第13話:寵姫(1)
サルヴァ王子は、その日厄介な問題に頭を悩ませていた。
帝国侵攻後、いち早くランリエル側におもねり独立して公国をなしたコルデーロ公爵と、いまだカルデイ帝国に組するカーサス伯爵との間で領土問題が発生したのである。
問題の発端は、帝国に属するハシント侯爵が、ランリエルに対抗すべく準備を進めているのが露見した事だった。
サルヴァ王子は、帝国貴族同士を対立させるという基本方針にのっとり、ハシント侯爵の討伐をコルデーロ公爵に「依頼」したのである。公国は一応は独立した一国という立場の為、実質はともかく形の上では命令ではなく依頼するという体裁をとるのだ。
公爵は依頼に基づき、一族や既知の貴族を総動員してハシント侯爵領へと雪崩れ込んだ。
この時動員依頼に承知し軍勢を派遣した者の中には、それまで帝国側についていた貴族も多数含まれていた。帝国からランリエルに乗り換える時期を逸し、帝国の凋落ぶりを感じながらも仕方なく組していた貴族が、公爵からの出陣依頼にこれ幸いと鞍替えしたのだ。
それに対しハシント侯爵の方はと言えば、同じく一族、既知に総動員をかけたにもかかわらず、ほとんどの者達は侯爵を見捨てたのだった。ネズミは沈む船から逃げるというが、ましてや沈む船に乗り込むネズミが居るはずもない。
こうして多数の貴族を擁した公爵の軍勢に、孤立無援の侯爵は一戦で討ち取られ、その領土も瞬く間に蹂躙され占領されたのである。勿論、カルデイ帝国が侯爵を支援すれば話は違ったであろうが、帝国もそのような事が出来るはずもなく侯爵を見捨てざるを得なかった。
それどころか、ランリエルからの
「両国の和平の条約を破ろうとする輩を排除する事に同意して頂きたい」との要請に対し、
「承知した」と返答したのである。まさにサルヴァ王子の思惑通りに事は運んだ。
帝国にしてみればやむを得ない仕儀だったが、忠節を尽くしても切捨てられ孤立無援で滅ぼされるだけ。この現実を目の当たりにし、それでもなお帝国に尽くそうという貴族がどれほど居るのか? カルデイ帝国の解体は急激に進むはずである。
そしてハシント侯爵の甥にカーサス伯爵が居た。伯爵は近年、侯爵から領地の贈与を受けていたのだが、それほど可愛がられたこの伯爵も、侯爵からの出兵依頼を断り中立を守ったのだ。
そして公爵の軍勢が占領した領地の中に、なんとそのカーサス伯爵の領地が含まれていたのだ。伯爵の本領は遠く離れているが、侯爵から贈与を受けた伯爵領は侯爵領と隣接していたのである。その為に誤認されたのだが、コルデーロ公爵は占領した伯爵領の権利を主張したのだった。
当然、カーサス伯爵は猛抗議を行なった。
「中立を守った私の領地が、どうして占領されなくてはならないのか!」
だがコルデーロ公爵は、その抗議に聞く耳を持たない。
「世話になった自分を見捨てる者に領地を譲ってしまったと、ハシント侯爵もあの世で悔やまれていよう。良くもぞずうずうしく領地の権利など主張できるものよ」
公爵は伯爵を嘲笑したが、自分で侯爵の殺しておきながら、その侯爵の気持ちを代弁して見せるあたり、どちらがずうずうしいのか分からない。だが力では伯爵を凌駕する公爵も、確かに中立を守った伯爵を打つのは憚られる。とはいえ領地を返す積もりもない。総動員した貴族達に分け与える領地は多ければ多いほど良いのだ。貴族達に分け与える領地が少なくては公爵の面子が立たないのである。
勿論伯爵も領地を諦める気は無く、こうして領地問題はサルヴァ王子の判断に任されたのだった。
王子にはこの問題を見事決裁する必要があった。気付くものはほとんど居ないが、これは歴史的に画期的な事なのだ。
なにせ「帝国内の領地問題」をランリエルの王子が裁くのである。それは帝国の実質的な支配が、すでにランリエルに移ったという事に他ならない。
そしてその裁決に、王子は頭を悩ませていたのである。決裁にしくじれば、ではやはりカルデイ帝国に決裁を任せよう。という事にもなりかねない。
ハシント侯爵を討伐する分には帝国からも了承を得ており問題は無い。だがその侯爵を見捨てて中立を守った伯爵については、侯爵の世話になっておきながら、という心情的な問題を排除すれば、理屈的には伯爵が正しいのである。中立を守った伯爵の領地を公爵が占領する根拠は無いのだ。だが問題はそう簡単ではない。
コルデーロ公爵は帝国国内最大の協力者である。しかも占領した伯爵領は、今回、帝国からランリエルへと乗り換えた貴族に分け与える事になっている。むげには出来ない。
サルヴァ王子は、自分を公明正大な人間とは思っては居ない。他国を侵略し征服するという「非人道的」な事を行ないながら、聖人を気取るほど王子の面の皮は厚くはなかった。正当性を無視してでも、コルデーロ公爵に有利な裁決を行おうと考えていた。
公爵に有利な決裁をみなに納得させるには、伯爵の落ち度を探さなくてはならない。侯爵を見捨てたのなら侯爵から贈与を受けた土地に権利など無い。この主張だけでも十分人々の心情には訴えられるが、もう一押ししたいところだった。
勿論、武力で伯爵から領地を取り上げるのは論外である。そのような事をすれば帝国国内の貴族達が一斉に立ち上がるだろう。彼らにも、上手く立ち回っていれば生き残られるのではないか? という希望を持たせ続けなければならない。
一番良いのは、伯爵自身から領地の権利を放棄させる事だ。
部下を派遣し、伯爵の人となりを改めて探る必要を王子は感じた。領地の為に叔父を見捨てるなど強欲なだけではないか! ともいえるが、裏を返せば冷徹に状況判断が出来る計算高い人物とも言える。伯爵がただの強欲か、冷徹な現実主義者か。それによって交渉の余地も出てくる。
王子はその対応に、部下のサントリクィドを呼寄せた。軍略だけに留まらず、政略、策謀にも長けた王子の腹心には文官も多い。サントリクィドもその文官の1人だった。
サントリクィドは30を過ぎていたが、その表情は温和で若々しく20代後半、いや20代半ばでも十分通じる。だがその温和な表情の裏に冷徹な刃を秘めていた。
彼はよく王子の代理として数々の交渉に当たってきたが、当初は当たり障りの無い対応を続け、相手のペースで話が進んでいると思わせながら、いつの間にか自分の有利に交渉を誘導する。又は最後の最後で相手の喉下に刃を突きつけ逆転してみせる。そのような交渉が得意だった。
王子より僅かばかり背が低いサントリクィドがやって来ると、彼は、自身を若く見せている一因である、肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪の頭を下げ一礼した。
「カーサス伯爵の元へと向い、その人となりを観察せよ。可能であれば領地の交渉も行なえ。長期的に見れば、領地の権利を放棄した方が身の為だとな」
サントリクィドは顔を僅かに上げ、王子を見上げながら問いかけた。
「伯爵が領地の放棄について、代償を求めればいかが致しましょうか?」
「放棄する領地に見合う額の金銭を提示せよ。代替地を与えるなどと言質を与えれば、また面倒な事になりかねんからな。もし他の条件を提示してきたなら一度こちらに連絡をよこせ」
「承知いたしました」
サントリクィドは、僅かに上げていた頭を再度下げ王子に一礼をする。そして執務室を辞すると、早速カルデイ帝国内の伯爵領へと向かったのだった。