第12話:壊れた心(1)
コスティラとの戦いでかつて無い大勝をもたらしたディアスは、にもかかわらずその気持ちは沈んでいた。最近、ミュエルの元気が無いのである。
数日前王都に凱旋し、いつも通り国王陛下からお褒めの言葉のみを頂いたディアスが邸宅に帰ると、ミュエルとケネスが出迎えた。
ミュエルはディアスが無事に帰ってきた事が嬉しく、美貌の少女は花のような笑顔を見せた。そしてケネスもはにかんだ笑顔を浮かべていた。
「ディアス様お帰りなさいませ」
「はは。2人で並んで仲が良いな」
ディアスは揃って挨拶を行なう2人に笑いかけた。2人が仲良くする事はディアスにとっても嬉しい事だ。この2人には是非幸せになって欲しいものだと、心からそう願っていた。
そして先に立って邸宅内へと進み、2人もその後に続く。ケネスは仲が良いといわれ照れているのか顔を真っ赤にしていた。だが、ミュエルの表情は明るいとは言いがたかったのである。
無事にお帰りになった旦那様の為、長年ディアス家に仕える料理人は腕を振るいその日の晩餐は豪華な物だった。貧しい戦場での食事に飽き飽きしていたディアスは、久しぶりのご馳走に舌鼓を打った。
しかしミュエルの方を見るとあまり食が進んでいるように見えない。
「どうしたミュエル? 嫌いな物だったか?」
そう言われたミュエルは、慌ててぶんぶんと首を振り、
「そんな事は御座いません」と料理に手を付けた。
そして、その様子を侍女から伝え聞いた料理人が飛んできて、
「料理が御口に合わなかったので御座いましょうか?」
とミュエルに問いかけると、またぶんぶんと首を振った。だがその日を境にミュエルの様子がおかしくなったのである。人と居る時は笑顔を絶やさぬのだが、1人でぽつんと居る時が多くなった。そしてそのような時に笑顔を見せる事はなくなった。
1人で居る時に笑顔を見せるなどと言われるかもしれないが、ミュエルは小鳥が居れば小鳥に笑いかけ、花を見れば花に微笑む。そのような少女だった。ディアス家の人々はその様子を遠くから見るのが大好きだったのだ。
それが笑顔を見せない。ディアス家の者達はみなミュエルを心配した。ディアスも心配したが、あえてケネスに様子を伺わせた。このような時にこそ力になってくれた者に心引かれるものだ。
「ミュエルの様子を見てきてくれ。お前が力になってやるんだ」
だが、その言いつけにケネスは戸惑いの表情を浮かべた。
「ですが、僕で良いのでしょうか? ディアス将軍が行かれた方が良いのでは……」
ディアスにミュエルと結婚する気が無いのは知っている。だが一応ミュエルはディアスの妻になる予定となっている。それを差し置いて、自分が彼女と仲が良くなるのは不味いのではないか?
「いや、お前が行って励ましてやってくれ」
こうはっきりと言われてはケネスも断る事は出来ない。そして事実ケネスはミュエルに好意を抱いていた。ディアス家でミュエルに好意を抱いていない者等存在しないのだが、ケネスの好意ははっきりと恋愛感情だった。
ミュエルを探し使用人達に聞いて回ると、ミュエルは庭に散歩に出ているらしいと聞き当てその通り庭に向かうと、果たしてミュエルが沈んだ表情で歩いていた。
好きな女の子に声をかけるという行為に、自分の胸がドキドキと高鳴るのを感じた。数瞬躊躇ったが、意を決してミュエルに近づいた。
「ミュエル。大丈夫かい?」
「ケネス様……」
名を呼ばれたミュエルは、はっとして顔を上げたが、その表情に普段の明るさは無い。しかしすぐに笑顔を見せた。そのあまりにも分かりやすい意識しての笑顔は、17歳のケネスにも彼女が無理をしているのだと容易に悟らせた。
「最近元気が無い見たいだけど」
「いえ。大丈夫です。ありがとう御座います」
ミュエルが笑顔で答え、一瞬見とれたケネスだったがすぐに我に返った。自分はミュエルを励ますという使命を帯びて来たのだ。
「みんなミュエルを心配しているんだ」
「お気遣いありがとう御座います。でも本当に大丈夫なのです」
ミュエルは笑顔で答え続けるが、それだけにケネスにはミュエルの心が見えない。
「ディアス司令官もミュエルを心配しているんだ。早く元気になるようにって」
「ディアス様が?」
「うん」
「それで……ディアス様はどちらに?」
「え? 書斎に居ると思うけど?」
「書斎……?」
「そうだけどどうして?」
「ディアス様は私の元へは来て下さらないのですか?」
さっきまで笑顔だったミュエルの表情が、はっきりと翳っていた。その表情の変化にケネスは悟らざるを得ない。自分ではダメなのだと。だが、やはり彼女への恋心は諦めがたい。
「ミュエル……、でも僕はミュエルの力になりたくて」
だが取り乱すミュエルにその言葉は届かず、その目にはみるみると涙が溜まる。そして溢れ出し静かに頬を伝った。
「どうしてディアス様ではなく、ケネス様が来るのですか? 旦那様は、妻の心配をして下さらないのですか?」
「……ミュエル違うんだ。ディアス様はミュエルを心配して僕を……」
ミュエルに恋心を抱くケネスも、ミュエルとディアスを仲違いさせたい訳ではない。必至でミュエルを宥めたが、その時ミュエルの中で何かが弾けた。
「ミュエル様です! 私はこのディアス家の当主の妻です! ミュエルではありません!」
普段は大人しいミュエルが大声で叫び、その声に数羽の小鳥が飛び立った。
その叫びに驚いたのは、ケネスよりもむしろ彼女の方だった。自分自身の急激な激高がもたらした叫びに、ミュエル自身信じられなかった。まるで彼からその言葉を浴びせられたかのように、ケネスに驚きの表情を向けた。
ミュエルは、ケネスを見つめたまま自分の口に手を当て、数歩後ずさると背を向け走り出した。
ケネスは、逃げるように走り去った少女を追いかける事に躊躇し、その小さな背中がさらに小さくなり視界から消え去るのをただ見送る事しか出来なかった。




