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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
242/443

第151:過ぎ去りし日々

 グラノダロス皇国皇帝パトリシオ。この大陸では神にも等しい存在である。その意志は絶対であり、誰にも侵す事は出来ない。しかしその実、ただの人である。それは生物的な意味だけではなく能力的にもだ。


 人並みの知能、記憶力、閃き、そして善意と悪意、人格を有していた。


 だが、普通の人間が使用するに不足ない椅子でも、200ケージ(約170キロ)を越える巨漢が座れば耐えられない。人並みの人格では、巨大皇国という権力を支えきれなかった。


 宰相として自分に忠実に仕えてきた実弟に感謝すべきところを、偉大なる皇帝を差し置き名声を独占していると嫉妬し逆恨みしたのだ。


 周囲に手を回し弟は孤立した。身の危険を感じ妻子とも離れ離れに暮らさなくてはならなかった。そして兄の信頼を取り戻そうと軍勢を率い出陣し十数万人の被害を出す大敗を招いたのだ。動機に同情の余地はあるが、結果を考えれば許される事ではなく、斬首も当然である。


 だが、ここで皇帝は、また人並みを発揮した。斬首すべき弟に同情し、一転、家族の愛情に目覚めたのだ。その為に、あえて害となる者を弟の後任の宰相とした。政治が混乱し人々が弟の復権を望むようにだ。その混乱による民の苦しみなど、知りもしない。民が苦しんでもかまわないと考えているのではなく、民が苦しむかどうかなど考えていないのだ。


 しかしその計画も遅々として進まなかった。皇帝自身が思うよりも更に貴族達は皇帝を恐れていた。だが、害ある宰相の弊害に限界を超えたのか、ついに貴族達が陳情してきた。これでやっと弟を救う事が出来る。


「これもお主のおかげだ」


 皇帝が、いつも通りの装飾過剰な部屋で労いの言葉をかけたのは、計画の発案者たる異母弟アルベルドだ。この部屋の煌びやかさには程遠いが、一国の王として恥じない最高級の衣装を身に纏う。だが、金銀の器や彫像に映るその歪んだ姿こそが、彼の心に近かった。


「いえ。皇帝陛下とナサリオ兄上が和解し、以前のご関係に戻るのは私にとっても喜びです」

「そうか。そうだな。些細な行き違いで兄弟で憎しみ合うなどあってはならんのだ」


 人は時として現実から目を逸らす。そもそもの原因は、皇帝がナサリオに嫉妬し、それにアルベルドが助言して関係が悪化したのだが、皇帝は無意識にその記憶を封印していた。自分とナサリオの諍いは、ちょっとした感情の行き違いと都合よく記憶が改竄されている。


「とにかく、すぐにナサリオを牢から出すように命じよう。そして再度、宰相に任じるのだ」

「皇帝陛下。それは今しばらくお待ちを」


「なぜだ? 貴族達からの嘆願があったのだから問題なかろう」

「いえ。嘆願があってすぐにご赦免なされば、人々は皇帝陛下が初めから嘆願を待っていたのかと考えるでしょう。今しばらくご辛抱なされ、更に嘆願する者が増えて仕方がなくという態を作ってから、ご赦免なさるべきかと」


「なるほど。尤もだが、しかし焦れる事だの」

「確かに。ですが、これもみなナサリオ兄上の為で御座います」

「うむ」


 しかし嘆願が増えるというのは、それだけ皇帝に不満を持つ者が増えるという事だ。そして、ナサリオ自身の我慢も限界に近づく。それに皇帝は気付いていない。皇帝は絶対。彼自身がその呪縛に捕らえられている。皇帝が待てというのだから、皆は待つべきなのだ。


 尤も、皇帝がナサリオの焦燥に配慮せぬのは仕方がない。アルベルドがある手を打っていた。いや、しなかったというべきか。


「ところで、間違いなくナサリオには話が通っておるのだな?」

「勿論です。皇帝陛下がナサリオ兄上を罰しようとしているのは見せかけ。本当はお救いする為にご尽力なされている事。間違いなく伝えております」


 嘘である。ナサリオには全く伝えていない。それどころか手の者を使い、皇帝から毒を飲むように命じられたと信じさせていた。


「うむ。これでナサリオにも我が心が伝われば良いのだが」

「大丈夫です。皇帝陛下のご意思をナサリオ兄上にお伝えしたところ、あの常には冷静なナサリオ兄上が感激に涙すら浮かべておりました。ご再任なされたあかつきには、以前にまして皇帝陛下に忠実にお仕えする事でしょう」


 皇帝は、うんうん、と頷き笑みを浮かべる。これで全ての問題が解決して以前通り。それどころか、わだかまりも消えて、前よりも良くなるだろうと上機嫌だ。


「そういえば、この部屋には予とお主しかおらぬ。皇帝陛下などと呼ばず、昔のようにパトリシオ兄上と呼んで良いのだぞ」

「陛下……しかし」

「なに遠慮するな。ナサリオも戻れば、3人で昔話でもしようではないか」

「は」


 皇帝、いや、パトリシオの過去を懐かしむ視線の先には黄金の鳳凰が飾られていたが、彼の目に映るのは幼き日々だ。


「思えば、昔は良かった。お互い権力や地位など気にせず無邪気であった」

「はい……。パトリシオ兄上」


 気にしてなかったのは皇后イサベルの息子だったお前達兄弟だけだ。他の兄弟達はお前達の顔色を窺っていた。いや、俺と母は他の全ての者達の顔色を見て暮らさねばならなかった。


「お主の母上のヘレナ殿はお優しい方だった」

「母をご存知なのですか?」


 ここでパトリシオの口から母の名が出るとはアルベルドにも意外だった。


「何を言う。同じ城に住んでいたのだ。ご存知も何も無かろう」

「い、いえ。それはそうなのですが、お言葉を交わす機会もあまり無かったかと思っておりましたので」


「確かに、あまり話した事はなかったな。だが、お主とヘレナ殿が庭で遊んでいるのはいつも見ていた」

「私と母をですか?」

「ああ。我が母は遠くから眺めるだけで、お主の母のように一緒になど遊んではくれなかった。我が母がヘレナ殿のようであったらと思っていたものだ」


 確かにそうだった。あの時の自分には母が共に遊んでくれるなど当たり前で、他の兄弟の母がどうしていたかなど気にしていなかったが、確かにテラスでお茶を飲みながら子供達に手を振るのが精々だった。彼女達が特別冷淡なのではない。上流貴族の母とはそういうもので、彼女達なりにそれで我が子を愛でている積もりなのだ。その中で、ヘレナとアルベルドは異端だった。


「言って下されば、よろしかったのに」

「馬鹿を言うな。あの時の予は、既にヘレナ殿よりも背が高かったのだぞ。一緒に遊んで貰えば良かったとでもいうのか」


 ヘレナがアルベルドを産んだのは19歳。皇国に来た時ですら25、6だったはず。パトリシオとそう年齢は変わらないのだ。


「実はな。ヘレナ殿が亡くなった時は、部屋に篭って泣いたものだった。あの時は気付かなかったが、今にして思えば、ヘレナ殿を好いておったのかも知れぬな」

「パトリシオ兄上が、母上をですか?」


 意外だった。他の皇族達から見れば自分達母子など塵芥。そう見られていると思っていた。それが実は、パトリシオが母に好意を寄せていたとは。


「なに。昔の事だ。許せ」


 ヘレナとパトリシオに血縁関係はないが、パトリシオとアルベルドの父は同じ。父の妃に好意を持つのは道徳的に問題がある。それでなくとも、兄から、お前の母が好きだったと言われれば、多くの者が返答に困るだろう。


「しかし、改めて幼き頃のお主を思い出してみれば、立派になったものだな。ヘレナ殿が生きていらしたら、さぞやお喜びになったであろうに」


 当時に思いを馳せ、気持ちも当時に近くなっているとはいえ、間違いなくパトリシオの口調はヘレナへの敬意を表していた。この大陸の神にも等しい皇帝がだ。皇帝は人格的、能力的にも凡人だ。だからこそ、その言葉に裏はない。


「お主とて、立派になった姿をヘレナ殿に見て頂きたかったであろう。デル・レイの聖王アルベルドと言えば、知らぬ者などいないほどだからな」

「いえ。私など……」


「ん? なんだお主、泣いておるのか」

「え?」


 頬に手をやると確かに濡れていた。その瞬間、視界が歪む。顔を覆う両手でも止める事が出来ぬほどの涙が溢れ出した。嗚咽が漏れ、しゃがみ込む。


「ど、どうしたのだアルベルド」

「ありがとう御座います。パトリシオ兄上……。兄上のお言葉、母も喜びましょう」


「すまぬ。どうやらお母上を思い出させてしまったか」

「いえ。年甲斐もなく申し訳御座いません」


 常に完全に己を制御してきた。内心はともかく、表面的には完全に心を覆い隠してきた。それが、制御できない。何とか言葉は選べた。だが、涙を止める事が出来ない。


「いや。あの頃はお主もまだ幼かった。それを思い出せば無理もあるまい。すまなかったな」


 パトリシオが異母弟の傍らに跪き、優しく肩を抱いた。


「そういえば、お主が母に引き取られ我が屋敷にやって来た時、ヘレナ殿の息子なのだからと仲良くしようと思っていたのだが、お主はナサリオにべったりだったな」

「申し訳ありませぬ」

「分かっておる。我が母は予より、ナサリオを愛しておいでだ。母がナサリオに付くように言ったのであろう。母に引き取られたお主が逆らえるはずがないからな」


 お気付きでありましたか。その言葉をどうにか飲み込んだ。パトリシオは愛情に飢えていたのか。自分の母が弟に愛情を向けているのに気付き、それが故に、息子に愛情を注ぐヘレナに惹かれたのか。


「デル・レイから皇族を跡継ぎに欲しいと言って来た時、お主を行かせれば母から逃れられると考えておったが、結局、今でも何かと母に呼びつけられているそうだな」

「私をデル・レイ王にと推薦したのはナサリオ兄上だと聞いておりましたが……」

「ああ。あの時は、万事ナサリオに任せて置けば良いと考えていたのでな。ナサリオからという事にしておいたのだ」


 パトリシオはナサリオに全幅の信頼を置いていた。多少妬む気持ちはあったが、それもたまに愚痴をこぼす程度だった。それがいつの間にか、その負の感情が増幅されたのが、誰の誘導によるものかパトリシオは気付いていない。


「そのようなお考えがあったとは……」


 母の身分が高い他の弟ではなく自分がデル・レイに行くと選ばれたのは、単に第一王女フレンシスと年齢的に釣り合うからだと思っていた。しかし、考えてみれば、政略結婚に多少の年齢差など障害にならない。


「お主はこれからもナサリオを支えてやってくれ。余は……。ナサリオに支えて貰うとしよう」


 そうだ。初めからそう考えていれば、ナサリオに嫉妬する事なく今の混乱もなかった。時はかかったが、やっとパトリシオはその境地に辿り着いたのだ。


「分かりました。必ずやナサリオ兄上をお救い致します」

「うむ。頼んだぞ」


 そう言って、パトリシオはもう一度アルベルドの肩を抱きしめた。


 部屋を出たアルベルドは、上を向き涙に耐えた。


「ありがとう御座います。パトリシオ兄上……」


 改めて、思い出させててくれた。母がどれほど優しかったか。どれほど母に想われていたか。どれほど母を想っていたか。だが、もはや時は戻らない。


 ありがとうパトリシオ兄上。母を思い出させてくれてありがとう。母を失った悲しみを思い出させてくれてありがとう。復讐を誓ったあの日を思い出させてくれてありがとう。


 母に好意を持っていたからどうだというのだ! ならば、母を救えば良かったではないか。我が母を殺したのはお前の母だ! お前はいつもそうだ。我が母を羨ましがり、ナサリオの名声を羨ましがった。そして、その為に自分が何をするでもないのだ。


 私は違う。この感謝の気持ちは、行動で返させて貰う。

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