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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
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第97話:暴れん坊の失態

 ブランディッシュ国境の平原地帯、シンシナ平原の戦いにリファール伯爵率いるドゥムヤータ軍は大敗した。


 結果だけを見えば、リファール伯爵はまことに不味い戦いをした。だが、それは結果を知る神の視点で見るからであって、その場に居た者にはその者の理屈があった。その時はそれが正解に思えたのである。


 シンシナ平原に到着したドゥムヤータ軍は、決戦すべき相手が居ないのに気付いた。いや、気付くまでもなく事実としてブランディッシュ軍の軍旗1つ、兵士1人の姿も無い。もっとも、これも想定通りである。


「兵数で劣る敵は平原での決戦を避け、森林多く深くに陣を構えているようです」


 こちらからの偵察を予想し敵が待ち構えている中、幾人かの犠牲を出して得た情報も予想通りだった。なので伯爵は予定通りの行動に移った。


「敵が出て来ぬのなら、国境付近の村や町を焼き払え! 敵が出てこずには居られぬようにしてやれ!」


 民衆にとっては迷惑この上ないのだが、実はこの場合、略奪する敵の軍勢より、守るべき民衆を守らない味方こそ恨まれる場合も多い。いざという時に守ってくれるからこそ税を納めているのだ。守りもせず税だけ取るなど、それこそ日々略奪しているのと変わらない。


 野盗に襲われた村人達が、野盗から守ってくれなかったと武器を手に領主の屋敷に押し入り、領主を攻め殺してしまったという話まである。


 だが、このドゥムヤータ軍の動きは、今度はブランディッシュにとって予想された行動である。略奪の為、ドゥムヤータ軍が軍勢を分散させた、その時を狙い動いたのだ。無論、ドゥムヤータ軍は急いで軍勢を集結させた。


 本国を出たドゥムヤータ軍は5万だったが、この時に対峙した軍勢はそれぞれブランディッシュ軍4万。ドゥムヤータ軍4万5千。ブランディッシュは民衆の犠牲の元、5千の戦力差を埋めるのに成功したのである。


 だが、戦いが始まると、リファールの暴れん坊ことリファール伯爵の活躍もあり、そもそも兵力で勝っている。ブランディッシュの苦労は実らず、次第に圧され始めた。そこから敗走に転じるのも早く、この時点までは順当に戦は進んだ。


 敵が敗走したのなら追撃である。戦いとは戦闘そのものより敗走時の追撃による損害が大半である。追撃する為に敵を撃破するのだとも言える。なのでリファール伯爵は追撃を行った。


 逃げる敵を追い討ち被害を拡大させていく。そして平原を越え森林地帯に入り込んだ。ここでも敵を討った。だが、リファール伯爵の幕僚達は、戦いは平原で行い、森林部に入ってはいけないのを思い出した。


「伯爵。深追いは危険です。敵にどんな罠があるか知れません!」

「なるほど。確かにそうだ。引き上げるぞ!」


 追撃を打ち切り、撤退を開始したのだ。そして大敗し大損害を出したのである。伯爵自身は間違った積もりはない。時々で正しい判断をしたはずだったのだ。しかし、結果的に中途半端だった。


 引き上げるならば、森林部に入る前に引き上げるべきだった。追撃するならばとことん追撃すべきだったのだ。結果的に伯爵は、地の利のある敵の庭に入り込み、余力のある敵に背を向けた。


 土地勘のない森林部で背中を討たれたドゥムヤータ軍は大混乱を起こした。逃げながら軍勢は散り散りとなり指揮系統もずたずたである。何とか平原にまで辿り着いたものの、では、またドゥムヤータの反撃とはならない。敵に追撃されている状態で敗走した軍勢が立て直せる訳が無い。


 国境を守るルバンヌ城に入れたのは半数以下だった。城に入れずそのまま四散した者も多いが死傷者も多い。死者だけで3千。負傷した者を合わせれば1万を越える損害を出したのである。


 思わぬ敗報に選王侯は色を失った。これではブランディッシュを懲らしめ通行税の引き上げを思い留めさせるどころではない。ドゥムヤータこそが思い知らされブランディッシュからの要求を飲まねばならない。いつもぬらぬらと捕らえどころのない3人の老侯爵達もこの時ばかりは精神が硬直したように呆然とするばかりだ。


「流石に2万が篭る城塞には迂闊に手を出せないようですが、国境のこちら側の村や町がブランディッシュ軍の略奪により被害を受けています。早々に手を打つ必要があります」


 跪き報告する騎士に誰一人として口を開かず、騎士は壁に向かうように1人喋り続けた。


「ブランディッシュ軍も要衝であるルバンヌを無視出来ず、それ以上の進軍は止まっておりますが、このままではルバンヌに篭った我が軍が兵糧攻めに合います」


「ルバンヌは国境の重要拠点であろう。兵糧は蓄えていなかったのか?」

 やはり一番最初に我に返ったのは、落ち着いた人格と評価されるフランセル侯爵である。もっともこの時は、身に付いた進行役としての性質が無意識に働いた感があった。


「はい。無論、数千の軍勢が1年は篭れるだけの蓄えはありました。2万という数が想定外なのです。敗走した軍勢は、物資など投げ捨て逃げ込みましたので、城に蓄えた物資のみで2万を養わなくてはならなくなったのです」


 選王侯達が唸った。勝てるはずの戦いに大敗し咄嗟には対応策も出ない。


 特に3人の老侯爵は意気消沈だ。常に捕らえどころなく日和見で意思を表さず、その裏では手を打つ。この戦いもそうやって彼らが主導したのだ。それが負けてしまっては日和見も出来ず小さくなるしかない。


 他の選王侯もシルヴェストル公爵を含め戦は専門外であり、それぞれの軍事責任者もリファール伯爵と共に城に釘付けである。公爵の軍事的知識の引き出しことジル・エヴラールはこの場に居ないし、呼び寄せたところで自称凡将の彼に逆転の秘策などあろうはずもない。


「とにかく、兵糧が少ないのを敵に知られる前にリファール伯爵ら城に篭った軍勢を助けねばなりません。ブランディッシュに交渉の使者を送りましょう」


 フランセル侯爵は何とか指示を搾り出したが、これだけでも上出来と言うべきだ。


 状況は厳しいが1日、2日で城が落ちる訳でもない。送った使者が返答を持ち帰るのにも日数がかかる。相手とて内部で協議しなくてはならず、使者が到着してすぐに帰ってくる訳でもない筈だ。


 特に老侯爵達の動揺が激しく冷静な判断が出来ぬと、一旦各自の屋敷に引き上げた。シルヴェストル公爵も屋敷に戻るとすぐさまジルを呼び寄せた。話を聞き駆けつけたジルは、ここまで馬と足で駆け続け汗だくである。


「敗走し四散した軍勢をすぐに糾合して下さい! そのままにしておけば彼らは自分の領地や故郷に戻ります。シンシナからの街道や途中の村々に、王都に、いや、アルグレムに……いえ、アルグレムでは近すぎる。ジョイブールに向かうように立て札を立てるのです」


 挨拶も無くジルが叫んだ。勢いに公爵もその非礼に気付かない。アルグレムは伯爵らが篭るルバンヌから王都に2.6ケイト(約20キロ)。ジョイブールは3.7ケイト(約28キロ)の距離にある。


「軍勢を再集結させるのか?」

「そうです。5千は集まるでしょう。そこで食い止めるのです。敵の侵攻が進み更に劣勢となれば、再出陣に躊躇する諸侯も出てくるでしょう」


 逆転勝利を狙うならば、集結した軍勢をあえて隠し夜襲するという策もあるが、凡将ジルにその手はない。戦略上の要地にある城を囲まれ、いかにすればそれ以上の侵攻を防げるかしか頭になかった。


「しかし5千では、敵の軍勢の前に一溜まりも無いのではないか?」

「敵が全軍で向かってくれば確かに一蹴されます。ですが、背後のルバンヌにリファール伯爵らの2万が居り、更に敵地。ブランディッシュ軍も易々とは進めないはずです」


「すぐに命じよう。他にすべき事はあるか?」

「いえ。今はとにかく軍勢を再集結させるのが最も重要です」


「分かった。選王侯達の会議では、何にも優先してリファール伯爵ら城に閉じ込められた軍勢を助けると決まっている。既に使者が敵陣へと向かっているところだ」

「確かに2万の軍勢を見殺しにする訳には参りません。ですが、敵にとってはここでその2万を無力化出来れば圧倒的に有利となります。そう簡単には……」


「一筋縄ではいかぬという事か。このような時には、敵はどんな条件を出してくるものなのだ?」


 使者はジルの意見を聞いてから出すべきだったか。公爵は早まったと後悔しながら問いかけた。


「当然、城からの退去は要求されるでしょう。後は状況によります。こちらとしては城からの退去だけで済ませたいところです」

「そう……だな。相手からの条件はまだ分からないが、こちらはその線を死守し交渉しよう」


「城を明け渡すならば、軍勢が集結し次第ジョイブールに砦を建設しましょう。ルバンヌを敵の手に渡すなら代わりとなる拠点が必要です」

「うむ」


 シルヴェストル公爵は頷き、すぐさまジルの提案通りに街道と村々に人を放った。ジルは予想が外れた場合を考え控えめに言ったのか、それとも単に予想が外れたのか、再集結した軍勢は7千近くとなった。


 その軍勢は守りやすい地形を選び陣を敷き、更にその後方、ブランディッシュ軍から見えぬところで砦の建設を始めた。本格的な石造りの城塞を作るならば年単位の作業だ。大部分が木造となるが、それでも数千の兵が篭ればそう簡単には落とされるものではない。


 その間にも、城に閉じ込められた軍勢を開放する為の交渉は進んでいる。ブランディッシュからの要求は、まずは予想通り城の明け渡しだ。問題となったのは次の条件である。


「こちら側の通行税を無しにですと?」

「はい。ドゥムヤータは通行税以外にも港の使用料を得ているはず。通行税は我が国にお任せ下さい」


 交渉に当たったフランセル侯爵は、不快な感情が顔に浮かびそうになるのを懸命に堪えた。ドゥムヤータの通行税を無しにする代わりに、ブランディッシュは更に引き上げる気らしい。しかしそうなればブランディッシュの貿易の利益は、ドゥムヤータのそれを大きく上回る。ドゥムヤータが港の整備などで莫大な設備投資をしているにもかかわらずだ!


 そして更に賠償金も請求して来たのである。ドゥムヤータとしては到底受け入れられない。


「どうやら御使者はお考え違いをなさっているご様子ですな。我が方はまだ負けた訳では有りません。それを賠償金とはあまりにも気の早い話です」

「そうは申されましても、貴国の軍勢の大半は我らの虜となっております。その現実を見れば既に勝敗は決したと見て、差し障り御座いますまい」


 痛いところを突かれ一瞬言葉が詰まった。だが、ここで引く訳には行かない。


「虜とはまたお考え違いを。リファール伯爵らは城に篭り貴軍の進撃を防いで居るのです。現実に貴軍は今より先に進めぬでは有りませんか」


 何とか言い返したが交渉は決裂。日を置き再交渉となった。


 この間、多くの隊商キャラバンは国境で足止めされ、俄か実業家貴族達は大損害である。ちなみに本職の商人達は、ドゥムヤータとブランディッシュとの関係がきな臭いと感じると自身の商いは縮小し、貴族達の取引の仲介のみに絞っていたので損害は軽微だ。


 シルヴェストル公爵の屋敷に借金を申し込む貴族達は前にも増して列を成した。救いなのは彼ら貴族達が、この状況の原因を戦争を仕掛けたドゥムヤータではなく、そもそも通行税を引き上げたブランディッシュの所為と認識している事だ。


「金を貸した挙句、憎まれてはかなわないからな」

「確かにそうですね」

 公爵の愚痴にジルも頷く。


 そして交渉は繰り返されたが中々纏まらない。その間にもジョイブールでの砦の建設も密かに進んでいたが、幸か不幸かそれがブランディッシュ側に露見した。


「交渉を長引かせたその間に砦を建設するとは、卑怯ではありませんか!」


 ブランディッシュ側は怒声を上げたが、全くの誤解である。兵糧の事もありドゥムヤータ側も早々に交渉を纏めたかったが、条件が折り合わなかっただけである。ドゥムヤータがそう主張し、ブランディッシュは歯軋りするしかなかった。


 ジルの献策は意図せず交渉の決め手となった。ブランディッシュは、砦の建設だけではなく一旦は逃げ散ったドゥムヤータ軍がジョイブールに集結しつつある事も察知し、このまま城を包囲しているのに危機感を覚えたのである。


 なまじブランディッシュ軍の上層部が有能なのが災いした。ジル自身が全く考えても居ない、ドゥムヤータ必勝の策を見抜いてしまったのだ。


「夜陰に紛れて城の内と外から挟撃されては、我が軍は窮地に陥る。城はすぐには落とせん。城外の敵を早急に打ち破るべきだ」

「確かに敵は僅かに7千ほど。しかし城への押さえを考えれば、我が方もそう兵を割く訳にもいかんぞ」

「しかも敵には、建設途中とはいえ砦もある。落とすのは困難だ」


 秘してとはいえ敵前での建設だ。そのような場合の手順としては、先に柵や城壁を作り次に矢倉、そして倉庫。最後に居住区である。結果的に手間のかかる手順だが、その代わりに途中で敵に襲われても防御力は発揮出来る。既に矢倉をも建設中であり、防御力は確かだ。


「とにかくルバンヌ城だけでも確保すべきだ」


 ブランディッシュはそう結論を出し、城の明け渡しのみを条件にリファール伯爵ら2万の軍勢は安全を保障され城を出たのだった。


 軍勢の半分ほどをジョイブールに置き王都に戻ったリファール伯爵は、屈辱に顔を赤くし黙り込んだ。本来ならば他の選王侯達に敗戦を謝罪し、更に交渉を行ったフランセル侯爵に礼を言うべきなのだが、まるで自分が被害者のような態度だ。


 そして事実リファール伯爵は理不尽な目にあったと考えていた。伯爵からしてみれば、平原での戦いに勝利し、その後追撃したが深追いを避けて引いたのであり、どこに間違いがあったのか分からない。にもかかわらず負けてしまったのだ。まるで悪夢のようであり、自分の所為での敗戦とはどうしても思えなかったのである。


 リファール伯爵から謝罪も礼もなさそうだと判断したフランセル侯爵は、仕方が無いのでとっとと話を進めるべきと判断した。やれやれと思いながらも、表情には表さない。


「ブランディッシュ軍は空になったルバンヌに入りましたが、それ以上の侵攻は今のところなさそうです。こちらの通行税を無しにとの思惑は達成できなかったものの、今後は彼らは思うままに通行税を上げてくるでしょう」

「既にブランディッシュの王都ロウェールではお祭り騒ぎだとか。戦いの為止められていた貿易が再開されれば、ただ道を貸すだけで莫大な利益を得られるのですからな。祝いたくもなるでしょう」


 普段は情報を淡々と述べるだけのジェローム伯爵も珍しくその声に険が潜んでいる。だが、この戦いで受けた被害は大きく、しかも国境の要衝ルバンヌ城を取られた今、ブランディッシュを止めるすべは無い。


 誰一人口を開かず沈黙が流れる。


「気が早いな……」


 普段ならば聞き逃すほど小さな呟きに6人の選王侯の視線が動いた。まさか逆転の秘策があるのか? 敗戦により被害を受け軍勢の数は敵を下回る。しかも城を取られた。それでも勝利を得られるというのか。


 期待に満ちた視線を一身に受け、若き公爵が更に呟く。


「商売とはそのように簡単なものではない……」


 後に、回想しフランセル侯爵はこう言ったという。戦の話ではないのかと、この時ほど落胆した事は無かった、と。

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