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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
188/443

第99話:ある夜の出来事

 無理だな。サルヴァ王子の後ろでウィルケスは即断した。


 サマルティ王子の評判は元々そう悪いものではなかったが、逆に言えばそれだけだ。しかも最近では実の兄であるサルヴァ王子への不満を漏らす事も多くなり、それすらも失いかけている。普通に考えればサルヴァ王子を廃しサマルティを次のランリエル王にと、いくら運動しようとも支持する者は少ない。


 そしてそれはサルヴァ王子も同じ判断だ。だが、情報に長けるカーサス伯爵が、その噂を重要と見るならば何か根拠があるはずだ。


「デル・レイを始めとする反ランリエル諸国は、ランリエルに西侵の野心ありと訴えています。更にデル・レイによるリンブルク南部返還により、他の国々もランリエルに非があると世論が動いております。それにより経済活動にも支障が出るほどです。この状況を打開するには――」

「私がランリエル王と継ぐのではなく、サマルティが継ぐと発表すれば良いという訳か」


「左様で御座います」

 伯爵は銀色に光る頭を下げ首肯した。


「ランリエルが諸国を制圧したのは全て私の野心であり、サマルティがランリエルの王位を継ぐとなればその心配は無くなると諸国に説明できる、か。ついでにケルディラ侵攻も私個人の野心であったと、旧ケルディラ領を返還すれば完璧だな」


 サルヴァ王子とサマルティ王子。どちらが王位を得た方がランリエルに利するかで論じる。両者の才覚、器量の優劣を比較するのとは別の結論が出る余地が生まれるのだ。それは、サルヴァ王子自身も今まで考えもしなかった理であった。


 椅子に腰掛けていた王子が背もたれに大きく寄りかかった。天井に視線を向ける。顔に感情が浮かばず無機質な視線だ。しばらくして可笑しそうに笑った。


「悪くない考えだ」


 言われてみれば、それで平和が訪れるかもしれない。反ランリエルの者達も現在ランリエルが支配下に納めているバルバール、コスティラからも手を引けとは言うまい。自分は王位継承権を放棄し軍総司令からも降りる。一将軍。その程度の地位を得て置けば十分、派遣軍の大将にはなれる。それだけでも現在支配下に置いている国々の抑えにはなる。


「悪くない」


 もう一度呟いた。噂を伝えた伯爵も予想外の反応だった。常の王子であれば、余裕を持って対抗策を指示するはずだ。まずは噂の出所を探れと命じる。だが王子は、笑みを浮かべぬ低い笑い声を漏らしている。困惑し思わず王子の後ろの副官に視線を向けた。だが、普段はにやけた顔のこの男も同じように戸惑っている。


 結局サルヴァ王子は、しばらくは捨て置けと具体的な対策は与えず伯爵を下がらせたのだった。



 その夜、自分の職業をしばしば忘れる寵姫アリシア・バオリスは、椅子に腰掛け夢見る侍女から渡された本を読んでいた。例のごとく恋愛小説である。侍女はそれしか持っていない。身分を隠し放浪の旅に出たとある国の王子がとある村に立ち寄り、村を襲撃する盗賊から村人を守って戦い、勝気な村長の娘と恋に落ちるのだ。


 ちなみにその王子がなぜ村長の娘を好きになるかというと、村の窮地を知っても自分には関係ないと立ち去ろうとする王子を村長の娘が、卑怯者! と平手打ちを食らわしたのがきっかけだ。今までに出会った事の無い女だと好きになったのだ。


「馬鹿じゃないの?」


 アリシアは思うのだが、侍女が言うには身分差の恋の定番らしい。今まで多くの女性から傅かれていた身分の高い男が、自分にひれ伏さない女性に惹かれるというものだ。確かに王子を殴る女など滅多に居ない。だが、滅多に居ないのと好きになるのとは別だ。殴られたら好きになるなど正気ではない。


 ランリエル王都の女達は、どうやらまともな感覚を有しているらしくアリシアは安心した。もし彼女達がこれを信じていれば、サルヴァ王子は城から一歩出た途端、町中の女という女から寄って集って殴られて死んでしまう。


 無論、物語の中だけとしてそこは目を瞑るとしても、主人公の王子は、今まで君のような女性に会った事は無い。と彼女の村を守る決意をし、盗賊達と戦うのだが、それについても不満がある。


「立ち寄っただけの村の為にどうして命を賭けないといけないの? 卑怯でもなんでもないよね? 戦わなきゃいけないのは、村人達自身じゃないの? たまたま村に来た人に戦わせて自分達は戦わないなんて、卑怯なのはどっちよ!」


 突込みどころが満載の物語を読むのに疲れてきた。流石に気力が持たない。侍女からは早く感想を聞かせて欲しいと言われているが、つい寝入ってしまったと言い訳をしよう。事実眠気が襲って限界に近い。


「んーー」

 と椅子から立ち上がり大きく伸びをした。長く椅子に座っていた為、身体の彼方此方が硬くなっている。無意識に腰に手をやった。年寄りくさい仕草だが、実際にアリシアは寵姫達の中で最年長の29歳である。一般的に29歳といえば女ざかりと言えるが、王族の性の捌け口、子供を産む為の女との位置づけの寵姫としては薹≪とう≫が立っているのは否めない。


 とはいえ、肝心のサルヴァ王子から性の対象とも子供を産む女とも見られていないので問題は無い。このままこの後宮でだらだらと生活してて良いのかな? と思い、ちょっと悩む事もあるが、実際リヴァルの両親にお金を送らなければならないので仕方が無い。ま、なるようになるでしょう。と日々過ごしている。


 その時、不意に扉が叩かれた。眠気に一瞬居留守を使ってやろうかとも考えたが、流石に相手の身分を考えればそれは不味い。尤も、居留守というより寝た振りだが。


 今日はとっとと追い出そうと心に決め扉を開けると、予想通りの人物が立っていた。こんな時間に部屋に来る者など他に居ないので当たり前ではある。


「殿下。どうなさったのです?」

「少しな」


 あらこれは、ちょっと追い返せないかしら? サルヴァ王子の声は呟くようで、彼女の経験上、これはかなり落ち込んでいる時だ。しょうがないので慰めてやるかと気合を入れる。


 王子を椅子に座らせ葡萄酒を用意すると、王子の前の小さい円卓に置いた。アリシアが向かいに座る前に、既に王子は杯に口を付けている。アリシアの最近少し肉付きの良くなったお尻が椅子に収まる頃には、王子の杯はほとんど空になっていた。アリシアが酒壷に手を掛けると、僅かに残った酒も一気に飲み干した。


 うーん。何があったんだろう? 王子が口を開くまで辛抱強く待つ覚悟を決めたが、今日の王子はいつにも増して性急だった。アリシアが酒を注ぎ終わるのを待っていたかのように王子が言った。


「以前お前は、人々の命より自分の名誉、誇りの方が大事なのかと言った事があったな」

「はい。言いました」


 確かに言った。もう5年も前の話だ。当時ランリエルはバルバールと戦争をしていた。バルバールの3倍の戦力を有するランリエルが攻めたのだ。それに対しバルバールの総司令ディアスは、ランリエル軍主力との決戦を避け艦艇を使っての上陸作戦により民衆への攻撃に出た。しかもそれはランリエルのみならずカルデイ帝国にも及んだ。その結果、ランリエルは長大な海岸線に大軍勢を配置せざるを得なくなり、主力同士が対峙する戦場では、なんと大戦力を有するはずのランリエルが劣勢に立たされたのである。


 民衆を攻めるなど卑怯ではないか。苦境に陥ったサルヴァ王子は一時王都に帰還しディアスの非道を訴えたが、アリシアは同調しなかった。まともに戦えば負けるしかない相手に、まともに戦えというのは強者の言い分。民衆を助けたいならば軍勢を引けばいい。そんなに負けるのが嫌なのか。民衆の命よりも貴方の勝ちたいという気持の方が大事なのか。と。


「ならば、私の王位と民衆の命はどちらが重い」

「殿下の……王位とですか?」


「そうだ。私が王位継承権を放棄し弟のサマルティがランリエル王を継げば、デル・レイやケルディラとの戦いは回避できるのではないか。そういう意見があるらしい。なるほど、そうかもしれん。そして……デル・レイとの戦いが回避されれば、死なずにすむ者が多いだろう」


 王族の継承問題はその王家が決めるもの。それは建前で実際は有力貴族達に左右される場合もあるが、所詮は民衆の事など考えない。もし他国が王位継承について意見してくれば、それこそ宣戦布告にも等しい非礼な内政干渉である。それはこの世界、時代の共通認識だ。


 もしデル・レイがサルヴァ王子の廃嫡を意見しランリエルが拒否しても更に執拗に求めてくれば、最終的には戦争になっても仕方が無いのではないか? アリシアとてそう考える。


 今回、サルヴァ王子がその案に拒否感を覚えず一理あると考えたのは、それがランリエル内部から出たという事と、何より以前のアリシアの言葉が胸に残っていたからだ。アリシアの言葉が無ければ、ふざけるな! そう言い放っていた。


 もしかしてこの人は私に認めて欲しいのだろうか。アリシアはふと思った。そういえばケルディラとの戦争の前にもこの人は部屋を訪ねてきた。戦いになる。そう言いに来たのだ。そして今、貴方は王位に就いて良いのですよ。そう言って欲しいのだろうか。


 いや、それは自惚れ過ぎだ。ただ親しい友人に話を聞いて貰いたい。そして貴方は正しいのだと言って欲しい。不安になった時の誰もがするありふれた感情だ。


「殿下。私は殿下が王位に就くべきだと思います。貴方は今まで頑張って来たではないですか。殿下はカルデイ、バルバール、コスティラを攻めました。でも、だからこそ、その国々の人々を豊かにしようと頑張ってきたのでしょう? 中にはどうせ死んだ人は帰ってこないという者も居るかも知れませんけど、だからと言って罪を償うのを放棄するよりずっと良いではありませんか」


 アリシアは微笑んだ。言いながら彼女自身、その言葉が真実と思えてくる。


「しかし、それらの事業は私が王位に就かなくとも、有力な王族として政治にかかわれば出来る事だ。何も私が王になる必要は無い」


 うっ。とアリシアは言葉に詰まった。なんて理屈っぽい人だろう。ここは素直に頷いておけば良いのに。どうしてこの人はこんなに面倒くさいのか。


 だが、サルヴァ王子にしてみれば、自分が王位に就かなくとも実質的な権力さえ握れれば現在行われている事業にさほど影響が無い事に、王子自身が気付いてしまったのが問題といえば問題なのだ。その王子を元気付けるなら、それでも王子がランリエル王になるべきだと励ますべきだった。しかし、本来アリシアは政治には無縁のただの庶民でしかない。事業がどうこうなど分かるはずもないのだ。


 実際には僅かな時間だが、2人には果てしなく長い沈黙が続いた。サルヴァ王子はアリシアの言葉を待ったが、彼女は表情を固めたまま微動だにしない。しかしその内側では嵐のように、理性と、そして感情が渦巻いていた。


 王子は頑張っている。しかしだからといって彼が王位に就く事で人が死んでも良いのか。いや、良くはない。でも、この人は王になるべきだ。でも、何故かと問われれば言葉が出ない。王位に就かなくとも政治が出来るならば、なぜ王位に就かなくてはならないのか。それはやはり、名誉の為なのだろうか。


 かつて、民衆の命より自分の名誉の方が大事なのかと王子に言った。その自分が人々の命が脅かされても王位に就くべきだとは言えない。でも、この人が王にならないなんて考えられない。この人は立派な人なのだ。王様になる人なのだ。でも、肝心のサルヴァ王子に掛ける言葉が出てこない。


 彼女の知能が低い訳ではない。しかし政治家としての教養など持ち合わせていない。そしてずっと王子の傍でその姿を見てきた。その想いもある。本来の自分の価値観なら、多くの人の命を脅かしてまで王様になりたいなど以ての外だ。でも、この人に王様になって欲しい。自分でも自分の気持が分からない。


 彼女の思考は嵐の中の風車のように激しく回り、理性の結論と感情の結論のどちらにも止まらない。


「無理な事を聞いてすまなかったな」


 その言葉でサルヴァ王子は立ち上がった。その瞬間、アリシアは恐怖すら感じた。駄目だ。このままこの人を立ち去らせてはならない。貴方は王様になるべきなのです。そう言ってあげなければならないのだ。


 自分で考えるべき無理難題を押し付けてしまったと自嘲を浮かべる王子を、アリシアは追うように立ち上がった。やはり言葉が出ない。


「夜遅く、すまなかった」


 王子が背を向けるのが、何故かゆっくりに見えた。駄目だ。このまま去らせてはいけない。でも、かける言葉は無い。でも駄目。行っては駄目。思わず手を伸ばした。その手がゆっくりと動く。急いでいるはずなのに、ゆっくりと王子の背中を追い掛け、そして触れた。


 驚いて振り向く王子の顔を見ず、自身の行動が理解できぬままその胸に飛び込んだ。思いの外逞しい胸板に手が触れた瞬間、理解した。言葉を発しないまま女が男を引き止める方法は1つしかない。

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