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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
184/443

第95話:経済戦争

 ランリエル王国に接する海はテチス海と呼ばれ、そこからテルニエ海峡で区切られた西は内海と称される。


 そのテチス海側ではバルバール、内海ではコスティラとそれぞれ海を挟みドゥムヤータ王国は存在する。


 産業としては高級木材で知られるドゥムヤータ胡桃しかなく、それも乱伐を防ぐ為に伐採は限られ輸出量は少ない。隣国ロタ王国と比べ騎兵が強いとも言われるが、それはロタ王国が歩兵主体の軍制だからである。つまりあまりぱっとせず、他国の者が、いや、ドゥムヤータ人ですら、その国名を聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、太陽を支える7本の柱を意匠とした王国旗ではなく胡桃であった。


 だが、それも過去の話。ロタから仕掛けて来た戦いにバルバールの援軍を得て勝利し、それまでロタが独占していた貿易の利益をドゥムヤータ、バルバール、そしてコスティラで分け合った。しかも正確には利益は3分ではない。地理的にドゥムヤータは、この大陸一の大勢力であるグラノダロス皇国とその衛星国家群への貿易の入り口となる。利益の過半を制し、その結果、ドゥムヤータは貿易国家の看板を掲げつつあった。


 巷≪ちまた≫では景気の良い話が行きかい、投資により巨万の富を得る者が続出した。中には自ら商売を始める貴族も多い。この空前の好景気をもたらしたのは7人の選王侯だ。その名が示す通り、王を選ぶ権力を持つ諸侯である。彼らと誼を結ぼうと屋敷には訪問者が絶えない。


 選王侯の1人であるシルヴェストル公爵は数名の貴族を部屋に招き談笑に興じていた。彼は最年少の選王侯にして、選王侯唯一の公爵でもある。また執事に経済に明るいカズヌーヴを得て、その教育の結果、自身も経済通で知られていた。


 この時の話題も、市場に関する悲喜劇である。


「そう言えば、ブリュニョン子爵が破産されたとか」

「それはまた……。かなり羽振り良く見えましたが、内情は火の車だった、という訳ですかな」

「いえ。それがそうでも無いらしいのです。事業の方は順調だったとか」

「まさか。誰かに金を持ち逃げされでもしましたか」

「いやいや、そうではなく、突然ブリュニョン子爵が切った手形が不渡りを出したというのです」

「おそらく、売掛うりかけの手形の決済が間に合わず、買掛≪かいかけ≫の手形の決済が滞ったのでしょう」


 俄か財界人達を前に公爵が断言した。商売は黒字のはずなのに破産する。黒字倒産と呼ばれる現象だ。大きな取引では、通常、現金のやり取りはせず手形を発行する。手形は1ヶ月や3ヶ月後に現金となるのだが、そこに落とし穴がある。


 商品を買い、渡した手形の期限が1ヶ月後で、商品を売り、受け取った手形の決済が3ヶ月後なら、1ヶ月後に金が無く手形を現金に出来ない。つまり不渡りとして取引停止となる。そうなったら信用失墜である。


「もう少し待ってくれれば金が入るんだ!」


 何とか資金繰りをしようと駆けずり回り叫ぼうとも、金が払えなければ代わりにと屋敷や金目の物は差し押さえられ、頼みの綱の売掛手形すら、今すぐ金に換えろと額面より遥かに少ない金額で奪われてしまうのだ。


 無論、いくら素人経営者でも1つ2つの取引でこんな単純な失敗はしないが、事業が順調で手を広げた時こそ危ない。取引先が多くなり、しかもなまじ成功していると管理が甘くなるのである。


「なるほど。我らも気をつけたいものですな」

 素人貴族実業家達は頷いた。


 ひとしきり口を動かし場もほぐれてくると本題である。そういえば、と、とある伯爵が公爵に顔を向けた。


「拡張しているマコン港の第14区画なのですが、是非私にその権利を頂けないでしょうか。事業を広げたいのですが、今管理している倉庫だけでは手狭なのです」


 貿易において事業の大きさは船の数、そして倉庫の数である。無論、商品を上手くまわせば数少ない倉庫でも多くの取引が出来るが、天候不良などで船の出港、寄航の予定が狂えば商品が野ざらしとなる。大量の香辛料を雨で濡らし大損した者も居るのだ。


 文字通り、突然にして貿易国家となったドゥムヤータである。急ぎ設備を拡張しているが需要に供給が追いつかず、新たに建設されると聞くと、開発責任者である公爵の元には伯爵のような者達が飛んでくるのだ。


 公爵はその返答に音声を使わず探る視線で答えた。それを拒絶ではなく商談の開始と受け取った伯爵は安堵し笑みを浮かべる。


「勿論、公爵には相応の謝礼はさせて頂きます」


 そして提示された金額に公爵も頷いた。これで商談成立である。


 これらは賄賂とは見なされない。この時代、平等という概念は希薄であり、金を出す方と出さない方。出す方に便宜を図るのは当然である。いや、出す方を優遇しないのはおかしい。そういう認識ですらあった。


 ちなみに、金を貰って証言や報告を捻じ曲げるのはやはり賄賂であり、それは許されない。


 その他にも多くの商談が行われ、晩餐も共にし彼らは満足の笑みを浮かべ帰途についた。


 ドゥムヤータ貴族達はこの世の春を謳歌していた。実際、代々の商人達からすれば素人実業家の貴族など騙して財産を巻き上げるなど造作も無いのだが、今はそんな詐欺紛いをしなくとも彼らの商売の仲介だけでも稼げる空前の好景気だ。いざという時にと泳がされているとも言えるが、今現在、巨万の富を得ている幸福は現実のものである。


 だが、それに水を差す事態が発生した。ドゥムヤータの南西部に国境を接するブランディッシュ王国が、関税を引き上げると通達して来たのである。


「5分(5%)ぐらい上がったところで、どうという事もあるまい」


 かつてリファールの暴れん坊との異名をとったリファール伯爵が面倒くさげに吐き捨てた。服の上からでは分からないが、その下には今も鍛錬を欠かさぬ鍛えられた戦士の肉体が隠れている。


 対応を協議する為、フランセル侯爵の屋敷に集まった選王侯達は、そこから説明しなくてはならないのかと頭を抱えた。揃いも揃って俯きながらシルヴェストル公爵へとちらりと視線を向ける。


 面倒な役目を押し付けられた公爵は、口元を手で隠しわざとらしい咳と共に小さい舌打ちを漏らした。


「関税が5分上がるというのは、利益が5分減るという意味ではありません。元々の利益が商品に対し8分なら、そこに更に5分の関税がかかれば利益は僅かに3分。その程度と見過ごせるものでは無いのです」

「なに! それは大変ではないか!」


 公爵はうんざりしたが、常に日和見に見えその裏では着実に手を打っている老獪な3人の老侯爵は暖かくも見える笑みを浮かべている。彼らはリファール伯爵が幼少の頃より見知っており、どこかやんちゃな孫を見守る祖父のような視線である。


 実際の貿易の利益は概ね8分よりは多く、5分の引き上げで利益が半分以下になる事は無いのだが、多少話を誇張した方が説得力がある。それに痛手には違いない。


「状況を整理する為にもジェローム伯爵、説明をお願いします」

「分かりました」


 常に進行役となるフランセル侯爵が、情報通で知られるジェローム伯爵を促した。


「我がドゥムヤータは多くの貿易船を迎える貿易国となりました。ですが、大陸中央に物を運ぶにはロタとは国交を回復せずブランディッシュを通るしか有りません」

「’しか有りません’にブランディッシュが気付いたという訳ですな」


「そうです。我が国が貿易の利益に沸いているのと同じく、彼らも通行税の増収に沸いている。それだけで満足すれば良いものを、自分達の国を通るしかないのを盾に通行税の引き上げを言い渡して来たのです」

「だったら、こちらも対抗して引き上げれば良いではないか。品は中央に送るだけではなく、中央からこちらにも来るのだ」


「それをしては我らは潤いますが商人達は困りましょう。それにです。最近では商売に手を出す貴族達も多い。通行税の引き上げは彼らの支持を失いましょう」

「では、どうすれば良いと言うのだ!」


「それを皆様方と協議したくお集まり頂いたのではないですか」

 慣れたもので、リファール伯爵の苛立つ怒声にも侯爵は落ち着いたものだ。


「ブランディッシュへの抗議は当然として、それが受け入れられなかった時にどうするかです」

「シルヴェストル公爵の仰るとおりです。ですが、抗議に耳を貸すくらいならば始めから通行税の引き上げなど言い出さぬでしょう」


「ブランディッシュが通行税を引き上げ、それを商人達の負担とならぬようにするならば、その分、我が方の通行税や港の使用料を減額するしかありません。しかし、あまり釈然とする話ではないですな」

「当たり前だ! どうして我らが損をせねばならんのだ!」


「しかし、そうなると商人達の負担が大きくなる。それはどうすべきとお考えですかな」


 五月蝿いリファール伯爵に、どうせ答えられぬと侯爵が問いかけた。予想通り伯爵は口を噤む。助け舟を出したのは思わぬ人々だった。


「まあ、まあ、フランセル侯爵殿」

「左様、左様。少し様子を見ようではありませんか」

「そう、急くものではありますまい」


 日和見の侯爵達が、その役目に相応しく日和見の意見を出した。そして結局、今出来るのはブランディッシュへの抗議ぐらいであろうとこの日は解散したのだった。


 そして通行税の引き上げが行われると、やはり商人、貴族達から不満が続出した。しかも特に俄か実業家貴族達が混乱をきたしたのだ。


「当て込んでいた収入が目減りし、支払いが滞っているのです。このままでは私は破産です。どうにかお助け下さい」


 公爵の屋敷には苦境を訴える貴族が列を成した。通行税の引き上げで確かに利益は減るが赤字という訳ではあるまい。それで破産するならば、そんな余裕の無い会計で商売をする方が悪いとも言えるが、元々素人である彼らにそれを責めるのは酷だ。実際、今までの税率ならば上手く行っていたのだ。


「分かりました。ご融資いたしましょう。ですが、今後はもう少し余裕のある運用を行い、ある程度の内部保留金も積み上げておくべきです」


 身の程を弁えろ、貯金もしておけ。という事を小難しい言葉で答え借用書を書かせ金を貸したが、客は後を絶たない。このまま高利貸しにでもなってやろうかと思うほどだ。こうして何とかしのぎ、ブランディッシュの税率にも慣れ始めた頃、更に問題が発生した。


「更に5分税率を引き上げるだと! 調子に乗りおって!」

「どうせ我らには何も出来ないと、高をくくっているのでしょう」


 リファール伯爵は怒りに顔を赤くした。温和なフランセル侯爵ですら、腕を組み目を瞑ったその顔に苛立ちに眉間に深い皺が刻まれる。進行役の侯爵が口を閉ざした為、主に口を開くのはジェローム伯爵とシルヴェストル公爵だ。


「いっその事、ロタ王国と国交を回復し、大陸中央にはロタ経由で物を運ぶ経路を構築すべきではないでしょうか」

「ジェローム伯爵のお言葉も一理ありますが、バルバールとの関係も重要です。ロタとバルバールの関係が悪化したのは、そもそもロタに攻められた我が国がバルバールに援軍を求めた事にあるのですから。我が国とロタの国交が回復すれば、自然ロタとバルバールとの関係も動きましょう。バルバールとロタの関係が改善されれば、テルニエ海峡の通行税も是正されるでしょう」


「つまり、テルニエ海峡の通行税が調整されロタにもある程度の貿易船が向かうようになった挙句、このドゥムヤータに荷揚げされた品も、結局陸路でロタに向かうならば、我が国の存在価値が無くなる。そういう訳ですな?」

「その通りです。将来的にはロタと国交を回復するとしても、その時にはブランディッシュ経由の交易路を確保しておきたい。それにランリエルも無視出来ない」


 前回の戦いでランリエルやバルバールと交渉した公爵は、バルバールの動きもサルヴァ王子の手の内と感じていた。今はランリエルに敵対するロタと不用意に近づくべきではない。


「では、いったいどうしろというのだ!」


 リファールの暴れん坊が吼える。確かに全て都合良く出来ないならば、どこか落としどころを探らなくてはならない。だがブランディッシュが引かぬと思われる以上、こちらが一方的に譲歩するしかないのか。その理不尽に、暴れん坊どころか温和な進行役すら怒りに燃えていた。


「ま、戦ですの」

「左様、左様。貴族達はブランディッシュの暴虐に耐えかねております」

「いつまでもそれが通用するものでは無いと、思い知らせるべきでしょう」


 公爵も、もはや戦うしかないのか。その考えが浮かばなかった訳ではない。他の選王侯も同じだ。だが、それを口に出したのはあまりにも意外な者達だった。唖然とする4人の選王侯の視線の先に、3人の日和見侯爵達がにんまりと笑みを浮かべていた。

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