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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第14:誓い

 ミュエル・ハッシュは一命を取り留めた。


 手首を切れば命を絶てる。そうとだけ思っていた少女の左手首の傷は、傷口も小さくすぐに血は凝固してその流れを止めていた。貧血を起こしただけで命に別状は無かったのだ。


 再度自殺しないようにと、看護婦の監視の中寝かされていたミュエルは、手首を切った四日後にディアスの訪問を受けた。


 バルバール軍総司令たるディアスも、どう声をかけたものかと思いあぐねた。自殺を試みた者に

「もう良くなったようだね」「具合はどうだ?」などと声をかけるのもおかしいだろう。ディアスは

「入るよ」とだけ言うとミュエルの部屋の扉をくぐった。


 そして看護婦を遠ざけて、ミュエルと2人きりになる。


 ミュエルは寝具から上体を起こしながらも、シーツを強く握り俯いたままディアスを見ようとすらしない。


 ディアスは重い雰囲気の中、口を開く決意をした。彼にとっても気が進まない事であるが、逃げる訳にも行かない。彼がすべき話なのだ。そう思い寝具の横にある椅子に座った。


「どうして自殺なんてしたんだ?」


 だがやはりミュエルは口を噤み、沈黙が訪れる。


 ディアスは辛抱強く声をかけ続けた。諦めて帰るという事が許される状況ではなかった。


「ケネスからも聞いたよ。ディアス家の妻として見て欲しいと」


 だがディアスは35歳であり、ミュエルは12歳である。実際無理がある。そう思っていたが、今はそれを言う時ではない。今は彼女から話を聞く時なのだ。


「しかしミュエルが本当に私の妻になりたいか、私にも分からなかったんだ」


 その言葉にミュエルがピクリと反応した。そして強く握っていたシーツをさらに強く握る。そして頭を振り乱し叫んだ。


「知りません……。そんな事私にだって分かりません! でも、私はディアス様の妻になるのだと言われてこの屋敷に来たのです! だからがんばったのに!」


 12歳でも恋を知っている少女も居る。だがミュエルは同年代の少女と比べても奥手だった。恋も知らない12歳の少女が、人の妻になるのだと言われて35歳の男の家に連れて来られたのだ。その戸惑い、困惑は計り知れない。だがそれでも大好きなお父様とお母様を思い、その言葉に従った。しかしミュエルの心は限界にまで来ていた。いや、限界を超えた故に、自らの命を絶とうとしたのだった。


 夫となる男の言う事に従い、一生懸命尽くすミュエルだった。だが、その男はいっこうに自分を妻として見ようとはしない。何の成果ももたらさない努力に、12歳の少女は疲れ果てていたのだ。


「ディアス様はそんなにも私がお嫌いなのですか……。だったらお家に帰し……」


 だがここまで言ったところで、ミュエルは大きく首を振った。


「いえ……お家に帰ればお父様とお母様が……」


 ディアスの妻となる為家を出た自分が戻っては、お父様とお母様を困らせる。それは嫌だった。


 ミュエルはその小さな両手で小さな顔を覆うと嗚咽を洩らした。その手の隙間から止め処なく涙が伝う。


 ディアスはその姿に胸が痛んだ。このようにして泣く12歳の少女を見た事がなかった。この年頃の少女といえば、笑うときは大きな声で笑うかクスクスと笑い。泣く時はえーんえーんと泣くものだ。そう思っていた。だがミュエルは悲しみに言葉にならない嗚咽を洩らし、涙を流している。あの花のように笑う素直で優しい少女がである。


 バルバール軍総司令官フィン・ディアスは、自らを智謀に優れた男と自惚れていた。勿論他に類を見ないとまでは言わないが、人より頭一つ優れていなくて、総司令官は務まらず、コスティラに大勝する事も出来ない。だが……。自分がいかに愚かであるか認めない訳には行かなかった。


 叔父ゲイナーに対するただの嫌がらせの為だけの言葉を発端に、愚かな判断をし続け、恋も知らない12歳の少女を、死を望ませるほどに追い詰めてしまったのだ。だが実際、今更ミュエルをハッシュ家に戻せない理由があった。


 ディアスの妻としてやって来たミュエルは、ディアスやミュエル本人がいかに否定しようと、すでにディアスの「お手つき」と見られる。そうなれば、たとえ今からハッシュ家に戻っても将来の結婚に障害となる。その意味もあってディアスがミュエルをその対象と見ていないと知るケネスに、彼女の相手が出来ないかと考えたのだ。だが、その愚かな判断がミュエルを、12歳の純粋な少女の心を粉々に打ち砕いた。


 そして結局ディアスは、ミュエルだけではなくケネスの心すら玩んだ事になるのだ。今からしようと考えている事を実行すれば。


 ディアスは椅子から立ち上がるとすぐにその場に跪いた。そして両手を床に付けて頭を下げ額をも床につける。


「すまなかった……」


 顔を手で覆っていたミュエルは一瞬それを一瞥したが、すぐにまた顔を背け、手はシーツを握り締め、視線は手元へと移った。


 35歳の一国の軍総司令が土下座し頭を下げたのである。12歳の少女の悩みなど、いかほどの事もなく許すべきなのだ。他の者が見ればそう思っただろう。しかし死を望むほど傷付けられた少女が、頭を下げられた程度でそれを許すはずもなく、死を選ばせるほど追い詰めた男も、この程度でそれが許されるとは思ってはいなかった。


 土下座をしたのはそうせずには居られなかったからに過ぎず、言うなればただの自己満足だった。それはディアス自身が一番分かっていた。ディアスがしなければならない事は、これからだった。


 ディアスは起き上がると、ミュエルの小さな顔をその両の手で優しく包みこちらを向かせた。ミュエルも抵抗はしない。そして顔をこちらに向かせると、その手を離した。ミュエルの行動を束縛しない。ミュエルにも最後の選択を自分の意思で選んで欲しかった。


 ディアスの顔がゆっくりとミュエルの小さな顔へと近づく。拒絶するならばミュエルを拘束するものはなにもない。顔を背けるだろう。だがミュエルは微動だにせず、12歳の少女の唇は35歳の男の唇を迎え入れたのだった。その情欲をまったく感じさせない触れるだけの、だが確かな接吻はしばらく続いた。


 ディアスは唇を離すと、美しい少女へと誓った。


「お前は私の妻だ」



 結婚の準備が進められる事となった。


 とはいえバルバール軍総司令官の結婚式である。招待客も多い。招待客の都合も考えればそうすぐには出来ない。遠くの者に招待状を出すだけでも数日掛かり、そうなれば年末も近くなる。


 年末年始はみなも忙しく色々と都合があろう。その時期に招待客を呼んで結婚式を挙げるのはあまりにも非常識である。その為、式は年が明けた大陸歴629年の2月と決まった。


 ディアスには大勢の招待客を呼んでの結婚式など煩わしいだけだった。だが、バルバール軍総司令官たる者に、そのようなわがままは許されない。


 ミュエルの傷も癒え落ち着くと、彼女は部屋を引き払った。ディアスの部屋に移り一緒の部屋で寝起きする為だ。ディアスの妻なのだから当然である。


 そして2人は一つの寝具で並んで寝た。夫と妻が別の寝具で寝る方が不自然と言うものだ。勿論、いくら不自然でも夜の営みはないのだが。


 このような事態になり、ディアスはケネスと改めて話した。


「お前にも色々とすまないことをした」


 頭を下げる軍総司令に、今だ一兵士にすらなっていない軍人志望の少年は首を振った。


「いえ。将軍が悪いわけでは有りません。僕がミュエルに振られた。それだけです。僕がちゃんとミュエルを振り向かせていれればそれで良かったのに、それが出来なかったんですから」


 ディアスがついケネスの顔を見直すと、ケネスは苦笑を浮かべていた。


 今回の事がケネスにも一皮剥けるさせたのか、今までディアスが見損なっていたのか、ディアスにはケネスが自分の記憶にある姿より一回り大きく感じられたのである。


 ディアスは、口元に微かに笑みを浮かべた。


「次の戦いには、お前も出陣するがいい」


 だが、遂に初陣という言葉にケネスが喜び勇むと思っていたディアスに、ケネスは微かに不満げな視線を投げかけた。


「もしかして、今回の詫びにって言う訳ではないですよね?」


 ケネスも早く初陣を飾りたいとは思ってはいたが、お詫びの印に出陣させて貰うとなると不満も残る。自分の力が認められて出陣したいものだ。


 その様子に、ディアスは口元の笑みを少し強くした。


「いや、私の留守の間、私の妻に気があった男と妻を、一つ屋根の下に残すのが危険だからだ」


 面食らった表情のケネスに、ディアスは大きく笑ったのだった。

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