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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
199/443

第110話:亀裂

 彼は若い頃からその秀才を褒め称えられた。学問は同世代の若者達より頭一つ抜きん出て家柄も良い。強引なところもあるが、人の上に立ち導く者としてそれも長所となった。


「彼はいずれ一国の宰相になる」


 そうも言われていたが、その’いずれ’は思いの外早かった。なんと40代にしてそれが現実のものとなったのだ。


 ランリエル王国宰相ヴィルガ。自他共に認める俊英。にもかかわらず彼はその境遇に不満だった。


 かつてある王国で、宰相が国王に問われた。

「我が国の1年間の犯罪件数はいかほどか」

 宰相は答えた。

「担当の大臣が居りますので、その者にお聞き下さい」


 また王が問うた。

「今年の穀物の取れ高はいかほどか」

 宰相が答えた。

「担当の大臣が居りますので、その者にお聞き下さい」


 王は怒りを表した。

「それではお前は何をしておるのか!」

「大局に立ち方針を定め、彼らの仕事が滞りなく行えるように環境を整える事で御座います」


 王は大いに頷いたという。


 言うなれば騎士と馬の関係である。騎士が馬と同じ速さで走る必要は無く、常には愛馬を可愛がり、戦場では愛馬を駆って手柄を立てる。これこそが理想的な宰相としての勤めだ。


 だが現在のランリエルでは、馬の役目は大臣達だが、騎士は宰相ではなくサルヴァ王子なのだ。だが、日々馬を可愛がり力を出させるのは宰相の務め。


 俺はただの馬丁≪ばてい≫か!


 人身位を極めたにもかかわらず、その実態は馬飼いなのだ。ランリエル一の秀才がだ! 彼は才能ある者として当然の権利を求めた。その才能の発揮する場をである。


 大貴族の中にも現状に不満を持つ者はいた。サルヴァ王子の活躍は王権の強化。王家は貴族達が担ぐ神輿だ。神輿が大きくなれば担ぐ貴族の不満が出るのは道理である。


 その日、宰相の屋敷にとある’大貴族’の姿があった。もっとも招かれたのではなく、勝手に入り込んだのだが。


「サルヴァ殿下を廃嫡し、サマルティ殿下を担ぐにはもう少し仲間を集めたいところだな」


 そう言って足を投げ出し長椅子に横たわる姿も、まるで自分がこの屋敷の主であるかのようだ。手酌で葡萄酒を飲み吐く息には酒精が含まれる。目の前の卓には既に数本の空瓶が転がる。だが、この者にとっては思考が鈍るほどの量ではない。


「数年前、サルヴァ王子と対立し軍勢まで出した挙句、全く戦いもせず瓦解した者達が居たからな。同じ徹を踏むまいと慎重な者が多いのだ」

 ランリエル一の秀才だが、酒に関しては人並みの宰相は、まだ1杯目だ。


「その意味もあってサマルティ殿下を盾に使っているのではないか。いざとなれば全てサマルティ殿下に押し付ければ良い」

「言われるまでもない。サマルティ殿下を首謀者とすれば、俺達は厳罰は逃れられる。だが、俺は宰相の座を追われるのだぞ。それはまっぴらだ」


 数年前の内乱時に、サルヴァ王子は首謀者は処刑したが他の者達はすべて許した。一見甘い対応にも思われるが、逆に言えば首謀者のみが貧乏くじを引いた。なにせ少しでも不利になれば、下の者達は王子に内通し許され首謀者のみ罰せられるのだ。これでは誰も首謀者にはなりたがらず、首謀者無き所に反乱は無い。


 次期国王たるサルヴァ王子に正面から戦いを挑むのはあまりにも無謀だ。自称’正論派’の者共は、サルヴァ王子より優れた政策を示せば認められ、宰相が政≪まつりごと≫を行えるはずだ。などと現実離れした妄言を吐くが、そんな綺麗事ではないのだ。


 如何に優れた政策でも全方面に利益だけをもたらす事は不可能だ。ケチを付けようと思えばいくらでも突きどころはある。政敵がその欠点をあげつらう中、その万全でない政策を通す根回しが政治というものである。


 そして次期国王の政策の足を引っ張る者など存在せず、次期国王の政敵の足を引っ張る者は星の数ほど居た。サルヴァ王子の方針と異なる政策を上奏すれば、即座に袋叩きにされ宰相の座すら危うくなるのは目に見えている。


「問題は、実際に先陣を切るのは誰にするかだが、誰もやりたがらん。サルヴァ殿下を廃しサマルティ殿下がランリエルを継ぐべきです。などと言おうものなら、真っ先にサルヴァ王子派から攻撃されるのは目に見えているからな」


 それゆえ、サマルティ王子が次期ランリエル王になればデル・レイら外国との問題が解決し平和になる。その話を地道に広げているのだ。そのうち正義ぶる者が勝手に先頭に立ってくれる。後は、その者の援護に回ればいい。最悪、誰も先頭に立たなければ、民衆の声に押されて、と称し宰相であるヴィルガ自身が動くしかないが、それは最後の手段だ。


「実はな、先日客があった。とある人物からの使いと言っていたが、誰からだと思う?」

「俺達の動きを掴んでいる者なのか?」


 だとすれば死活問題だ。だが背筋に冷たい汗を流すヴィルガを前に、男は余裕の笑みだ。


「聞いて驚け。なんとデル・レイのアルベルド王だ」

「アルベルド……」


 驚くヴィルガに、男は高価な玩具を友人に見せびらかして得意になる子供のようににやつく。


「そうだ。さすが賢王と呼ばれるだけはある。どうやってかは分からんが俺達の動きを探りあて連絡を取ってきたのだ。俺達と手を組みたいと言って来ている」


 その時に余程持ち上げられたのか、まるでアルベルドの臣下のように褒め称える。


「おい。大丈夫なのか」

 とヴィルガが危惧するほどだ。


「大丈夫か、大丈夫でないかと言えば、大丈夫ではないかも知れんな。何せ予定に無かった事だからな」

「なに?」


「お前も腹を括れよ。アルベルド王は見事だ。全く見事と言うしかない。サルヴァ王子と敵対する俺達を探り当て接触してきたのだからな。それをここで俺達が手を組むのを拒めばどうなる? サルヴァ王子に密告され俺達は終わりだ」


 ヴィルガは小さく呻いた。その通りかも知れない。そこでアルベルド王からの協力を拒んだから密告されたのだ、と訴えたところで、自分達の罪は帳消しになりはしない。


「もう、俺達はアルベルド王と組むしかないんだよ。だったら、精々気持ち良く手を組もうじゃないか。それが建設的ってもんだ」


 男は既に腹を括った。にやついてはいるが目に笑みは無い。その静かな目がヴィルガを捉える。


 ヴィルガは大きく溜息を付いた。この男との付き合いも長い。計画も2人で立てた。その相棒が覚悟を決めたのだ。ならば自分も付いていくしかない。



 それからしばらくしたある日、デル・レイ王国国王アルベルドからの使者がランリエル王宮の門を潜った。公式な訪問では無い為、クレックス王は謁見せず、サルヴァ王子も会わなかった。


 外交の官僚オルランドが担当となり、さほど広くない王宮内の一室で2人は対面したが、あくまで非公式の会談だ。その使者の言葉にオルランドは唖然とした。


「サルヴァ殿下に王位継承権を辞退しろですと!?」


 ランリエル王宮内でサルヴァ王子を廃しサマルティ王子を推す声は大きくなりつつあったが、この生真面目な男は公式な書類、布告文のみを愛し、風聞、噂話に疎かった。口をぽかんと開け、短い黒髪と同じ色の瞳を見開いている。


「左様で御座います。隣国との友好の為には、西侵の野心を持つサルヴァ殿下より、その善良な人柄が知られるサマルティ殿下がランリエル王となるべきでしょう」


 デル・レイの使者は崇拝する聖王アルベルドに間違いのあろうはずは無いと自信満々だ。聖王の言葉は正しく、それを否定するならば相手が間違っているのである。


 オルランドは更に唖然とした。あまりにも当然のように言うので、もしかして相手の言い分が正しいのかと錯覚しそうになるほどだ。小さく咳をする真似をして時間を稼ぎ心を落ち着かせる。


「サルヴァ殿下に西侵のお心などあろうはずもありません。それにサルヴァ殿下が王位を継ぐかどうかはランリエルの問題。御使者のお言葉は内政干渉に当たりましょう」

「現にケルディラに兵を進めておきながら何を仰るのです。それに内政干渉と言われるが、隣家の跡取り息子が乱暴者だと知れば、こちらに被害が及ばぬ為にもご忠告させて頂くのは当然の事」


 どうしてこんな簡単な事も分からないのかと使者は笑みを浮かべ小さく首を振る。その仕草がオルランドの神経を逆撫でる。だが、彼とて優秀な外交官僚。感情を制し口調に乱れは無い。


「その乱暴者だという認識に誤りがあるのです。実態の無い根も葉もない醜聞で愛する我が子を勘当する親は居ますまい」


 使者は大きく溜息を付いた。

「本当に分からないのですか? 始めから話さないと行けませんか?」

 と、生徒を小ばかにする意地の悪い教師のようだ。だが、オルランドはこれにも耐えた。


「サルヴァ殿下は、カルデイ帝国を攻め屈服させましたな。違いますか?」

「それは否定しません。ですが、カルデイ帝国とは長年に及ぶ戦いの歴史があります。高々数年前の事情のみを取り上げても――」


「それでは、バルバールは攻めましたか? 攻めませんでしたか?」

「仰る通り攻めましたが、国家防衛観念上、バルバールがコスティラに攻め落とされ国境を接するのを待つよりは――」


「なるほど。脅威となりかねないならば、先に攻めるというお考えなのですな。では、ケルディラはどうですか? ランリエルの脅威となるほどの国力がありましたかな?」

「それは……」


 ランリエル陣営によるケルディラ侵攻時の双方の総兵力は、ランリエル側は30万を超え、ケルディラはその4分の1にも満たなかった。


「更にお聞きします。ランリエルはケルディラを攻めましたか?」

「せ、攻めました。しかし、それは2つに分かれたコスティラとの統一を――」


「ほう。攻めた? では、ランリエルにとってケルディラは脅威なのですかな?」

「いや。脅威だからというのではなくてですな。コスティラとの――」


「しかし攻めたのでしょう?」

「それは確かに攻めましたが――」

「攻めたのですな?」


 同じ質問の繰り返しにオルランドの苛立ちが募る。口を閉ざし使者を睨み付けたが相手はにやついたままだ。その瞳にオルランドへの嘲笑が見える。


「どうです。攻めたのですか? 攻めてないのですか?」

「……攻めました」


 怒りを押し殺し搾り出すように短く答えた。


「つまりサルヴァ殿下は、西に領土を広げたのですな?」

「ですからそれは、コスティラとの統一で――」


「ランリエルの領土は西に広がったのですか? 広がってないのですか?」

「広がりました」


「ほう。広がった。西に広がったのですな?」


 今答えただろ! 怒りにオルランドの目が血しばる。


「どうです。西に広がりましたか? 広がっていませんか?」

「先ほど広がったと言ったではないですか!」


「広がった? どちらに広がったのですかな。南ですか? 北ですか?」

「に、西……です」


「西! 西ですか!? ほう。西。西なのですな?」


 どうして一度答えたのに繰り返し聞く! 純粋な怒りではない、どす黒い怒りがオルランドの心を侵す。膝の上の拳が強く握られ、爪が皮膚に食い込んだ。


 オルランドの視線はますます鋭く殺意すら浮かぶ。どうせ手は出せぬと高をくくっているのか使者の侮蔑を含んだ笑みは変わらない。


「違うのですか? 西なのですな?」

「西……です」


「つまりサルヴァ殿下は、西に侵略したのですな」

「決して侵略ではありません」

「どうしてです。他国の土地を奪い領土を広げたならば、侵略ではないのですかな?」


 オルランドは口を噤んだ。西に領土を広げたといえば確かにそうなのだ。サルヴァ王子からして見れば、執拗な挑発に対するやむを得ない出陣だ。だが、その事情を知らぬ者達からすれば西侵と言われ否定するのは難しい。


 しかし、ランリエルは出陣の名分としてコスティラ、ケルディラの統一を掲げた。ランリエルの公式見解ではランリエルは西を侵略していないのだ。当然、ランリエル官僚たるオルランドも、西侵を認める訳にはいかない。


「ケルディラに兵を進めたのはあくまでコスティラなのです! ランリエルは同盟国としてその手助けをしたに過ぎません!」


 今までの怒りもありオルランドの怒声が鳴る。だが、にやけた使者はどこ吹く風だ。僅かに眉を上げる仕草も苛立たせる。


「そうは言っても、ケルディラから得た領土の大半はランリエルの版図となっております。それでランリエルは助力したに過ぎずとは話が通りますまい」

「ランリエル軍が一番激しく戦い多くの血を流したのです。領土の分配がそれに見合った物となるのに何の不都合がありましょうか」


 この時両者が争っているのはあくまでランリエルに西侵の意思が有るか無いか、であり、ひいては西側諸国の安全である。この世界、時代において力ある者が力ない者を攻める事自体は批判されない。それは遥か昔より多くの国が興り滅んでいった歴史的背景によるものだ。現在そこに住む者の祖先の多くは、元々の先住民を追い出し住み着いた。それを悪とすれば、自らの生活基盤の否定である。


 アルベルドは他国を攻めるのは悪としランリエルを非難しているが、それはある意味新しい概念と言えた。侵略は悪なのだ。と言われ、そう言えばそうなのか。そう皆が思い始めた時に、ケルディラへの援軍に自ら軍勢を率いランリエルの大軍と死闘を演じた彼の姿は、自ら粗末な衣装を身に纏い人々に清貧を説く新興宗教の教祖が如きである。その自ら行う彼の姿に人々は熱狂したのだ。


「ランリエルが多く戦ったから領地も多くとって当然とは、あまりにも都合が良い話。ならば戦いの責任もランリエルが多いと判断されて当然ではないですか」

「それとこれとは話が別で御座いましょう。発案者といえど働きが少なければ報酬は少なく、それに従った者でも働きが多ければ報酬も多いものです」


 突然、使者が笑い出した。非公式とはいえ外交の場ならば、それなりの儀礼は守られるべき。にも関わらず、腹を抱え大笑いする。


「これはおかしい。ランリエルがコスティラに従っているですと? ほっほっほ。これはこれは、私は全く情勢というものを理解していないお方を相手にしていたらしい。失礼ですが、もう少しマシな人材を寄越して欲しかったですな」


 使者は更に笑った。腹を抱え前かがみになり、侮蔑を含む視線がオルランドを見上げる。全身で彼を嘲笑していた。


 オルランドの中で何かが切れた。気が付くと使者に馬乗りになっていた。いや、既に男の顔は血に染まっていた。オルランドの拳も血まみれだった。その幾分かは、男の歯が当たり拳が裂けた彼自身の血だ。だが、沸騰した頭は、痛みを感じない。


「黙れ!」


 更に殴った。もうどうでもいい。とにかく殴る。こいつを黙らせる。


 志を鷹に例えれば、鳥類に志はないとでもいうのか。女の肌を絹のようにと表現すれば、肌を昆虫が作る訳がないというのか。貴様こそ、人語を理解せぬ低能のくせに!


 殴った。殴った。男の歯が砕けた上から更に殴る。尖った歯の先端で拳の傷は増えるが、男の歯は減少した。構わず殴った。飛び散った血でオルランドは顔まで赤く染まった。構わず殴る。殴る。


 オルランドと使者の会談が長引いていると様子を見に来た同僚が見たものは、手の骨が見えるほど拳を傷つけたオルランドと、その下で全ての歯を失い鼻も潰された使者の姿だった。

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