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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
255/443

第164:消える家族

 元皇国宰相ナサリオの妻フィデリアは、実はデル・レイ王アルベルドの妻であり、息子ユーリはアルベルドの血を引いている。それが発表された時、人々は愕然と目を見開き、次の非難の嵐が吹き荒れた。


「異父兄の妻と通じておっただと!」

「なんと破廉恥な!」

「何が聖王か。とんだ不道徳者であったわ」


 そして次の言葉に人々は更に驚く。


「よって、フィデリアは皇帝殺害の大罪人ナサリオの妻にあらず、ユーリは大罪人の息子にあらず。大罪人ナサリオと連座し処刑する事、不要である」


 そういう問題なのか? 人々は困惑し顔を見合わせた。国家運営とは前例を重しとするが、皇帝毒殺も前代未聞なら、その罪人の妻子が、実は別の男の妻子だった。こんな前例があるはずがない。


 ユーリについては、ナサリオの血を引いていないのなら処刑する必要はない。これは何となく、感覚的に受け入れられる。しかし、妻であるフィデリアは、やはり妻なのだから処罰されるべきではないのか。


 そして、そもそもな、大きな問題がある。


「フィデリア殿とユーリ殿を助ける為の虚言ではないのか」


 その疑念を持つ者もいた。アルベルドは妻であるフレンシスが同じ事を断言したのに驚き、自分の策が児戯なのではと衝撃を受けたが、それは妻を見くびっている故なのが大きい。世に知者は自分だけではなく、素直に信じぬ者もいるだろうとは考えていた。


 しかし、状況を見れば、ナサリオが死罪と決まってから突然言い出したにしては、前々からアルベルドのユーリへの態度は、まさに我が子へのものに見える。


「以前アルベルド様がデル・レイの王位を退いた時には、ユーリ殿を次期国王に指名した。その時は奇妙に感じたが、自らのお子であったか」

「なるほど。あの時は、今後、王妃フレンシス様とのお子が産まれるかもしれないのに、いくら可愛がっているとはいえ甥に王位を譲るとはと驚きましたが、こういう事だったのですな」


 それで納得しない者は、それほど可愛がっている甥だからこそ、世を欺いてまで助けようとしているのだ。と反論したが、その声は人々の支持を得なかった。


 そうなると話は初めの問題に舞い戻る。フィデリアとユーリが、ナサリオの妻子ではなくアルベルドの妻子ならば、死罪を免れるかどうかだ。


 皇国の大臣、官僚達が集まり議論を行った。新皇帝の後見人たるアルベルドも参加したが、アルベルドは当事者の1人。言葉を発せず、人々の議論を静かに見守る。


 参加者の内、司法関係の大臣、官僚達が法に則り裁こうとするのは当然だが、他の者達の立場は多彩だった。皇帝の後見人となったアルベルドに取り入るのを目論む者。逆に、アルベルドの足を引っ張ろうとする者。フィデリアがブエルトニス王の従妹である事からブエルトニスに縁ある者はブエルトニス王エウセニスの顔色を窺う。中にはフィデリアの美貌の虜となり、ここで恩を売れば、アルベルドとの関係はさておき、法的には未亡人となるフィデリアを手に入れようと望む者。フィデリアを女神とも崇めていただけに義弟と通じていたのに幻滅し、可愛さ余って憎さ百倍の者までいた。


「実質的に、など問題ではありません。フィデリアとユーリは法的にはナサリオの妻子。そのナサリオが妻子も連座する大罪を犯した以上、フィデリアとユーリにも責が及ぶのは必然。議論するまでもありませぬ」

「しかし、大罪人の一族にまで罪を問うのは、その者の血が一族にも流れているからです。ナサリオの血が一滴も身体に流れていないユーリに、どうして責を求める事が出来ましょう」


「大罪人の配偶者たる妻は血を共有せずして罪を問われるではないか。それは血に寄らず、妻であるが故に責を求めるのだ。ならば、息子とて血に寄らず、息子であるが故に責を求めるべきであろう」

「ナサリオの血が流れていないならナサリオの息子ではあるまい。全くの他人である」


 血が繋がっていなければ息子ではない。その意見が優勢だ。問題なのはフィデリアだ。


「ならば、フィデリアとてナサリオの妻ではない。フィデリアも助けるべきだ」

「何を言うか。不義密通すれば妻ではなく罪に問われないなら、世の妻はこぞって不義を働こうぞ」


「不義密通では御座らん。ナサリオの頼みで、義弟であるアルベルド殿に身を預けたに過ぎない。夫たるナサリオの要請なのだから、不義でも密通でもない」

「確かに夫の要請である。それこそ夫の管理下にある印。夫の命には全て従うフィデリアは妻の鏡では御座らんか」


 法務大臣が、一本取ってやったと得意げな笑みを浮かべ、言い返された者は歯軋りし引き下がる。ここでフィデリアに恩を売り、将来、妻にと考えていた男だ。


 議論は続き、ユーリは救うべきだが、フィデリアは死罪であろう。その方向性が見えてきた。フィデリアを助けたい者達の意見も彼女を助けるに足る根拠は乏しかった。


 しかし、アルベルドは沈黙を守り、議論は更に進む。そしてユーリの無罪は確実。フィデリアは死罪が優勢。そう思われた。その時、アルベルドが口を開く。


「まず、ユーリを死罪にすべきか。その決を採ろうではありませんか」

「わざわざ別に採決する必要がありますかな?」


「今までの議論を聞いている限り、フィデリアとユーリとでは、問うべき責任の所在が同じではないと思われます。ならば、別の事案として決を採るべきです。それをフィデリアと合わせて議論していては、いつまで経っても終わりは見えません」

「ふむ」


 アルベルドはユーリの実父。とにかく息子の無罪を確定させたいと考えるのは不思議ではない。アルベルドの足を引っ張りたい者も、正面切っての敵対は望んでいない。ユーリが罪に問われれば実父であるアルベルドの名声にも傷が付くが、現状、ユーリの無罪は確実だ。これでは敵対するだけ無駄である。彼らも頷き採決された。結果は当然、無罪である。


 残るはフィデリアだ。とはいえ、彼女の死罪も決まったようなもの。大罪人の妻は普通に考えて死罪なのだ。他の男と通じていたから無罪などという馬鹿げた話はない。だが、その、他の男たるアルベルドが再度口を開く。


「そもそも、連座し責を与えるのは何の為か。家族に及ぶほどの罪であり、その責を求める事により罪を抑制する。確かにその意味もあろう。だが、子が成人した時に親の仇を取ろうとする。それを防ぐ為もある。古来、降伏した王家の男子は年齢を問わず殺されるのもその為である。だが、それに対し女子は殺されず、その男子の母すら殺されない事も珍しくない。無論、母と男子。共に処刑される事もある。だが、母だけ殺され男子のみ許されるなど聞いた事がない」


 無論、戦死した、あるいは処刑された夫の後を追い、自ら命を絶つ場合もあるが、それは別の話だ。


「しかし、そうは言ってもユーリは、あえて申しますが貴方の子。大罪人たるナサリオの子ではありません。アルベルド王の仰る事例には当てはまらぬのではありませぬか」

「ならばこそ、ユーリの母フィデリアが処刑されるいわれはない。子を殺さぬのに、どうして母を殺すか」


 大罪人の妻だから責を問う。それに対し、子を死罪にする理由がないなら母を死罪にする理由もない。それがアルベルドの主張だ。その為にユーリの無罪を先に採決させた。今更、ならばやはりユーリも死罪。とはならない。


「しかし、大罪人の妻は妻。連座し死罪が決まりである。それを子が無罪だから母も無罪は通りますまい」

「ならば、大罪人ナサリオの妻たるフィデリアは死罪。ユーリの母たるフィデリアは無罪。それではどうか」


 何を言ってるんだ? 大きなざわめきが起こり、隣と顔を見合わせる者多数だ。


「ナサリオとフィデリアとが大聖堂で署名し神父も承認した結婚誓約書。それを破棄します。ナサリオの妻としてのフィデリアを消し去るのです」


 ざわめきが収まり、その代わりに失笑、いや、嘲笑の波があちこちで沸き起こる。


「失礼ですが、離婚すれば罪に問われないなどと言えば、連座し処罰される妻は、この世に居なくなりましょう」

「離婚と言っているのではありません。離婚すら不要と言っているのです。婚姻自体をなきものとするのです」

「婚姻自体?」


 思いも寄らぬ言葉に嘲笑が消え、静寂が広がる。


「フィデリアは大罪人ナサリオと結婚すらしていない。2人が結婚した証たる結婚誓約書を焼き捨てる。結婚した記録も皇国から全て消し去るのです。皇国だけではない。各国の記録からも消させる。ナサリオとフィデリアとの間で交わされた手紙や日記なども全て焼き捨てる。ナサリオとユーリの物もです。フィデリアがナサリオの妻であった事実など存在しない。ナサリオが処刑されてもフィデリアはナサリオの元妻にはならず、未亡人にもならない。まったくの無関係の存在とするのです」


 幾人かが、聖王と呼ばれるアルベルドの狂気を感じ背筋を冷たくした。正常な人間の考えではない。そしてそれだけに、アルベルドに逆らうのを恐れ、誰にも語らなかった。確かにナサリオの妻としてのフィデリアは死ぬ。いや、それ以上かも知れない。


「どうですか。ナサリオの妻としてのフィデリアは死んだも同然と考えますが」

「あ、ああ」


 夫婦の、親子の幸せだった日々の証を消し去る。そんなものはなかったのだ。それは人生の否定だ。確かに記憶は残る。自分にも、他人にもだ。しかし、皇国が痕跡を消せと命じれば、他の者達は話題にすら乗せなくなる。そんな事は知らないと言い切る。皇国宰相として盛大に行った結婚の式典。その思い出を、それは何の事だと否定されるのだ。


 歪んだ復讐心。それはアルベルド自身も気付いていなかった。母を殺した義母に復讐する。自分を手に入れる為に母を巻き込んだ。ならば、義母に復讐するのに息子を巻き込んで何が悪い。アルベルド自身はそう考え、そう信じていた。確かにその一面もあった。だが、アルベルド自身、気付かぬまま己とナサリオを重ね合わせていた。


 自分は母にとって最愛の存在だ。義母にとってナサリオが最愛の存在だろう。ナサリオは俺だ。義母によって自分は最愛の母を失い、この世界から希望を、愛を失った。にもかかわらず、もう1人の自分たるナサリオは美しい妻を得て、利発な息子に恵まれ、皇国宰相として権力と尊敬を一身に集めた。


 ナサリオを奈落の底に突き落とす。惨めに蔑まされる。ナサリオの幸せを奪う。それがなってこそ復讐が達成される。


 今、ナサリオは皇国宰相として栄光に包まれた地位から、皇帝殺しの大罪人に堕ちた。後は幸せを奪う。美しい妻と利発な息子。その家族との幸せな日々。そんなものはなかったのだ。ナサリオとは、宰相となりながら皇帝を毒殺して死罪となった男。それだけが歴史に刻まれるのだ。


「それでは、ナサリオの妻としてのフィデリアを死罪とする。それでよろしいですかな」


 誰も頷かなかった。そして、誰も否定もしない。アルベルドの言葉は冷静に考えれば強引に過ぎる。だが、逆らい難いものを感じる。それは本能的なものだ。逆らえば災いを招くのではないか。理屈に合わぬ、だが確信に近い恐怖だった。


「そ、そうですな」


 堪りかね1人が同意すると、次々と頷く。フィデリアの処遇も採決され、アルベルドの案が可決されたのである。



 その日の夜、アルベルドはある人物の訪問を受けた。ブエルトニス王エウセニス。衛星国家の国王同士が会うのは禁じられていないにもかかわらず、黒い地味な馬車に乗り、身に付ける衣装も上等ではあるが灰色の地味な物だ。芸がないといえば芸がないが、しかし、他にやりようがない人目を忍ぶ姿である。


「急なお越しですが、如何なされたのです」

「はい。突然失礼かと思いましたが、アルベルド王にはお礼を申し上げねばと考え、まかり越しました」

「お礼ですか?」


「はい。フィデリアの事です。あれは我が従妹。私も身を案じておりましたが、あれの夫のナサリオは皇帝殺しの大罪人。フィデリアを救う手立てはないと諦めておりました。それをアルベルド王が、まさかあのような論法で救って下さるとは。お礼申し上げる」

「何を仰る。公表した通り、ユーリは我が息子。その母たるフィデリアも我が妻に等しい。私が2人を助けるのは当然です」


 先ほどからフィデリアを呼び捨て、あれ、とも呼ぶエウセニスに不快なものを感じたアルベルドが、フィデリアは自分の女だと強調する。


「その2人の事なのですが、如何に無罪となったとはいえ、しばらくは謹慎すべきと考えるのです」

「謹慎? 無論、2人にはデル・レイでしばらく大人しくして貰う予定です。式典などにも当分は出席させません」


「いえ。2人を謹慎させるなら、フィデリアの祖国である、我がブエルトニスが適切で御座いましょう。今日は、2人を我が国に引き取らせて頂きたく、参上しました」

「大罪人ナサリオとは無関係と2人は無罪となりましたが、それでも処遇には細心の注意を払うべきです。早々に住居を変えるのは要らぬ誤解を受けましょう」

「そうでしょうか。新皇帝の後見人になられたアルベルド陛下が、大罪人ナサリオの妻を我が者とする方が要らぬ誤解を受けるのではないでしょうか」


 アルベルドの瞳が鋭く光った。ナサリオの妻を我が者とするという言い草もそうだが、同格であるはずのブエルトニス王がデル・レイ王を、陛下と呼ぶのにも違和感を覚える。本来、衛星国家の王が陛下と呼ぶのは、皇帝’陛下’のみである。以前、下位国家の王達を招いた会談では、最後まで韜晦し続けたエウセニスだ。やはり油断は出来ない。


 アルベルドの視線を受けエウセニスが薄く笑みを浮かべる。


「アルベルド陛下。私は貴方に協力したいのです。貴方が望むものがなんであれです」

「私が何を望むと仰っているのですかな?」

「それは陛下こそがご存知で御座いましょう」


 エウセニスは笑み、あくまで下手に出る。だが、アルベルドの様子を窺いながらも、その瞳には卑下たものはない。


 どこまでかは分からぬが、俺の望みをある程度は読んでいるという事か。

 アルベルドはエウセニスに注意深い視線を送る。フィデリアより2つか3つ年上でしかなく、老齢というには程遠い。しかし、その年齢にそぐわぬ老獪さを感じる。


 とりあえずは、腹の探り合いか。


「なるほど。確かに、私が望むものは私にしか分からない。しかしそれを言えば、私が協力して欲しい事も私にしか分かりえぬはず。エウセニス王がどう私に協力してくれるというのか、見当も付きません」

「ですから、アルベルド陛下が、望むものが何であれ、です」


 つまり、金額未記入の手形をくれるのか。随分と思い切った判断だ。そして、そこまで言うなら私が何を望んでいるのか読んでいるのだ。そして、相応の見返りを期待している。


「それで、私に協力してくれるとして、何がお望みなのですか? エウセニス王の求めに応じられるものなど、私にはあまりないと思うのですが」

「フィデリアを頂きたい」


「フィデリアを?」

「はい。アルベルド陛下が望むなら、貴方のお子であるユーリは、デル・レイに留め置いて下さってかまいません」


 裏がありそうだと思ったが、実は女を望むだけの男だったのか? しかし、その態度から単純に女が欲しいだけとも思えない。


 間違いなく、フィデリアとユーリが俺の妻子であるというのが狂言だと見抜いている。だが、対外上は、公表したとおり2人は俺の妻子として遇する必要がある。フィデリアを見捨てれば後ろ指、指されよう。そしてエウセニスがフィデリアを引き取るならば、その意思も無視は出来まい。実際は俺とは赤の他人であるユーリが、こちらにとっての人質にもなる。手を組むのに、お互いが人質を出し合うのは良くある事だ。この場合は分け合うのだが。


「なるほど。ナサリオの妻としての痕跡を消すなら、いっそユーリとも離れ離れにした方が良いかも知れませんな」

「流石はアルベルド陛下。話が早い。ご安心下さい。フィデリアには、何不自由させません」


 一瞬だが、エウセニスの顔に好色の気配を感じた。まあ、あれほどの美貌。手に入れたのなら、当然、男は身体を望む。この世の女神とも言われる女の抱き心地を想像でもしたか。


「いえ。それほどでも。しかし話は分かりました。すぐにでも手紙を出しフィデリアを呼び寄せましょう。その代わり、協力の件、間違いなきように」

「勿論です」


 エウセニスが笑み頷いて部屋から姿を消した後、アルベルドは部下を呼び寄せた。以前、エウセニスの身辺に使える信奉者が居ないか調査するように命じた者である。


「手頃そうな者が、幾人か見つかったと言っていたな?」

「は」


 その数日後の朝、皇都にあるブエルトニス王の屋敷に仕える侍女が主人を起こしに行くと、そこに見たのは変わり果てたエウセニス王の姿だった。

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