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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
230/443

第140:異界

 タランラグラへの出兵は、ランリエルのみで行う事となった。国内で大量発生した自称軍事評論家達は、大軍を派遣し大規模な上陸作戦を行うと考えていたが、サルヴァ王子が上陸させたのは僅か1万だった。


 その上陸部隊を率いるジュリオにサルヴァ王子は言い聞かせた。


「決して間違うな。今回の任務は制圧ではない。彼らの土地を奪うのではなく、彼らの協力を求めるのだ。彼らが協力を拒んでも武力に訴えてはならん。根気よく説得せよ」


 ジュリオは神妙に王子の言葉に頷いた。そして船に乗りタランラグラに上陸したのだが、その白い土に足を踏み入れた瞬間にげんなりした。とにかく空気がべとべとする。上陸したばかりで海に近く潮風が強いのだけが理由ではない。地面が白くなるほどの塩だ。


「おい。今夜は寝る前に念入りに甲冑を磨いて錆び止めを塗っておけ! 怠ればすぐに錆びだらけになるぞ!」


 古参の騎士の若い騎士達への親切な怒声が鳴る。その声にジュリオは更にげんなりした。自分も従者に命じなくてはなるまい。最もジュリオも若くはない。


 この任務は、初めサルヴァ王子の元副官でもあるルキノという若造が任されるという噂だった。王子が目を掛けあれよあれよという間に万の兵を率いる地位にまで上り詰めた男だ。今回も、この重要任務を任され更に出世すると囁かれていた。しかし、結局はその者は選ばれず、今までの実績を買われ自分が選ばれたのだ。


 己の腹心を差し置いて、自分を抜擢してくれたサルヴァ殿下のご信頼に応えねばならない。その決意を思い出し、ジュリオは萎えかけた心を支えた。


「タランラグラ人を見かけたらすぐに報告するのだぞ。決して危害を加えるな! サルヴァ殿下のご命令だ!」


 兵士達に厳命しつつ、改めて辺りを見渡す。噂には聞いていたが、本当に草木一本生えぬ荒廃した大地。地平線の先まで何もなく、白い地面が広がっている。


 まるで、子供の頃に読んだ昔話に出てくる死の世界だ。その話では土の色が白ではなく赤だったが、草木が一本も生えぬところなどそっくりだ。違うところといえば、その死の世界には地中に巨大なミミズの化け物が住んでいたが、ここにはその化け物すら住めない。その意味では、ここの方が死の世界と呼ぶに相応しいかも知れない。


 いかん。目がおかしくなりそうだ。


 白い大地はジュリオの色素の薄い茶色い瞳には毒だ。顔をしかめ目頭を押さえた。太陽の光が白い大地に反射して目を焼く。目を瞑っていても白い影が見えるようだ。


 今回の上陸作戦には護衛の戦艦30隻と輸送船100隻が投入された。通常、1万の軍勢ならば輸送船は50隻もあれば十分。その倍である。


 タランラグラでは食料どころか水も現地調達出来ない。軍馬が食む飼い葉もだ。ゆえに1万の軍勢に対し連れて来た馬は僅か四十数頭。大隊長以上の士官だけが馬を連れてくる事を許されていた。それらを運ぶのに多数の輸送船が必要だった。


 そして更に問題なのが燃料だ。草木が生えぬタランラグラでは、当然、薪なども手に入らない。それの輸送も課題だった。食料は乾し肉など火を使わない物を中心に準備するが、そればかりでは兵士達にも不満が出る。タランラグラには敵軍など居ないはずだが、それでも夜に篝火を焚かぬ訳にも行かない。


「薪がないなら、船を燃やせばいいじゃない」


 ある舞踏会でタランラグラには薪もないという話を聞いたとある御令嬢が言い放った。周りの御婦人方は、お馬鹿な事をと、お上品に扇で口元を隠し冷笑した。


「船を燃やしてしまっては、帰って来れなくなりますのにね」

「泳いで帰って来るには、少し遠う御座いますわ」


 御令嬢は顔を赤くしたが、ちょうどその会話を耳にしたサルヴァ王子が御令嬢の手を取った。


「貴女はご聡明なお方だ。是非、私と一曲踊って頂きたい」


 御令嬢の面目は保たれ、今度は冷笑していた御婦人方が顔を赤くし、早々に舞踏会を切り上げたという。


 そろそろ廃却しようかという老朽船に薪を満載し、万一沈没しては危険なので誰も乗船せず他の船に曳航させて持ってきた。薪は勿論、船も斧で叩き壊し燃料とする。老朽船の処分と燃料の確保が出来て一石二鳥だ。


 1万の軍勢が上陸し終えると、拠点を確保する為に陣地を作り始める。その作業の間にも白い地平線に目を向けるが、人の姿は見えなかった。


 夜となり、篝火が焚かれた。燃料は貴重だがその数は多かった。異国での野営は不安が付き纏うものだが、ここは異国過ぎだ。ここに住む人々の肌が黒いと知らぬ者も多かったが、驚いて切りかからぬように前もって教えた。


 その黒い者達が、闇夜に紛れ襲ってくるのではないか。昼間姿を見かけなかっただけに、その恐怖が増大した。ジュリオもやむなしと多くの篝火を焚くのを黙認した。昼間に彼らを見つけ話が出来れば、兵士達も彼らとて人だと理解する。それまでは仕方がない。


 そして、不安はジュリオとて同じだった。上陸部隊を率いる者として兵士達の前では毅然としているが、それこそ彼とて人の子である。不安を感じるのは当然だ。その不安を知識で埋めんとした。


 天幕に山ほど書物を持ち込んだ。ランリエルを発つ前から読み、船内でも目を通した。波に揺られながら文字を読むと頭痛がしたが、それに耐え読み耽った。


 タランラグラに住む者達に関する書物だ。彼らがタランラグラに辿りつく前に奴隷として働かされていた国の書物もある。彼らが奴隷として連れられて来る前に住んでいたところに関しての書物もあった。


「ランリエルとは全く違うな……」


 不安がそうさせるのか、聞く者もおらぬ中、思わず言葉が漏れた。


 作物はあまり作らず、狩り中心の生活だという。熱い国で服も着ず、ほとんど裸同然で暮らしている。男だけではなく女もだ。自分達から見れば全く文明の遅れた者達だ。差別ではなく事実としてそうだ。


 その者達と話し合い協力を求める。それがサルヴァ王子の命令だ。決してこちらから手を出してはならない。


 かつて面白半分で私兵を率いタランラグラに入ったドゥムヤータ貴族が居たが、タランラグラ人に襲われ逃げ帰ったという。彼らは自分達以外の者に敵対心を持っている。


 彼らは元奴隷だ。それに反抗し船を奪って逃げて来た者達の末裔だ。本当は祖国に帰りたかったのだが、操船技術が未熟な為に潮の流れに任せるしかなく、この地に流れ着いた。船を奪った奴隷達の多くは潮の流れに乗り、自然とこの地に集まるのだ。今でも十数年に一度、船が漂着する事もあるという。運悪く潮に乗れなかった者達がどうなったかは誰にも分からない。


 操船技術もろくに無い者達が海に乗り出す。ほとんど自殺行為だ。それをせずに居られぬほどの望郷の想い。その境遇に追いやった者達への憎しみ。ドゥムヤータ人やこの大陸の者達がやった事ではない。だが、彼らにその区別はつかない。自分達が彼らを肌の黒い者達と見るように、彼らから見れば我らは全て肌の白い者達だ。


 初めの接触。それが一番重要だ。武器を置き、こちらに敵意がない事を示す。まずは話し合いに持ち込む。全てはそれからだ。自分達に彼らを奴隷にする気などない。権利上、彼らはドゥムヤータの土地に勝手に住み着いている不法占拠者だ。それを、ランリエルが正式に彼らの居住を認める。それを訴えるのだ。


 腹心を差し置いてまで任命してくれたサルヴァ王子の信頼。それに応えねばならない。


 翌日、軍勢の半数を百名ずつの小部隊に分け住民達の探索に出た。住民達を見つけても接触せずに連絡を寄越すように命じた。話し合いは自分がする。これは他の者には任せられない。


 残す半数は陣地構築を続けさせる。ここは長く拠点とするのだ。いつまでも天幕で寝起きする訳にも行かない。木造の小屋を建て、将来的には石造りの砦を建設する計画もある。


 ジュリオ自身も兵を率いて探索に出た。あえて馬には乗らなかった。他の士官達にも馬は乗らせない。少しでもタランラグラ人を威圧させない為である。馬に乗った者の視線は思いの外高い。戦場でも、敵の騎士に馬上から見下ろされるだけで兵士達は恐怖を覚えるものだ。細心の注意が必要である。


 だが、どこまで行っても白い大地が続く。方向感覚がおかしくなりそうだ。そのつど後ろを振り返り方角を確認した。上陸地点には狼煙を上げさせている。各隊は上陸地点から放射状に出発し、常に狼煙を真後ろにして進むのだ。これで方角を間違わなくて済む。


 しばらく進んでいると兵達が奇妙な事を言い出した。


「何か見張られている気がするのですが……」


 だが、辺りを見渡しても人影など見えない。草木一本生えぬ土地。しかも、彼らの黒い肌は白い大地に目立つはずだ。


「気のせいだ。なれぬ土地に来た不安がそう思わせるのだ。しばらくすれば慣れる」


 兵士はまだ何か言いたそうだったが、結局それ以上は口を開かず押し黙った。彼ら自身、確証がある訳ではないのだ。


 また、しばらく進んだ。


「う、動きました! 今、何か動きました!」


 兵士が叫んだ。さっきと同じ者だ。


「いい加減にしろ! 誰も居ないではないか」

「し、しかし、今、確かに地面が動いたのです」

「風で土煙でもあがったのであろう」

「ですが、確かに動いたのです」

「動いていないとは言っていない。風で土が動いたのだと言っておるのだ」


 また兵士は押し黙り、その後は一度も口を開かなかった。


 結局、タランラグラ人を見つけられぬまま、日が傾いて来たのでやむなく引き上げた。まだ昼過ぎだが、今から引き返さなくては、戻る前に日が沈んでしまう。


 翌日、半数の兵と大量の資材を載せた荷駄を率いて上陸地点を出発した。昨日ジュリオが到達した地点まで進むとそこに陣地を作った。更に翌日、陣地に5百ほどの兵を残し狼煙を上げさせ、他の者達は探索に出た。しかし、やはり、タランラグラ人は見つけられなかった。


 もしかしたら、各隊百人という人数が多いのか。彼らは目が良いと聞く。自分達が気付く前に彼らの方が我らを発見し、百人の兵士に怯えて逃げてしまっているのかも知れない。


 翌日、陣地を更に進ませ、次の日に各隊30人ほどにして出発した。


 ジュリオが白い大地を進んでいると、前方に奇妙な物を発見した。石を積み上げているらしく、人工物に違いない。何かは分からないが、ずっと同じだった景色の変化に彼らは駆け出した。駆けながらも兵士がジュリオに話しかけてくる。


 近づくと、今まで通って来たところは塩塗れの土で地面が白かったのに、この周りの土は比較的黒かった。


「やっと人が居るらしき物を見つけましたね」

「ああ。近くにタランラグラ人が居るに違いない。これでやっと彼らと話が出来るぞ」


 彼らが近づくと、石が人の腰ほどの高さに台形に積み上げられていた。その台形部分の広さは見たところ14サイト(約12メートル)ほど。そこが少しくぼみ、土が敷いてあった。いや、目を凝らしてみると小さく緑の物が見える。どうやらこれが彼らの畑らしく、ちょうど芽が出たところのようだ。土も敷いているのではなく、かなり深いのかも知れない。それが30個以上あった。


 こっそりとドゥムヤータ領に侵入し土と作物の苗を取ってくるのだ。それで畑を作るのである。


 初めは、取ってきた土を地面に撒くだけだった。しかし、それでは作物は育たなかった。雨が降れば周りの塩だらけの土と混じり台無しになったのだ。次に、地面を掘り混ざらないように周りを石で囲んでそこに土を入れて作物を植えた。作物は実った。


 皆は喜んだが、翌年にはもう作物はすぐに枯れた。雨が降るたびに周りから染み出した塩水が、石の囲いを越えて畑を浸食していたのだ。そして今の形となった。石を積み上げ、地面より高いところに畑を作った。そして、地面から高ければ高いほどよく実ると考えられ畑は高くなっていった。中には人の背ほどの高さの畑を作る者も居る。


 もっともジュリオも含めランリエル兵にそこまでの知識はない。どうやら畑らしいという事だけは分かるが、どうしてこの形状なのかまでは考えが及ばない。それもタランラグラ人を見つければ聞けばよい話だ。ジュリオは民族学者ではなく、そこまでの探究心はなかった。


「よし! 畑があるなら、人も近くに住んでいるはずだ。よく探せ!」

「はっ!」


 まったく何もなく、いつまでも続く代わり映えのない光景。その中で見つけた人工物に兵達の心も高ぶった。思い思いの方向に駆け出していく。ジュリオもまるで全てが終えたかのような達成感を覚えた。


 いや、まだ一歩目だ。これからが重要なのだ。タランラグラ人に会ったら、まずこの付近を代表する者に会わせて貰うのだ。その者を説得し、次に更に上の者に会わせて貰う。そうして、一番上の者まで辿り着くのだ。


 ジュリオは感慨に耽り、積み上げられた石に手を当てながら畑の周りを歩き出した。


 ここに居る者が、その一番上の者ならば手っ取り早いのだが……。いや、それは望み過ぎだ。ここを見つけられただけでも幸運だ。それ以上は望むべきではない。後は地道に一歩ずつ……。


 急に息苦しさを感じた。次に胸に激痛が発生した。突然に生じた。血を吐いた。胸から短い棒が生えていた。目の前には誰もいない。


 これは……矢……なのか? だが、どこから飛んで来た。それすら気付かなかった。


 地面が動いた。


 ああ……これか。


 ジュリオは薄れゆく意識の中、ある事を思い出した。タランラグラ人の故郷。彼らを奴隷として使っていた国ではない。彼らの真の祖国。そこでは狩りが盛んだ。弓の名人も居る。だが、ランリエルやこの大陸でいうところの弓の名人とは、その性質が違った。


 この大陸では遠くにある的を射れる者が弓の名人だ。しかし、彼らの故郷では、気配を消して獲物に近づける者が弓の名人なのだ。


 至近距離からでなければ甲冑を射抜けぬ粗末な弓を構えた男が、仰向けに地面に横たわっていた。横たわりながら矢を放ったのだ。腰の辺りに申し訳程度に布を巻き付け、身体中に白い砂を塗り地面と同化していた。ぎょろりとした目だけが浮いて見えた。

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