表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
247/443

第156:思わぬ交わり

 グラノダロス皇国皇帝が実弟に毒殺され、新皇帝には皇太子カルリトスが立つ。だが、新皇帝はいまだ幼少ゆえ、叔父であるデル・レイ王アルベルドが後見人となった。


 その報に触れた時、この大陸各国の主だった傑物達の中で、もっとも血をざわめかせたのはアルベルドの宿敵と目される東方の覇者サルヴァ・アルディナではなく、ベルトラム・シュレンドルフ2ヶ国王だった。


 やりおったか。あの小僧。


 サルヴァ王子は、アルベルドの目的が自分の勢力を広げる事と名声を得る事。そう予測していたが、アルベルドはそれ以上のものを望んでいる。ベルトラムはそれを感じ取っていた。


 皇帝を殺したか。


 集めさせた情報では、状況、物的の証拠は全てナサリオの仕業と示している。だが、ベルトラムは確信した。どうやってナサリオに罪を着せたか。その謎解きをする気はない。そんなものは不要だ。とにかくアルベルドがやった。


 証拠を求める人間ほど、時には簡単に騙されるという。状況が許せば証拠などいくらでも捏造できるのだ。証拠さえ示せば騙せるのならば、これほど簡単な事は無い。騙せないのは、初めから信じる気がない者だ。証拠があろうがなかろうが信じぬ。それとは逆にベルトラムは信じた。


 証拠があろうがなかろうがアルベルドだ。ナサリオが本当に皇帝に毒を飲ませたとしても、それを操ったのはアルベルドだ。全ての証拠がアルベルドの仕業を否定しようともアルベルドだ。


 が、それを行動に表すかは、また別の話。証拠もないのに、お前がやったに違いないと詰め寄るなど、阿呆のする事である。心の内に留め警戒しつつ、表面的にはおくびにも出さない。それが賢いやり方というものだ。


 だが、これで皇国は更に揺れる。如何に聖王アルベルドの名声高くとも、衛星国家の国王が皇国の国政を壟断する禁忌がすんなりと認められるものではない。しかもデル・レイは衛星国家の中でも下位国家。上位国家の反発は必至だ。


 皇国本国の軍勢すら機能するか怪しく、ましてや衛星国家を含めた大動員など不可能。


 ランリエルからの使者、ラルフ・レンツことルキノ・グランドーニがベルトラムに面会を求めたのは、ちょうどそのような時だった。


 もう少し早く来るかと思ったが、まあ、結果的には悪くはない。それがベルトラムの感想だった。


 ランリエルから使者が来るのは予測出来た。ランリエルとしては1人でも多くの味方が欲しいはず。大陸全土を見渡し、アルベルドを介しての皇国、そしてランリエル、そのどちらとも距離を置いているのはゴルシュタット=リンブルクだけなのだ。しかも、皇国の衛星国家デル・レイとはリンブルクを巡って領土問題があった。尤も、ゴルシュタットとデル・レイがリンブルクで争っていたのは表向きだけ。裏では手を組んでいたのをランリエルは知るまい。知らないからこそ使者を寄越して来たのだ。


 そしてランリエルからゴルシュタットまでの距離を考えれば、使者がランリエルを出発した時には、まだ皇帝は殺されてはいなかったはず。


 サルヴァ王子は、皇帝が生きているという前提の計算、条件で使者を送った。それを、皇帝が死んだという前提で迎え撃つ。有利な条件が引き出せるはずだ。


「さて。料理してやるか」


 そう呟き、使者が待つ部屋へと向かったのだった。



 そのころランリエルでは、サルヴァ王子が、やはりアルベルドの台頭に疑念を持っていた。とはいえ、全ての状況、物的の証拠は元皇国宰相ナサリオを指している。ならば、やはりナサリオか。アルベルドはその状況を上手く利用し権力を握ったのか。


「証拠なきに断定も出来ぬな。とにかく皇帝崩御の弔辞の使者を向かわせる。新皇帝戴冠の祝辞の使者もな」

「そうですね」


 応じるウィルケスの声が軽い。他の者が部屋にいる時は副官然とする彼だが、王子と2人きりだと口調が軽くなる。元々そういう男だといえばそうなのだが、王子とアリシアの関係を知る数少ない人間だという意識が無関係ではない。他の者達より、サルヴァ王子に人間味を感じているのも事実だ。


「バルバールや他の国々も使者を向かわせるだけなのですか?」

「特にどうしろとは言ってはいないが、そうするだろうな」


 つい数年前まで辺境の国と言われていたランリエルである。当時は皇国の事などまったく配慮していなかったが、大陸中央部の国々は新皇帝の戴冠式に王族達が参列していた。パトリシオが戴冠した時にはコスティラなども国王夫妻が参加している。しかし、今回それをしては、参列したその足で牢獄、いや、断頭台に直行しかねない。


 祝典に参加しに来た者を捕らえるなど、外交上ありえざる非道だが、皇国の威光を傷付けた罪はそれに勝る非道だ。少なくとも皇国はそう考えていよう。


「ですが、使者だって首を刎ねられかねないのではないですか?」

「確かにそうだ。だが、亡くなった皇帝には悪いが、これは皇国との外交を修復するまたとない機会だ」


「ランリエルと争ったのは前皇帝。皇帝が新しくなったのだから、水に流して仲良くしましょう。というところですか」

「まあ、そんなところだな」


 ウィルケスの言い草に王子が苦笑を浮かべる。


「皇国は、次には皇帝の親征で我らを打ち破り、前回の敗北を帳消しにする目算だったらしい。だが、皇帝が死んでその目算が外れた。ならばランリエルと戦った事を過去のものと考えて貰いたいところだ」

「かなり難しそうですが」


「分かっている。だが、諦めるのはなすべき事をなし、駄目だった後だ。やる前に諦めては何もなしえぬ」

「しかし、首を刎ねられるのを覚悟で使者に行く者がいますかね?」


「サントリクィドが、前回の汚名を濯ぐと名乗り出ているが、奴は我が国の外交の切り札だ。たとえ前回失敗しようともな」

「前のは誰が行っても駄目だったでしょう」


「ああ。なので他の者に行かせる。危険を承知で行くという者を募り、その中から選ぶしかあるまい」

「かなりの報酬を約束しないと集まりそうもないですね」


「そうだな。だが、武人は命を賭け戦場に出る。外交官にとって外交の場が戦場ならば、それだけの気概は欲しいところだ」

「確かに」


 ランリエルの政治、5ヶ国からなるランリエル体制の統括など治世をも司るサルヴァ王子だが、その本質は軍人である。その彼から見れば、危険だから行きたくないなどとは笑止の限りだ。とはいえ、何事にも限度はある。如何な勇敢な武人とて、整然と並ぶ槍衾に1人突撃しろと命じられて出来るものではない。


「なに。私が皇国に乗り込めば即座に捕らえられるだろうが、使者を捕らえたところで益より損失が大きい。行けばなからず殺されるというほど危険ではない。そうだな。精々、突撃の時に最前列に並ぶ程度だ」

「微妙なところですね」


 戦場で一番死ぬ確率が高いと言われる役割である。それだけに一番尊敬される役割でもあった。そして、一番望まれぬ役割でもある。


「強制する訳ではない。名を上げ、栄達を目指すならばやってみよというだけだ」

「地位や身分の低い者からは多くの希望者が出そうですが……」


 ウィルケスは複雑な表情だ。そして彼の言う通り、栄達を目指す多くの身分の低い者達が名乗り出たが、そのほとんどが書類選考すら突破出来なかった。弔辞、祝辞の使者とは物言う花である。そして花は豪華な方が良い。道端に咲く雑草を贈るのは相手への非礼である。


 良い悪いではなく、そのような世界なのだ。結局、皇国への弔辞と祝辞は代々外交官を輩出する名門のアマート伯爵と、バリーヴォ子爵家の子息が選ばれたのだった。


 その夜、サルヴァ王子は後宮に足を向けた。その部屋の主は、王子がこの後宮で唯一指一本触れない女性だ。ナターニヤ・バルィシニコフである。以前はアリシア・バオリスがその席に居たが、アリシアと王子が結ばれた後、彼女がその後釜に座った。


 ではなぜ彼女の部屋に来るのかと言えば、表面上、王子は寵姫達の部屋を満遍なく周っている事となっており、ナターニヤの部屋にだけ行かない訳にはいかないからだ。


「弟君のルージ殿下にお子が出来たとか。殿下も、アリシア様と、もっとお励みになった方がよろしいのではないのですか?」


 王子が部屋に来れば、侍女を下がらせ酒の酌はするが、王子の横でしなだれる事はなく対面に座る。衣装も以前とは違い自らを美しく演出する身体の線が出る物ではない。深緑の地味な物で、このまま城下に出ても市井の者に紛れるだろう。その美貌を除けばだが。


「お主は、以前とは随分と変わったな」


 サルヴァ王子はあきれ顔だ。他の女との間に子供を作れという寵姫も珍しい。しかも、その表現も控えめなものではなく直線的である。


「殿下の前で、猫を被る必要がなくなりましたので」


 澄まして言いながら口にするのはかなり強い酒だ。サルヴァ王子の為の葡萄酒とは別に自分用にと用意していた。


「アルベルティーナ王女がお子を授かったと聞いてから、皆その話ばかりだ。正直、あまり気分の良いものではないな」

「それは失礼致しました。ですが、アリシア様も望んでいましょう」


 不快だと伝えたにもかかわらず、話題を変えぬナターニヤに王子の視線は鋭い。だが、その視線をナターニヤは笑みで迎え撃った。


「男の方は、問題を先送りにすれば、そのうちその問題が消えるとでも思っているようですわね。誤魔化し、やり過ごしても、問題は益々深まるばかりです。失礼ですが、アリシア様も若いとはいえないお方。そう逃げてばかりではすみませんわ」

「言われぬとも分かっている。だが、命を危険にさらさせるよりはマシだ」


 結局、サルヴァ王子の心配はそこに行き着く。その心が身体に影響を与えている訳ではないだろうが、もしアリシアが懐妊したとなれば隠しようがなく、そうなればアリシアの命が危ないのだ。


 宮廷には代々貴族達が培い育てた闇がある。王宮で働く者は、警備の騎士どころか下働きの侍女すら身元正しい者が選ばれる。そしてそれは、貴族達の血縁者や紹介された者達だ。その意味では、王族とは貴族達が監視する檻の中で生活しているともいえるのだ。その張り巡らされた人脈が貴族達の武器だ。


 アリシアが貴族側の人間ならば、貴族対貴族。双方手を出しかね安全だ。しかし、いくらサルヴァ王子がアリシアの安全に配慮しようとも、それは王家対貴族。ましてやアリシア自身は王族でもなんでもない。アリシアが懐妊しても、貴族の息がかかった侍女が、階段の上からちょっと押せば、それで終わりだ。


「ご懐妊なされた後は、セルミアの領地でご静養なされては如何ですか? お暇を出せというのではありません。アリシア様は、殿下から頂いたご領地に一度もいらしておりません。折角与えたのだから見に行くようにと殿下が命じても、誰も不思議には思わないでしょう」

「セルミアか……」


 皇国のランリエル討伐発表時に取り消そうかとも考えたセルミア王戴冠だが、結局、皇国が軍勢を発した事により、そのままとなっていた。そして王子も、アリシアに領地と爵位を与えたのも物質的な事よりも気持ちを表しただけの積もりだった。それゆえ、実際にセルミアに行かせるのは思いつかなかった。


「妊娠した女性が、安心して出産出来るように実家に帰ったり、静かなところに居住を変えたりするのは珍しくありません。男の方は、あまり考えないようですけど」

「確かにな」


 この王宮はアリシアの敵ばかり。そう考えていたが、逃げ場があると思えば幾分気は楽になる。アルベルドに対抗する為に得たセルミアだが、思わぬ使い道があった。


「良い知恵を頂いた。礼を言う」

「いえ。これでもアリシア様のお友達ですので当然の事です」


 そう言って、杯に残った強い酒を一気に飲み干す。豪快な飲みっぷりだ。そして王子が手を出す間もなく手酌で酒を注ぐ。そのしぐさに以前のような妖精の儚さはなく、歴戦の傭兵の風格である。


「コスティラ人は、女性も酒が強いのだな。皇国軍が引き揚げた後、コスティラ王国軍総司令のベヴゼンコ殿に薦められヴォトカ(蒸留酒)を飲まされたが、翌朝は起き上がれなかったぞ」

「あれは、馬鹿が飲む物です」


 ナターニヤは一刀両断だ。


「私の父も好んで飲んでいましたが、強いだけで美味しい物ではありません」

「お父上とは上手くいっていないのか?」


 ナターニヤの言葉を合わせれば、自分の父親を馬鹿と言った事になる。


「いえ。父の事は好きですが?」

「そうか」


 つまり、ナターニヤは馬鹿が好きなのか。人の好みとは分からぬものだ。もっとも、王子が愛するアリシアなどは男の趣味が悪いと自覚しており、それを王子が知れば複雑な表情を浮かべるだろう。


「殿下はご存知ないかも知れませんが、あれは元々飲む物ではありません。戦場で手持ちの酒が尽き、我慢出来なかった兵士が消毒液を飲んだのが始まりと聞いています。殿下もよく飲みましたわね」


 いや、飲む物ではないとは、十分承知していたのだがな。と王子は思った。



 その数日後、とある小さな教会に若い男女の姿があった。2人は今、結婚誓約書に著名しようとしていた。男はこの者しか居ないと思い、女はこの人なのだと信じた。もっとも問題もある。2人とも相手の名前を知らないのだ。


 女は男の名前を知っている積もりだったが、実はそれは偽名である。そして、男は女の名前を本当に知らなかった。


「お父様が、人に名前を教えては行けないと言ったのです」


 女は余程、父を尊敬しているのか、父の言葉に忠実だ。しかし、名無しとは結婚出来ない。


「夫となる方には、お父様も許して下さるに違いありません」


 まあいい。この女の名前に惚れたのではない。それに、名前に関しては自分の方が問題だ。何せ偽名なのだ。妻になる女には打ち明け、本当の名前をいうべきだ。だが、今は不味い。ここは偽名で通し、後日改めて別の教会に行き直すしかないか。


「でも、私の名前を知ったら、きっと驚きになりますわ」


 女は言うが、自分が偽名という方が驚くに違いない。


 小さな教会に派遣されて来たばかりの若い神父の前で、男が本名を書きかけ筆を止め、改めて偽名を記した。次は女の番だ。女は書き慣れたふうに、流れるように美しく筆を滑らせた。


「驚きました?」


 屈託なく、悪意ない悪戯が成功したのを楽しむかのように微笑む。


 驚きはしなかった。驚く暇などない。もっと大きな問題が男の中で爆発した。これは不味い。女の事は愛している。だが、別の次元で不味い。


 女は、結婚誓約書にこう記したのだ。クリスティーネ・シュレンドルフ。間違いなくリンブルク女王の名だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ