第165:きっかけ
ラルフ・レンツがリンブルク王となる。
2ヶ国を統治する権力者に同盟打診の使者を偽名を使わせ向かわせたら、知らない間にその使者が、偽名のまま2ヶ国の内の1国の王になっていた。流石のサルヴァ王子も理解不能だ。
「まさか、このような事になるとは……」
偽名を使うように提案したカーサス伯爵の顔も青い。常に泰然とする彼だが、流石にこの状況は能力を超えている。せめてもと手を尽くして情報収集を行った結果、次の事が分かった。
「まったくの偶然なのですが、クリスティーネ女王の馬車が反ベルトラムの貴族に雇われた賊に襲撃されたところにルキノ殿が通りかかったのです。ルキノ殿は女王を賊から助け、2人は愛し合うようになったと」
「ルキノには密かに伯爵の手の者が護衛に付いていたはずだったが、その者達はどうしていたのだ?」
「お恥ずかしい話ですが、クリスティーネ女王にも密かに護衛する者が居たらしく……。そうとは知らずに牽制しあい、双方、動けなかったのです。あくまで状況からの推測ですが、間違いないかと」
「そして、ルキノは律儀に我が命を守り本名を明かさず、偽名のままクリスティーネ女王と結婚しリンブルク王になったというのだな」
「は……」
伯爵が俯き頷く。
王子の後ろに立つウィルケスは、あの夢見がちな侍女が知れば、これこそ運命の愛と狂喜乱舞するな。と場違いな事を考えていた。あまりにも予想外の展開に現実感が乏しく、頭が真面目に考えるのを否定していた。
「そして、今になってもルキノ殿からの連絡が無いのは、恐らく奥方となったクリスティーネ女王にも、今だ本名を明かしていないからと思われます。リンブルク王となったと言っても、所詮、リンブルク王宮に居るのは全て女王の臣下。ルキノ殿が動かせる部下など1人もいません。女王が事情をご存知なら、女王からこちらに連絡がありましょう」
「ベルトラム殿からも連絡が無い。ルキノが女王を救ったのは、ベルトラム殿への使者の任を果たした後なのであろう? ルキノはリンブルク王としてベルトラム殿と会ったと聞くぞ。流石にベルトラム殿も気付いていよう」
「ベルトラム殿は食えぬお方……。そういうしか御座いません」
「なるほど……な」
ベルトラムは、ルキノを、いや、ラルフ・レンツを良き婿と褒め称えたという。正体が、ランリエルの使者と知った上でだ。
「改めてベルトラム殿に使者を向かわせる。ルキノにもだ。ベルトラム殿への使者は、ご息女の婚礼の、ルキノへの使者は、戴冠の祝いとすれば、表立って堂々と遣わせられる。親書を持たせ、必要ならば名義は父上にする」
実質、ランリエルを仕切っているのはサルヴァ王子だが、ランリエルの公式な代表が父であるクレックス王なのは当然である。
「随員は伯爵の部下にお願いする。ルキノと密かに会い、今後の連絡方法を確立するのだ」
「は。承知いたしました。今度こそは失態なきよう、細心の注意を払います」
「ですが、ルキノ殿がリンブルク王になったのは、ランリエルにとって悪い話ではないのでは? それほどの失態とは思えませんが」
「そう言って下さるのは嬉しいのですが……」
現実逃避から復帰したウィルケスの擁護に伯爵が謙遜するが、実際、今のところ良いとも悪いとも言えないのが正直なところだ。いや、如何な事情があろうと、サルヴァ王子が腹心の部下をリンブルク王として送り込んだ形になった。客観的に見て、ベルトラムの心証は悪くなっていると推測される。
これがルキノがリンブルク王として自由に動けるならばランリルに有利だが、統括者たるベルトラムに頭を抑えられている。その上で同盟関係を構築するには、国力の大小に関係なく、ランリエル側が下手に出るしかない。
「ですが、伯爵の活躍にはいつも目を見張っていました。それに、確か以前は今ほど組織だった諜報員は居なかったはず。いつの間にこれほどの体制を整えていたのかと、常々思っていました」
「そうですな。サルヴァ殿下のご要望にお応えして来た結果。とでも申しましょうか」
「殿下のご要望……。確かに」
ウィルケスは笑み、チラリと要望厳しい上官に視線を向けた。向けられた王子は、微かに視線を逸らす。サルヴァ王子は使える者と思えばとことん使う。そうして磨かれた者を更に使うのだ。その結果、伯爵は磨きぬかれ、今ではサルヴァ王子に欠かせぬ玉となっている。
「しかし、今回の事で少し冷静になりました。あまりに身に余る事はしない方が良いですな」
激しく磨いた挙句、折角の玉を割ってしまっては元も子もない。何事にも程度というものが必要だ。
「いや、伯爵には感謝している。今回のルキノの件は全くの偶然だ。予測のしようがない。これからも研鑚に励んでくれれば心強い」
「ありがたきお言葉。とにかく一旦、組織は引き締め足元を固めますが、その時には今よりも使える部下となっているよう、励みます」
「よろしく頼む」
自信なさげで顔色も青かった伯爵だが、部屋を出る時には肌にも赤みがさし足取りも力強かった。
次にランリエルに舞い込んだのは、皇国の衛星国家ブエルトニス王エウセニスの訃報である。その少し前には、元皇国宰相で今では皇帝毒殺の大罪人ナサリオの妻フィデリアが、義弟であるデル・レイ王アルベルドと以前から通じており、その息子もアルベルドの血を引いていた。との情報があった。しかも、亡くなったエウセニスとフィデリアは従兄妹同士である。
これは関連付けられたものなのか偶然なのか。伝え聞いたところによると、エウセニスは寝具の上で切り刻まれていたという。しかもその後分かった事では、王の側近の騎士と屋敷の侍女が行方知れずとなっている。置手紙には騎士が恋焦がれていた侍女を、王が強引に奪ったなどと記されていた。
「その為、痴情のもつれであろうと考えられているそうです」
「状況的には、そう見るしかないが……」
ウィルケスの報告に王子も頷くが、何か釈然としない顔だ。
「何か気にかかる事でも? 確かに、偶然殺されたにしては、何もこの時に、とは思いますが」
「いや、まさにお主の言う通り、偶然にしてはと思ったまでだ。恐らく気の所為であろう。それより、ブエルトニスの次の王は、誰になるのだ?」
「エウセニス王には5歳になる息子が居るので、順当に考えればその息子が次のブエルトニス王ですが、そもそも亡くなったエウセニス王が、その前の王の子ではありません。王に子が無かった為、甥だったエウセニス王を養子に迎え跡を継がせたのです。その時、最後まで王位を争ったエウセニス王の従弟であるグラシオ殿が、こうなったからには次のブエルトニス王は自分だと主張し、それに賛同する貴族も多いとか」
「なるほど。そのエウセニス王の遺児が成人していれば話は変わったであろうが5歳ではな。特に皇国は今、混乱の真っ只中。5歳の前王の遺児より、成人した前王の従弟が良いか」
王子の顔に皮肉な笑みが浮かぶ。
「少し気が早いが、そのグラシオ殿にブエルトニス王即位の使者を送るか。無論、表向きは別の名目にするが」
「相手は、迷惑しそうですね」
ウィルケスの笑みも皮肉めいていた。
「人聞きが悪いな。皇国の衛星国家たるブエルトニスと友好関係を築けば、我がランリエルにとって、これ以上ない利益となろう」
だが、友好関係など築けるはずがない。ランリエルは皇国にとって不倶戴天の敵となっている。サルヴァ王子は皇国との友好の道も模索しているが、ほぼ不可だ。その状況で王位継承候補にランリエルから使者が到着すればどうなるか。
悪ければ、ランリエルに通じているのかと即位の話も流れる。そうなれば、ブエルトニスの新王は5歳の子供だ。ランリエルにとって、敵の弱体化は損ではない。しかも、こちらにしてみれば友好の使者を送るのに非難されるいわれはなく、相手が勝手に過剰反応し自滅するのだ。確かに人が悪い対応だが、表立って敵対を叫ぶ相手に、こちらが親切でいてやる必要はない。
「しかし、最近、祝辞や弔辞の使者ばかり送っている気がしますね」
ウィルケスは、そう言って肩をすくめた。
そしてウィルケスは休日のある日、夢見がちな侍女ことエレナと会っていた。アリシアとサルヴァ王子との関係を探る為に近づいたのだが、そのアリシアと王子が結ばれた今、用済みである。しかも、そもそもあまり役に立っていなかったのだが、ウィルケスですら知る2人が結ばれたという事実を、なんとこの侍女は知らないのだ。
確かにアリシアも隠そうとはするだろうが、彼女は、アリシアと最も多くの時間を共有する専属の侍女。どうして気づかないのかウィルケスには理解不能だが、この夢見がちな侍女は思い込みが激しくもある。いくら自分の主人がただの村娘から後宮一の権力者になったとはいえ、流石にここまで。まさか王子の心まで射止めるはずはないと思い込んでいるのだ。
役に立たないと分かった以上、お互いの為にもとっとと関係を清算したいのだが、何せこの侍女はどう爆発するのか分かったものではない。侍女の方から離れていくのを待ちわびているのだが、侍女に他にめぼしい相手がおらずウィルケスに夢中なままである。
こうなっては禁断の方法を取るしかないのか。ウィルケスはそこまで考え始めていた。ちなみに、その禁断の方法とは、振られたい相手の前でわざと失態を演じ、愛想を付かされる事である。だが、それにも事前調査が必要だ。
浮気癖を見せれば嫌われると思ったら、逆に独占欲に火が付く事もあり、酔い潰れて見せれば母性本能をくすぐる事もある。薮蛇にならないように気をつける必要があった。その為にも、侍女と定期的に会っている。
しかし今日は、その侍女から気になる情報を得た。
「最近、ナターニヤ様の様子がおかしいのです。以前の艶やかな衣装は最近ではお身に付けず、普段着のような物ばかりで」
後宮の日常は普段ではない。寵姫達は日々着飾り美しさを競い、毎日が舞踏会の如くだ。その中で普段着を着るのは確かに異質だ。
「しかも、アリシア様の部屋に入り浸っては、行儀悪く長椅子に寝そべってばかり。まるでアリシア様が2人いるみたいです」
エレナは声を潜め小さいが、口調はそれを補って余りあるほど非難めいている。運命の婚約者にも明かすのは早いが、ナターニヤが主人の命を狙っていると考えていた。
アリシア様が2人ね……。微妙に主人非難にも聞こえる言葉に、ウィルケスは腕を組み考え込む。
ナターニヤを以前から裏のある女と睨んでいた。しかし王子とアリシアが結ばれた事や皇国軍の来襲。更にタランラグラ出兵にルキノのリンブルク王即位。目まぐるしい状況の変化に、ナターニヤに注意を向ける暇はなかった。
このナターニヤの変わりようはどういう事だ?
変化があったなら原因が存在する。あの女は間違いなくこの侍女より聡い。比べ物にならない。王子とアリシアが結ばれたのを察しているのも十分に考えられる。2人が結ばれたのを知って変化したのか。少なくとも今得ている情報から推測するなら、他には無い。問題は、どうして地味になるかだ。
王子を篭絡するのを諦めたのか?
素直に考えればそうだ。アリシアから王子を奪うなら、もっと積極的になるか、アリシアを亡き者とするかだ。だが、更に侍女から話を聞いてもその様子はない。日々、アリシアの部屋に入り浸りごろごろしているという。
俺の見込み違いか? 確かに全ての女を分かっているとは言わない。しかし、あの手の女が、そう簡単に狙った獲物を諦めるとは思えないのだが……。
王子とアリシアが結ばれ油断していたところはある。しかし、やはりナターニヤが気にかかる。気にし過ぎで徒労に終わるなら、それはそれでいい。やらずに問題が発生する方が愚かだ。
「すまないが、ナターニヤ様を注意深く見張っていてくれないか。やはり私も気にかかる」
「分かりました。やっぱり、ウィルケス様もそう思いますよね!」
エレナは愛する男の役に立てると微笑み元気に頷いたが、この言葉が、ウィルケスとナターニヤの運命を大きく変えるのを誰も知る由もなかった。