第96話:ドゥムヤータ、ブランディッシュ戦
「戦う……ですと?」
一番争い事とは縁遠いと思われる3人の言葉に、初めに我に返ったのはフランセル侯爵だった。進行役としての役目を思い出し問いかけると、他の選王侯達も我に返り3人の老侯爵に視線を向ける。
「貴族達も腹に据えかねておりますのでの」
「左様、左様。ブランディッシュに目にもの見せてくれようと、皆いきり立っております」
「常ならば軍役などまっぴらという者達が戦う気になって居るのです。ここで戦わねば、むしろ彼らの不満が募りましょうぞ」
老侯爵達は額をくっ付けるようにして、くふくふと悪戯を相談しあう小さい男の子達のように楽しげに笑う。選王侯達も貴族なのだが、実質、彼らと他の貴族達とでは絶対的な差がある。
国家とは、貴族達が軍役を負担し、その代わりに国王に守って貰う相互関係である。このドゥムヤータではその国王の変わりに選王侯達を担いでいるが基本は同じだ。だが、誰もが義務を果たさず権利は得たいもの。兵糧などは軍勢を召集した王家が出すが、武具などは貴族の自前である。戦いなど無い方が良いに決まっている。
「御三方の口ぶりでは、既に貴族達を取り纏めているという事ですかな」
フランセル侯爵の声には制御しようとしてもしきれぬ戸惑いがある。
「取り纏めるなぞとんでもない。少し口を利いてやっただけの事」
「左様、左様。通行税の引き上げで被害を受けるのは彼らですからの」
「ブランディッシュを叩きのめし、通行税など無しと誓約させるのだと申しております」
老人達はそう言い、くふくふと漏らす。
この老人達は、実は戦争が好きなのではないか? シルヴェストル公爵はふと思った。そういえばロタとの戦いの時も何年も前から敵城に人を潜り込ませていた。歳経た者の老練というより、幼い子供の悪戯心と年寄りの粘着質との融合と見るべきか。
「戦うと言いましても勝算はお有りなのですか? ブランディッシュはその兵力4万と我が方に劣りますが、森林多く大軍を動かすには不向きなところです。彼らが兵力に劣るにも関わらず強気で居るのも、その地の利が有るゆえです」
「なに、この戦いは侵略する為ではありませぬ。敵地深く進軍する必要はない」
「左様、左様。ブランディッシュを懲らしめさえすれば良いのです」
「通行税の引き上げで我らを敵に回すは損と分かれば、彼らも諦めましょう」
確かに一理有る。ブランディッシュが森林生い茂るといっても国境付近はそうでもない。そこを決戦の場としてブランディッシュ軍を叩き、その戦果を持って有利な条件で停戦するのだ。
「よし! ブランディッシュなど蹴散らしてくれるわ!」
戦い好きのリファール伯爵が左の手の平を右拳で叩いた。大きな音が鳴り、不快に思うほどだ。本当は軍人になりたかったが、父が許さずやむなく選王侯になった。戦いは望むところである。
公爵も、そこまでお膳立てが出来ているならば開戦もやむなしか、と考えたが、フランセル侯爵は流石は進行役として慎重である。
「確かに、手を拱いていても仕方がありません。ですが、最後にもう一度だけブランディッシュに通行税を以前の水準に戻すように勧告致しましょう」
戦争準備など余程上手くやらなくては隠し通せるものではない。奇襲が出来ないならば、準備が整うまでの時間を有効に使うべきである。戦争準備を進めるのを公にしつつ使者も送る。威圧外交の基本である。だが、やはりその最後通告も拒絶され開戦が決まったのだった。
出陣する軍勢は5万とし、各部隊は7人の選王侯がそれぞれ統括する。もっともそのほとんどは代理の者が将軍となり、選王侯で唯一自ら出陣するのはリファール伯爵だ。総指揮も彼が執る。
出陣の日、影は薄いが一応は居る事は居るドゥムヤータ王から出陣の命を受ける為、謁見の間に7人の将軍が跪いた。だが、それは横一列ではなく、1人だけ前に突出している。勿論、リファール伯爵である。
「リファール伯爵。不当に暴利を得んとするブランディッシュの過ちを正さんが為、騎兵1万。歩兵10万。輜重2万を貴公に与え出陣を命ずる」
ドゥムヤータ王国国王セルジュは、人の良さだけがとりえの老人である。国王としての威厳は持ち合わせていなかったが、真面目ではある。一夜漬けで暗記した台詞を何とか間違えずに言い終えた。ちなみに兵数は実数ではなく、このように言うと決められている。遥か昔は馬鹿正直に正しい数字を言っていたが、敵に陣容がばれてしまい戦況不利になった事があった為だ。
「ブランディッシュなど叩き潰してみせまする」
王より遥かに短い台詞にもかかわらず伯爵は間違えた。というよりそもそも、必ずや国王陛下の御威光をかの者共に知らしめまする、という短い台詞を覚える気が無かった。臣下の列でそれを見守る選王侯の半分は溜息を付き、残り半分は、うんうん、と頷いている。
「ブランディッシュなど叩き潰してくれるわ!」
謁見の間を出たリファール伯爵は、頭上に槍をかざし吼えた。その国王への言葉とほぼ同じの怒声を民衆が歓呼の嵐で迎える。先の戦いでも敵将との一騎打ちに勝利し、勝敗を決定付けたと人気がある。無論、公爵の外交、3人の老侯爵達の計略なども無視出来ないが、民衆は戦場の勇者を好むものである。
槍をかざし応えながら進むリファール伯爵に、フランセル侯爵ら居残る選王侯が近づくと隊列は停止した。シルヴェストル公爵は一番後ろに控えている。
「リファール伯爵。よろしく頼みますぞ」
「任せておけ。一戦し思い知らせてやれば大人しくなる」
激励する侯爵に伯爵も応じたが、出陣に気が高ぶり、その語調は常より荒い。侯爵もそれを理解しているのか気にしたふうもなく笑みを浮かべ頷く。
「今回は貴族達の士気も高い。勝利は間違い御座らん」
「左様、左様。更にリファールの暴れん坊の武勇。ブランディッシュなど一溜まりもありますまい」
「吉報をお待ちしておりますぞ」
老侯爵達は相変わらずリファール伯爵に甘いようだ。年齢的にはシルヴェストル公爵の方が彼らの孫と呼ぶに相応しい年代なのだが、やはり、すましたところのある公爵より、やんちゃで分かりやすい伯爵の方が年寄りには好かれるらしい。
「御武運を」
ジェローム伯爵も声をかけ、最後は公爵だ。
「くれぐれもご油断なきよう」
「分かっておるわ!」
伯爵に怒鳴られ、だから私は好かれないのか。と公爵は思った。
伯爵がもう一度槍にかざし軍勢が行軍を再開すると、静まりつつあった民衆の声が再度激しくなる。
「ドゥムヤータ万歳!」
「リファール伯万歳!」
子供達は進む軍勢を追い掛け走り、親達がそれを笑顔で眺める。殺し合いに行くこの隊列をまるでお祭りのパレードのように皆が笑顔で見送っている。
民衆も戦いに馴れ始めている。その光景を公爵の、年寄りに嫌われる醒めた視線が捉える。
先年の戦いでロタとは一応の決着を見たものの、それ以前も小競り合いが続いていた。しかし、あくまで小競り合い。国境付近以外に住む民衆には対岸の火事でありどこか人事だった。その火が自分達にまで及ぶのはまっぴらと考えていた。それが、今は出陣する軍勢に歓声を上げ手を振っている。
その意識変わりの原因は、ロタとの戦いに勝利し大きな利益を得た事もある。だが、それだけではない。先祖代々の領地を取り戻す、2つに分かれた王国を統一する、そして弱きを助ける為と周辺諸国が戦っている。日々どこかで戦いが行われている。戦いが珍しいものではなくなっている。
いざとなれば戦いも厭わない。まるでそれが正しいかのように皆が思い始めていた。戦わないのは意気地が無い。腰抜けだ。とまで考え始めた。戦いはまだまだ続くのではないか。そう思えてならない。
公爵の視線の先で、盛大な見送りを受けた軍勢は太陽の光に甲冑を輝かせながら地平線へと消えたのだった。
その夜、シルヴェストル公爵は1人の男を部屋に招いた。身分的には部下になるが、友人として同じ卓を囲んでいる。用意された葡萄酒も1つの酒壷から各自手酌で飲む。公爵と同名の武官、ジル・エヴラールである。
彼は公爵の軍事面の引き出し、という役割だ。前回の戦いの後、公爵は彼を将軍の1人に任命しようとしたのだが、彼はそれを喜ばず首を振った。
「公爵のご期待に沿えず申し訳ありませんが、私は公爵に評価して頂いているほど才は無いのです」
そう言った瞳は、己の限界を知る寂しさが浮かんでいた。
「何を言う。お主の助言でどれほど助けられたと思っている。お主が居なければ勝利できなかった。それにお主も才覚が認められたからこそ、連絡将校に任命されたのであろう」
戦術眼、戦略眼に優れていなくては、情報、戦況を正確に伝えるのは難しい。それゆえ重要な連絡には連絡将校と呼ばれる士官が派遣される。彼はその連絡将校だった。
「私も自分を無能だとは思いません。しかし戦況を正確に把握できる能力と、戦況を作り出す能力は違います。軍勢を率いるには戦況を作り出す能力が必要なのです。そして、それは私には無い」
無論、全ての将軍がそれを有している訳ではない。軍事的に常識的な行動を取れば大きな失敗はすまい。だが、公爵の厚遇を受けた挙句、自分が’並の将軍’にしかなり得ないのを彼は良しとしなかったのだ。
今回の戦いについて、他の選王侯達が楽観視しているのに不安を覚えた公爵が、彼のその’軍事的に常識’な意見を聞こうと呼んだのである。
「今回の出陣。お主はどう見る?」
「順当に考えれば、勝利は硬いでしょう」
選王侯達と同じか……。自分と同じ答えを内心期待していた公爵は落胆し食い下がった。味方が有利との意見ならば歓迎すべきなのだが、人の感情とはそう単純ではない。
「兵力が勝るといっても僅かに1万。安心できる状況ではないと思うが」
「はい。ブランディッシュ軍4万。我が方は5万。あまり変わらないようにも見えますが、軍事的には大きく違います」
「しかし、戦は数では無いとも聞くぞ?」
「それは、指揮系統という言葉すら妖しかった大昔の格言が今でも実≪まこと≫しやかに言われているだけです。指揮系統が脆弱ならば、兵の数にかかわりなく、敵勢の勢いに圧され兵が逃げ出すという事が簡単に起こる。ですが、今ではそういう事も起こり難い。数の差は、そのまま戦力の差です」
無論、例外はある。コスティラ兵が持つ1人1人の卓越した武勇、アルベルド率いるデル・レイ軍の異常な士気の高さ。それらは時として数を覆す。だが、今回の戦いでその考慮は不要である。
また、ブランのような猛将の存在は軍勢の力を増大させるが、ドゥムヤータ軍にはリファール伯爵がいる。むしろ、その利はこちらにあるのだ。
「確かに数を覆す手段はあります。奇襲、夜襲と呼ばれるのがそれです。実際、古来数の差を覆した戦いの多くはこれに当たります。ですが、だからこそ今では警戒され、そうそう成功するものでは有りません」
散々食い下がった公爵だったが、ジルの説明でやっと胸を撫で下ろした。
「ならば、安心して吉報を待つとするか」
「はい」
2人のジルは笑み、小さく杯を打ち合わせると夜が更けるまで杯を重ねたのだった。
武官ジルは、自分を並の将軍にしかなりえずと公爵の要請を断った。だが、彼は自分を過小評価していたかもしれない。いや、時として並の将軍の方が良いというのを見逃していた。
戦いには’思わぬ不覚’という事がある。一見問題がない行動をしているはずなのに、それなりの考えがあって行動しているはずなのに負けてしまうのだ。そのような場合、大抵は気づかぬほどの’些細な常識はずれ’をしている事が多い。
ドゥムヤータ軍はブランディッシュ王国国境のシンシナ平原において大敗を喫したのである。