿馬鹿しい言い分だった。
貴様達が数百年の寿命を持ちその数百年を戦ってきた訳では無かろう。そして占領したならば全土を取り上げる。などという考えだからこそ、数百年もの間勝負が付かなかったのだ。欲をかけば全土どころか、寸土も手に入らなくなるという事がどうして分からないのか!
だが、このように声高に不満を叫ぶ貴族達について、ある意味潔いと関心もしていた。現在ランリエルで一番敵に回してはいけない王子に対し、真っ向から反対しているのはある意味いい度胸である。勿論あくまである意味、であって、所詮度胸の使いどころを間違っているとしか言いようがない。
始末が置けないのは、表面的には王子に従っているふりをしながら、内心不満を募らせている者達である。
不満を募らせるだけなら良いが、そのような者達の常として、中には策謀によって王子の失脚を謀る者達も現れよう。その者達を炙り出す必要があった。
その為、今回の宴に先立ちサルヴァ王子はカーサス伯爵と面会していた。
王子の執務室で顔を合わせたカーサス伯爵は、丁寧に挨拶をし頭を下げた。
「私の要求を認めて下さり、ありがとう御座いました。また今宵は私の為に宴まで開いて頂けるとは、感謝の言葉も御座いません」
カーサス伯爵の型通りの挨拶に、サルヴァ王子も
「私もカーサス伯爵をお招き出来嬉しく思う」
と無難に応じ、早速本題に入る。
「カーサス伯爵には、是非ともやって頂きたい事がある」
前置きの無い正面からの言葉に、伯爵は気を引き締め襟を正す。
「私にやって欲しい事で御座いますか?」
「ああ、ランリエルにも私の敵は居る。貴公にはその者達を炙り出して欲しい」
その言葉に、伯爵は少し俯き考えるようなしぐさの後口を開く。
「炙り出す……と仰るからには、サルヴァ殿下への不満を声高に叫んでいる方々とは別の者……という事ですかな?」
サルヴァ王子の顔に笑みが浮かんだ。察しの良い男は嫌いではない。しかし炙り出すの一言でここまで洞察するとは、ランリエルの内情について、伯爵は以前より情報を収集していたと言う事だ。抜け目の無い男である。
「その通りだ。その手の者達にはすでに監視の者を付けている。もっともそのような者達がこそこそと裏で何かしているとも思えんがな」
「なるほど。すると私は誘蛾灯と言った所でしょうか?」
王子の顔にまた笑みが浮かぶ。
「ああ。伯爵には、真に帝国との友好を考えて近づく者も多いだろが、その中には、伯爵の落ち度を探そうとする輩も多数潜んでいるだろう。貴公を失脚させれば、築きかけたランリエルと帝国との関係も元の木阿弥だからな」
伯爵は軽く一礼した。
「かしこまりました。私に群がる者達の中から毒蛾を見つけ出し、殿下に御報告させて頂きましょう」
「ああ。よろしく頼む」
察しよく話の早い伯爵に王子は満足げに頷く。だが話はここで終らず伯爵は再度口を開いた。
「しかし私を失脚させようとする者達をあぶり出し、逆にその者達を失脚させるとしてどのような容疑でそれを行なう御積もりでしょうか?」
今まで神妙な顔で対応していた伯爵の表情が、探るようなものに変わる。まさか、私と相打ちさせる気ではないでしょうな? と言ったところだ。伯爵にしてみれば、その者達に自分を害させ殺害容疑で捕らえよう。などというならば堪ったものではない。
王子はまた笑みを浮かべる。用心深い男を相手するにはこちらにも相応に緊張感を持って対処しなくてはならない。そしてこのような緊張感は王子にとって心地良いものだった。
「私は、手を尽くしてくれた者を遇する事を知っている男だぞ? 人材を使い棄てるなど、長期的に見れば自分の手足を切り捨てるようなものなのだからな」
「つまり、私を長期にわたりこき使うお積もりと?」
王子は苦笑した。
「はっきりという奴だ。だが、確かにその通りだな」
王子は伯爵にはっきりという奴、と言うが、王子の返答も随分はっきりとしたものである。つい伯爵の顔にも苦笑が浮かんだ。
「かしこまりました。では、長いお付き合いが出来るよう、働かせて頂きましょう」
「うむ。それにこれは貴公にとっても悪い話ではなかろう。貴公を失脚させようと企む者に対抗する名分を、貴公は得る事になるのだからな」
「確かに」
カーサス伯爵は、笑みを浮かべて頷いた。形は臣従であるが実態は利害の一致した者同士の契約である。
カーサス伯爵は深々と頭を下げ、こうして王子の敵を炙り出すべく暗躍する事となったのだった。
王子が催す宴には、後宮の寵姫達も姿を見せる。
寵姫達は色とりどりの衣装を纏い、髪を美しく結い上げ宝石で身を固め、珍しい鳥の羽で作られた少し大きめの扇を手に優雅に微笑している。
華やかに着飾った23の蝶に男達はため息を洩らし、王子に羨望の眼差しを向けた。
自分の娘を差し出す貴族達も、王子の心を捕らえられなくては意味が無い。我が娘ならば! と王子に差し出される者達は、いずれも容姿自慢の美女ばかり。その選りすぐりの美女達を、王子は独り占めしているのである。男達が羨ましがるのも無理は無い。
そして、本来24番目の蝶となるはずのアリシアは、1人その群れから離れて壁の花となっていた。
他の寵姫達はこの日の為、数日前から肌の手入れに励み、衣装を用意し、装飾品を購入して万全の体制で臨んでいる。だが彼女は、いつもの衣装に毛が生えた程度の赤いドレスに、申し訳程度に首を飾るネックレスのみだった。
それとて後宮を管轄する役人から、アリシアの装いがあまりにも地味という事で支給された物なのだ。
アリシアは小さくため息を付いた。このつまらない宴はいつまで続くの? 目の前では、紳士、淑女の集団がお上品に談笑しているが、アリシアには興味のなさそうな話題ばかりだった。
宴に参加する貴族達は、時おりアリシアに奇異な目線を投げかける。みな華やかに着飾りにこやかに過ごしている中で、地味な服装の女が1人不機嫌そうに佇んでいるのだ。華やかさとは別の意味で目立っていた。
そして、地味な女であるからこそ落しやすいだろう。適当に遊ぶには持って来いだ。そう考えたらしい冴えない貴族が声をかけてきた。
「このようなところで佇んでおらず、私の相手をして頂けると嬉しいのですがな」
普段ならばこんな男など無視するのだが、自分は一応は後宮の寵姫だ。それなりの対応をするように言いつけられていた。馬鹿馬鹿しい話だが後宮に入り年金を貰っている身では、最低限いう事は聞かざるを得ない。
聞かずに済むならば、そもそもサルヴァ王子に抱かれてなどいないのである。もっとも王子にいわせれば、それなら私への口の聞き方にも気をつけろ。と言う所だ。
アリシアが、一応相手をしてくれている事にその貴族はいい気になり、ダンスに誘った。
さすがにそれは溜まったものではない。しかしこの貴族はしつこそうだ。アリシアはやむを得ず、断りきれなかった時に言えと、役人から教えられていた台詞を頭に思い浮かべた。
「わたくしは、サルヴァ殿下の寵姫で御座います。お相手するならば、殿下のお許しを頂かなくてはなりません」
言葉の上だけとは言えサルヴァ王子様に助けを求めるようで気に食わないが、この場合は仕方がない。そう考えたが、残念ながらこの台詞は、アリシアが払った精神的負担ほどには効果を発揮しなかった。
「貴女がサルヴァ殿下の寵姫ですって?」
貴族はそう言うと視線を移動させ23人の着飾った蝶達を一瞥し、またアリシアに視線を戻した。あの美しく着飾った貴婦人達と、地味な貴女の何処が仲間だと言うのだ。その目には疑わしげな色と、僅かに嘲笑の色を湛えていた。
アリシアには予想外の屈辱だった。屈辱を感じながら発した言葉だったにもかかわらず、その言葉すら信用されなかったのだ。屈辱の上塗りである。
この屈辱を晴らす方法は簡単だ。にこやかに微笑み、
「それでは、サルヴァ殿下にお伺いしてまいりますね」
そう言ってサルヴァ王子様に近寄って行けば、この者は慌てふためくだろう。アリシアにはそれが分かっていたが、これはまさに王子様に助けを求めるようで実行する気ならない。だが意外なところから助け舟がやって来た。もっともこの船は表面的には味方の軍旗をはためかせてはいたが、船内には敵兵を充満させていた。
冴えない貴族からの視線を感じたセレーナが、アリシアの存在に気付いたのである。