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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
205/443

第116話:愚者

 ある国では王子であり、ある国では国王。そう呼ばれる者が居た。サルヴァ・アルディナ。ランリエル王国の第一王子である。東方の覇者とも称される男だ。ランリエル国内では伝説の英雄が如きと言われ少年達の憧れの的であり、隣接する西国の者達には無慈悲な侵略者として恐れられている。それがカルデイ皇帝からセルミア王に叙せられた。


 だが、その泣く子も黙るサルヴァ王子は今1つの事に頭を悩ませていた。事の発端はやはりセルミア王になった事だ。その日、サルヴァ王子はアリシアの部屋に居た。他の寵姫達には友人としての交流を続けていると見せねばならぬので朝帰りは出来ない。そしてアリシアのお付の侍女エレナにも秘密だ。その為かなり早い時間から

「今日はもういいわ」

 と下げられる事も多くなったエレナは、この後宮で一番遊びほうけている侍女である。


 妹のように可愛がっている侍女に隠すのは心苦しいが、その愛する侍女には欠点があった。貴族社会というものに異常なまでに憧れているのがそれだ。もし自分の主人とサルヴァ王子が愛し合っていると知れば、ここだけの秘密なのだと言いながら、後宮中に自慢して回りかねない。


 その侍女を追い出し2人きりとなった部屋で、アリシアは酒席の用意をしサルヴァ王子の向かいに座った。主人を持て成す後宮の侍女ならば横に座りしなだれかかって媚を売るべきだが、アリシアの態度は以前と変わらない。


「サルヴァ殿下。いえ、これからは陛下と及びした方がよろしいのですか?」


 そう言ったアリシアの口元に笑みが浮かぶ。


「いや、今まで通りでいい。ランリエルの国王はお父上だ。そこに私を陛下と呼べば問題があろう」

「あら。そうですわね。でも、殿下が王様になったというそのセルミアに行った時には陛下なのですか?」


「そうだな……。まあ、それも止めておこう。ランリエルでは殿下でセルミアでは陛下では混乱する」

「そうですね。私も貴方を陛下と呼ぶのはちょっと変な感じがします」


 そしてアリシアはまた笑った。本当にサルヴァ王子を陛下と呼ぶのは可笑しいと思っているらしい。初めて会った時から王子は王子だった。それを突然王様なんだと言われてもピンと来ない。だがその笑みが不意に変わった。それは戸惑っているようにも困惑しているようにも見える。


「それで、そのセルミア王国の男爵位をどうして私に下さったのですか?」


 セルミア王国建国時にサルヴァ王子は幾人かにセルミア貴族としての爵位を与えた。そしてその中にはアリシア・バオリス男爵も含まれた。他にはサルヴァ王子の政治、軍事の功臣達である。


「それは……。まあ、私の気持ちだ」

「気持ち、ですか?」


 そう言ったアリシアの目に非難の色が見える。


「ああ、そうだ」


 王子は戸惑った。これでアリシアも貴族となったのだから自分との結婚に障害はない。とまでは王子も飛躍しない。だが、それでもそれなりに喜んでくれると考えていたサルヴァ王子にとってアリシアの反応は予想外だった。


「誰もこんな事をして欲しいとは言っていません」


 不機嫌なアリシアに王子はさらに困惑した。


「別に困るものでもなかろう。だから、これは私の気持ちだ」

「気持ちを表すなら、もっと他に方法があるのではないのですか?」


 アリシアは拗ねた目だ。それは、無意識にサルヴァ王子を自分の男と見ているからこそだ。しかし、今の王子にそれを察する心の余裕はない。生真面目にアリシアの言葉を解読していた。


 まさか宝石の1つでも欲しいというのか? いや、今までアリシアが宝石を欲しがった事などない。大体、物欲ならば、段爵位と共に小さいながらも領地も与えた。アリシアの負担にならぬように領地を管理させる者も用意させ、そこからの収入があるのだから段爵位を得て不機嫌になる理由にならない。


 自覚しているならばまだ救いはあるが、王子は他者(しかも極親しい者達)だけが認める朴念仁である。しかもなまじ王子のうちから後宮などを持っている為経験人数ばかり多く、自分ではそれなりに女心を分かっている積もりだから始末が悪い。


 地位でも金品でも喜ばない。となると後は……なるほど。そういう事か。


 王子は上体を起こし無駄な贅肉など一片も無い腕がアリシアに伸びる。アリシアの少し肉付きの良い腰に巻き付き引き寄せた。酒を用意した小さな円卓越しに行われたそれは少し強引だったが、抱き寄せられたアリシアの瞳が一瞬驚き次に潤んだ。


 やはりそういう事か。アリシアの反応に満足し更に彼女に口付けた。アリシアも目を瞑り応じる。


 衣服の上から少し肉付きの良い身体を愛撫し彼女から吐息が漏れる。とはいえ流石に椅子の上ではここまでだ。彼女を抱き上げ寝室に移動しやや強引に下ろす。そして改めて彼女に覆いかぶさった王子だったが、不意にアリシアの手が王子の胸元を押さえた。


「殿下?」

「なんだ?」

 戸惑いの声を上げるアリシアに王子も問い返す。


 アリシアからの返答が無く固まっていた2人だったが、突然アリシアの視線が鋭くなる。


「どいて下さい!」

 なんと覆いかぶさる王子を押しのけた。ついさっきまで良い雰囲気だったはずがこの急変である。サルヴァ王子は訳が分からず、一瞬アリシアがふざけているのかと思ったほどだ。


 しかしアリシアはふざけてなどいなかった。怒りの表情すら浮かべる。結局、サルヴァ王子はまたも部屋を追い出されたのだった。


「あの猿王子!」


 1人きりとなった部屋でアリシアの怒声が響いた。それは幸いにも閉じられた扉の外までは漏れなかった。



 その翌日、アリシアが怒った理由を必死で考えた王子だったが結局分からなかった。あまり人に言いたくない話だが、解決しない訳にはいかない。本来ならば政治に軍事にと励む為の執務室で、まさか自分が他人にこんな相談をする事になるとはと思いながらも、その道に詳しそうな副官に助けを求めた。


 だが、その表情はどんな政治的、軍事的な難問を抱えているのかと思うほど真剣だ。


「確か、お主は意外と口が堅いな」

「意外と、とは心外ですが喋るなと言われて他に漏らす趣味はありません」


 もっとも副官は上官の機密事項も扱う。そもそも口の軽い男など副官に任命せず、あくまで念押しだ。


「お主は女の扱いに長けているな」

「意外に、と付けて下さらないのは心外ですが多少は」


 深刻な王子に比べ副官は飄々としたものだ。それは2人の心の余裕の差を表した。サルヴァ王子は隠している積もりだが、王子とアリシアが結ばれたのをウィルケスはとっくに見抜いていた。堅い上官からの突然の女性関係の相談も、相手が誰か分かっているなら驚きも半減だ。


「実はとある女性を怒らせたのだが、どうして機嫌が悪くなったのか心当たりがないのだ。お主なら分かるかもと思ってな」

「それは、何をしたら怒ったのか聞かせて頂かないとどうとも言えません」


 もっともな話だが王子は言葉に詰まった。さすがに押し倒そうとしたら拒絶されたとは言えない。何とか絞り出した言葉も歯切れが悪い。


「地位にも金にも喜ばぬので行動で示そうとしただけだ」

 と具体性を欠く。


 もっとも相談する相手は、女の扱いに長けていると王子が見込んだ男だ。なるほど。押し倒して拒絶されたのか。と正確に見抜いた。


 きっと無言で押し倒したのだろう。寵姫が相手ならそれでも良いが、アリシア・バオリス嬢は身分こそ寵姫だが心は寵姫ではない。恋人というならばそれ相応の言葉をかけるべきだ。


「女性が喜ぶのは、何も地位や金や行動だけではありません。言葉で気持ちを表すのも女性には嬉しいものです」

「言葉だと?」

「はい。美しいとか愛しく思っているだとか。技巧を凝らさず、相手の目を見て、愛しているというのも効果的です」

「ふっ。なんだ。そんな事か」


 軽く噴出す王子に、ウィルケスは首を捻った。流石にこれくらいは言っているのか。では、後考えられるのは――。


「そのようなもの、わざわざ言うまでもあるまい」

「いやいや、言いましょうよ」


 反射的に答え、王子に対して礼を欠いてしまったがそれを気にする余裕は無い。


「しかし、軽々しく口にする言葉ではないのではないか?」

「顔を合わせるたびにとは言いません。ですが、たまには気持ちを言葉で表さないと女性は物足りなく感じるのです。誠実で真面目な恋人が居ながら軽薄な遊び人の言葉に気持ちが動いてしまう女性の心理とはそういうものです」


「ふっ。ならば心配ない。そのような男に惑わされる女ではない」

「そういう問題じゃないです!」


 敬愛する上官に殺意すら覚えたが怒鳴るだけで何とか耐えた。自分の恋愛ならばむしろ冷静になれる。自分の恋愛ならば失敗しても次に行くだけだ。だが、恩義ある上官の数年越しの愛がやっと実ったのだ。ここが正念場とサルヴァ王子への視線は厳しい。常ならば飄々とする副官の思わぬ態度に王子が思わず怯む。


「だが、言わなくともそれくらいは態度で分かろうものだ。分かりきった事を言われたところで何が嬉しい事がある」

「ですが、殿下だってその女性に、愛していますって言われれば嬉しいでしょう?」


 うーん。と王子は腕を組んだ。確かに嬉しいかと言えば嬉しい。だが、言われないからといって腹を立てるかと言えば、腹を立てたりしない。王子にはアリシアが怒ったのは別の理由と思われた。


 煮え切らない王子にウィルケスも焦れてきた。常には軽くも見えるほど余裕があり気は短くないのだが、流石にここまで物分りが悪いと苛立ってもくる。なるべく避けたい論調だったが、これくらい言わないと分かりそうもない。


「殿下はただでさえ他にも多くの寵姫を囲っているのです。それを言わなくても態度で分かれとは通用しません。勿論、寵姫を持つのは外交的な問題もあり仕方が無い事。ですが、実際に他にも女性がいるのにどう態度で分かれと言うのですか」


 王子はぐうの音も出なかった。



 サルヴァ王子が副官に相談したように、アリシアも友人に相談していた。もっともそれは解決を求めるのではなく愚痴である。そして後宮で彼女が友人と呼べるのはエレナと後1人だけであり、エレナに相談する訳には行かない。そしてその後の1人とはコスティラ公爵令嬢ナターニヤである。


「私だって殿下のお気持が分からない訳ではないけど、もう少し言葉にして欲しいのよ」


 友人と認めた以上、彼女は砕けたものだ。本来の貴族社会の礼儀ならばいくら親しくとも言葉遣いには気をつけるものだが、彼女にその気は無い。後宮生活も長くそれを知らない訳ではないが、従う必要が無いと考えていた。


「別に殿下に限らず、言わなくても分かると考えている男性は多いわね」

 とナターニヤもアリシアにあわせている。服装も以前のほっそりとした容姿を際立たせる身体の線が出る薄い生地の物から、厚手の落ち着いた物に変わった。他の寵姫達からは不思議がられているが、アリシアはその意味を知っている。彼女はサルヴァ王子争奪戦から降りたのだ。


「他の男の事なんて知らないわよ」

「ええ、そうね」

 熱くなるアリシアにナターニヤが苦笑する。


 人並みに羞恥心があるアリシアはそこまで語らないが、抱き寄せ口付けられ次には愛の言葉があると待ち望んでいただけに、それを飛ばして事をいたそうとした王子に腹を立てていた。


 抱きさえすれば女は喜ぶと思っているのだろうか。猿よ。猿王子なんだわ! と、怒り心頭だ。


「でも、貴女に男爵を与えたのだって十分気持ちを表していると思うけど?」

「そうかしら? だって爵位なんて貰ってもどうしたら良いか分からないし、それに新しく作った国って対外的に殿下の立場を強くする為だけで、実際は形だけって聞いたわよ?」


「貴女の他に爵位を貰ったのって、今まで殿下を支えてきた功臣と呼ばれる方々なのでしょ? 貴女はその方々と同じくらい殿下から大切にされているのよ」

「それはそうかも知れないけど……」


 とはいえ、自分を’恋人’として見てくれていると信じる者として、功臣と呼ばれる’おじさん’達と同列に見られてもあまり嬉しくないのも事実だ。もう少し、恋人だ! と分かりやすい表現をして欲しいところである。



「だって貴女。周りには殿下の友人という事になっているのでしょ? 後宮の他の方々も、殿下をご友人として支えてきた功績が認められたのですねって言っていたわよ。それが貴女がこの後宮で安全に過ごす為なの。分かるでしょ?」


 そうかもしれない。爵位などより愛の言葉が欲しい。そう考えていたが、サルヴァ王子は自分の安全の為に爵位をくれたのだ。それを嬉しくないなどと言ったのは確かに失礼だった。サルヴァ王子が彼女と結ばれ浮かれているように、彼女も少し浮かれていた。以前の彼女であれば、もう少し物分りがいい。


「貴女のいう通りかも知れないわね」


 アリシアは反省し小さく頷いた。だが、譲れない事もある。


「でも、それはそうとして、一言くらい、愛してるって言ってくれても良いんじゃない?」

「そうね」


 ナターニヤもそれには同意した。



 その夜、サルヴァ王子はアリシアの部屋へと足を向けた。折を見てと考えていた王子だが、すぐにでも行った方が良いとウィルケスに急かされたのだ。会いに行くと手紙を出し、拒絶されなかった事に胸を撫で下ろした。


 しかも、思いの外アリシアの機嫌は直っており、しかも

「殿下は私の為にと爵位を下さったのに、申し訳ありませんでした」

 と謝罪までしてくれた。


 機嫌が直ったのなら言う必要はないか。という考えが頭に過ぎったが、ウィルケスの言葉を思い出し考え直す。だが、改めて言おうと思うと踏ん切りがつかない。戦場でなら必要に応じて勇敢にも臆病にもなれる王子だが、こと恋愛に関してはそうはいかなかった。


 アリシアが用意した酒と肴に口を付け、それもほとんどなくなってくる。次には寝室に向かうのが常の流れだが、このまま寝室に向かえば昨日の二の舞という恐れもある。


「そ、そういえばなのだが」

「はい。なんでしょう?」

「お前を愛している」


 この世に、愛しているという台詞の前に、そういえば、と付ける男がいるだろうか。いや、目の前にいるのだが、ここまで来ると腹を立てるより可笑しくもなってくる。


 分かった。この人はこういう人なのだ。これがこの人の精一杯なのだ。この人を愛したならそれを認めるしかない。覚悟を決めたというより、諦めの感情だ。そしてそういう不器用さが嫌いではない自分も確かにいた。


「はい。私も殿下を愛しております」


 微笑みサルヴァ王子の首に腕を回す。そして改めて思った。やっぱり私は男の趣味が悪い。

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