第177:ロタ南部戦線
ドゥムヤータ軍はロタが放棄したアブヴィル城を突貫工事で修復し、粗末ながらも城門なども作りそこを物資の集積地とした。そして今後の方針を決める為、7軍の諸将を招集した。
ドゥムヤータの軍勢は、7人の選王侯毎に割り振られる。そしてそれぞれが指揮官として率いるのだ。尤もそれは形骸化している。選王侯は軍人ではない。お抱えの武人に任せるのが慣例化していた。
「ロタ王都ロデーヴを直撃し、一気に勝敗を決するのだ!」
選王侯の中で唯一自ら軍勢を率いるリファール伯爵が、猛々しく言い放つ。幾人かの将軍が頷き、それと同数の将軍が小さく首を振った。
「どう考える?」
シルヴェストル公爵が、背後に控えるジル・エヴラールに小声で問うと彼も小さく首を振った。
公爵家の軍勢を率いる指揮官は、ジルではなくバイヤールという男だ。戦歴は長く能力的にもジルより上なのだが、それだけに扱いにくい。軍人に疎いシルヴェストル公爵を軽んじる傾向もある。公爵としては解任したい気持ちもあるが、私的な好悪で人事をすべきではないと我慢していた。先代から仕える男だし、確かに有能ではあるのだ。
とはいえ、扱い難いという事実は動かし難く、意見を求めるのにはジルが重宝していた。
「博打です。敵の拠点をそのままにして進軍し、勝てば良いですが、負けて敗走すれば散り散りになった我が軍は拠点から出撃して来た敵に殲滅されます。バルバールが北からも攻めるのですから、そちらと足並みをそろえるべきです」
教科書通りの回答だ。もう少し政治に鼻が利く者なら、戦後の’取り分’を考え、途中まで足並みをそろえた挙句、最後の最後で出し抜く事を考えるだろうが、彼にそこまでの嗅覚は無い。
「我が軍6万に対し、ロタは3万5千ほどを振り分けてくると推測されますが、我が軍の約半数。決戦を挑んでくるとは思えず、各地の城塞に籠り守りを固めるでしょう。我が軍はそれらを落としつつ、バルバール軍の進み具合を見て王都を目指すべきです」
公爵が頷いた。軍事であろうと金が動くならば経済活動と断じる彼だ。ジルの助言を聞きつつもそれを考慮しなければならない。事業を行う時に注意すべきは、投資額と利益予想と危機管理だ。
今回、サルヴァ王子からの秘密裡の要請により急遽出陣した。バルバールとの共同作戦を取り戦力は圧倒的。その上でロタを切り取り放題という破格の条件だったが、計画にない出陣に物資の蓄えは少ない。
投資額の蓄えを考えれば短期決戦。それに切り取り放題という条件を考慮すれば、リファール伯爵の案は間違いでない。バルバールと歩調を合わせず進撃し、ロタ王都すら越えて北上して占領するのだ。ランリエルから切り取り放題とお墨付きを貰っている。バルバールに文句は言わせん。おそらく伯爵はそこまで考えてはいないだろうが。
残る問題は危機管理である。
危機管理とは、万一の大損害を回避する為に確実な損。小さな被害を受ける事だ。ロタ王都までで南部半国はある。それより北上しても、バルバール軍が居る以上、ロタ全土を占領するのは不可能だ。精々7割程度。
ジルはリファール伯爵の案を博打と言った。博打に負ければ利益は0だ。1の利益のところを博打に勝てば10の利益が得られると言うならともかく、慎重に動いても5の利益があるものを、危険を冒して7にする必要は無い。
「バルバールも北から攻めるのです。我らのみ急行すれば、我が方の被害が大きくなりましょう」
しかし、出陣する兵数はドゥムヤータ6万に対しバルバール2万。それをロタを半国ずつで分け合えば、出資比率に対し利益が不公平だ。安全な範囲内で利益率を上げるべきである。
「バルバールと足並みを揃えた上で、多くの占領地を得る算段をすべきです」
幾人かの将軍が頷いた。しかし、それよりも多くの将軍の表情は複雑げである。リファール伯爵の提案に首を振った者達ですら、素直には頷かない。公爵家お抱えのバイヤールですらだ。
公爵家の軍事の頂点はあくまでバイヤール。自分を差し置き発言した公爵を灰色の目で一瞥し不機嫌そうだ。ドゥムヤータ人には珍しい瞳の色だが、母方の祖父がコスティラ人の為だ。灰色の瞳はコスティラ、ケルディラ人の男に多い。
ドゥムヤータの軍勢は7つに分けられるが、全軍集結するなら統括するのは選王侯達の持ち回りだ。そして実態は、それぞれのお抱え軍人の持ち回りである。しかし、最近は選王侯の1人、リファール伯爵が指揮を執るのが常だ。選王侯自らの出陣だ。他家のお抱え軍人はでしゃばれない。
しかも、前回のブランディッシュとの戦いで伯爵は手勢3千で敵を撃破し勇名を馳せた。その為、軍人の間では人気は高い。ドゥムヤータ軍を率いるのはリファール伯爵。その雰囲気があったのだが、今回、選王侯筆頭の公爵が参陣する。
今まで伯爵が軍勢を率いていたのだから、今回は公爵。しかし、公爵は軍事の素人。ならば、公爵を飾りにバイヤールがドゥムヤータ軍を統括する。そうなるのが順当というものだ。
その為、伯爵を支持する声が大きい軍部では、どうして来たのかと公爵に冷ややかな者が多い。それに対し公爵は、今後の参考にと考えたのみ。軍勢を指揮する気はないと宣言したが、そうすると今度は、全軍を指揮する機会を失ったバイヤールがへそを曲げた。公爵の従軍は思いの外、軍部を混乱させていたのだ。
「公爵はそう仰るが、遠く北に居るバルバールと足並みをそろえるなど至難の業。こちらはこちらの勝機を拾う戦いを行うまでで御座いましょう」
公爵の言葉に頷かなかった将軍の一人が、嘲笑を含みつつ発言した。無論、他の選王侯のお抱え軍人である。
「そうなのか?」
公爵が小声で背後のジルに問うた。
「た、確かに、難しいとは思いますが、それを目指すべきかと」
経験豊かな将軍の指摘にジルの額に汗がにじむ。
ジルの知識、発言は教科書通りだが、それだけに時として現実とそぐわず机上の空論にもなる。とはいえ、頷いた将軍がいる事からも間違いではないのだ。指摘した将軍は意図的に公爵を嘲笑している。
まあ、確かに事業でも共同経営者に全幅の信頼を寄せるのは危険か。バルバールが敗北せぬとも限らぬ。そしてだからこそ全財産を投資する訳には行かない。手を引ける状態を維持すべきだ。
「バルバール軍の状況が分からぬからこそ、我らのみ危険は冒せない。安全な作戦を取るべきだ」
「言わんとしているところは分からぬでもないですが、抽象的過ぎますな。もう少し、具体的に仰って頂きたい。それでは、勝てるように戦うべきだと言っているのと変わらない」
先ほどと同じ将軍の顔にはやはり嘲笑が浮かんでいる。
「それは失礼した。基本的な方針を述べれば、具体的なところは専門家である貴公達が詰めてくれると期待していたのだが、考え違いだったようだ」
我ながら若いな。将軍の嘲笑に頭に血を上らせ言い返しつつ、それを冷静に見つめる自分も居る。いや、言い返している時点で、冷静とは呼べないか。
言われた将軍は、ムスッと押し黙り公爵を睨んだ。選王侯の最高爵位に、よくこんな態度が取れるものだが、他家の人事に口出しは出来ぬだろうと高をくくっているのだ。
「まあ良い。シルヴェストル公爵がそういうなら、王都への攻撃は控えよう」
思わぬ援護をしたのは、なんと、自身の案を否定されたリファール伯爵だった。意外そうな視線が集中する。尤も彼にとってはほとんど無意識の癖のようなものだ。自分でも無理があると考える意見を言ってみて、皆で協議して通れば儲けもの。否定されればひっこめるのだ。現金なもので、止める者のいない自身の家裁については、伯爵も無理は言わない。
そこに選王侯のモントール侯爵家の軍勢を指揮する男が手を挙げた。モントール侯爵は、謀略を得意とする3老侯爵の1人だ。
「実はモントール侯爵から、とある提案を預かっております。侯爵が仰るには、現ロタ王は王座を前王家から奪ったばかり。心服せぬ貴族も多かろうとの事です。ですので、それらに揺さぶりを掛ければ、ロタ王国軍も浮足立つだろうと」
「なるほど。確かに」
何人かの将軍が頷く。シルヴェストル公爵が発言した時とは大違いだ。公爵が改めて参加者を見渡すと、自分よりはるかに年上ばかりなのに改めて気づく。どうやら、自分が発言すると、若造が権力を笠に着ていると見られるらしい。
まあいい。とにかくリファール伯爵の無茶は止められた。後は、専門家に任せるべきだ。現場を知らぬ経営者の2代目が口をだし、混乱させる事も良くある話だ。
その後の会議では、重要拠点を落としつつロタ王都に向かうと言う極平凡な作戦が決定した。絶大な指導力を持った者や、革新的な発案が無ければ、大人数が集まった会議では、お互い欠点を指摘しあい角を取り、その結果は丸となるのだ。
選王侯の7軍団は、それぞれロタ南部各地に進んだ。制度が出来た時には全軍団同じ数になるように配下の貴族を割り当てたのだが、それから数百年の間に栄えた貴族もあれば没落した貴族もある。今では差が出来ていた。シルヴェストル公爵家軍勢は最大の1万1千である。
その1万1千の公爵軍は、リファール伯爵軍8千と共に行動していた。ロタ王都ロデーヴから南南西に12ケイト(約100キロ)まで進み、敵の防衛拠点であるヴァンドム城を囲んだのである。
攻撃を始めたが無理はしない。戦いの趨勢は決まったと降伏の使者を送りつつ威嚇の攻撃を仕掛けている段階だ。降伏勧告が完全に拒絶されれば、本格的な攻撃を開始する。その間にも、難しいなりに北のバルバール軍とも連絡を取ろうと、かなり迂回させ使者を派遣している。
ただ、公爵家お抱えの軍人であるバイヤールは、手柄を立てようと躍起になっているかに見えた。威嚇の段階にもかかわらず、攻勢をかけ兵士に城壁を登らせようとしたのだ。尤もそれは、敵の抵抗が思いの外激しく中止された。
「こちらの攻勢がまだ本格的でないと敵が油断しているように見えたので、その隙を突こうとしたまで。それが意外に抵抗が激しかったので中止したのです。何か問題でも?」
公爵の追及にバイヤールは平然としたものだった。
「どうやら、バイヤールに見くびられているようだ」
日も暮れ陣中の天幕で、公爵が愚痴を溢す。座るのは残念ながらドゥムヤータ胡桃の椅子ではない。乱暴に扱っても惜しくはない、安い素材の物である。既に甲冑は外し動き易い服装だ。傍には、就寝まで甲冑を外さぬジルの姿がある。
「公爵にそのお考えはなくとも、他家から見れば公爵が出陣して来たなら、我が軍団は公爵が指揮を執っている。そう見えるのでしょう。バイヤール殿もそれを感じ取り、自らの存在を主張しているのだと思われます」
「まあ、そのような事もあるだろうが……」
人の機微とは難しいものだが、まだ若い公爵にはそれに配慮する人格的な深みはまだない。勝手な思い込みで、とんだとばっちりをと受け止めていた。
「それに、我が軍がリファール伯爵と同行しているのも気に食わぬらしいな」
伯爵はドゥムヤータ軍総指揮官の立場だ。必然、彼の軍勢が本陣となる。劣勢の敵に起死回生にと狙われる可能性もあり、8千では心もとない。どこかの軍と合流する必要があった。
その中でも公爵の軍が選ばれたのは、他家の指揮官達からの強い推薦である。他家から素人の公爵が指揮を執るのだと見られているので、単独行動をさせては危険と判断されたのだ。それがバイヤールには更に不満だった。
「ですが、バイヤール殿とて、公爵家の先代から仕える優れた方と聞いております。そう無茶はしますまい」
「だと良いのだがな」
公爵としては、実際、軍事の事は分からない。経済的な視点で戦略を見る事は出来るのだが、前線指揮となると完全に畑違いである。バイヤールに任せるしかなく、不必要に彼と争いたくはない。まあ、大人しくしているさ。と、傍観を決め込む。
しかし、ドゥムヤータ軍の綻びは意外なところからやって来た。ロタ南東部の制圧に向かっていたジェローム伯爵軍は、トゥルス城を囲んでいたのだが、ある日突如、城門が開け放たれ敵が打って出たのだ。
先頭に立つ男は見た事もない武器を振り回し、伯爵軍を蹴散らした。後ろに続く敵兵も雄叫びをあげ切り込む。その勢いはすさまじく、圧倒的優勢と油断もしていた伯爵軍は少なからぬ被害を受けた。後退し軍の立て直しを余儀なくされたのだ。
そしてその数日後、そこから西にあるシェルーブ砦を囲んでいたフランセル侯爵軍が攻撃を受けた。同じく敵が城門を開け放ち打って出たのだ。その先頭に立つ男は、やはり、見た事もない武器を手にしていた。




