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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
195/443

第106話:着せ替え人形

 大きな男だ。戦塵に荒れ顔に深く刻まれた皺と浅黒い肌は名のある武人を思わせた。初老と呼ばれる年齢だが、若き頃より鍛えた身体に一遍の緩みも無い。発せられる覇気は凡百の若者100人を持ってしても敵し得ない。


 だが、その風貌に反し彼は文官である。しかも最高位と呼ばれる宰相の座にあった。大国ゴルシュタットの宰相にしてリンブルク宰相。2ヶ国の権力を握る彼に立ちふさがる問題など微塵も無い。多くの者がそう見ていた。そしてそれは1面においては正しく、別の面では正しくなかった。


 2ヶ国宰相。その異名を全うするだけならば彼の権力は揺ぎ無い。だが、彼には野心があった。その野心を成就する為には何かが足りなかった。


「大きな動きが欲しいところだな」


 誰も居ぬ部屋で呟いた。それが彼の望みだ。


 準備は着々と進めている。自分と関わらぬところで起きた事象ですら己の策に組み込んだ。そして不要な事すら行っている。それゆえに彼の策略は誰にも読めない。


 相手の策略を読もうとする時、知者達は相手が行った行動を組み合わせ完成する絵を思い描く。もしその絵を作る断片が実は他のところから持ってきた物であったり、ましてや余ったりするとは考えない。この断片も何か意味があるに違いないと考え、知者であるが故に完成図を作り上げてしまうのだ。だが、だからこそベルトラムが意図した策とはかけ離れていく。


「動きで御座いますか」


 部屋には自分しか居ない。にも関わらず返答があった。視線を僅かに動かすと、いつの間にか記憶に無い顔の旧知の男が跪いていた。全く特徴の無いこの男の顔は、会う度に、そういえばこんな顔だったのかと思わせる。しかし、これほど特徴の無い男は他と居ない。


「うむ。俺の命を狙った者共のお陰でリンブルク貴族達を飲み込む事が出来た。後は動きさえすれば事はなる。だが、成した結果は継続させてこそ意味がある。今動けは精々3年持てば良いところか」


 突然現れたダーミッシュに、この者がその気になれば、俺を殺すなど容易い。と考えつつ答えた。その声に動じた響きは無い。彼とて武人として戦場を駆けた戦士である。正面から戦えば遅れを取るとは思わない。だが、気配無く近寄られては勝ち目は無い。


 ダーミッシュを近づけさせないなら簡単だ。警護を厳重にすればそれは可能だ。だが、野心の為にはこの男が必要なのだ。この剣が自分に向けばと恐れ、剣を手放す武人は居ない。剣を手放すのは武人として死んだも同然なのだ。ならば、剣を使い続けるだけである。ベルトラムにはそう割る切る豪胆があった。


「ゴルシュタット、リンブルク両国のベルトラム様の勢力を考えれば揺ぎ無いと思われますが」

「国内だけならば問題は無い。注意せねばならぬのは国外よ」


「やはり、皇国の動きが気になりますか」

「この大陸で皇国を無視できる勢力は無い。その点、ランリエルは幸運だったな。東方の辺境に居たお陰で見過ごされていた。もし同じ事を大陸中央で行っていれば、とっくの昔に滅ぼされている」


「そのランリエルも、コスティラを討って中央に出てきてからは皇国への対応にかなりの注意を払っているようです。彼らは上手くやっていると見るべきでしょう」

「彼らに比べコスティラは怠慢だったな。皇国の承諾を得ずバルバールへ侵攻したのは今にして思えば不手際だった。当時はバルバールとランリエルが手を組み逆侵攻をかけて来るなど、夢にも思わなかったのであろうが」


 もしコスティラがバルバール攻めに際し皇国の理解を求めて入れば、多少強引でも、ランリエルは皇国の承諾ある行いに逆らっておりますと訴え、皇国の取り成しを得る事も可能だったかも知れないのだ。


「皇国にベルトラム様の権威を認めさせる必要があるという事ですか」

「いや。そうではない」


 ベルトラムは苦笑し小さく首を振る。ダーミッシュとその一族の諜報、暗殺の腕は大陸随一だと認めている。だが政治家、策謀家の技は無く、あくまでそれを持つ者の手足として動く者達だ。だからこそ、自分を殺す能力があっても自分に従っているのだ。


「俺が行おうとしているのは、いわば簒奪だ。ロタ王国のサヴィニャック公はタガンロの誓約などという真偽も妖しい遥か昔の戯言まで持ち出し上手くやったが、俺がゴルシュタット王位を狙うのは更に強引な手を打つしかない。皇国を納得させるのは難しかろう」

「では、何をお望みなのでしょうか」


 主人が何を望むか。それを知る事により、己が何をすべきかが分かる。


「俺の動きを覆い隠すほどの大きな動きが欲しいところだな。それが収まるまでに磐石の体制を整える。それが理想だ。国の1つや2つも滅んでくれれば申し分ない」


 その言葉にダーミッシュのありふれた形の眉がピクリと動いた。どこにでもある形の眉間に皺が寄り不信顔である。


 ベルトラムは事も無げに言ったが、国が滅ぶなど大事件である。そう簡単に起こるはずも無く、それが起こらなければベルトラムの野心が達成出来ないのであれば、そんな野心など紙屑ほどの価値も無い。


「なに、考えてみよ。ランリエルのサルヴァ王子はカルデイを支配下に収めベルヴァースに弟を送り込み、バルバールを従えコスティラを侵略した。更にロタでは下克上だ。この先何があっても不思議ではない」


 平和とは脆いものだ。民は何気なく暮らしているが、その平穏は細い一本の綱の上を歩くように危うい均衡の上に成り立っている。今この大陸を覆う戦乱も、元を辿れば極東のランリエルのカルデイとの数百年に及ぶ戦いの決着がやっと付いた。それが発端だ。


 そして今、そのランリエルの動きを利用してアルベルドが暗躍し大陸に新たな戦いが生じている。ランリエル勢力と反ランリエル勢力。両者の間で行われた会談も成功せず、ケルディラ東部の領有権問題は新たな火種だ。


「ランリエルがケルディラに再侵攻しケルディラを完全に滅ぼして欲しいところだな。そうなればランリエルの勢力圏はデル・レイと接し皇国も黙っては居まい。その時にこちらも動ければ申し分ないのだが」


 言いながらもそれは難しいとはベルトラムも分かっている。それをしては皇国を敵に回してしまうと考え、サルヴァ王子はケルディラからの停戦に応じたのだ。今更暴走するはずが無い。


「しかし、あまり時間があるとは言えないのではないでしょうか。シュバルツベルク公爵がまた裏で動いているようです。デル・レイから返還されたリンブルク南部の貴族達を改めて纏めているとか。放置すれば無視できぬ勢力になるかと」

「よく働く男よ。並みの男であれば、折角築いた勢力を俺に奪われたところで、こちらに対抗しようなどという気力は失せている」


「公爵もまだお若いですからな。それに野心も人一倍お有りになるようで」

「その野心が身を滅ぼさねば良いのだがな。権力を握るにはその切欠が必要だ。南部勢力を集結させるというならば、その名目になろう。公爵がそれに気付いていないならば、自ら死地に飛び込むようなものよ」


「それではもう少し泳がせましょう」


 ベルトラムが頷き、何気なく視線を横に逸らした。次に視線を戻した時には、既にダーミッシュの姿は消えていた。



 ベルトラムから死地に飛び込むと称されたシュバルツベルク公爵本人には、言うまでもなくそのような考えは毛頭無い。彼には勝算がある。ロマンチシズムに浸りきった貴族の中には醜く足掻くぐらいならば美しく滅びるという酔狂も居るが、むしろ彼は、恵まれて生まれた自分は何をやっても良いと考えている節があった。


 リンブルク貴族の半数を集め築いた勢力をベルトラムに奪われた。現在、南部貴族達を密かに再集結させているが、それもベルトラムに察知されているのではとの疑惑も持っている。しかし、それでもなお彼には切り札があった。


 如何に事を秘匿しようとも動きが大きくなればなるほど情報は漏れやすい。今回の件でそれを痛感した。しかしだからこそ、この手札は読まれないはずだ。


 リンブルク王ウルリヒ。それが彼の切り札だ。連絡は侍女のシモンを使い、その報告は公爵自身が受けている。シモンから王に渡す暗号の文面も自身で用意しシモンに作らせた物だ。その彼女は王が部屋に呼ぶ朗読係として不信がられず王に近づける。流石のベルトラムですら尻尾を掴んではいまい。


 その日も王宮に足を向け密かにシモンを呼び寄せた。使う者も居ない薄暗い部屋で、人形のように表情が変わらぬ侍女の形の良い赤い唇が動く。王の部屋を訪れる時には豊かな胸に垂らす長い黒髪はきっちりと結い上げられている。


「陛下は、いつになればベルトラムを討ち、王家の権威を取り戻せるのかと、仰せで御座います」


 その報告に公爵はうんざりした感情を隠せなかった。


「毎回、同じ報告を受けている気がするのは私の記憶違いか?」

「陛下は毎回同じ言葉を繰り返しておいでですので、報告も同じになってしまいます」


 侍女は悪びれず答えた。もっとも、この侍女は感情そのものがあるかどうか疑わしい。


「にもかかわらず、私が同じ返答をするのには納得しない訳だな?」

「はい。いつも同じ言い訳ではないかと仰います」

「仰いますか。都合の良い話だな」


 公爵の悪態にも侍女の表情は変わらない。


「本当は、私の報告などより、お前の身体が目当てで毎晩お前を呼んでいるのではないのか?」

「それは、私には分かりかねます」


 これで恥じらい頬を染めるものなら可愛げもあるものの、その返答はあくまで無機質だ。外見だけを見れば、男ならば誰もが手を出さずには居られないほどの物を持っている。整った顔立ちに大きく柔らかい胸。括れた腰。その下の張りのある尻は、全体のバランスから見れば僅かに大きめだが、それだけに男の目を引く。にも関わらず、彼女を抱こうという気になる男は滅多に居ない。


 それは、正常な男ならばどんなに美しかろうが人形に欲情しないのと同じである。公爵には、どうしてこの面白みの無い女に王が執着するのか分からない。


「まあ良い。とにかくお前の役目は、私の準備が整うまで陛下を暴走させぬ事だ」

 言いながら、いっそ顔を見ずにいた方がまだ人と喋っている気になれると公爵は視線を逸らした。


「かしこまりました」

「陛下さえ抑えておけば、今はベルトラムに組している者達も幾人かはこちらに付くはずだ」


 若い貴族達が勝手に反ベルトラムの会合を行った挙句に事が露見し、折角作った組織をベルトラムに乗っ取られた。その時はやむを得ず戦略的撤退をしたが、今はその時とは状況が違う。


 やはり、デル・レイから返還された南部領の影響が大きい。デル・レイを敵と考えなくて良くなったばかりか、リンブルクの戦力は倍増した。以前は、たとえベルトラム1人討ち取ったところでゴルシュタットの大軍に逆襲されればリンブルクは滅びる。それを防ぐにはベルトラムを討ち取ると同時にゴルシュタット軍にも大打撃を与える必要がある。そう考えていた。


 しかし今では、そこまでの被害を与えられなくとも、2、3年軍を動かせぬほどの打撃を与えられれば、その間に首飾りのように国境に砦を連ね守りを固め、十分ゴルシュタットを防げるのではないか。そう計算できる。


 南部貴族達を総動員し反ベルトラムの兵を挙げる。そうなればゴルシュタットも遠征軍を派遣し、北部貴族達との連合軍がそれを攻める。その時、国王ウルリヒにベルトラムを討てとの勅命を出させ、時を置かず南部貴族が攻勢に出るのだ。ほとんどの貴族達から愛想を付かされている国王だが、それでも自身の名誉の――王家に忠誠を尽くす自分に自己陶酔する――為に国王に寝返る者もいる。


 如何に数で優勢でも、戦いの最中に味方に寝返られては秩序が保てず戦線は崩壊し敗走する。敗北がほぼ確定のゴルシュタット軍に味方するリンブルク貴族など居るはずも無く、雪崩を打つように北部貴族は寝返る。外と内に敵を抱えるゴルシュタットの遠征軍は大きな被害を出すのだ。


 だが、実はこの計画には1つ大きな穴があった。それは公爵自身も理解している。たとえ貴族達から愛想を付かされていても国王は国王。唯一無二の太陽であり、皆はそちらを向く。だが、その太陽が2つあればどうなるか。


「後は、殿下をどうするかか」

「フリッツ殿下で御座いますか?」


 リンブルク王ウルリヒには、その後を継ぐべき息子が居た。しかも、この王子がなんと親ゴルシュタット派なのだ。


 折角、国王を味方に付けてゴルシュタットを討てとの勅命を引き出せても、王子がゴルシュタットの味方では貴族達も二の足を踏む。いや、たとえ今回は成功しても、フリッツ王子が国王となった時にゴルシュタットに庇護を求めれば、全てが水の泡だ。


 公爵に言わせれば、この王子は’中途半端な開明派’だった。


「王家や貴族達の名誉などに目を瞑れば、大国ゴルシュタットの庇護の元、リンブルクは更なる発展が出来る。王国や民にとっては、その方が良いではないか」

 まさに世迷言だ。


「国とは貴族達の物だ! 王家ですら貴族達の権利の代弁者に過ぎず、それを守る為に祭り上げられているだけだというのに、跡取り息子がその道理を弁えず何を言うか! 違うというならば、民から税を取らず、貴族達の軍勢を招集せず王家を維持して見ろ!」

 とは流石に言えないが、それを1万倍ほどに薄めて王子を説得しても聞く耳を持たないのである。


「しつこく説得を続ければ、それこそゴルシュタットに情報が漏れかねないからな。難しいところだ」


 ゴルシュタットに敵対しろとは迂闊にいえない。言った瞬間にフリッツ王子は、ベルトラムの元に駆け込むのだ。


「いっそ女を送り込んで骨抜きにしてやろうかとも考えたが、父親に似ず堅物で女も利かん」


 その父親を溺れさせる女を前にして公爵は平然と吐き捨てた。どうせこの女に感情など無いのだ。何を言ったところで傷付く心を持ち合わせていない。


 さて、どうしたものか。説得も駄目。女も駄目。相手が王子では権力を使っての脅迫もままならない。全く面倒な相手だ。


「それでは、私が篭絡致しましょう」


 お前が? この女は自分を分かっていないのか? 冷静な判断力を持つ女だと思っていたが、とんだ買いかぶりだ。まあ、女と男では美醜の判断に違いがあるともいう。女は造詣が整っていれば良いと考えるが、男は色気を求めるものだ。この侍女も所詮この程度を理解せぬ凡庸の女か。


「お前のような面白みのない女にどこの誰が――」


 感情を持たぬはずの人形が浮かべる妖艶な笑みに思考が止まった。役目が与えられるまで壁にかけられる無機質な人形。だからこそ、無垢な町娘から聖職者。そして娼婦にもなった。柔らかく大きな胸。括れた腰。張りのある大き目の尻。濡れた瞳。微かに開かれたもの欲しそうな唇。男を欲情させずにはいられない女がいた。

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