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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
222/443

第132話:9人の総司令

 皇国軍本陣は、ランリエル勢と皇国軍が会戦を行ったボルガル平原の5ケイト(約42キロ)西にあった。総勢15万。それが柵を幾重にも重ね、深い堀が大地に刻み、櫓も数多く建てられた強固な陣に守られている。しかも、作業は更に進められ、日々強固となる。


 そして5ケイトとは、軍勢の行軍速度なら2日、どう急いでも丸1日以上が必要な距離だ。しかも皇国軍本隊に見つからないようにする為には大きく迂回せねばならず、そうなれば幾日かかるか。その間に結局は見つかる。そして、その備えはたとえランリエル勢が全軍でやって来ても数日は持ち堪えられる。その間に皇国軍本隊が到着し、ランリエル勢の背後を襲う。万全の態勢だった。


 その要塞かと見間違うほどの本陣に、数騎の伝令が次々と駆け込んだ。とはいえ、その内容は同じだ。万一の事故や敵の阻害に備え別々の経路を取って進み、結局は全員が無事に辿り着いた。


 ランリエル勢を破る。その報告にナサリオは頷いた。


 未曾有の大軍同士の決戦に対しあまりにも地味な反応だが、ナサリオからすれば当然の結果だ。良い報告に喜びの感情がないではないが、これは前もって箱の中身を知っている贈り物だ。礼儀として貰った相手に礼を言うように、前線の指揮を執った総司令のバルガスへ労いの言葉を伝えさせたが、ナサリオ自身の喜びは薄い。


 ただし、ナサリオと共に本陣に残ったカスティー・レオン王国国王オルティスとブエルトニス王国国王デルニシオは喜びをあらわにする。もっともそれも、ナサリオへの追従という成分が多いのも事実だ。


「流石は宰相閣下。遠くにあって勝利を収めるのが真の戦上手と聞きますが、宰相閣下はまさにそれでしょう」

「左様。今まで皇国軍が相手にして来た国々よりは多少数の多い敵でしたので危ぶむ輩もおりましたが、宰相閣下が統率された我ら皇国軍の前には、何ら変わるところはありませぬな」


 王族、貴族社会とは、司法や平等ではなく血縁、伝手がものをいう世界である。物質的な財産だけではなく爵位といった社会的地位まで血縁で相続するのだ。優遇される血を持つ者は子々孫々まで優遇される。その血を持つ者に取り入るのは当然である。


 衛星国家は皇国から多くの賦役を命ぜられる。表面的には、皇国からお役目を仰せつかり名誉な事だ。喜んでお受けいたします。という態を保つが、本心では莫大な資金を負担せねばならぬ賦役などやりたくはない。


 その為、皇国内で金が飛び交っている。賦役をどの国に負担させるかを決める役人の懐は、莫大な金の重みで弛むほどだという。しかし、それでも賦役にかかる資金に比べれば微々たる物だ。


 そしてその役人達よりさらに、いや、皇国の政治の実質的な頂点は皇帝パトリシオではなく宰相ナサリオ。最近では皇帝との不仲を噂されているが、その事実は変わらない。取り入るべき相手である。もっともナサリオにしても、自分に取り入ろうとする者の相手はお手の物だ。


「いえ、これも皇帝陛下のご威光のたまもの。我が力などそれに比べれば微々たるものでございましょう」


 ナサリオは受け流すが、2人の王の追従はさらに続く。彼らとて遊びでやっているのではなく、これが皇国衛星国家の国王としての仕事である。彼らは仕事熱心だった。


「無論、皇帝陛下のご威光もありますが、宰相閣下が全軍に徹底させたご命令の拠るところも少なくはありますまい」

「100万のかつて無い大軍。それを如何に収めるかが勝利の鍵で御座いました。皇帝陛下のご威光を更に輝かせるのも曇らせるのも臣下の責。宰相閣下のご手腕は見事というしかありませぬ」


 2人の言葉は的を得ていた。太鼓持ちで利益を得ようとする者など無能者に違いない。そう思われがちだが、実際、口の上手さと能力は、比例も反比例もしない。人それぞれとしか言いようが無く、そして彼らは口が上手くて有能だった。


 敵が敗走しても総司令バルガスの指示なしには追撃せぬ事。命令なしに敵を追い損害を与えたとしても、それは手柄と認めず命令違反として処罰する。ナサリオはそれを全軍に厳命した。そしてそれは、ナサリオが命じたからこそ守られているとも言えた。


 皇国軍総司令は衛星国家の王と同格だが、それだけに王を処罰する権限を持たない。前線の各国の総司令達が命令違反を犯しても処罰されるのは本人だけ。そして気骨ある騎士ほど、処罰など恐れるものか! と突っ走る場合が多々あるのだ。それは、バルガスの統率力の問題だけではなく騎士というものの性である。


 しかし、皇国宰相は衛星国家の王を処罰できる。自分の行動が主と仰ぐ国王にまで及ぶとなれば騎士達も命令を守るしかなかった。一見、後方に居るだけと考える者もいるナサリオだが、決してその存在は軽くは無い。両王の追従は空虚なものではなく中身があった。


「私なりに戦というものを研究いたしました。大軍勢といえど負ける事があり、そしてその多くは油断からのものであると。ならば、油断しなければ負ける事はありません」


 時に、異文化同士の軍勢が戦えば、数が意味をなさなくなる事もある。ほとんど裸のような軍装に槍と盾だけを持った数万の大軍が、数千の重装歩兵の隊列の前に敗北するのだ。だが、皇国とランリエルの軍制はほぼ同じ。小細工なしに戦えば数の多い方が勝つ。そして、皇国軍に小細工が通用する隙は無いのだ。


「確かにその通りで御座いますな。東に逃げ去ったランリエル勢は再度陣を構えているそうですが、何度やっても同じ事。宰相閣下が率いる軍勢の前になすすべもないでしょう」

「もう一度踏み潰せば、奴らも抵抗の無駄を悟り大人しくなりましょう」

「ならば良いのだが」


 そうなれば、ランリエル勢力5ヶ国の民は皇国軍によって蹂躙される。だが、今のナサリオにそれを思いやる余裕は無い。これをやり遂げれば皇帝陛下の信頼を回復出来る。その陰に怯える必要が無くなる。安全の為にとアルベルドに託したフィデリアとユーリを。愛しい妻と息子を取り戻せるのだ。あの暖かい家庭を。


 本来ならば皇国軍はアルデシアを経てロタ経由でコスティラに入る予定だった。それを、ランリエルがケルディラまで出て来たが為に急遽デル・レイを通った。妻と息子がいるデル・レイをだ。だが、会わなかった。急ぎケルディラに向かわねばならなかった。ただ一日。一日あれば妻と息子を抱きしめられた。しかし、全軍を統括する者として、私情は挟めなかった。


 なまじ手の届く距離まで来た。それがナサリオの胸を焦がす。会えないのなら諦めもつく。しかし、手を伸ばせば届くのだ。この本陣もデル・レイ国境に近い。


「ご妻子を呼び寄せては」


 そう進言する者もいる。だが、それは出来ない。兄上の、皇帝陛下の信頼を取り戻す為の戦いなのだ。僅かにでも己の行いに傷を付ける訳にはいかない。完璧に、一部の隙も無くやり遂げねばならぬのだ。


「たとえどんな功績を立てても。たとえサルヴァ王子の首をとっても。命令に背けば処罰する」


 全軍に改めて命じた。大軍は隙さえ見せなければ勝てる。間違いではない。これを徹底すれば勝利は決まったようなものだ。そして妻子を取り戻すのだ。


 この時、皇国軍に踏み躙られる数十万、いや、数百万に達するかもしれないランリエル勢力下の暖かい家庭は、彼の頭にはなかった。



 ランリエル勢を破った当の皇国軍本隊は、勝利の美酒に口をつけてはいなかった。勝利はしたが敵はまだ健在である。多数の斥候を放ちながらランリエル勢を追っていた。そして日が沈み野営をしていると、皇国軍総司令バルガスから衛星国家の総司令達に召集がかかった。


 ブエルトニス王国軍総司令が戦地にしては装飾過剰な天幕に入ると、すでにバルガスは机の上に広げた地図に目を向けていた。ちらりと視線を向け、

「まあ、座られよ」

 そう言って、地図に視線を戻した。全ての総司令が揃うまでそれが繰り返された。


 9名の総司令が並ぶ様は爽快だった。金銀、時には銅を使い細工された甲冑は十分鑑賞に堪えた。刻まれた竜の目は紅玉である。


 バルガスは、全員が揃っても地図から目を離さない。時おり敵軍の動きを想定してか指で地図をなぞっている。口を開いたのはしばらく経ってからだった。


「放った斥候から報告があった。ランリエル勢が新たに陣を敷いたエルクートにはランリエル軍の姿しかなく、バルバール、コスティラら配下の軍勢の姿が全く見えぬ。どこかに消えうせたらしい」

「さては逃げ出しましたかな。いや、これは戯言。索敵の範囲を広げるべきでしょうな」


 エストレーダ王国軍総司令グラセスは余裕の笑みだ。皇国を慮って口には出さないが、皇国に生まれていれば自分が皇国軍総司令だった。その自負があった。そしてそれはあながち間違いではない。もう少し時を経て人格に深みを備えればだ。


「確かに、配下の者達が全て逃げ出したならば、もはや戦にはなりませぬ。ランリエル本隊も退却しているでしょう。それを――」

「いまだ居座っているのは、何か勝算ありと考えている証拠。我が軍か、後方におわすナサリオ宰相の本陣を攻撃する計画なのでしょう」


 カスティー・レオン王国軍総司令の言葉をブエルトニス王国軍総司令が遮った。両国は国境を接する隣国だが、その仲は芳しくない。カスティー・レオンの総司令が鋭い視線で一瞥したが、ブエルトニスの総司令は視線すら合わさなかった。


「この程度、子供でも分かる」


 そう言ったのはバリドット王国軍総司令だ。他の総司令達はわざわざ口に出す事かと冷笑を浮かべる。


 総司令達はライバル意識が強い。個人的に友誼を持つ者達も居るが、どこか自分の方が優れているという考えがあった。そして、交流の無い者に対しては取り繕う必要すらなく、冷ややかな視線が複雑に交差する。


 確かにこの状態では、如何に皇国軍総司令バルガスが手綱を引き締めても暴走する者が出かねず、それが纏まっているのも皇国宰相ナサリオという重石がある為だ。その意味において指揮を執っているのはバルガスだが、間違いなくこの軍勢はナサリオの軍だ。


 だが、やはりバルガスも食わせ者である。


「索敵は既に四方に放っている。宰相閣下の本陣にもご注意をと報告済みだ」


 その言葉に総司令達の口元が僅かに歪んだ。中には舌打ちしかけた者もいた。


 お主達の考える事など分かっている。嫌味なようだが、己の能力に自負ある者達を従わせるには、地位だけではなく能力的にも自分が上なのだと示す必要があるのだ。


「ならば、その消えたバルバールなりコスティラなりの軍勢の位置が知れた後はどうするか。ですか」


 まず口を開いたのは、やはりエストレーダ軍総司令グラセスだ。どうやら先読みで喋らないと気がすまない性分らしい。しかしバルガスに気にした様子は無い。


「そうだな。問題は敵軍が纏まって動いているか、それぞれ別の道をとっているかだ。おそらく纏まってはおらぬと思うが」


 ランリエル配下の軍勢を合わせれば20万近くとなる。皇国軍と比べれば数は少ないがそれでも20万といえば大軍勢。行軍隊形をとれば隊列は数千サイトにも及び速度も落ちる。この規模の軍勢が素早く行軍する時は、軍勢を複数に分け別の道をとるのが常道である。


「本陣に連絡したは良いですが、宰相閣下のお手を煩わせぬに済むなら、それに越した事は御座いますまい。我が軍も迎撃に向かうべきではありませんか?」

「うむ。そこでだ。エストレーダ、デル・レイ、バンブーナ、ブエルトニスに行って頂きたい」

「我々にですか」


 皮肉なものを混ぜ言ったのはブエルトニスの総司令だ。名をあげられたのは全て衛星国家の中でも下位国家と呼ばれる4ヶ国である。


「お主達の軍勢でなくては、彼らに対抗出来ぬのだからやむを得んだろう」

「確かに」


 ブエルトニスの総司令が、また皮肉を含ませた。しかし、その対象は衛星上位国家の総司令達だ。どうやら、下位国家だからとこき使われるのではなく、自分達でなくては任務が果たせぬとの言質が欲しかったらしい。


 衛星国家8ヶ国の国力は同じではない。上位国家と呼ばれる国々より、実は下位国家と呼ばれる国々の方が国力は上だった。当然、率いる軍勢も多く、彼らの軍勢は6万から7万に達するが、上位国家の軍勢は3万数千から5万が精々だった。


 では、何を持って上位としているかと言えば、政治的な席次である。同じ衛星国家でも上位国家の方が格上なのだ。上位国家は自分達の方が偉いのだと考え、下位国家はその国力を誇り、所詮上位と言いながらも名ばかりと考えていた。それが更に上位国家の下位への反発を招いた。そして各国の位置も、上位国家と下位国家は交互に置かれているのだ。


 衛星国家同士が手を組み皇国に逆らわぬようにとの、皇祖エドゥアルドの政策である。これでは上位国家同士、下位国家同士でも手を組みにくく、ましてや衛星国家が一致団結など夢のまた夢だ。


「敵はバルバール軍6万。そして数は5万でも勇猛果敢なコスティラ軍。上位国家の方々には荷が重いでしょう」

「仰る通り、相応しい相手というものがありますな。我らはランリエル軍本隊と戦いましょう。その、何とかという者達はお任せいたす」


 ブエルトニス王国軍総司令とベルグラード王国軍総司令の視線が激しくぶつかる。ベルグラードは上位国家だ。


「双方、そこまでにせよ」


 グラセスが言い、両者は矛を収めた。流石に皇国軍総司令に諌められても続けては品性が疑われる。


「あくまで本陣に行かせぬ事が肝要だ。無理に撃破する必要は無い。万一負ければそれこそ皇国の名に傷が付く」


 6万のバルバール軍。5万だが数以上の力を発揮するコスティラ軍。下位国家の軍勢はそのいずれよりも戦力で勝るが、侮りは禁物である。


「それでは、敵の位置が分かり次第、すぐに動けるように準備を進めておいて貰いたい」

「はっ」


 下位国家の総司令達が短く言い頷いた。十分注意を払い索敵しながら進んで敵を捕捉する方法も考えられるが、それは危険だ。皇国軍本隊から離れたところを、実は隠れていたランリエル勢が集結し全軍で皇国軍本陣に襲いかかる。その可能性があった。


 そして2日後、思いの外大きく迂回していたバルバールら4ヶ国の別働隊を発見した皇国軍は、その対応の軍勢を派遣したのだった。



 皇国軍の動きは、ランリエル本陣でも察知した。報告を受けたサルヴァ王子の傍に居るのは副官のウィルケスである。


「今更動きましたか。という事は我が軍の別働隊を発見したという事ですか?」

「おそらくな。昨日の内に動いていれば呼び戻していたのだが、計画通りに進めるしかなさそうだ」


 皇国の総司令達の危惧は当たっていた。ランリエル軍と皇国軍は東西に布陣しているが、別働隊のコスティラとカルデイはほとんど真北に進み、バルバールとベルヴァースは真南に進んでいた。そして丸一日行軍した後、方向を西に変えたのだ。


 その動きを皇国軍が初日に捕捉するのは困難。それで動くならば別働隊を発見しないまま、皇国軍本陣に向かったと断定して動いたはずだ。その時は、別働隊を呼び戻し全軍で皇国軍本隊を攻めるという、まさに彼らが危惧した通りの事をする予定だったのだ。だが、外された。


 しかし、これで衛星国家4ヶ国の軍勢を皇国軍から切り離した。残るは皇国軍本隊と衛星国家4ヶ国。それとランリエル軍のみで戦う。ディアスら4ヶ国の総司令。彼らが望んだ30万を失い10万の皇国軍を殺す。その策の代わりがこれだ。


「残る敵は40万程と思われます」

「ああ。予定通りだ」


 別働隊の対応に皇国軍本隊が兵を割かないのは分かっていた。彼らは布陣に政治的判断を介入させる。だが、対応に皇国軍を動かせばほぼ全軍が必要だ。皇国軍のプライドとして主戦場を衛星国家だけに任すまい。とはいえ一部だけ皇国軍が担えば、衛星国家間の格差が出る。衛星国家の軍勢だけが行くはずだ。


「ですが、65万と40万の戦いだったのが、40万対20万になるのは、状況が悪化していませんか?」

「だが、衛星国家の軍勢だけで我が方とほぼ同数だった。それが、これで衛星国家の軍勢だけならば我が方より少ない。皇国軍本隊を引きずり出しやすくなったのも事実だ」


 それでも、出陣していった総司令達は納得しきれない顔だった。


「敗北を自らの命で償えるとは思わぬ事です」


 そう言ったのはギリスだった。確かにそうだ。責任は自分が取る。なんと無責任な言い草か。自分が死んでも皇国軍は引き返さぬ。死んでも責任は取れぬ。取れる訳が無い。だが、皇国軍を止めるにはこれしかない。


 後は、如何に戦い。そして、如何に負けるかだ。

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