表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
227/443

第137:天界の花嫁

 皇国との戦いは勝者であるランリエル側も大きな被害を出した。特に皇国軍本隊と戦い連戦連敗したランリエル王国軍の被害は甚大である。


 戦闘前はコスティラ人外人部隊を加えれば20万を数えた軍勢も、14万にまで減少していた。通常、3割を失えばその軍勢は壊滅とも判断されるのが軍事上の常識。数度の戦いでの被害である為壊滅せずにすんだが、一度にこれだけの打撃を受けていれば、軍勢は崩壊していた。


 だが、軍勢を出迎える王都の民衆達の顔に暗い影は無い。あの大皇国に勝利したのだ。100万の軍勢に祖国を蹂躙され、殺され、良くて奴隷として売り払われる。その運命が待っていた。それが勝利したのだ。いや、大勝利だ。今は、戦いで亡くなった者に感謝しつつ、訪れた平和を素直に喜ぼう。


「流石はサルヴァ殿下。あの皇国に勝利したぞ!」

「殿下の前には100万の軍勢といえど、何ほどであろうか!」

「如何な敵も、殿下の手にかかれば打ち破るなど造作もないのだ」


 中にはサルヴァ王子を、常勝の覇者と呼び出す者もいたが、王子が一部隊長時代に同じく部隊長だったカルデイ帝国のエティエ・ギリスに負けた事があると指摘され、総司令になってからの話だ! いや、むやみに殿下を持ちあげるのは、それこそ殿下の品位を汚すのだ! と殴り合いになったりもした。


 この程度の事件など微笑ましいものだが、その他にも様々な悲喜劇があった。


 どうせ皇国が相手では勝ち目はないと家族と共に逃げ出した貴族がいた。財産の全てを現金に替え家族全員でランリエルを脱出したのだ。ランリエルなど、どうせ皇国に滅ぼされる国。領地は売っても二束三文にしかならない。だが、金は必要だ。売れないならば、出費を抑えるべきだ。


「退職金代わりだ。この領地をお前達に与えるので好きにするがよい」


 屋敷で働いていた召使いや侍女に言い放ち、一枚の銅貨も与えず置いてきぼりにした。海を越えドゥムヤータまで逃げたその貴族は、ランリエルが勝利したと聞いて舞い戻り、領地を返すようにと召使い達に命じたが、彼らは自分達を解雇したのは貴方の方。今更、主人面される筋合いはないと突っぱねた。結局その貴族は、相場の金額で領地を買い戻さざるを得なかった挙句、ランリエルを捨てて逃げたと社交界からも爪弾きとなった。


 ある男爵家のご令嬢とその家の執事が身分違いの恋に落ちた。当然、男爵夫妻は2人の仲を認めない。だが、皇国軍がやってくると知った。


「もう最後なのだから、せめてあの子の思うようにさせましょう」


 お母様の言葉に、お父様も仕方ないと頷いた。そしてささやかな結婚式が行われたが、皇国軍はサルヴァ王子に打ち破られた。命が助かったお父様とお母様は、複雑な心境だ。だが、既に後の祭り。愛し合う男と女は、抱きしめ合いサルヴァ王子に感謝した。


 そして皇国軍の来襲に心乱れたのは、アリシア・バオリスも同じだった。戦いに赴き命を落とすかも知れない愛しい男が、せめて今宵だけは朝まで共にと言った。気丈にも、貴方は帰ってくるのだから特別な夜などいらないと拒絶した彼女だが、心の奥底では、王子と同じ気持ちだった。


 やはり、朝まで共に居たかった。いや、まるで王子が戦死するかのような事はすべきではないのだ。これで良いのだ。でも、本当に最後になるかも知れない。悔やみ、考え直し、自分に言い聞かせ、また悔やむ。それを何十回と、いや、何百回と日々繰り返した。


 そのサルヴァ王子が生きて帰ってくる。皇国軍に勝利した。そんな事はどうでもいい。王子が生きている。それ以外に何が重要なのか。何もありはしない。


 普段は後宮の外に出るのにも申請が必要な寵姫達だが、王都に凱旋するサルヴァ王子の出迎えに申請なしに後宮を出る事を許された。王子を出迎える為と言われては断る理由も無いのだ。どうせ許可を求めても、全員から申請されるだけである。


 サルヴァ王子は軍勢と共に王都を一回りした後、側近の者達と5百の精鋭のみを率いて王宮に入る。


 侍女を引き連れた寵姫達は、王宮でサルヴァ王子が来るのを今か今かと待ちわびた。王子が来れば上品さを損なわない程度に駆け寄り、お祝いの言葉を言わなくてはならない。無論、全力疾走など持っての他。途中で他の寵姫を追い抜くのもはしたない。しかし、一番に王子の元に到着しなくてはならない。


 スタート勝負。初めに先頭に立った者が勝ちだ。だが、あまりに王子が遠いところから駆け出すのも品が無い。王子が門を潜り、自分達から見て10本目の並木を越えたところ。そこが勝負だ。寵姫達は視線を投げあい暗黙の了解がなされる。王子の愛馬の足がそこを越えた瞬間、各馬、いや、寵姫達は走り出すのだ。


 寵姫達の列にはアリシアとナターニヤも居た。彼女達はこのレースに参加しない。ナターニヤは既に王子争奪戦を降りているし、アリシアは表向きは王子とは友人関係。王子争奪戦は辞退すべきだ。


「ナターニヤ。私の手を握っててくれないかしら」

「いいけど。どうしたの?」

「走り出しちゃいそうなのよ」


 ナターニヤは少し意地の悪い笑みを浮かべると、アリシアの少し汗ばむ手を握った。


 その後ろで、アリシアの侍女エレナがふくれた顔で口をへの字にナターニヤを睨んでいる。


 アリシアとナターニヤが和解したその夜。彼女は隣の部屋で聞き耳を立てていた。会話の全てが聞こえた訳ではなかったが、とにかく2人が以前以上に仲良くなったのは分かった。


 アリシア様は、このナターニヤがどれほど恐ろしい女なのか知らないのだ! 親友面し、その裏で何をたくらんでいるか分かったものでは無いのに。


 だけど、今それをアリシア様に訴えたところで何の証拠も無い。きっと信じて貰えない。それくらいは分かる。きっとこの悪女の尻尾を掴んでやる。その企みを白日の下にさらけ出してやるのだ。


 だが、後ろに目が付いていないアリシアとナターニヤは侍女の視線に気付かず、その決意も知りようが無かった。


 王子が予定の時刻になっても現れない。寵姫達はざわめきだしたが、押し寄せる民衆を制しながら進む戦勝の隊列が遅れるなどよくある事と役人に説明された。


 そして、いくらなんでも遅すぎるのではと、また寵姫達が騒ぎ出した頃、ついに白馬に乗る王子が門を潜った。その後ろに側近達と5百騎が続く。10本目の並木まで後400サイト(約340メートル)。まだまだだ。寵姫達も、走る体勢に入っていない。


「ごめん。無理」


 その微かに耳を掠めた呟きに、ナターニヤが顔を向けた時には、既に掴んだ手は振りほどかれていた。


「え。うそ!?」


 豪快なフライングに、寵姫達は慌てて追いかける。


「あらら」

 と、ナターニヤは苦笑を浮かべ、やれやれと肩をすくめた。


 寵姫達は懸命に追い掛けるが、上品に、という習慣が身体に染み付いた彼女達が全力疾走するアリシアに追いつけるはずがない。裾を乱し駆けるアリシアは、寵姫達を大きく引き離す。


 その光景はサルヴァ王子からも見えていた。ゆっくりと行進するはずが、無意識に愛馬の腹を蹴る。他の者達がどうしたものかと戸惑っている中、副官であるウィルケスのみが追い掛けた。


 白馬から飛び降りた王子が地面に足を付けた時、アリシアも王子の前で足を止めた。肩で息をし、流れる汗で化粧すら落ちかけている。だが、その汗だらけの顔に浮かぶ笑顔が王子には眩しい。


「アリシア……」

「サルヴァ殿下……」


 抱きしめたい衝動と、抱きしめられたい願望を抱いた2人だったが、2人の仲は公には出来ない。それは、外聞や身分の差だけの問題ではなく、彼女の安全の為だ。それが、見えない壁となって2人を別つ。


 死をも覚悟して分かれた2人がまた出会えたのに、抱き合う事すら出来ない。アリシアの顔が悲しげに曇る。


 その時、ウィルケスの栗毛の馬が何かに驚いたのか棹立ちとなった。しかも、馬を落ち着かせる為なのか王子の前に進み出た。その時、他者から見えぬように王子の愛馬の手綱を軽く引いた。そのまま王子とアリシアの周囲を小さく回り、2人の姿は栗毛と白い馬の陰に隠れた。


 何をやっているのかと王子が視線を向けると、ウィルケスが小さく頷く。


 朴念仁の王子にしては奇跡的に瞬時に察した。素早くアリシアを抱き寄せ口付けたのだった。


 その後、サルヴァ王子は戦勝の報告を行う為に謁見の間に向かった。貴族や大臣達のみならず、国王の配慮なのか寵姫達も参列を許された。クレックス王も国王以前に人の親である。特に今回の戦いでは王子が戦死する可能性も高かった。正式な王妃は別に考えるとして、寵姫とでも良いので早く孫の顔が見たいというのが親心というものだ。


 そして王子の晴れの姿を拝んだ寵姫達は自分の部屋に戻った。アリシアもエレナにお茶を用意させてナターニヤを部屋に招いていた。2人で話す時はアリシアの部屋だ。ナターニヤの部屋では侍女が多いが、アリシアの部屋ならエレナさえ下がらせれば2人きりである。アリシアと王子との関係を話題にするならば、その方が都合がいい。


「貴女も無茶するわね」

「しょうがないじゃない。足が勝手に走り出しちゃったんだから」


 ばつが悪い表情をしながら弁解するアリシアにナターニヤが苦笑する。


「でも、みんな貴女とサルヴァ殿下との仲を疑わなかったのは不幸中の幸いね」

「まあ、喜ぶべきなんでしょうけど」


 そうは言いながらもアリシアは釈然としない顔で紅茶に口を付けた。


 裾を翻し全力疾走して汗だくの女性というのはあまり色香というものを感じさせないらしく、彼女と王子との色恋を想像する者は少なかった。とはいえ、アリシアも女性である。自分がそれほど女として魅力が無いと思われているのは気分の良いものでは無い。


「いいじゃない。どうせ彼女達が夢中なサルヴァ殿下は貴女のものなんだから、お気の毒様って心の中で舌を出しておきなさい」

「あ、貴女も結構言うわね」


 アリシアの前では猫を被るのを辞めたナターニヤである。その変わり身はアリシアも戸惑うほどだ。建前としてサルヴァ王子は今もナターニヤの部屋にも他の寵姫と同様に通ってはいるが、実際はサルヴァ王子には指一本触れさせていない。それどころか、なんと彼女は後宮の主に対しこう言い放ったのだ。


寝具ベッドは私が使いますので、殿下はその長椅子ででも寝て下さい」


 サルヴァ王子は驚いたものの、次の瞬間には苦笑しつつ頷いた。こうして、サルヴァ王子がアリシアと結ばれた今、彼女が唯一サルヴァ王子に身体を触れさせない寵姫となったのである。


「でも、アリシア。貴女も気をつけなさいよ。今回は上手く誤魔化したけど、流石に今日みたいな事が続けば、みんなも感づくわよ」

「分かってるわよ」


 とはいうものの、アリシアの声は力ない。


 今回の事も寵姫達がアリシアと王子との関係を疑わなかったのは、ナターニヤが彼女達を上手く言い包めてくれたのが大きい。


「アリシア様がもう少しお淑やかでいらしたら、サルヴァ殿下もご友人としてではなく、女性として見てくださるかと思うのですけど……。でも、ご友人同士だからこそ、飾らぬ関係で居られるのでしょうね」


 そしてアリシアの取り巻き達も

「ええ。アリシア様とサルヴァ殿下はいつも仲がおよろしいので、私達などお2人の間には入り込めませんわ」

 と、一等賞を取られたのを我慢するしかなかったのだ。


「それで、殿下とのお子はまだ授からないの?」

「い、いきなり、何を言っているのよ」


「だって、貴女と殿下との子供を抱くまではコスティラに帰らないって決めたんですもの。行き遅れにならない内に産んで貰わないと」

「そんな事言われたって……」

「言われたってじゃないでしょ。殿下にもお世継ぎは必要なんだから」


 サルヴァ王子に他に子供が居ない今、もし自分が王子の子供を産めばその子が次期国王になる事もありえる。アリシアとてそれは分かる。無論、正式な妃を迎えれば、その妃との子が嫡男であり自分との子は庶子だ。しかし王子がこのまま妃を迎えなければ……。


 他の寵姫達、そして貴族、大臣達とて王子がまだ結婚しないのは、王子がまだ相応しい相手を見つけていないからか、外交的に利益ある相手を望んでいるか。そのどちらかと考えている。


 しかしアリシアは知っている。王子は既に結婚しているのだ。セレーナ・カスティニオ、いや、セレーナ・アルディナと。だが、彼女は死んだ。死んだのなら死別だ。死が2人を別つのだ。他の女性と結婚しても何の問題も無い。生きていた妻が死んだのなら……。


 ならば、死者と結婚したのなら、何を持って別つのか。ナターニヤは、サルヴァ殿下は貴女のものだと言った。いや、違う。サルヴァ殿下はセレーナのものだ。もし殿下が天に召される時が来れば、その時にこそ、本当にセレーナと結ばれる。


 私とサルヴァ殿下はこの地上で結ばれた。それをセレーナは天から祝福してくれている。そうも確信している。でも、天に召されたのなら、やはり殿下はセレーナのものだ。そして、その考えに思い至れば、自分にも天にはリヴァル・オルカが居るではないか。


 セレーナとは親友だった。リヴァルはサルヴァ殿下を崇拝していた。確かに、リヴァルもセレーナと同じく祝福してくれているだろう。でも、それでもだ。天で4人が顔を合わせればどうなるのか。その思いが心を掠める。


 答えが出ない問いなのは分かっている。だからこそ、心から離れない。


「どうしたの? 急に黙り込んで」

「ううん。なんでもないの」


 アリシアはそういって、心に蓋をしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ