第121話:シュバルツベルク公爵家の忠臣
主君であるゴルシュタット王グスタフを始めその王妃、子供達まで殺された。その衝撃にゴルシュタット軍将兵すべてが茫然自失したが、次に訪れた感情は凄まじいまでの怒りだった。
「リンブルクの外道ども、許すまじ!」
「国王陛下、女王陛下……しかもエミール王子、テルマ王女まで……」
「奴らには人の血が流れておらぬのか!」
「直ちに攻め寄せ皆殺しにしてくれるわ!」
「依存はありますまいな!」
反対されるなど微塵も思わず普段は敬愛し畏怖するベルトラムにすら詰め寄る。全身から殺気をみなぎらせ、今すぐにでも剣を抜き放きかねない形相だ。
「確かに奴らの所業は許せぬ。だが、怒りに任せて動くべきではない。首謀者が居るはずだ。責はその者にあろう」
リンブルク兵はゴルシュタット王宮に篭っている。防衛機能より王威を示す為に作られた物ではあるが、それでも力攻めは被害が大きくなる。上に立つ者としては首を縦に振れるものでは無い。
「なにを仰る。リンブルク兵全て。いや、リンブルク人全てにその罪を償わせるべきです!」
「左様。まず我らの王宮に立て篭もるリンブルク兵を皆殺しにし、リンブルクに取って返しましょう」
彼らは宥めても納まらない。確かに遊興に耽るだけの王家ではあったが、その王を守るのが彼らの役目。任務を果たせなかった己自身への怒りの矛先を向ける相手が必要だ。絶対的権力を持つベルトラムですらその勢いを止める事が出来ず、やむなく王宮を囲ませざるを得なかった。
壁で囲まれていないゴルシュタット王都である。王宮を取り囲むのは造作なく、王宮へと繋がる道々を蟻の這い出る隙間も無いほど塞ぐ。そして大商人の邸宅を徴収して本陣とし、軍首脳部はそこに詰めている。
それでも王宮突入は踏み止まらせた。しかし、将兵の怒りは爆発寸前。押さえつけ続ければ、その圧力でベルトラムですら制御出来ない暴発を起こす危険もある。
そこにベルトラムとその幕僚達がいる部屋にある人物が現れた。憎悪に燃える視線が集中し燃え上がらせんばかりだ。ベルトラムのみ常の平静な視線を向ける中、
「これはこれは、盛大なお出迎え感謝します」
と見下し火に油を注ぐのはシュバルツベルク公爵である。
「シュバルツベルク公爵。今は微妙な情勢です。あまり我が陣中を歩き回らぬ方が良いでしょう」
「これは失礼致しました。ですが、以前にお声をかけて頂いたまま無しの礫。どうなっているのかと気にかかりまして」
「以前とは?」
「やはりお忘れになられていたか。流石の宰相閣下もこの事態には冷静ではいられないようですな」
公爵の人を見下す口調はいつも通りだが、今は間が悪い。怒りに燃える幕僚達の幾人かが腰の剣に手をかけた。
「貴様、わざわざ憎まれ口を叩きに来たのか!」
「まず、お主を血祭りに上げてやっても良いのだぞ!」
「これは失礼致しました。ですが、約束をお忘れになったのはそちらの方。嫌味の一つも言いたくなるのはご理解頂きたい」
「嫌味と分かって言っておるのか!」
更なる挑発に詰め寄った幕僚は剣を半分抜きかけている。
「静まれ」
ベルトラムの声は静かだった。だが、その無形の威圧に激した男は屈した。剣にかけた手はそのままなものの、僅かに後ずさる。
「それで、約束とは何でしたかな。確かに近頃何かと騒がしく迂闊にも失念しておるようです」
「いえ、些細な事なのですが、王宮に立て篭もる軍勢が私の指示で動いているというのなら、私が彼らに降伏を訴えて見ましょうと、以前に話したではないですか」
公爵は皮肉な笑みを浮かべ、ベルトラムも、そういえば、と笑み頷いた。
「確かに公爵が王宮の門前で降伏を呼びかけた時の彼らの顔は見ものかも知れませんな」
「え? 門の前まで行くのですか。それは危険過ぎます。ご勘弁頂きたい」
「いえ。そこまで近づかねば、彼らも公爵の顔が見えぬでしょう」
「これは、とんだやぶ蛇でしたな」
公爵は苦笑しつつも承諾した。もっともやはり危険には違いない。王宮に向かう公爵には、屈強な騎士2人に巨大な盾を持たせて左右に配すると決まった。
翌日、ゴルシュタット兵に囲まれる王宮に公爵が進んだ。公爵も背は高いが、巨大な盾を持つ騎士達に比べれば頭一つ小さい。もっともそれは、騎士が被る縦長の兜の所為もある。悪戯心が働いたのかつばの大きな帽子を被り顔を隠している。門の前に着くと、太陽の熱を反射させる為に磨きぬかれた甲冑に挟まれ、公爵は帽子で顔を隠しつつ眩しそうに王宮に視線を向けた。
「私は貴公らと同じリンブルク人である! 話がしたい、シュバルツベルク公爵はいらっしゃるか!」
と公爵本人がのたまうと、城門の上に居た士官らしき者が応じた。
「名も名乗らぬ者を公爵様に合わせる訳にはまいらん!」
「私は公爵と親しき者だ。公爵に来て頂ければ分かる」
「せめて顔を見せられよ!」
「何、公爵が姿を現せば見せてしんぜよう」
「戯言を申すもいい加減になされよ!」
「左様。公爵と私はその戯言が通じる仲であるという事よ。実は、ゴルシュタット軍内でそちらにいるシュバルツベルク公爵が偽者ではないかという者が居てな。その証明に私が派遣されたのだ」
気づかぬ内に、公爵の口調が砕けたものとなっていく。
「公爵様が偽者などと、それこそ戯言よ。馬鹿馬鹿しいにもほどがあろう!」
「それは私も重々承知。だからこそはっきりさせるべきであろう。ここで公爵を出さねば、更に疑いが深くなるだけだぞ」
城壁の上の士官も、確かにと思ったのか少し間を置いて、しばし待たれよ、と言い姿を消した。奥で議論でもしていたのか、戻って来たのはかなりの時間が経ってからだった。しかも
「公爵は会わぬと申しておる!」
との言葉に、辛抱強く事態を見守っていた王宮を囲むゴルシュタット兵が苛立ちと疑惑の声を上げた。
「この期に及んで姿を見せぬとは、やはり王宮にいるシュバルツベルク公爵は偽者だ!」
「そのような言い訳通ると思っておるのか!」
「貴様らとて出て来ぬは怪しいと思っておろう。引き摺ってでも連れて来い!」
「こ、公爵様は、城門の上に立った瞬間お前達が射殺そうとしているのだと申されるのだ!」
リンブルク士官は言い返したものの、彼も自信が揺らいでいるのか圧され気味だ。その彼を救ったのは思わぬ人物だった。
「分かった。それでは私が城内に入る。私が会って間違いなくシュバルツベルク公爵だと確認できれば良いのだからな。それで異論はなかろう!」
「そ、それならば……」
士官が合図を送り、やっと人が1人通れるくらい僅かに城門が開けられた。とはいえ、流石に中に入るのに護衛が2人では心もとない。騎士を10人に増やしシュバルツベルク公爵は城門を潜った。無論、帽子で顔を隠したままである。
城内の一室に通された公爵が騎士達と共にしばらく待っていると、20人ほどの騎士に守られた男がやってきた。この男が公爵のはずなのだが頭に包帯が巻かれ顔が分からない。だが、その男が口を開く前にその横にいる1人の騎士が庇うように前に進み出た。被っていた兜を取ると、僅かに白髪が混じる短い黒髪の精悍な男だ。誠実そうな目をまっすぐに向けてくる。
「私はシュバルツベルク公爵家の武官、グレルマンと申す。不信に思われるかも知れぬが、この方は間違いなくシュバルツベルク公爵だ。不運にもつい数日前に顔に傷を負われこのように包帯を巻いておるのだ。この肝心な時にと言われるかも知れないが、真だとしかいえぬ。長年公爵家に仕える私がシュバルツベルク公爵本人と言うのだ。信じて貰うしかない」
グレルマンの揺ぎ無い誠意ある言葉は、偽りを感じさせなかった。本物のシュバルツベルク公爵の護衛として王宮に入ったゴルシュタット騎士達に動揺が走る。
まさかこの期に及んで、こちらが偽者なのか? 確かに自分は公爵と会った事は無い。だが、ベルトラム様はこの男が公爵と言っていた。もしかして、ベルトラム様こそが偽の公爵を用意し、リンブルク軍を騙そうとしているのか?
彼らは落ち着き無く身じろぎし、兜を被っているにもかかわらず、まるで兜が透けて困惑の表情が見えるかのようだ。
シュバルツベルク公爵は帽子で隠れたその下で皮肉な笑みを浮かべた。グレルマンは確かに公爵家の忠実な家臣である。彼が公爵を見間違えるなど限りありえない。だが、嘘を付いているようにも見えない。
「確かに、この時に偶然顔に傷を負ったなどあまりにも出来すぎた話。それゆえ逆にそのような見え透いた手を使うはずが無い。とも言えますな」
「分かって頂けましたか」
ゴルシュタット騎士が、また動揺し甲冑をカチャカチャと鳴らす。
なんだ? 相手の言い分を認めるのか? いったい何をしに来たのだ? いや、そもそもこの男は本物の公爵ではなかったのか? では、いったい何者なのか?
「だが、貴公の言葉を信じる事とそれに従う事は話が別。私も宰相閣下に命じられ、王宮にいるのは真にシュバルツベルク公爵か見定めに来たのだ。公爵の家臣という者の言葉が信用できそうなので公爵と名乗る者の顔を見て来なかったなどと報告すれば、宰相閣下に軽蔑されてしまう」
「公爵殿の顔の傷は深く、包帯を取って素顔を見せたところで以前の顔とは違っておるのだ」
「それでも、面影ぐらいは残っていよう」
「くどい! 公爵殿は誇り高きお方。傷を負った顔を人に見せるのを良しとせぬのだ!」
グレルマンは怒りに声を荒げた。
「そもそも貴公とて、その帽子で顔を隠しているではないか。お主の方こそ顔を見せられぬのか」
「本物のシュバルツベルク公爵ならば、私の顔を見れば驚くはず。それをもって本物の公爵か見極めようというのだ。包帯で顔を隠していてはその表情が見れぬではないか」
「口の減らぬ男だ。だが、公爵家に仕えること10数年。現当主であるクラウス様が幼少の頃よりお傍に居る自分が、公爵を見間違えるはずは無い」
一応は本物のシュバルツベルク公爵という事になっている男の護衛として付いてきた騎士達から見てもグレルマンが演技をしているようには見えない。忠臣が心から主人を案じその誇りを守ろうとしている。
大丈夫なのか? これでもしこの城にいる方が本物の公爵だったとしたら、自分達は飛んだ笑い者である。自称公爵に向ける視線も疑わしげだが、誰にとって幸いなのか兜を被っている。騎士達の視線を感じぬ為か自称公爵は平然としたものである。
「お主の証言だけでは、宰相閣下を納得させられぬと言っているのだ」
「貴様、拙者を愚弄するか!」
「事実を言ったまで。宰相閣下にとってお主は敵だ。どうして敵の証言が信じられると言うのだ。お主とて宰相閣下の部下が如何に証言しようとも信じぬであろうが」
「いや、拙者は信じる」
ちっ! 今まで余裕有る不敵な態度だった男が、苛立に舌打ちを漏らした。この馬鹿が、という呟きが隣に立つ騎士の耳を掠めた。もう少し大きな声だったら、グレルマンの耳にも届き彼は剣を抜き放っていた。
「しかしお主は騙されているのだ。その者は本物のシュバルツベルク公爵ではない」
「この期に及んで戯言を申すか! 長年仕えた拙者が見間違えるはずがないと何度も言っておろうが!」
「見間違えないというか?」
「くどい!」
遂にグレルマンは腰の剣に手を伸ばした。男を守る騎士も反射的に剣に手を伸ばす。まさに一触即発だ。顔のほとんどが大きな帽子に隠れ辛うじて見える口元が皮肉な笑みを浮かべた。
片手を帽子のつばにかけ、手首を捻るように投げ飛ばしたのはかなり芝居がかって見える。帽子は思いの外遠くまで飛んだが、グレルマンはそれを見ていなかった。その視線は自称公爵に釘付けだ。
「シ、シュバルツベルク公爵!」
驚きの声を上げたのはグレルマンである。
「で、私がシュバルツベルク公爵ならば、その男は何者だ?」
紛れも無く公爵の顔をした男の問いかけに、公爵を見間違えるはずの無いグレルマンは呆然とするしかなかった。