第133話:連敗
ランリエル軍本隊から分かれ皇国軍本陣を目指したバルバールら4ヶ国の軍勢を衛星国家下位4ヶ国が捕捉。その進路に回り込み立ちはだかった。
当初の予定ではバルバール軍の前方に出るのはバンブーナ軍であったが、その軍勢は6万。バンブーナ王国軍総司令チュエカは、ベルヴァースの進路を遮断すべく進んでいたエストレーダ王国軍総司令グラセスに申し入れた。
「貴公の軍勢は7万。今回の任務は敵と雌雄を決するにあらず。敵を防ぐのが目的。貴公がバルバールを止めて欲しい」
グラセスもその申し出を受け入れ、こうしてバルバール軍とエストレーダ軍が対峙。バンブーナ軍はベルヴァース軍の前に立ちはだかった。そしてチュエカは、強敵と戦い武功を誇る私事に捕らわれず大局を見たと賞賛されたのだった。
ただ、表面上は快く受け入れたグラセスは密かに副官に愚痴を漏らした。
「チュエカめ、面倒な奴を俺に押し付けやがって。これでもし俺がバルバールに敗れればいい面の皮だぞ」
バルバール軍は名将の誉れ高い総司令フィン・ディアスをはじめ、その配下に猛将グレイスなどもいる。数では勝っているが油断は出来ぬ相手だ。しかも、雌雄を決するのが任ではないと交代を申し出たチェエカが、なんと自軍より数で劣るベルヴァース軍を激しく攻め立てていた。それを聞いたグラセスは、更に顔をしかめたという。
このような駆け引きを行いながらも、ランリエル配下の4ヶ国と衛星国家下位4ヶ国の軍勢は対峙したのである。だが、双方有利と見れば攻め立て、不利と見れば守りを固める。戦線は膠着したのだった。
守るところは最小限の戦力で守り、攻めるところに戦力を集中するのが戦いの常道。皇国軍が戦力を集中させるのは、当然、ランリエル軍本隊だ。
皇国軍は、初めにランリエル勢と戦ったボルガル平原より更に東に3ケイト(約26キロ)にあるエルクートで、改めてランリエル軍本隊と対決した。とはいえ、ランリエル軍前面に広がるのは衛星国家4ヶ国の軍勢だ。流石に、ここに至ってはブリオネス王が前線に出て来たアルデシア王国軍だけを後方に置く訳には行かない。それに、どうせブリオネスは皇国軍総司令バルガスの傍らから離れない。
「やはりと言えばやはりですね」
「ああ。予定通りだ。前面の4ヶ国の軍勢の内、一番兵が少ないのはベルドットだったか?」
「はい。ベルドット王国軍は目測ですが3万5千です」
「では、ベルドットに戦力を集中させよ」
この時、皇国軍全軍では40万に達してるが、衛星国家の軍勢だけならば16万程。ランリエル軍は前回の戦いで損害を出したとはいえ、いまだ18万を擁する。もっとも、ランリエル軍もいきなり全軍を投入する訳ではない、戦闘に参加している人数はほぼ互角だ。
ベルドット王国軍以外の3ヶ国に対しては、盾を並べ槍衾を作り防いだ。標的とするベルドットへは、騎兵が雄叫びをあげ突撃し、撃退されれば、内に誘い込み取り囲む。だが、ベルドットもよく戦い決定的な損害は与えられない。多くの兵士が血を流し大地を赤く濡らす。血溜りを騎兵が駆け赤い水しぶきが上がった。戦況は一進一退だ。
「実践経験の少ない皇国兵は弱いのかとも考えていたのですが、他国の軍勢に引けを取りませんね」
「実戦経験の無い兵が浮き足立つのは、余裕がないからだ。我らは経験によってその余裕を得ているが、彼らは、皇国軍は大陸最強。その信仰によって心を支えているのだ」
「なるほど」
とはいえ、戦況が互角ならば最終的には数が多い方が勝つ。相手が衛星国家だけならば、ランリエルが優勢だ。
「ベルドット王国軍、後退します!」
前線からの報告にサルヴァ王子が小さく頷いた。これでベルドットの代わりに皇国軍が出てくる。しかし、次の報告はその期待を半分裏切った。
「ベルドット王国軍。1000サイト(約850メートル)後退しただけでその場に停止しました。そこで軍勢を立て直すようです」
「目の前で、軍勢の建て直しなどさせるか! 騎兵を突撃させよ!」
奴らはあくまで皇国軍本隊を温存する気か。ならば、ベルドット軍を完全に壊滅させ無理にでも引きずり出す!
「皇国軍。左翼に回り込んで来ます! 数3万!」
「ちっ!」
大きな舌打ちが響いた。傷付いたベルドット軍を立て直させつつ囮にし、本命は我が左翼。やってくれる。
「ムウリ! 迎え撃て!」
「は」
ムウリ将軍は言わずと知れたランリエル軍の宿将。前線指揮ではサルヴァ王子をも超えると言われ、彼が率いるのはランリエル最強部隊だ。その2万を敵右翼――ランリエル軍から見て左――にぶつけた。
通常、右翼に最強部隊を置く。必然的に左翼は敵の最強部隊を防ぐ役目となる。右手に剣を持ち、左手に盾を持つのだ。だが、サルヴァ王子は、剣に剣をぶつけた。剣と剣が打ち合えば、たちまち双方の剣は刃こぼれが生じる。消耗戦。
そして、ムウリの技は巧みだった。数において劣りながらも敵の斬撃を受け流し、切り込み、互角の戦いを演じた。損害もほぼ互角。皇国軍1人を殺す為にランリエル側は3人が死ぬ。その作戦よりは遥かにマシだ。
「出来るだけ、ここで敵戦力を削っておきたい」
「コスティラ外人部隊を動かすのは、流石にまだ早いですしね」
「ああ。何せ集めただけで指揮系統も何も無かったからな。日々組織立ててはいるが、やはりまだ完全ではない。使い、それで敵を撃破出来れば良いが、失敗し退却する時を狙われれば壊滅しかねん」
勝っている時は勢いが全てと言ってよい。だが、退却時にばらばらでは、敵を防ごうとする者、とにかく逃げようとする者。それらが入り乱れ収集が付かなくなる。
「彼らは、敵を切り崩し致命傷を与えられるという時に投入する。それまでは、消耗戦を仕掛け敵の戦力を削るのだ」
「はい」
ウィルケスは、あえて王子の言葉の矛盾を聞き流した。兵力が劣る側と勝る側。消耗戦を続ければ崩れるのは劣る方だ。
「ベルドット軍、動き出しました!」
「立て直しが終わったのか?」
「い、いえ。これは、更に後退します!」
「なに!?」
背筋が寒くなった。ベルドットに注意を引き付けて本命は左翼からの軍。それが皇国軍の策ではなかったのか?
「正面、ベルドット王国軍と入れ替わり皇国軍! 数、およそ4万です!」
「左翼が囮だと!」
確かに手駒の数で負けている以上、皇国軍に主導権を取られるのは仕方がない。しかし、ここまで簡単に揺さぶられるとは。
「前衛の騎兵。突撃して来ます!」
「ありったけの矢を射かけよ! なんとしても防げ!」
そこを守るのは、今までベルドットと戦っていた軍勢だ。心身共に消耗している。皇国軍の新手に持ち堪えられるか。本当だったら皇国軍の主力をムウリに担当させるはずだった。だが、ムウリは左翼で釘付けとなっている。
ここで中央を突破されては致命的だ。確かに皇国軍はこちらが敗走しても深追いはしない。だが、中央を突破され後方を遮断されては敗走すら出来ない。包囲され全滅の危険すらあった。
普段は口数の多いウィルケスが無言だ。青い顔に汗が浮かぶ。どこか、甘く見ていた。散々、皇国軍の数の脅威を思い知りながらも甘く見ていた。どこかで、指揮は稚拙な大軍と、指揮が巧みな自分達。その戦いだと思い込んでいた。
いや、考えれば当たり前だ。能力以前の問題だ。相手の方が手駒が多いのだ。こっちに手を打てば他に隙が出来る自分達と、そっちにもこっちにも手を打ち、それでもまだ余裕がある皇国軍。こちらの手を読む必要すらない。こちらの出方を見てから動く余裕があるのだ。指揮でも負けるに決まっている。
数で負けて、指揮でも負けるなら、どうやって勝つ?
「ムウリはどうだ?」
王子の声にウィルケスが我に返った。前線から逐次報告されていた戦況を頭に浮かべる。
「数の差が出てきていますが、何とか互角に戦ってます。後、しばらくは大丈夫でしょう」
「では、ムウリを殿≪しんがり≫に。全軍退却だ」
「退却……ですか? しかし、もうしばらくは戦えます」
「確かにまだ支えられるが、これ以上粘れば退却が難しくなる。いくら皇国軍が深追いしないといっても、両軍が複雑に絡み合えば、この戦場に取り残され討たれる者も多くなる」
「は。確かに」
命令は直ちに伝えられ、ランリエル軍は退却を開始した。その僅か後、更に右翼から皇国軍が姿を現す。もし、サルヴァ王子の撤退命令が少しでも遅れていれば包囲されかねなかった。
ランリエル軍は再度敗北した。皇国軍に数千の被害を与えたものの、ランリエル軍は万の被害を出したのだった。
その数日後、ミアスに陣を構えるランリエル軍は、またも皇国軍の攻撃を受けた。また数千の被害を与えたが、やはりランリエル軍の被害は万に達する。更に数日後、カストリ。次にシャーツク。負け続ける。
「武功の立て放題ですな」
前線まで来ておきながら、結局は皇国軍総司令の傍らを動かぬブリオネス王は上機嫌だ。戦場では役に立たぬ見栄えだけは良い薄い鉄板の甲冑に身を包み、酒に酔っているのかと思えるほど浮かれているが、流石に戦場で酔いで頭を濁すほどの酒は飲まない。
自分が前線まで来る事により、軍勢を戦闘に参加させず消耗を抑えるとの思惑は崩れたが、その代わりに戦えば戦うだけ武功を重ねられるこの状況も悪くはない。アルデシア王国軍もかなりの戦功を上げている。
皇国軍総司令バルガスは、ブリオネスとの会話を楽しいとは感じていなかったが、話しかけられては無視も出来ない。面倒くさいという感情を表情には出さず応じた。
「ランリエル軍がここまで粘るとは予想外でした。通常ならば既に軍勢が瓦解しているでしょう」
もっとも、その理由は推測出来た。皇国軍は他国を征服せず滅ぼす。それが知れ渡っているからだ。今までの敵は、それでも皇国軍が来ると知れば逃げ出したのだが……。今回の敵は、余程の覚悟があるらしい。
「なに、何度でも軍勢を立て直すなら、こちらも何度でも打ち破るまで。我が軍の騎士達もこれで胸を張り故郷の帰れると喜んでおりますぞ」
確かに、ランリエルの台頭からここ数年、大陸には戦乱の嵐が吹き荒れている。しかし、それまでは平和な日々だった。騎士とて戦争を経験せずに寿命を終える者が大半。戦場に出て1人倒せば、それを故郷では破裂せんばかりに膨らませて語り、子々孫々まで我が家の英雄として伝えられるのだ。時には、雑兵1人倒したのが、大将軍を倒した事になっていたりもする。
「しかし、後方では下位4ヶ国の軍勢とバルバールらランリエル配下の者達が睨みあったままです。その中で、我らのみランリエル軍を追い突出している。好ましい布陣とは言えませんな」
軍勢とは基本的に前方にのみ対応する。それゆえ、後方を遮断されたり包囲されたりする事には本能的な恐怖を覚える。衛星国家の軍勢が抑えているとはいえ、後方に敵勢が居るのは避けたいところである。
ここは一旦、全軍の足並みを揃えるべきだ。そして、いかな大軍とて敵に背を向けては危険だ。後方の衛星国家の軍勢が前に進むべきである。だが、今まで膠着状態だったものが簡単に敵を撃破出来るはずがない。こちらから増援を送る必要があった。
とはいえ、ここに残る衛星国家上位4ヶ国。その軍勢の全てを向かわせてはランリエル軍との戦力差が詰まり過ぎる。行かせても精々2ヶ国。その2ヶ国をどれにするか。
「ブリオネス王。このままランリエル軍と戦うのと、後方の援軍に向かうのと、どちらがよろしいですかな?」
「私が決めても良いのですか?」
「ブリオネス王のご見識を伺いたい」
実際、バルガスにとってどの2ヶ国が行こうが大差はないが、他の国王達が不満を言ってきては面倒だ。これで、ブリオネスが希望したと説明できる。
ブリオネスは腕を組み考え込んだ。下位国家の奴らを助けて恩を売るのも気分は良いが、どうせ奴らは素直に感謝したりはすまい。やはり、敵の主力であるランリエル軍と戦い名声を上げるべきだ。
「私はここに残りましょう。皇国に仕える衛星国家の王として、1人くらいは前線に居るべきです」
前線になど出ておらぬではないか。とは思いながらもバルガスはおくびにも出さない。
「分かりました。それでは、貴公のアルデシア軍と同規模のカスティー・レオン軍にも残って貰い、援軍には他の2ヶ国の軍勢を向かわせます」
後方の援軍にはベルグラード王国軍とベルドット王国軍に決まった。彼らはそれぞれバルバール軍と対峙しているエストレーダ王国軍、コスティラ王国軍と対峙しているブエルトニス王国軍の援軍となる。バルバール、コスティラを打ち破れば、次にベルヴァースとカルデイだ。その間、皇国軍はランリエル軍への攻撃は控える。
皇国軍は、後方の衛星国家が敵を打ち破り戻ってくるのを待って、改めて進撃するのだ。それまでは、万一の奇襲に備え多くの斥候を放ち守りを固めていた。だが、その斥候の1つから、予想外の報告がなされた。
「バルガス総司令。ランリエル軍がこちらに向かってきております!」
その報告にバルガスは眉をひそめた。
度重なる戦いによりランリエル軍は多くの被害を出している。たとえ軍勢を割いたとて、皇国軍はいまだランリエル軍の2倍の戦力を有する。皇国軍から手を出さねば戦いは起こらない。はずだった。
「奴らは、何を考えている?」
こちらは2倍。しかも他の斥候からの報告で、敵に更なる戦力がない事も分かっていた。ランリエル軍の行動は無謀だ。自暴自棄にでもなったのか。確かに、後方に増援を派遣しこちらの戦力は減った。それを希望に戦いを挑んで来たというのか。もっとも、それに乗ってやる義理はない。
「守りを固めよ」
戦っても勝てる。だが、警戒は必要だ。ランリエルに止めを刺すのは全軍が揃ってからで良い。焦る必要はないのだ。
守りを固める皇国軍。その半数のランリエル軍が攻め寄せるという異常な状況。しかし、大軍が勝つのが当然。それを覆すには異常しかない。
「これで最後ですか」
「いや、これで決められねば最後だ」
今まで攻められ続け、負け続けた。それが攻勢に出た。それだけに兵達は、ついに反撃の時。サルヴァ殿下には何か秘策があったのだと、最後の力を振り絞る。これで駄目なら軍勢が崩壊する。
「これは、失礼しました」
「いや」
ウィルケスに応える王子の視線は、皇国軍に向けたままだ。これが状況を作れる限界だ。失敗すれば、東方諸国は皇国軍に蹂躙される。それだけはさせてはならない。
どれほど、犠牲を払おうともだ。