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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第16:武門の名流

 この日ケネスは、ディアスの従者としてバルバール王都チェルタにある軍部に来ていた。そしてディアスの執務室の横にある控え室にいた。


 次の戦いでケネスに初陣を命じたディアスだったが、一兵卒として出陣させる積もりはない。これは贔屓というより、現実問題として体質的に弱いケネスには一兵卒として戦う能力が無い為だった。


 とはいえ、今まで何の実績も無い者を行き成り参謀の一員として迎えては、それこそ贔屓と言うものだ。ならばケネスを戦場に連れて行くには、ディアスの従者に任命するしか無いのだった。


 そして従者として戦場に出るなら、今から従者として仕える方が良い。


 ディアス邸を出る時、ディアスとケネスにミュエルは、にこやかに

「いってらっしゃいませ」と挨拶した。


 元気になったミュエルに、良かったという思いと微かな胸の痛みを感じるケネスだった。


 ミュエルの事はすっぱりと諦めたが、それはあくまで理性との折り合いの話であって、感情を説き伏せるのにはまだ時間が掛かりそうだ。


 ディアスはケネスの表情からその複雑な心境を微かに感じ取ったが、あえて何も口にはしない。このような問題は時にその解決を任せるべきだ。


 従者とて、いつも仕える者の傍で直立不動で立っているというものではない。そんな事をされては主人の方も気が散るというものだ。普段は執務室の隣りにある控えの間でその名の通り控えており、主人に呼ばれた時に飛んでいくのである。


 そして主人に来客があった時に取り次ぐのもその役目だった。取次ぎ用の小部屋の扉が軽く叩かれると、ケネスは飛び上がり急いでその扉へと向かった。


 扉を開けると、バルバール軍のシルヴェン将軍が立っていた。


 こげ茶の波打った毛を肩まで伸ばし、瞳は黒い。体格はディアスよりも縦と横に一回り大きかったが、その身体は逞しさよりたるんだ印象を与えた。年齢はまだ30歳にもなっていないはずだが、蓄えられた口ひげにより、ディアスよりも老けて見えた。


 ケネスはシルヴェンが嫌いだった。ディアスの悪い噂を、有る事無い事撒き散らしていると言われているからである。


 ディアスはバルバール王国の武門の名流の当主であり、現総司令でもある。だが武門の名流はディアス家のみではなく、血筋だけで言えばディアス家に匹敵する。あるいは凌駕する名家も存在するのだった。


 その中でディアスが現総司令なのは実力で勝ち取ったものであるが、他の武門の名流の血筋の者の中には、それを認められない者も多数居たのである。


 シルヴェンはその代表格と言ってよい男だった。その血筋から武門の名流の筆頭といわれ、ディアスに嫉妬する事においても筆頭といわれる男なのである。だが、それでもケネスの判断で取り次がない訳にも行かない。シルヴェンに

「しばらくお待ち下さい」と頭を下げディアスの元へと向かった。


「シルヴェン将軍が起こしになっております。お会いになられますか?」


 ケネスは内心、断われー。断われー。と呪文のように唱えていたが、ディアスは一瞬嫌な顔をしながらも通すように言いつけた。ディアスにとっても会いたい相手ではないが、軍総司令として断わる明確な理由も無く、訪ねてきた将軍を追い返す事は出来ない。


 ケネスに案内されて執務室に通されたシルヴェンは、執務を行なう為の重厚な机の椅子に座るディアスを見下ろした。


「私にも椅子ぐらい勧めて欲しいものですな」


 血筋はともかく、軍での立場としては一将軍でしかないシルヴェンが、総司令であるディアスに尊大に要求した。


 ディアスが意地悪で椅子を勧めなかったのかと言えば、もちろん意地悪で椅子を勧めなかったのである。だがシルヴェンはそうとは思わず、たんに気の利かない奴と思っただけのようだった。


 聖人君主でないディアスは、自分に対し明らかに敵意を持っている人間に親切にしてやる必要を感じなかったのだ。だが、ここで「お前に勧める椅子など無い!」と口論するのも馬鹿馬鹿しい。ケネスに命じて椅子を持ってこさせてシルヴェンに勧めた。


 シルヴェンは持ってこられた椅子に座ると

「硬い椅子ですな」とその椅子に愚痴を洩らしディアスを睨みつけた。


 シルヴェンには、ディアス家如きの当主が、なぜ総司令官の重責を担っているのか! と理解できないでいた。


 だいたいディアスなど自らは戦おうともしない、小手先の小細工が得意なだけの男ではないか! 自分ならば攻撃する時は先陣を切って飛び出し敵を突き崩し、軍勢を手足のように操り敵を分断し殲滅して見せる。自信満々にそう思っていたが、残念ながら彼以外の者はそう思わず軍部での評価は低い。


 勇猛果敢に突撃すれば勝てるのであれば誰も苦労はしないし、兵学という学問も存在しない。そして現実は、軍勢を手足のように操るなど不可能なのだ。


 万の軍勢を率いて敵に向かって突撃している時に、打ち合わせに無い方向転換を右に左にと2回も行なえば、隊列は散々に崩れてしまう。そして一旦崩れた隊列はそう簡単には戻らない。


 それが出来るとすれば

「俺について来い!」の命令で済む、小勢の集団ぐらいなものである。


 もしシルヴェンに指揮を任せれば、バルバール軍は敵軍の前で勝手に奇妙にのた打ち回った挙句、隊列は崩壊し、敵のかっこうの餌食になるのは目に見えていた。


 ディアスは、自分を睨みつけるだけで本題に入ろうとしないシルヴェンに、椅子の愚痴を言いに来たわけでもあるまいに、と思いながら口を開いた。


「それで今日はどのような用件で来たんだ?」


 シルヴェンがバルバール一の武門の名流であろうがディアスにとっては部下の1人でしかない。敬語を使う必要を感じない。だがシルヴェンはそうは思わず、ディアス家の当主如きがシルヴェン家の当主に無礼な。と不快げに顔を歪めた。


 上官にすら敬意を表せないなど軍人以前に人間として不適合である。そのシルヴェンが曲がりなりにも将軍を名乗っていられるのは、名流の血にものを言わせ山賊、野盗退治など、余程の事が無ければ負けない相手に武勲を重ねた結果だった。


 コスティラ、ランリエルといった大国に挟まれたバルバールに血筋だけで出世できる余裕は無いはずだった。だがそれをやってのける辺り、シルヴェンの血筋がそれほどのものという事を表す。


 もっとも、そのように手配しているのはシルヴェン自身ではなく、実はその父だった。父は息子の能力を正確に見抜き息子が山賊、野盗程度にしか勝てないと分かっていたのだ。だがそれすらもシルヴェンには気に食わない。父すら自分の能力を認めようとしないのだ。


 ずっと口を開かないシルヴェンに、ディアスは一瞬このまま放置すればどうなるんだろうという誘惑にかられたが、すぐに考え直した。シルヴェンに付き合って執務を滞らすのは明らかに時間の無駄である。うんざりしながらも、やむを得ず再度口を開く。


「わざわざ訪ねてきたのだ。何の用も無い訳ではないだろ?」


 シルヴェンもさすがにここで口を開かねば、話が先に進まないと思ったのか口を開く。だがその口元は下品な嘲笑に歪んでいた。


「なに。お祝いを述べに来たのですよ。私には理解出来ませんが、総司令殿が幼女を嫁にし閨を共にしていると聞きましてね。これでディアス家はすぐにでも跡取りが出来、万々歳でございましょう」


 実際ディアスはミュエルと一緒の寝具で寝ているが、この場合の閨を共にとはそういう意味ではなく、ディアスがミュエルを性的に抱いているという意味を指す。


 ミュエルを妻とする事で、彼女を抱いていると思われるのは仕方が無いと考えていた。当然と言える。だが12歳の少女を、あえて「幼女」と言い表すその品性が気に食わない。だがここでこの男と言い争う気は無い。言い争う価値もない男なのだ。少しでも早く視界から追い出すに限る。


「それはありがとう。では、用件がそれだけなら引き上げて貰えるかな? 仕事が溜まっているんだ」


 ディアスが素っ気無く答えると、シルヴェンはディアスの反応の悪さに不機嫌な表情になった。まったく分かりやすい男である。だがシルヴェンは席を立とうとはせず、再度口を開いた。


「いえ実はそれとは別に用件がありましてね。なにやら、次にはランリエルとの戦いがひかえているという話ではないですか。是非とも、私もその戦いに出陣させて頂こうかと思いましてね」


 人の口に戸は立てられないとは言うが、シルヴェンのような者にまで次はランリエルと戦う事になるだろうという話は伝わっていた。しかし総司令に嫌味を言った直後に、抜け抜けと要求するとは面の皮が厚いにもほどがある。しかも、出陣させて欲しいではなく出陣させて「頂こう」なのである。


 ディアスの背後に控えその会話を聞いていたケネスが、彼のその厚い皮を剥げば、実は痩せているのではないか、と考えたほどだった。


 まったくバルバール一の名流の血筋がどれほどのものなのかとディアスは思う。だいたい現在の一般的な評価は、ミュエルのお父様がディアスをバルバール一の婿と評したように、バルバールの軍事の名門と言えばディアス家なのだ。


 そもそも武門の名流という評価は実績の積み重ねである。そしてシルヴェンがいうシルヴェン家こそがバルバール一の名門というのは過去の実績でしかない。それに対しディアスは現在実績を積み続け、しかもつい最近コスティラに対しかつて無い大勝利をもたらした。


 名実共にディアス家がバルバール一の名門となる日も近いのである。ディアス自身は名門の血筋を鼻にかけ偉そうにする気は無いが、シルヴェンのような輩に会うとつい対抗してしまう。その点ディアスも子供っぽいところがあった。


 ディアスはもうシルヴェンの相手はもううんざりだと、

「検討させて貰おう」

 と言質を与えずに追い返した。



「まったく嫌な奴ですね!」


 シルヴェンが去った後、ケネスは不機嫌に声を荒げ、ディアスも肩をすくめた。


「だが、ああいう奴も軍隊には大勢いる。時にはああいう奴が自分の上官になる事も有り得るんだ。軍人になるならその覚悟も必要だぞ」


 ケネスはシルヴェンが自分の上官になった光景を思い浮かべて、心底嫌な表情をした。それを見てディアスが笑いかけた。


「どうした? 軍隊が嫌になったか?」


「いいえ! そんな事ありません!」


 慌てて首を振りながら答える少年に、ディアスはさらに大きく笑った。



 数日後、ディアスの元へ軍務大臣のエドヴァルドから通達があった。シルヴェンを幕僚の1人に加えるようにと言ってきたのだ。幕僚の任命権は総司令にあるが、軍務大臣からの要請であればむげにも出来ない。


 シルヴェンの父は現軍務大臣の昔の上官だったのである。シルヴェンの父はすでに引退しているが軍隊という上下関係の厳しい世界では、引退した後もその精神的上下関係の束縛からは容易に抜け出せないのだった。


 私が幕僚に加える積もりが無いのを察して、父親にでも泣きついて大臣に手を回したか……。シルヴェンは普段自分の力を認めない、自身も好きではない父にやむを得ず泣きついたのだ。それだけにシルヴェンも今回の出陣には意気込んでいるのだと、ディアスに察せさせた。


 しかしこの知恵を軍事に回せていれば、多少なりともまともな武将になれるものを……。幕僚達を招集する定期的な軍議で毎回シルヴェンと顔を合わせねばならないのかと、さすがのディアスも大きくため息をついた。

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