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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
234/443

第144:動く大地

 前線のクレルドから報告を受けたサルヴァ王子は大きく椅子にもたれ掛け深い溜息を付いた。今回のタランラグラ遠征はサルヴァ王子の予測を裏切る事態の連続だ。その顔に焦燥の影が浮かぶ。


「お前達には分かるまい、か。確かにな」

「奴隷なりの誇りという訳ですか」


 ウィルケスの言葉は容赦ない。根が悪い男ではないが、どうも言葉の選択に難がある。王子は頷いたが、それは過分に反射的なものだった。


 クレルドには仔細漏らさず報告するように命じてあった。現地の者との会話もだ。彼らの協力を得るなら、それこそが最も重要といえる。だが、その現地の声は厳しいものだった。


 皇国の尖兵であるバンブーナの圧政を逃れる為にはランリエルと組んだ方が良い。理屈、利益を考えれば間違いない。タランラグラの人々が、その利益に食い付くと考えていた。だが、それは間違いだった。


 私は、彼らを見下していたのか? 見くびっていたのか?


 いや、見下してはいない。ただ、確かに見くびってはいた。彼らの矜持を、誇りを。望んで奴隷になるくらいならば、強制され酷使される奴隷でよい。そのような事、考えもしなかった。


 彼らと手を組むならば、彼らの望む物を与えねばならない。だが、自分達に関わるな。それが彼らの望みだ。そして、それが出来る状況ではない。


 ランリエルがタランラグラから手を引けば、バンブーナに、皇国に制圧されるだけなのだ。そして彼らは砦建設に酷使され、タランラグラは対ランリエルの最前線となる。今現在も、そうなりつつある。


 バンブーナが愚かで、もう少し無慈悲な圧政をすれば状況も違う。バンブーナは、タランラグラ人を働かせ食事を与える。ある意味、占領地での現地民への極当たり前の仕打ちだ。些細な事で民を打ち殺すなどの非道を行えばタランラグラ人も強制された奴隷が良いとは言わぬ。だが、そこまではしていない。バンブーナは上手くやっている。


 それより労働を楽にし食事も良い物にしようと言ったところで、タランラグラ人にとっては確かに支配者が代わるだけだ。待遇の悪い奴隷から、待遇の良い奴隷になるだけなのだ。


 無論、人は皆、労働しその対価を得て生活している。だが、彼らは奴隷ではない。その違いは、自らその労働を選べるか強制されるかだ。奴隷でないならば自ら仕事を選ぶ事が出来る。自分には他に出来る事がないというのは、その者の能力の問題だ。


「タランラグラ人の中で対価を支払えば協力するという者達だけを雇って砦を作るのはどうですか?」

「いや、無理だな」


 ウィルケスの提案をサルヴァ王子は即座に否定した。


 タランラグラ全土、最低でも皇国軍を防ぐならば南部一帯に砦が必要だ。多くの人手がいる。タランラグラ人の全面的な協力が無ければ、不足はランリエル兵で補わなければならない。そして、兵を上陸させてみて改めて分かった事がある。


 人は水を飲む。当たり前だ。だが、人が1日にどれほどの水を飲むのか。それを正確に測った者など居なかった。軍勢を行軍させても水などは現地調達だ。敵が浄土作戦を取り井戸に毒が投げ込まれる事もあるが、その場合は基本的に他の場所を目指す。だが、タランラグラは全土で水が取れない。


 しかも、南方の地の暑さ。タランラグラの白い大地は太陽の光を反射させ更に熱を発する。喉の渇きに、用意した水が計画の3分の1の期間で飲み干された。食料も水も現地調達出来ない。輸送船を何度も往復させ、出兵にかかる費用は通常の数倍に及ぶ。


「タランラグラ各地に砦を築くならば数万の人手が必要だが、希望する者など極僅かだろう。それを補うには数万のランリエル兵が必要だ。しかし財政への負担は数十万の兵を出兵させるのに相当する。現実的ではない」

「駄目ですか。ですが、バンブーナは5万の兵を上陸させています。彼らはその費用をどう捻出しているのですかね」


「彼らとてこの膨大な出費は予想外のはずだ。皇国に泣き付いてるのか、国家の予算を食いつぶしているのか。まあ、おそらく両方であろう」

「もしかして、こちらが手を出さなくても勝手に財政不足で撤退するのではないのですか?」


「分からん。その可能性が無いでもないが、試した挙句にタランラグラを完全に制圧されてしまっては取り返しが付かん」

「とはいえ、我が方にもバンブーナと同じ5万を出す力は無いんですよね?」

「ああ。上陸させられるのは後2万。今居る部隊と併せて3万が精々だ」


 この点、バンブーナ軍首脳部はランリエルが大軍を派遣して来るのを恐れていたが、それは彼らの杞憂だった。


 実際、皇国もランリエルもタランラグラに常時数万の軍勢は置けない。バンブーナも砦の建設が終われば、5万の内、大半は本国に引き上げる。そして、ランリエルとの本格的な戦いになれば、10万の軍勢と艦艇をタランラグラ北部に向かわせランリエル本国を狙う。


 物資を現地調達出来ぬタランラグラでは、それが現実的な作戦だ。それを防ぐ為には莫大な資金を投入して数万の軍勢を派遣するしかないのか。


「得ても負担となるだけだが、敵に取られるのは惜しい。まったく面倒な地だ」

「いっそ、存在しなければ楽だったのですが」

「だが、現実に存在する」

「はい」


 そうだ。現実に存在する。避けては通れぬ。だが、水も食料も、それどころか燃料すら現地調達出来ぬかの地で、どう戦えば良いのか。10万の兵と1ヶ月分の物資だけで戦うか? いや、そのような危険な博打は出来ない。


 サルヴァ王子の思案は長く続いた。傍らに立つウィルケスが存在しないかのように1人没頭する。日が昇り傾く。


「そうか。現地調達すれば良いのか」


 ウィルケスがサルヴァ王子の呟きを聞いたのは、日が沈む頃だった。


 タランラグラに2万の増援部隊を派遣すると決定した。サルヴァ王子が自ら率いる。だが、バンブーナ王国軍は5万。寡兵で上陸する危険に多くの者が引き止めた。


「分かっている。私とて3万で5万に戦いを挑むほど無謀ではない」


 その言葉に皆は胸を撫で下ろしたが、それでもお気を付けてと心配そうに王子を送り出した。


 2万の軍勢と水と食料と燃料。多数の輸送船が港を離れたが、その光景を見た者は、それにしてもなんという数だと驚嘆の声を上げたという。


 サルヴァ王子上陸。その情報は、バンブーナ王国軍も即座に掴んだ。しかも僅か2万でだ。元の上陸部隊を併せても3万。自分達は5万。サルヴァ王子を討ち取る絶好の機会なのではないか。


「つまらぬ事を考えるなよ」


 はやる幕僚達に釘を刺したのはバンブーナ王国軍総司令チュエカである。


「ランリエルはタランラグラの1点を確保しているだけだが、それだけに守りは堅い。そこに篭る3万を我ら5万で攻めても長期戦だ。どれだけの物資が必要と思う。本国の奴らが泣くぞ」

「はっ。確かに」

「それに、奴らの拠点を包囲しているところに、更に増援が来る可能性もあるのだからな。我らが慌てて撤退するところを追撃されてはかなわん」


 海上から来るランリエルの増援に気付かぬほど彼らも間抜けではない。だが、だからこそ、それを察知すれば撤退せずにはいられず、退却戦の不利は言うまでもない。


「ならば、サルヴァ王子が僅か2万で上陸したのは、自身を囮とし我らをつり出す策なのでしょうか」

「かも知れん。サルヴァ王子といえば、奇策を弄する事で有名だ。実際、先の戦いではその奇策にやられた」


 そうだ。軍人達は敵に勝利する事を目指す。誰だってそうだ。だが、サルヴァ王子は負けた。戦術的に負け続け、それによって戦略的勝利の構図を作り上げた。劣勢のはずの戦力差を逆転して見せたのだ。その王子の機略を思い出し、幕僚達の背に冷たいものが奔る。


「ならば、こちらも何か対策を」

「つまらぬ事を考えるな」


 動じた幕僚達にチュエカが再度釘を刺す。


「奇策などというものにかからぬには、どうすれば良いか知っているか?」

「そ、そのようなものがあるのですか」

「動かぬ事だ」

「動かない?」

「そうだ。奇策など所詮は奇手。こちらがそれに付き合わねばどうという事はない」


 確かに、皇国軍の敗北も、サルヴァ王子の動きに付き合ってしまったが故の敗北だ。


「ランリエル軍の動きに警戒しつつ、砦の建設を進めよ。もしランリエルが攻めてくれば砦に篭り応戦しろ」

「はっ」


 元々、ランリエルには1万の上陸部隊がいた。その襲撃に備え砦は外壁から建造され、完成しつつあった。内部の倉庫や居住部分はまだだが、ある程度の防衛力は期待できる。


「各砦は狼煙で連絡を取り合え。ランリエルが砦を囲めば、こちらは他の砦の兵で更にその背後から囲むのだ」


 いくらサルヴァ王子が奇策を使うといっても、魔術師ではない。この草木も生えぬタランラグラで奇襲は出来まい。軍勢が動けば一目瞭然であり、敵数の目測も間違いは少ない。敵が1万で来れば、こちらはその1万に見合った数で囲んで残りは他のランリエル軍に備え、2万で来れば2万に見合った数で囲む。3万なら3万に見合った数だ。


 そしてランリエル軍がずっと動かないならば、こちらの砦が完成するまでだ。


 バンブーナ軍動かず。放った偵察からの報告に、サルヴァ王子が小さく頷いた。


「中々皇国にも人は多いな」

「はい。先の戦いでも場数で勝るはずの我が方の総司令達に引けを取らぬ戦いをしていました」


「ここで動いてくれれば楽だったのだが」

「折角、船内で暑さに耐えてくれているんですけどね」


 チュエカの読みは当たっていた。バンブーナ軍が全軍でランリエルの拠点を攻めていればサルヴァ王子の奇策にかかっていた。各国、敵国に人を忍ばせ探っているが、平地で兵数を目測するのとは違う。2万が乗船するところを3万が乗れば流石に一目瞭然だ。だが、2万と2万3千は見分けがつかない。


 そして事実、今も停泊中の船内には3千の兵が息を潜めている。もしバンブーナ軍が全軍で拠点に押し寄せれば、陸からの攻撃を避けると見せかけ出港し、実際はタランラグラの海岸線を右回りに進み南部で上陸。その後、バンブーナの上陸拠点を襲う手はずだった。退路を断たれればバンブーナ軍が浮き足立つのは必定。そこを攻めれば勝利は間違いなしだ。


「仕方がない。向こうが動かぬならこちらが動くまでだ」

「そうですね」


 だが、そうは言ったもののランリエル軍が動いたのはその1ヶ月後だった。


 1ヶ月ぶりに動きを見せたサルヴァ王子率いるランリエル軍3万は一直線に進んだ。ほとんど完成しつつあるバンブーナの各砦からは次々と狼煙が上がった。ランリエル軍はその全てを通り過ぎる。各砦の兵は千人ほど。個々の兵ではランリエル軍3万に太刀打ち出来ない。ランリエル軍がどこかの砦に狙いを定め囲めば、その隙に集結しランリエル軍の背後を逆包囲する計画なのだ。


 だが、ランリエル軍は進み続ける。この暑い大地に兵士達の疲労を警戒したのか緩やかな行軍だ。幾日もかけて進む。その先はバンブーナ王国軍上陸拠点だった。ランリエル軍はタランラグラ各地に広がる砦群を全て通り過ぎたのである。


 これがサルヴァ王子の奇策なのか? チュエカは顎に手を当て考えた。


 敵は3万。我が本陣は1万。だから勝てるとでも思ったのか? ランリエルは上陸拠点を強固にしているが、それはこちらも同じだ。数が3倍とてそう簡単には落とされぬ。その間に、砦の兵が集結し4万で退路を断てば我らの勝ちだ。


 まさか、それこそが罠か? 砦の兵を動かさせるのが狙いか? しかし、砦の兵が動いたとてどうなる。たとえランリエルに隠した軍勢があろうとも大規模な兵である訳がない。良くて数千。そしてこの見通しの良いこの大地では、その数千での奇襲も出来ない。近づいてきたら、4万から兵を割いて向かわせればそれで済む話だ。


 まさか、奇策だと警戒させ、砦の兵を動かさせない事こそがサルヴァ王子の奇策か。こちらが躊躇している間に、強襲に強襲を重ねここを落とす算段か。確かに守りは固めているが、それでも兵力は3倍差。我が軍の動きが遅れれば、その危険はある。


 奇策にかからぬには動かぬ事。自らの言葉だ。だが、今は動かなければ奇策に嵌るのではないか。


 砦の兵を動かさせるのが奇策ならば、それはどのような意味を持つのか。

 砦の兵を動かさせないのが奇策ならば、それはどのような意味を持つのか。


 そしてそれが、俺にどう影響するのか。それを考えねばならない。


「よし! 集結の狼煙を上げ連絡せよ。集結し我が本陣に来るランリエル軍を背後から包囲せよ」


 思案の結果、チュエカはそう命じ、バンブーナ上陸拠点から染料を混ぜた赤い狼煙が上がったのだった。


 バンブーナ本隊の前にランリエル兵3万が姿を現し攻撃を開始した。だが、予定通りというべきか上陸拠点は簡単には落ちない。そして数日が過ぎ、集結したバンブーナ軍が到着した。ランリエル軍は兵を後退させバンブーナ兵4万と対峙する。


 さて。どうするか。タランラグラの大地はかなり遠くまで見渡せる。チュエカは微かに見えるランリエル軍の背に視線を向けた。


 ランリエル兵3万にバンブーナ兵4万。本来の兵の質で負けるとは思わない。3万対4万なら勝利は堅い。だが、ランリエルの総兵力は20万近い。その中の精鋭を選りすぐった3万だとすると4万でも勝利は確実とは言えなくなってくる。ここは本陣を動かして前後から挟撃すべきか。


 しかし、本陣を動かした挙句、それが罠だという事があるのか。無いとは言えないが……。


 その時、ランリエル軍と対峙するバンブーナ兵から狼煙が上がった。その数は3本。後方から3千のランリエル兵が来た合図だ。精鋭3万と3千での挟撃。不利な体勢だ。こちらも本陣を動かし挟撃しかえすしかないか。


「出陣だ!」


 チュエカは本陣1万の兵を率い出陣した。早くから発見できた為、幸いにも後方から来た3千のランリエル兵もまだ到着していない。これで、ランリエル兵3万をバンブーナは1万と4万で挟撃し、バンブーナ兵4万をランリエルは3万と3千で挟撃する態勢だ。双方綺麗な陣形とは言えぬ。バンブーナ軍が有利には違いないが、このまま戦えば収集のつかない乱戦となる。


 双方、この状態では戦いたくないと暗黙の了解がなされた。両軍手を出さぬまま陣形が動く。4万のバンブーナ兵の内5千ほどが向きを変え隊列を組みなおす。ランリエル兵は3万を2つに割り1万5千が前後に分れた。


 我が本陣1万に1万5千だと? チュエカが訝しんだ。当然、残り1万5千で、バンブーナ兵3万5千と戦わなくてはならない。如何に精鋭を集めたとしてもどうにかなる差ではない。防御に専念し、我が本陣との戦いに勝負をかける計画か。確かに本陣が破れればバンブーナは浮き足立つ。だが、かなり危険な橋。俺とて、むざむざやられはしない。こちらこそ防御に専念し勝負を長引かせれば、この戦い俺の勝ちだ。


 チュエカは勝利を確信した。だが、その時、バンブーナ兵3万5千の左右の大地が動いた。土が盛り上がったかと思えば白い柱となった。その白い柱が、水浴びした犬が身体を震わせ水を弾き飛ばすように動いた。その下から甲冑が姿を現した。それぞれが、鋭利な剣。鋭い槍。強靭な弓を手にしていた。


 甲冑は全身を覆う。だが、幾人かは大きさがあっていないのか、甲冑の隙間から地肌が見えた。その色は漆黒だった。

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