第111話:暗躍
「オルランドは謹慎し、いかなる罰も受けると申しております」
ウィルケスの報告にサルヴァ王子が頷いた。ドゥムヤータ胡桃の椅子は心地よい硬さを伝えるが、今はそれを堪能する余裕は無い。常には軽薄なウィルケスの表情も硬く、執務室を重苦しい空気が満たす。
交渉内容は発表されていないが、非公式の、とはいえ他国からの使者に暴行を加え重症を負わすなど前代未聞だ。その事件は瞬く間に広まった。
ランリエル側は、デル・レイの使者があまりにも非礼だった為、対応した者が激情したと発表したが、額面通りに受けとらぬ者も多い。それどころか、正論を突かれ追い詰められたからこそ激したのだ。そう考える者も少なくないのだ。
「処罰はいかが致しましょう。オルランドは死を賜りたいとも言っているそうです」
「……今は、このまま謹慎させよ」
ランリエルとしては、デル・レイの主張の是非ではなく、あくまで使者の態度に非がある。その姿勢を貫かなくてはならない。
「殴ったのはデル・レイの使者の言動に問題があった為。しかし暴行を加えたのは確かにこちらの不手際とし、暴行についてのみ謝罪、担当者にも相応の罪を問う。そうするしかない。オルランドにどの程度の罪を問うかはこれからのデル・レイとの交渉次第だ。早急にこちらから使者を向かわせろ」
罪と罰は等価で有るべきだ。だが、オルランドに死を命じては厳罰となる。重大な罪があるとランリエルが認めた事になるのだ。
「かしこまりました」
だが、そのデル・レイとの交渉が難航した。ランリエルにはランリエルの主張があるように、デル・レイにはデル・レイの主張があるのだ。
「我が方の使者が非礼だから暴行を加えたと仰るが、議論では、相手を論破する為に多少語調が強くなるのも当然。礼ではなく論に敗れたから力に訴えたのではないのですかな?」
その姿勢を崩さない。そうなると、そもそもの交渉内容に周囲の興味は集中した。
ランリエルに好意的な者は
「きっと、デル・レイからの要求が受け入れがたいものだったのだ」
と主張し、否定的な者は
「いや、もっともな要求だからこそ、殴りつけたのだ」
と決め付けた。
そして、交渉内容が公表されなくては結局この議論も平行線だ。論点は、非礼だったかそうでなかったかの問題より、交渉内容が争点となっていた。その為、両国は協議し、異例ながら会談の内容を発表したのである。そして、その内容に更に議論が巻き起こった。両国の言う内容は同じなのだが、その口調に温度差があったのだ。
「サルヴァ殿下を廃嫡しろとは、非礼と言われても仕方があるまい」
「全くだ。宣戦布告ともいえる暴言だ」
「いや、デル・レイはあくまで提案しただけというぞ」
「ああ。ランリエルからの脅威にさらされる西国の国々は、東方を制圧したサルヴァ殿下を恐れる事、鬼神の如しだ。出来れば、それを除きたいと望むのも仕方あるまい」
ランリエルが発表した、デル・レイがサルヴァ王子廃嫡を強く求めたという言葉を信用した者達は憤慨した。だが、あくまで穏便に提案したのみというデル・レイの主張を信じた者達は、デル・レイを擁護したのだ。
しかしそれでも、元々の議論の発端となった事件については、皆
「とはいえ、使者に暴行を加えたのはやはり良くない」
と、口を同じくする。そして、どちらにも非があったという結論になるのだ。
この段になって、サルヴァ王子もアルベルドに一杯食わされたのに気付いた。
「口の悪い者を選んで使者にしたのか、殴られるように挑発しろと命ぜられたのかまでは分からぬが、どうやら、初めからオルランドに使者を殴らせる計画だったようだな」
「始めから……ですか」
憮然と呟く王子にウィルケスが唖然とする。
「他国の王位継承問題に口を挟むなど、本来ならデル・レイこそ非難される話だ。例え、我が方に西侵の野心ありと訴えてもだ。それが、他国の王位継承に口を出すのは非礼だが使者を殴ったのも非礼だと、まるで同等に非があるかのような世論になっている」
「どう考えても、使者が殴られたかより、王位がどうかの方が重大な話なんですけどね」
「にも関わらずそれが曖昧になり、今では、私がランリエル王になるのが妥当かどうかが議論の的になっているからな」
「オルランドは生真面目で冷静な男と聞いております。彼が手を出すとは、余程挑発されたのでしょう」
総司令、副官、共にうんざりした表情だ。
当然、ランリエルとしてはすぐさま――本来、返答の必要すらないのだが――デル・レイには申し出を断ると使者を出している。しかし、既に議論は一人歩きしている。
「世論操作は、アルベルド王に一日の長があるな」
しかしだからこそ、サルヴァ王子の心も定まった。前回の会談でも、デル・レイ王アルベルドには、聖王、賢王と呼ばれる表の顔とは違う顔があると感じた。そしてランリエルと和平する気が無いとも。
そのアルベルドが、世論操作までしてランリエルの王位継承問題に介入して来た。だが、自分が王位継承権を放棄しても、結局はランリエルと和平を行わないのではないか。自分より御しやすいサマルティをランリエル王とし、それからランリエルを料理しようとしている。その危険がある。
ならばこそ、自分がランリエル王になるべきなのだ。奇しくもアルベルドの策略が、サルヴァ王子の決意を硬くした。
「その世論に勢い付き、元々国内にあったサマルティを推す者達も動きが活発になっているようだ。実質、デル・レイが後ろ盾になっているのだから奴らも気が大きくなっているのだろう」
「何せ、皇国の衛星国家ですからね。完全に敵に回すと皇国に逆らったとも受け取られかねません」
一見、激しくやり合っているようにも見えるランリエルとデル・レイだが、実際に矛を交えたのはコスティラ、ケルディラ統一戦のみ。そしてその時も、あくまでデル・レイはケルディラへの――表向きは事前交渉なしの――大儀の援軍という立場であり、デル・レイ側からの攻撃という状況である。これでは、ランリエルが皇国に逆らったとは言えないのだ。
「ああ。皇国の衛星国家でなければ、それを後ろ盾にしようとする者共など、むしろ売国奴と糾弾し一網打尽にしてやるところだ」
もはや王子に迷いは無い。だが、事はそう簡単ではない。
「出来ればだがな」
と付け加えざるを得なかった。
自分の利益だけを求める者ばかりではなく、心からランリエルの為と信じサマルティ王子が王位を継ぐのを良しとする者もいる。表面上は区別しがたく、片方だけを罰するのは不可能だ。だが、自分に批判的な者を片っ端から処罰するなど傲慢な独裁者。絶対王政、封建の世といえども国が傾く。
「お父上に、私が正統な後継者だと改めて宣言して頂き、サマルティが王位を継承する事などありえぬと内外に表明すれば彼らも諦め……いや、それだけでは弱いか。もっと覆しようの無い確かな証が欲しいところだな」
「陛下の宣言は、陛下が覆せるという事ですか」
「そうだ。結局は、お父上が彼らの要求を飲むか飲まぬかになる。とはいえ、一度定めた王位継承者は王といえども覆せぬ。などという法律を制定すれば、後の災いにもなりかねん」
そんな事をすれば、王位継承者が指名された途端、現国王を見限り、次期国王に擦り寄る者が続出する。それを回避する為に王位継承者を指名せずに国王が崩御してしまっては、王位を巡っての内乱にもなりかねない。
「お父上には悪いが、今しばらくは彼らの要求に耐えて貰おう。その間に対策を練るのだ」
「しかし陛下は、人が良く圧しに弱いところがおありです。大勢の臣下に取り囲まれ強く詰め寄られては、首を縦に振ってしまうのではないでしょうか」
「なに。お前が思うより我が父は聡いお方だ。いくら強く詰め寄られたからといって、一度定めた王位継承者を軽々と廃嫡したりはすまい」
皮肉な笑みを浮かべるサルヴァ王子に、飄々とする副官も、流石に己の失言に慌てて詫びたのだった。
その頃、サルヴァ王子から世論操作には一日の長があると称されたデル・レイ王アルベルドは、久しぶりに長椅子に足を伸ばし落ち着いた時間を過ごしていた。テーブルの上には、皇国から送られてきた珈琲が湯気を立てている。
彼の策略によりランリエルは王位継承問題に揺れているが、彼にとってはたいした労力ではない。
「精々派手に殴られろ。見合った報酬は約束する」
口が悪く人を不快にされる事で知られる男を更に言いくるめランリエルに送り込んだ。その後、ランリエルに潜伏させている者達や金を握らせている者達に世論操作を命じた程度であり、アルベルド自身は指一本動かしてはいないのだ。
ランリエルとの戦いに集中していたが、そろそろ皇国にも何か手を打たねばならんな。そう考えながらカップに手を伸ばす。
初めて珈琲を飲んだのは呼ばれて行った皇帝のど派手な私室でだ。
「南の大陸のアスティアという国の飲み物だ」
相変わらず金銀の珍品に囲まれ、得意げな皇帝に薦められるまま一口付けたが、特徴のある苦味と酸味はアルベルドの口に合わなかった。だが、こんな些細な事で皇帝の気分を害する必要は無い。
「酸味の利いた味わいが新鮮です。それに香りも良い」
美味いかどうかの評論を巧みに避け無難に答えたが、どうやら皇帝はアルベルドは気に入ったと判断したらしい。その後、わざわざデル・レイにも大量に送り届けさせたのだ。皇帝には、褒められれば嬉しくなり更に相手を喜ばせようとする所がある。ナサリオを憎むのも、皆弟ばかりを褒め、誰も自分を褒めてくれなかった、という面も大きい。
この皇帝は、もし市民として生まれていれば、褒められれば調子に乗り過剰なまでに世話を焼く、周囲の者達に苦笑されながら愛される気の良い親父として一生を終えたのかもしれない。
流石に皇帝から頂いた物を兵士達に押し付ける訳にも行かない。
「これは皇帝陛下から頂いた物だ」
そう言って功績ある臣下に褒美として振舞った。皆は感激しそれはそれで便利ではあるが、それにも限界はある。結局、大量の牛乳≪ミルク≫と砂糖を投入すれば飲めるのを発見し、なんとか、いや、むしろ気に入りそうやって愛飲していた。
もっともそれが、本場アスティアでは子供の飲み方だと知れば、彼はカップを床に叩き付けただろう。無論、傍に王妃しか居なければだ。
その大量の牛乳入り珈琲(珈琲牛乳)に口を付けながら思い浮かべたのは、自分をアルベールと呼ぶ年齢の割りに美しい、だがどこか作り物めいた美貌の義母イサベルの姿だった。
「ナサリオを支えるのです。それが貴方の使命なのですよ」
イサベルは頻繁にアルベルドを呼び出し呪文のように繰り返す。時には自分が危篤だと嘘を付いてまで来させるのだ。国王としての職務あるアルベルドにとっては迷惑甚だしいが、それは皇帝パトリシオと宰相ナサリオとが不仲であるとの風聞に義母の心が乱れたのが原因であり、その風聞を流させているのがアルベルド自身なのだから自業自得と言えなくも無い。
イサベルはアルベルドをナサリオの役に立たせようと引き取った。後ろ盾の無かったアルベルドとその母を援助するだけで母子は十分感謝し、恩を返そうとしたはず。にもかかわらず、引き取った方が確実と’念の為’愛する母を殺害したのだ。
奴に地獄を見せる!
アルベルドの決意。母への誓いだ。そして2つの事を理解した。嘘は、ばれるから悪なのだ。騙しきれば悪ではない。そして、騙されていた者が真実を知った時。それが地獄なのだと。
もし事実を知らなければ、愛する母の思い出を胸に義母への感謝を忘れずナサリオを支え、デル・レイ王となり幸せに暮らしていた。騙したのなら、なぜ最後まで騙さなかった!
イサベルに不安の種を植え付ける。ナサリオは身内に甘いところがあるが、この大陸屈指の内政家だ。そう簡単には隙を見せない。皇帝から疑いの視線を向けられ、周囲に自身の反逆の噂が流れてもその地位を保っている。だが、義母は隙だらけだ。
「義母上。私からも皇帝陛下に取り成し、ナサリオ兄上をお守りしておりますが、ナサリオ兄上のお立場は日に日に厳しいものとなっております」
毒を吹き込むように義母に囁き続けた。更にランリエルとの戦いでも使用した’劇団員’も侍女や執事として送り込んでいる。その者達も、ナサリオ様は大丈夫で御座いましょうか。と日々義母の不安を煽る。
本来、ナサリオへのものほどではないが、長男である皇帝パトリシオにも母親として相応の愛情を持っていたはずだ。それが今では’愛する我が子の敵’でしかない。
アルベルドを呼び付け、意のままにしている積もりの義母が、実は、自分こそ見下している養子の笛の音で踊る操り人形なのだ。操って、自分は愛するナサリオを守っているとの幻想を抱かせ、そして真実を教えてやる。全てぶち壊す。それが復讐だ。




