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愚者達の戦記  作者: 六三
征西編
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第13話:寵姫(2)

 サルヴァ王子はその夜、またもや後宮へと足を運んだ。


 特に淫乱の気がない王子でも、若く鍛えられた身体は戦が無い時は力を持て余しつい後宮へと向かう回数は増える。


 王子は1人後宮の奥へと通じる廊下を進んだ。後宮の女達にも準備がある為、寵姫の部屋を訪問する前には後宮を管理する役人に命じ訪問を伝えさせる。だが女の部屋に行くのに案内など不要である。むしろ煩わしいだけだった。


 後宮は奥へ行くほど身分が高く、寵愛の篤い女の部屋が置かれている。アリシアの部屋は一番手前にあった。


 王子はお気に入りの寵姫の元へと向かう途中、アリシアの部屋の前で足を止めた。意図して止めたのではなく、つい止まってしまったのだ。


 ほとんど無意識に自分の右の掌を見つめた。その手にアリシアの衣服の破片は無いが、脳裏にあの時の事がまざまざと浮かんだ。


 右の掌を強く握ると、舌打ちをしその場から離れた。まるで女の家庭教師から罪を隠す少年のように。と言えば王子は屈辱を感じただろう。だが、その歩みは確かに足早というにも早すぎた。まるで何かから逃げるかのように。


 まもなく、セレーナという寵姫の部屋の扉をくぐった。


 セレーナは後宮に入って2年になる21歳の女性だった。胸まである金髪はウェーブし緩やかに広がる。それがいっそう彼女を華やかに見せた。青い瞳を嬉しげに輝かせている。


「サルヴァ殿下。良くぞいらっしゃいました」


 セレーナは微笑みながら王子を出迎えた。アリシアのように寝具の縁に座ったまま出迎えるのではなく、立って出迎える彼女に、王子は満足そうに頷く。


「何か、お飲み物は如何で御座いましょう?」


 葡萄酒を頼むとセレーナは一旦奥に下がった。かと思うとすぐに葡萄酒のビンとグラスが乗った盆を持って戻ってきた。王子の求めにすぐに答える為、予め何種類もの酒を奥に用意していたらしい。アリシアと違いなんと行き届いた女なのか。


 セレーナは王子を愛していた。望んで後宮に入った訳ではない。王子に取り入ろうとした公爵である父親に、三女だった彼女が差し出されたのだ。だが、彼女はすぐにサルヴァ王子に恋にした。


 サルヴァ王子はその身分を差し引いたとしても、鍛え上げられた肉体と、帝国との戦いに終止符を打った智謀を生み出すその知性。そして、それに裏付けられた自信に満ちた立ち振る舞いは、若い娘を虜にするには十分だった。もっとも男の趣味の悪いアリシアにしてみれば、その自信に満ちた立ち振る舞いは「偉そう」でしか無かったのであるが。


 王子は葡萄酒を満たした杯に一口つけて味わうと、残りを一気に干した。そしてセレーナを抱き寄せる。逞しい胸に抱かれた彼女は、両手を王子の胸に当て、その胸の厚みに身体が火照るのを感じた。


 セレーナの首筋に唇を這わせると、滑らかな感触と微かな苦味が舌に残る。だがその苦味の代わりに甘い香りが鼻腔をくすぐる。セレーナは王子を迎えるにあたり、自らの身体に香水を振り掛けていたのだ。それに比べてアリシアの肌はろくに手入れもされておらず、微かにざらつき、香水もつけない。興醒めも良いところだった。


 セレーナをさらに抱き寄せると、膝の裏に右手を回して軽々と彼女を抱え上げた。彼女の体重など感じていないような力強くよどみない動きに、彼女の胸はさらに高鳴った。この逞しい男に今から存分に抱かれるのだ。


 王子はやや乱暴に寵姫を寝具の上に投げ出した。だが、その振る舞いすらセレーナには頼もしさを感じさせた。恥かしげに顔を背けていた寵姫が、ちらりと王子に視線をかすめさせると、王子はその一瞬を逃さず、その視線に込められた期待の色に満足した。


 恥じらいながらも男を求めるセレーナの姿は、羞恥心などあるのか無いのかも分からないアリシアとは、比べ物にならないほど情欲を誘う。


 王子は乱暴にセレーナの衣服を剥ぎ取ろうとしながら、彼女の身体に手と舌を這わせる。その愛撫にセレーナは敏感に反応しながら身体をくねらせ、衣服を剥ぎ取るのを絶妙に助ける。


 一糸纏わぬ姿となったセレーナに覆いかぶさった。それに応え、彼女も王子の背に手を這わせ、汗ばむ肌を撫でた。


 アリシアとは違い反応の良いセレーナは、王子を精神的にも楽しませる。その肌もアリシアとは比べ物にならず滑らかで、その声はアリシアと比べ物にならないほど美しい。そしてアリシアとは違い――。


 不意に王子の背に回されていたセレーナの手が王子の胸に移動し、その身体を強く押した。彼女に覆いかぶさっていた王子は、動きを中断され怪訝そうな表情で口を開いた。


「どうしたのだ?」


 セレーナも自分の行動に驚いたように口に手を当てた。彼女自身にとっても、ほとんど無意識の行動だったのである。


「い……いえ。何でも御座いません」


 中断され少し興醒めした王子だったが、再開するとすぐに忘れ、またセレーナの身体を存分に楽しみ、その後、セレーナの横で眠りについた。だが心地よい疲労に身を任せ深い眠りについた王子は、その傍らで彼女が洩らす嗚咽には気付かないのだった。



 翌朝、王子が部屋から立ち去ると、セレーナはすぐに侍女を呼寄せた。


「最近、確かアリシア様という方が後宮に入ったみたいね」

「はい。そのように聞いております」


 セレーナは王子が自分を抱きながらも、他の女を考えていたのを敏感に察した。なぜ感じられたのかと言えばそれは彼女にも分からない。それは彼女の知性がもたらしたものではなく、王子を愛しているがゆえに、王子のいつもとの違いを女の本能が敏感に感じ取ったのだ。だがそれだけに彼女は確信した。


 セレーナとて、時にはサルヴァ王子が他の寵姫の元へと通うのは仕方が無いと考えていた。それでも自分の元へと来た時は自分だけを愛してくれている。それを感じられていたから我慢も出来ていた。それが自分を抱きながら他の女に思いをはせるとは……。


 今までに無かった事が起こったのなら、今まで後宮に居なかった者が原因だ。これは彼女の知性が告げた。最近後宮に入った女性と言えばアリシアしか居ないのである。


 まず初めに心を占めたのは、怒りでもなく屈辱でもない。自分以外の女を思い浮かべながら抱かれているという悲しみだった。だが、ひとしきり涙を流した後湧き上がったのは、尊厳を傷つけられたという屈辱であり、怒りだった。


 しかしセレーナはサルヴァ王子を愛していた。だから王子を憎む事は出来ない。憎むのなら、王子が自分を抱きながら思い浮かべたという女性を憎むべきだった。理不尽なようだが、セレーナの心に勤める裁判官は、彼女の精神のバランスを保つ為、そう判決を下した。


 王子を愛しながら王子を憎む。それには彼女の精神が持たないと、それをしてしまっては心が壊れると、そう判断されたがゆえ、アリシアへと憎悪の矛先は向けられたのだ。


「どのような女性なの?」

「何でも、かなり身分の低い女性と聞いております」

「かなり低いとは……その方のお父上が男爵とかなのかしら?」


 男爵は爵位の中で最下位に位置する。公爵を父に持つセレーナには、低い身分と聞けば真っ先に男爵が思い浮かぶ。


「いえ、それが……爵位すら持たぬ下級貴族の……さらに遠縁の者とか」


 セレーナは不審そうに眉をひそめた。勿論彼女も爵位をもたぬ貴族の存在を知らぬ訳ではない。しかしそれでは……。


「どのようなつてで、この後宮に入る事が出来たというの?」


 王子は多淫では無い。後宮に女性を入れるのも断りきれない場合に限ってという事はセレーナも分かっている。それだけに、時おり新たな寵姫が後宮に入るのは仕方が無いと、諦めもついていた。しかし爵位を持たぬ下級貴族の願いをどうして王子は断りきれなかったのだろう?


 侍女は言い難そうにセレーナの顔色を探りながら、恐る恐る口を開く。


「それが……、サルヴァ殿下から望んで後宮に迎えられたとか……」


 その言葉に、セレーナは口に手をあて目を見開いて驚きの表情を見せた。信じられなかった。王子から求められた女性が居るというの?


 手が小刻みに震える。それをもたらした感情は、怒りとそして恐怖だった。今までサルヴァ王子に尽くして来た自分を差し置いて、つい最近現れた身分の低い娘が王子を奪い取ろうとする怒り、王子を失ってしまうという恐怖。


「そのアリシアという女性を、よく調べてちょうだい……」


 教養と節度から、「その女」と呼ぶ事はかろうじて耐えた。

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