第1話:小国の総司令(2)
コスティラとの戦いから数日後、ディアスはバルバール王国王都チェルタに凱旋しさらに王城へと馬を進ませた。
国王が座するその城は、付近から産出される石の色の為褐色の肌を持ち規模も小さい。一国の王城としては残念ながら威厳や荘厳、ましてや優雅といった表現とは無縁だった。
遠くから王城にふさわしい白石を運ばせるのも、巨城を建設するのも小国バルバールの財政では不可能だったのだ。
ディアスは入城すると、すぐさまバルバール王国国王ドイルに謁見し跪いて戦勝の報告を行った。国境へと攻め寄せた敵軍を撃退した。という簡潔な内容に多少の装飾を施す。
彼にしてみれば「敵を撃退してまいりました」とだけ報告して終わらせたいのはやまやまなのだが、そこは宮廷作法という物なので仕方がない。それに対し国王陛下から言葉を賜った。
「そなたの此度の働きまことに見事である。しばらくはゆっくりと身を休ませるが良い」
まことに独創性の欠片もないお言葉である。だが度重なるコスティラ王国との戦いで、歴代の国王が気の利いた台詞を言い尽くしまった。と言われていた。
気の利いた台詞を使った挙句先人の真似と言われるくらいなら、何度使い回しても非難されない無難な言葉を下す方が楽、と言うものである。
昇進や恩賞についての言葉はないが、その点に不満は無い。
軍事において総司令より上位といえば軍務大臣しかない。だが大臣といえば聞こえが良いが、実際は裏方の総元締めであり、ディアスにとってなりたいと思う役職でもない。
他者からも、
「ディアス総司令は、軍勢を指揮する能力には恵まれているが、軍務大臣などという職は勤まらんだろう。王都で椅子に座ってそっくり返っているガラか?」
そう評されているのだ。
そしてなんら得る物のない防衛戦の勝利に恩賞を出す経済的余裕は、小国バルバールには無いのである。だがこの事についても彼に不満は無い。「その分戦争の無い時は楽をさせて貰っている」そう考えているのだった。
もっともまじめな軍人であれば平時にこそ自己を鍛錬する時と、楽をさせて貰っていると言うディアスに憤慨するであろうが。
彼のドイル王への人物評価は、言うなれば「お人よし」と言うものだった。とはいえ評価が低いというわけでない。むしろその逆である。
臣下を疑う事を知らず、政治、財政そして軍事と、あらゆる国家運営について、任命した人材にすべてを任せるこの国王は「賢王」と言っても良い。中途半端な知識で口を出されては、現場の者がやり難くて仕方が無い。
「国王陛下のお言葉、ありがたく承ります」
跪いたまま型どおりの返礼の口上を述べたディアスは、さらに礼に則った一礼をし、国王の前から退出した。
王宮から出ると彼は大きく伸びをした。軍総司令という役職からすればずいぶん子供っぽい仕草だが、彼からすればやっと戦いが終った。そういう気分だったのだ。国王陛下に戦勝を報告する。それまで戦いが終った気分になれなかった。
やれやれと従者を共に邸宅へと帰ると、数人の使用人、それに従弟のケネスが
「ディアス将軍お帰りなさいませ」と彼を出迎えた。ケネスは叔父の次男で17歳になる。
ディアスの父の弟であるケネスの父は、どうせディアス家を継げないのならと商家へと婿入りしたのだ。だが2人の息子達は、父と同じ考えにはならず軍人になりたがった。若い男の子にとって大人になったら商人になるという未来は、心を弾ませるものとはなりがたい。
それでも長男は商家を継がせない訳には行かず、それは長男も十分承知していた。ならばせめて弟だけでもと兄弟共々叔父を説得したのだ。こうしてディアスの元へと預けられたケネスだったが、残念ながら体格に恵まれたとは言い難い。
軍人としては小柄なディアスより彼の方が身長は高いのだが、体の厚みはその身長に見合ったものではなかった。ディアスよりもさらに薄い茶色の髪は、その頼りなさげな体格をさらに弱々しい印象に補完しているのだった。
そのひ弱さは身体を鍛えればどうにかなるというものではなく、骨格からして苛烈な戦闘には耐えられそうになかった。いくら肉を鍛えても、その骨は敵兵が渾身の力で振り下ろす大剣を支える事が出来ない。
その為17歳という年齢にもかかわらずまだ初陣を迎えていない。今回の戦いでも邸宅の留守を守っていたのだが、それでも軍人になるのを諦めず、ディアスの元で軍略の勉強に励んでいる。
「ディアス将軍のように帷幕の中で勝利を決する武将になりたい」
それが少年の目標だった。しかしこの言葉を聞いたディアスは、何を言っているんだ? とばかりにため息を付き首を振った。
「それは戦場での私を知らない者が言っている話だ。戦場で私がいかに勇敢に先陣を駆け戦っているか、お前に見せてやりたいものだよ」
その言葉に、ディアス将軍を見損なっていたのかと少年は赤面した。だが後日、長年ディアスと共に戦っている武将から次のような言葉を聞いた。
「総司令が先陣を駆けるだって? 総司令が敵の矢の届く距離に入ったのすら見た覚えが無いぞ?」
ケネスは驚き改めてディアスに問いただすと、彼は悪びれずに肩をすくめた。
「私は総司令官なんだぞ? 私が討たれれば戦は負けなのに、どうして死ぬ確率が高い場所に行かなくてはならないんだ?」
そう言って不思議そうに少年を見つめたのだ。
「それは確かに将軍の仰るとおりかも知れませんけど、どうしてわざわざ嘘をつく必要があるんですか!」
普段は大人しいケネスもさすがに怒気を発したが、ディアスはやっぱり悪びれない。
「軍人を目指すなら、策を立てその策を持って勝つという軍人を目指すなら、まず人から聞いた話をそのまま信じるのではなく、ちゃんと事実を確認する癖をつけた方が良いからさ」
こう言われてはケネスもぐうの音も出ず、引き下がらざるを得ない。
もっともこの話を聞いたディアスをよく知る人々は、単に素直で真面目な少年をからかっただけに違いない、と信じて疑わなかった。とはいえ、ケネスを邪険に扱っているわけではなくそれなりに可愛がり、兵法について色々と教授する事もある。
例えば次のような事があった。
ケネスが居間で椅子に座り兵法の書物を一生懸命に読んでいると、長椅子に寝そべり考え事をしていたらしいディアスが不意に上体を起し割り込んだ。
「守る方は、攻める方の10倍の兵力が必要と言う言葉を知っているか?」
ケネスはキョトンとし、しばらく考え込んだ後笑い声を上げた。バルバール王国軍総司令フィン・ディアスたろう者が、兵法の講釈で言い間違えたと思ったのである。
「それは攻める方が。の間違いですよね? 勿論知っていますよ。城や砦に篭って守る方が有利と言う事ですよね」
すると、ディアスは上手く引っかかったとほくそ笑んだ。
「間違いではないんだ。守る方が攻めるより兵力が必要なのさ」
戦いとは守る方が有利である。これがケネスが今まで勉強した兵法での常識だった。だがディアスはそれが違うという。
いくらディアスの言葉でもにわかには信じられない。という様子の少年に、机上演習の用意をするように言いつけた。
「あまり複雑ではない地形の地図と駒を沢山持ってきてくれ」
地図と駒を持ってきたケネスから5つだけ駒を受取り、他の駒はすべてケネスに持たせる。
「この地図全域をお前の領地としよう。地図の真ん中がお前の城だ。その周りには多くの村々があるとする。私は国境から駒を進ませて村々を略奪するので、お前は略奪されないように守るんだ」
説明通りに机上演習が始まった。ディアスが5つの駒を駆使して攻め込んでくる。まず1つの駒で突っ込んできたので、ケネスも1つで迎撃に向かう。だが、地図の真ん中の城から出陣しても、ディアスの駒はすぐに逃げ去ってしまった。
なので国境付近に駒を一つ常駐させたが、するとディアスは駒を5つに増やして攻めてきた。仕方が無いので常駐させる駒を5に増やす。
すると今度は、まったく別の方向から領地に侵入してきた。やむを得ず、四方八方に駒を5つずつ常駐させねばならなくなった。
「これで何処も攻められませんよね?」
少年は得意げに言ったが、もっともこの時点ですでにディアスの数倍の駒を使用していた。だが10倍までには達していない。一応面目は保ったと思ったのだ。
しかしディアスは、意地の悪い笑みを浮かべるとさらに机上演習を続けた。
まず一つの駒で侵略して来たので、近くの拠点に置いた5つの駒の内から一つの駒を出撃させた。するとディアスは増援を派遣し、1対5でケネスは負けてしまい村は略奪された。拠点に残る4つの駒では、ディアスの5つの駒に勝てないのである。
次にまた一つの駒で攻めてきたので、今度はやられないぞ、と拠点から5つの駒を出撃させたが、ディアスの駒はそのまま国境を越えて逃げ去ってしまう。手薄になった拠点付近の村をディアスの残りの駒が略奪してしまったのだった。
完全に守りきる為には、結局各拠点に10以上の駒が必要となり、ケネスが使用した駒はディアスの10倍を遥かに超えたのだった。
「どうだ。守るのに10倍の兵力が必要だったろ? もっとも実際の戦争では、こうも上手く部隊を連携させて動かすのは難しいがな。まあ、こう言う考え方もあるという事さ」
そう言って肩をすくめたが、少年が唖然としたままなのに気付いてさらに説明を続けた。
「これが兵法の『吾が与に戦う所の地は知るべからざれば、則ち敵の備うる所の者多し』という考え方だ。確かに城や砦という「点」を攻める時は、守る側が少ない兵力で守れるが、領地という「面」を攻める時、攻める場所を敵が察知できないなら、守る側が兵力を必要とする時があるんだ」
ケネスは改めて尊敬の眼差しを送り、ディアスはその様子に満足したのだった。
しかし少年は気付いていなかった。このような兵法の授業は、ディアスがケネスをからかって怒らした数日後に行われる傾向がある事を。