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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第125話:皇国の名誉

 思う事と口に出す事が常に同じとは限らない。


 それは愛する子供が一生懸命に書いたお父さんやお母さんの似顔絵を、全く似ていなくてもそっくりだと言ってあげる優しさだったり、疲れていても大丈夫だと言い仕事をやり遂げる誠実さであったりする。


 皇国がランリエルを恐れている。それを聞いた多くの人々は鼻で笑い、相手にする必要がないと思った。だが、この時彼らは思った事とは違う言葉を吐いた。しかしその根源は、優しさではなく、誠実さでもなかった。


「まったくこれほど皇国を侮辱する言葉はありません」

「左様。皇国が恐れるものなどあろうはずがない」


 皇国がランリエルを恐れているのではないか。との噂が流れていた。あってはならないほどの侮辱。近年では、皇国も昔ほどは些細なことでは軍勢を動かさないと言われる。動かすのは皇国に敵対する動きが見られる場合と皇国を侮辱した時だ。


 皇国に敵対しよう者などいるはずもなく、実質的に唯一の条件だ。もしその言葉に少しでも同調していると思われれば身の破滅だ。自分1人の問題ですらない。皇国を侮辱したとなればその累は家族、親族にまで及ぶ。


 人々は身を守る為に言葉を激しくし捲くし立てた。実際に、それほど騒ぎ立てるほどの事なのか? と口にした者が、仲間と思われるのを恐れた集団により撲殺されるという事件すら起こった。こうなっては益々人々は本心を隠した。そしてついにはランリエルそのものへの非難に変わっていったのである。


 ベルトラムは、その報告を腹心の部下ダーミッシュから受けた。


「しかし、あまりにもこちらの思惑通り。拍子抜けするほどです」


 相変わらず特徴のない顔の男は報告をそう締めくくった。だが、その声には珍しく侮蔑の音が混じる。


 仕掛けた張本人たるベルトラムは表情を変えず静かに頷く。


 以前は2ヶ国宰相と呼ばれていたが、最近では2ヶ国国王、あるいは大王とも呼ばれる。彼自身は王位を得ていないが、ゴルシュタット王に息子を据え、リンブルク女王に娘を置いた。その2ヶ国の政策を統一するとしてゴルシュタット=リンブルク王国二重統治の実権を握った。実質的に2ヶ国の王。ゆえにただの国王を越えた大王である。


「皇国にはまだまだ及ばぬものの、ランリエルも無視できる勢力ではない。もしかすると。なまじそう思わせるだけの力を持っているがゆえに、強く否定せずにはいられんのだ」


 そしてそれは、皇国自身にも言える。取るに足りぬ小国を恐れていると言われれば、馬鹿な事よ、と鼻で笑いそれで済ます度量を皇国は持っている。だが、とるに足りぬというにはランリエルは大きい。それを皇国の人々ですら無意識に感じていた。とはいえ、この時点では皇国もまだ余裕があった。だが、次の噂が流れると顔色を変えた。


「確かにランリエルの関係国を含めた総力でも、皇国の総力と比べれば皇国の圧勝だ。だが、皇国本国だけならば、もはやランリエルが上回るのではないか?」


 もしかしたらそうかもしれない。聞いた瞬間、人々の頭に過ぎった。


 それぞれの国の軍事力は、過去の実績などからある程度は掴んでいる。だが、急速に力を付ける国もある。ランリエルは急速に力を付けた国であり、各国の専門家が必死になって計算しある程度の予測は立てているものの、正確な数は掴んでいない。


 そしてランリエルは、いや、これは皇国をも含めたすべての国々に当てはまるが、自国の軍事力は誇張して公表するものだ。ランリエルは、同盟、属国を併せて軍勢50万を称す。それが人々をさらに惑わせる。


 そして話が真実味を帯びるほど反応も過剰になる。


「東の果ての田舎者が増徴しおって!」

「ランリエルを懲らしめるのだ!」


 人々は、否定せねば認めたと思われるとの強迫観念すら持ちランリエルを攻撃したのだった。


 この状況にダーミッシュは、珍しく顔に表情を浮かばせた。


「まったく赤子の手を捻るとはこの事ですな。私も長くこの商売をしておりますが、これほど簡単に思い通りになる事も珍しい」


 あざけりを通り過ぎ困惑の表情だ。


「当たり前だ。赤子を相手にしているのだからな」


 ベルトラムは淡々と応じた。


「赤子、で御座いますか?」

「奴らは名誉、誇りとやらの体面を考えているのであろう」


「はい。人々は皇国の名誉を傷付けては自分が罪に問われると恐れております」

「皇国が反応するからこそ、人々も巻き込まれまいとしているのだ。しかし、そもそも名誉、誇りとは、事の損得、打算とは相容れぬものだ」


 時には勝てぬ戦いを挑み、攻めれば勝てると分かっている戦をせぬのが、名誉、誇りというものだ。損得を考えた上での名誉などは、売名と蔑まれる。


「だが、損得、打算こそが大人の知恵というものではないか。それを否定するならば、子供の感情でしかあるまい」


 名誉、誇りが傷付けられれば我慢ならんという者など、幼稚な挑発で事足りる。馬鹿と言われれば切りかかる。自分でもこの程度で腹を立てるなど馬鹿馬鹿しい。それが分かっていてもだ。ここで剣を抜かねば他の者は腰抜けと言うかも知れない。そう考えれば抜くしかない。それが名誉というものだ。


 ベルトラムが嘲笑した通り、皇国の人々は憤慨した。しかも、保身の為にその振りをしている者ばかりだったが、周りがみなその色に染まると、いつの間にか本心からその色に染まった。傍から見ればおかしく見える事も、いざ自分がその中に入れば濃い霧に紛れ込んだかのように周りが見えなくなるものだ。


 だが、皇国にも’大人’はいる。皇帝の弟にして宰相たるナサリオもその1人である。彼はこの異常事態に憂慮していた。


 その調査を命じられたのは、ナサリオの補佐官コロナードだ。年齢はナサリオより10ほども上で長年忠実に仕えている。独身であるがそれは容姿の所為ではない。むしろ整った中々の美男で持ち込まれる縁談も多いのだが、妻子が居てはナサリオの補佐の妨げになると全て断っている。


 では、家庭や子供というものが嫌いなのかと、ある酒の席で友人が聞いたところ

「嫌いならば居ても構わん。ほおって置くまでだ」

 そう答えたという。


 今まで彼の幸せを願い、多くの縁談を持ち込んでいた友人だったが、それから縁談を持ってくるのは止めた。好きだからこそ遠ざけるという者に、縁談を持ち込むのは酷というものである。今は、少ない休暇に弟夫婦の屋敷を訪ね甥と姪に会うのを楽しみにしていた。


 ナサリオに日々滞りなく仕える為に独身を貫き通すコロナードが、報告にナサリオの部屋を訪れた。市井の者達ばかりか、皇国貴族達の中にもランリエルへの非難が強まっているとの話にナサリオは顔をしかめた。


「流言の1つや2つで、ここまでの騒ぎになるとは」

「はい。中にはランリエルを滅ぼすべきだと過激な者もいます」


「そもそもランリエルが言い出したのでも無いのだがな」


 ランリエルを恐れていると言われれば、それを否定するにはランリエルより強いところを見せるしかない。まさにベルトラムが言った子供の反応だ。


「皇帝陛下はどのように仰っているのでしょうか」

「陛下は、今はまだ態度を決めかねておいでだ。皇帝に面会を求める貴族達の中に、わざわざ陛下の耳に入れる者が多くてな。陛下のお心も揺れているらしい」


 実は、ナサリオとアルベルドは、このような中傷など無視すべきと同意見である。アルベルドに皇帝を宥めるように頼んでいるのだが、2人が裏で手を結んでいるのは秘事であり、忠実な腹心にすら明かしていない。


 だが、皇帝の信頼篤いアルベルドが説得しきれずにいた。実は彼自身、いや、ベルトラムも知らぬ間に2人は対決しているのだ。彼が率いる情報操作を担う部下達は、そのような流言など相手にする必要なしとの意見を広めるが、ベルトラムに仕えるダーミッシュの一族はその逆を行く。


 そして、この時ばかりはアルベルドが劣勢だった。彼自身は情報操作、演出の天才だが、事が事だけに自身が表立って動く訳にはいかず、そして部下の能力では長年ゴルシュタットを牛耳っていたベルトラム側に一日の長があった。


 皇帝はアルベルドの説得にもかかわらず、ランリエルへの不満を強くしている。


「だが、もし皇帝陛下のお心がランリエルに向けられたなら……」

「向けられたなら? いかがなされるのですか?」

「いや、なんでもない」


 ナサリオは大人である。大人であるがゆえに、損得、打算は当然だ。そして皇帝と不仲とはいえ彼は皇国宰相。その思案は常に皇国の利にあった。



 皇帝を宥める役目を担うアルベルドは、忙しい身を割き皇国に滞在していた。デル・レイの国政を放置するのは問題だが、彼にとってランリエルは、彼自身の名声の為の餌である。他の者に食わせる訳にはいかなかった。


 ランリエルの王位にサマルティ王子を推す勢力と手を組んだ。もっともそれは、サルヴァ王子がセルミア王となる事であっさりと崩れた。それは、まあ良い。どうせ、たまたま近くに転がっていたから拾った小石。アルベルドにすれば、初めからそれでサルヴァ王子を排除出来るとは考えていなかった。多少でもサルヴァ王子の立場が弱くなれば。その程度のものだった。


 アルベルド自身、既に済んだ話と考えていたのが、ここに来て墓の中から這い出てきた。面倒だが、もう一度埋葬してやらなくては成らない。


 だが、どうも上手く行かない。埋めたと思えば、また這い出てくる。そして気が付けば、すぐ傍までやって来ているのだ。その為、皇国に張り付かねばならぬのだが、それを邪魔する者がいる。


 時には義母であるイサベルに呼びつけられ、相手をさせられる事も多い。もっとも最近ではナサリオへの心配ではなく、他の者達と同じくランリエルへの非難である。


 今日も夜が更けてから呼び出された。歳月に逆らう為に膨大な金を投じる義母は、その金額に見合うかは別として確かに今でも若く美しい。ナサリオと同世代。パトリシオなどよりは若く見えるほどだ。


 張りのある乳房を誇示する胸元の開いたドレスを纏い、これは無意識であろうが

「アルベール。下賤の者達は、ランリエルなどという辺境の小国が皇国より偉大などと申しているそうですね」

 と詰め寄ると乳房の半分以上が覗く。アルベルドを皇国風の名で呼ぶのはいつも通りだ。


「はい。そのようです」

 初めの風聞からかなり変わっているな。とは思いながらもアルベルドは頷いた。こんな詰まらぬ事で義母と対決しても意味は無い。話を合わせていれば良いのだ。


「皇国とそのような小国など比べるのも紛らわしいというのに、道理を弁えぬ者達には目に見せてやらねば分からぬのでしょうか」

「下々の者達に道理は分かりませぬ。そうだと言われれば、そうだと信じる。それが民というものでしょう」


「そのようですね。物事を判断する事すら出来ぬ者達に真実を見極める目を求めるなど、愚かな事でした」


 確かに、民衆は真実を見極める目など持ってはいない。アルベルドの本性を知らず聖王と讃え跪いている。だが、アルベルドは思う。


 真実を見極める目を持った者など、民衆の中にどころかこの世界に1人も居ないのだと。人は自身が見たいものを見るだけだ。ならば人を操るなど簡単だ。その者が見たいものを見せ続け、徐々に自分に都合の良いものとすり返れば良い。


 自分だけが真実を知っているなどと自惚れる気は無い。自分とて、この義母に幻を見せられていた。こんな女にだ! それを思い出すと自分で自分を縊り殺したくなる。


 楽に死ねると思うな。甘美な幻想を与え、それを粉々に打ち砕く! しかしだからこそ、今は天上へと続くと見せかけた絞首刑への階段を上らせねばならない。勿論、実際の死ではなく精神的な死へのだ。


「とにかく、皇国はナサリオ兄上が宰相として取り仕切る限り不安はありません。皇帝陛下はナサリオ兄上の才能に嫉妬し遠ざけておりますが、皇国の臣民誰一人として皇国はナサリオ兄上が取り仕切っているのを知らぬ者はおりませぬ」


 大仰な。言いながらも噴出しそうになるのを耐えた。どうせ現実に目を向けぬ女のだ。これくらい芝居がかった方が良い。


「勿論です。言われるまでもありません。ああ。どうしてナサリオを先に産まなかったのでしょう。そうすればあの子が皇帝だったものを」

「そうなっていれば、ナサリオ兄上は皇祖エドゥアルド陛下にも引けを取らぬ名君になっておりましたでしょうに」


 たとえ兄弟といえど皇帝と臣下を同列に語るなど不敬。しかも、それが皇祖が相手とは許されざる大罪である。あえてそれを口にするアルベルドに、義母は喜色を浮かべた。


「貴方もそう思いますか。アルベール」

「はい。義母上」


「そうでしょうとも。ああ。ナサリオは皇帝陛下の血を受け継ぎ聡明であるに、どうしてパトリシオはああも愚鈍なのでしょう」


 ここでいう皇帝とはパトリシオではなく先代の皇帝だ。そしてその言葉をアルベルドは意外に思った。イサベルはパトリシオ、ナサリオを産み、それで跡継ぎを残す役目は終わったと後は浮気三昧。そのはずだ。しかし今の言葉は皇帝を愛しているかのようだ。


 もしかすると、役目が終わったと浮気を始めたのではなく、イサベルこそ皇帝からお払い箱にされたのか。もっともアルベルドにとってはどうでも良い話だ。


「パトリシオ兄上、いえ、皇帝陛下は聡明なお方です。ナサリオ兄上が偉大過ぎるので少し嫉妬なされておりますが……」

「アルベール。ここでは他の者の耳を警戒する必要はないのですよ。パトリシオが聡明など聞いた事もありません」


 とはいっても、それではお言葉に甘えて、という訳には行かない。

「パトリシオ兄上の不幸は、同世代に、弟にナサリオ兄上がいた事でしょう。もし、もしもですが、生まれる順番が入れ替わっていれば、皇国は更に発展していたでしょう」

 まあ、これくらいに留めるべきだ。


「貴方もそう思いますか。ナサリオが皇帝になっていればランリエルなどすでに消え失せているでしょうに。それをパトリシオがあの子を足を引っ張り……。このような屈辱。我慢なりません」


 大きく回り道をした挙句、話は初めのランリエルへの非難に戻った。


 まったく時間の無駄だな。アルベルドはうんざりしたが放り出す訳には行かず、やむを得ず貴重な時間を浪費し若作りの義母の相手を続けたのだった。

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