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愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
183/443

第94話:幻影の城

 ランリエル王国第一王子サルヴァ・アルディナは追い詰められていた。


 反ランリエル陣営との会談で旧ケルディラ領の返還を迫られた。言質を取られる事態はバルバール王国宰相スオミの老獪な機転により回避したものの、反ランリエル陣営盟主アルベルド・エルナデスの追撃は執拗だった。


 会談でアルベルドは、ランリエルに旧ケルディラ領の領有権を放棄せよと主張したのだ。それに対しサルヴァ王子は、ならばデル・レイこそがリンブルク南部の領有権を放棄せよと言い放った。デル・レイも人の事を言えまい。そう考えての反論だったが、それがアルベルドの罠だった。アルベルドはこのやり取りを公表したのである。ならば盟友ケルディラの為、リンブルク領民の為とリンブルク南部の領有権の放棄を宣言した。いや、それどころか帰国するとすぐさま実際にリンブルク南部から軍勢を引き上げてしまったのである。


「ランリエル側首脳部が思わぬ事故により急遽帰国した為、誓約書を交わすまでには至らなかったが、私はサルヴァ殿下と交わした言葉を重く受け止めリンブルク南部を返還した。サルヴァ殿下も同じ考えと信じる」


 本来、ケルディラ東部の領有権をランリエルが放棄せねばならぬ理由は全く無い。停戦の条件が曖昧なままランリエルが占拠したのならともかく、ケルディラ東部の譲渡を停戦の条件としたのはケルディラなのだ。


 しかし、お互い占領地を返すという言葉があったのなら返すべきでは? と考えるのも自然である。しかも既にデル・レイはそれを実行しているのだ。ならばランリエルも領地を返還すべきなのだ。と、多くの者が考えた。


「リンブルク南部を占領しておきながら旧ケルディラ領の返還を申し出るのは道理に合わぬと指摘はしたが、それを持ってリンブルク南部を返還すれば旧ケルディラ領も返還するという話ではない」


 サルヴァ王子は主張したが、やはり既にデル・レイ側は実行しているという現状には劣勢だ。もしこれで誓約書まで交わしてしまっていては、とサルヴァ王子の背筋に冷たいものが流れた。


 実際、旧ケルディラ領全てを返還するのは不可能だ。ランリエル軍が主体となったものの、そもそもの戦いの名目はコスティラ、ケルディラ両国の統一であり旗頭はコスティラだ。当然、コスティラの分け前も必要であり、コスティラ寄りの2州。トゥアプとジニータギルはコスティラ領となっている。他がランリエルの直轄領だ。


 この状況に、東方の若き覇者とも呼ばれるサルヴァ王子も迷いが出た。


 コスティラ領となっている2州をケルディラに返還せよとは言えぬ。それをすればコスティラ人のランリエルへの反感は強まり統治に支障がでる。こんな事になるなら、タロンガや他のランリエル支配の地域のみの返還を条件とすべきだったか。いや、それではランリエル国内が安定しない。


 戦いに勝ち、しかも停戦の条件として相手から提示された物を手放さなければならぬ理由は無い。この大原則を見誤ってはならない。無論、原則は原則であり鉄則ではない。その大原則をも覆す好条件を提示されればまた話は違うが、会談はそのような雰囲気ではなかった。


 あの会談は初めからランリエルを罠にかける為のものだった。それは間違いない。悪意があり、旧ケルディラ領を返したところでそれで和平とはならなかっただろう。ランリエルに西侵の野心が無いならば、更なる誠意を見せろなどと言い出しかねない。旧ケルディラ領だけの問題ではないのだ。


 サルヴァ王子が何かに耐えるように両手を強く握り合わせた。身体を黒い炎の覇気が駆け巡る。だったら徹底的にやってやるか。その言葉が心に湧き上がる。それを口にまで出せば押さえが利かなくなる。


 勢力的にはランリエルが有利。反ランリエル勢などその半分程度だ。互角の相手にならともかく、弱者に好きなようにやられている。それが王子の心をじりじりと焼くのだ。燃え上がろうとする心を必死で抑える。


 だが、どうすればこの状況を打破出来るのか。戦いを避けるならば、話し合いで持って解決するしかない。これだけの問題、閣僚級での会談ではすまない。必ず首脳級の会談が必要だ。だが、国王達を連れてくる反ランリエル陣営に対抗するには分が悪い。サルヴァ王子にも簡単に解決出来る問題ではなかったのである。


 王子の迷いにランリエル王宮も揺れ動いていた。閣僚、軍人、そして貴族達。それぞれの考えがあり、それをサルヴァ王子が強力な指導力で纏めていた。その肝心の王子が迷っているのだ。彼らはここぞとばかりに意見を主張したのである。


「ケルディラ東部を得て領土は広がりましたが、ケルディラからの奪還に備えての砦の建設費は膨大であり、ランリエル本国からは遠く守備兵の維持費などの負担も大きい。税収も今だ安定せず、はっきり言って赤字なのです。ケルディラ東部を返して和平がなるならば、そうすべきではありませんか」


 官僚の官僚らしい経済的な意見に、軍人が軍人らしい反論を行う。


「領地を返せば和平がなるなど考えが甘い! ランリエルは今戦時体制なのだ。赤字も黒字もあるか! 本土防衛を考えるなら打って出て、そこで防衛拠点を築くのは当然ではないか!」


 そして、貴族には貴族の意見がある。


「我が家の兵もケルディラ侵攻に従軍しましたし、戦いを有利に進めたいのも分かります。しかし人にはそれ以上に重要な事がありましょう。それは名誉です。今ランリエルを非難する声が大きい。ここは有利、不利を超えて考えるべきでは無いですかな」


 また、官僚達も一枚岩ではない。


「今は赤字ですが、今後情勢が安定すれば財政は改善しましょう。砦の建造も一段落すれば、それ以上の負担は激減します」


 まさに混沌というに相応しい状況だ。こうなってくると別の勢力も声を大きくしていた。彼らは原理主義派とも言うべき者達で、サルヴァ王子が権力を握っている事自体に異を唱えた。彼らの主張はただ1つ。


「政≪まつりごと≫は国王陛下がなさるべきであり、王位にあらざるサルヴァ殿下が政を専≪もっぱ≫らとするは僭越でござる!」


 時代錯誤も甚だしいというべきか。頭が固いというべきか。融通がきかぬ奴らだ。サルヴァ王子はうんざりし無視してるが、その中には回顧主義者が何割か混じっているのも理解していた。


 国王が政をするといっても、所詮は大臣や有力貴族が議案を提出し国王がそれを採決するのが国政というものだ。それをサルヴァ王子が全てを行うようになり、結果的に彼らは権力を失った。彼らの主張は、権力を取り戻したいという欲望を綺麗に飾り立てる厚化粧でしかない。


 そしてランリエルのこの有様はバルバールなどのランリエル陣営の国々に伝わり、混乱が波及していた。デル・レイとの会談に出席した首脳部達は事情を理解しているが、それ以外の閣僚、貴族達のランリエルへの信頼が揺らいでいた。


 アルベルドが打った一手。リンブルク南部を犠牲にしたこの攻撃は、バルバール宰相スオミの機転により急所は外されたものの、十分な被害をサルヴァ王子に与えたのだ。そしてそれが、サルヴァ王子に新たなる決断をさせる事になるのだった。


 しかし、その混乱の嵐を全く気にしていない集団がランリエル王宮にいた。無論、このような嵐が吹いているのは分かっているのだが、まさにどこ吹く風と、自分達に影響があるとは思っても居ないのだ。


 全く暢気≪のんき≫なものだが、その人々は今、自分達なりに深刻な問題に直面していた。


「まさか。チェーリア様達があんな意地悪をなさるなんて……」


 寵姫達は、教養として文学、音楽を嗜んでいる者も多い。ラウレッタは仲間内で行った演奏会で横笛を担当したのだが、その演奏を他の寵姫達のグループに妨害され失敗したのだと涙ながらに訴えた。それを他の寵姫達が慰めている。


「それで、どんな意地悪をされたのです?」

「私の前に座って、黄色や橙の小物入れを手に持っていたのです……」

「まあ!」


 だからなに?


「しかも、丸い形をしていて……」

「丸いだなんて!」


 だから、それがどうしたって言うのよ!


 訴える寵姫は涙を流し仲間の寵姫達はある者は同情し、ある者は義憤に燃えているが、アリシアには、この人達は何を言っているの? だ。


 一応は空気を読んでそれらしく眉をひそめているものの、横笛を吹いている時に観客が黄色や橙の丸い小物入れを持っていたからといって、どうして演奏が失敗するのか。教養とやらを身に付けたご令嬢達には分かる話なのかも知れないが、アリシアにはさっぱりである。


 こういう事に関しては自分より多少はマシであろう侍女のエレナに合図を送って呼び寄せた。


「貴女、あの人達が何を言ってるか分かる?」

「い、いえ。分かりません」

「そう……」


 夢見る侍女は、貴族社会の教養についてロマンチックな部分のみ守備範囲だった。アリシアは途方にくれ、こうなったらこの話が終わるまで黙っているしかないわね。と、空気になろうと決めた時、思わぬ助け舟が現れた。


「唾液が出ると吹奏楽器の演奏には不都合なので、演奏者の前で檸檬や蜜柑を食べたり見せたりするのは礼儀知らずと言われるのですけど、代わりに檸檬や蜜柑を連想させそうな小物入れを用意するなんて随分手の込んだ意地悪ですね」


 視線を向けるとナターニヤが微笑んだ。アリシアとエレナの様子から事態を察したのだ。小さいながらも、これでまたアリシアに1つ貸しが出来た。と心から微笑んでいる。


 な、なるほど。檸檬や蜜柑を見ると、その酸っぱさを思い浮かべ唾液が出る。よく考えたものだと思うけど、もう少しマシな事に頭を使えないのか。


「そうだわ。アリシア様がチェーリア様を叱って下されば、きっともうこのような意地悪はされないと思いますわ」


 え!?


 1人の寵姫の提案に唖然としていると他の寵姫も賛成しだす。


「それが良いですわ。きっとチェーリア様は顔を青くなさいます」

「そうですとも」

「この後宮で、アリシア様に逆らえる者など居るはずもありませんわ」


 私っていつの間にそんな大物になったの?


 何となく一目置かれているとはうすうす分かっていたが、王子の親しい友人として、王子に口添えして貰えればと思われている。その程度と考えていた。それがどうやら寵姫達特有の事大主義で、アリシアに逆らっては後宮で生きていけないくらいに思われているらしい。


 だが、実際アリシアに王子へ口添えなどする気など全く無く権力も無い。彼女達は公爵令嬢や伯爵令嬢で、アリシアから見れば彼女達こそ天上人だ。勘違いされて祭り上げられている内は良いが、アリシアの権力は、彼女達の幻想が作り上げた幻の楼閣と分かればどうなるか。彼女達こそ権力集団なのだ。そしてそれは、今から攻撃しようと皆が声を上げているチェーリアとて同じだ。ここで下手にかかわっては、いつか仕返しされかねない。


「そのような人は、相手にしない方がよろしいのではないでしょうか」


「ですけど、ラウレッタ様が苛められたのを見過ごすだなんて……」

「それにアリシア様のお茶会に参加するラウレッタ様に嫌がらせをするなんて、アリシア様に嫌がらせをしたのも同じです」

「そうです。これは私達への挑戦ですわ」


 どうしてそうなるの? 彼女達の飛躍に頭を抱えたくなる。だが、彼女達なりの計算があった。折角、アリシアのお茶会仲間になれたというのに、いま一つ権力を振るえない。子分達としては、いい加減親分にその力を発揮してもらわないと胡麻を擂る甲斐が無いというものである。


 なのでアリシアが、

「でも、チェーリア様達も、もしかするとわざとなされたのではないかも知れませんし、わざわざ叱り付ける事も無いのでは……」

 と、控えめに拒絶すると、その権力への信頼が揺れ動いた。


 彼女達もうすうす感じていた。もしかして、アリシアに権力など無いのではないか? サルヴァ王子の友人なのは間違いないが、よくよく考えれば友人と恋人、どちらを取るか。


 実際は友人を取る者も多いのだが、恋愛にしか興味が無い彼女達である。恋人を取るに決まっており、アリシアなど友人でしかない、ではないか。


 もしアリシアに権力が無いなら、今まで私達がこれだけ媚びへつらって来たのは何なのか。この詐欺女と怒りが込み上がる。だが、そう決断するにはまだ早い。権力が無いと決定的な証拠を掴むまでは軽挙は禁物である。だが、証拠を掴んだその時は、今まで偉そうにしてきた報いを存分に……。


「そういえば、アリシア様。最近、サルヴァ殿下のご様子はどうですの?」


 寵姫達がアリシアへ不信の目を向ける中、ナターニヤが突然話題を変えた。


「どうって、何がですか?」

 と、アリシアを含め、皆の頭が付いてこない。


「デル・レイとの会談です。殿下は、喜び勇んで会談に向かったにもかかわらず、帰って来た時にはかなりお怒りであったとか」

「ええ。そうなのです。これで平和が訪れると喜んでいらしたのですが、デル・レイの考えはそうではなく、ランリエルを追い詰めるのが狙いだったのだと……。落胆なされておりました」


 王子を思いやり俯き話すアリシアは気付かなかったが、寵姫達はまるで幽霊を見るかのようにアリシアへ驚きの目を向けた。


 ナターニヤとアリシアの言葉はほぼ同じだ。だが、アリシアはついナターニヤの言葉に同調したが、その情報源には天と地ほどの差があった。ナターニヤの言葉など、会談の前と後の王子の様子を見た者なら誰でも知っている。しかしアリシアは王子から直接聞いたのだ。しかも’政治的’な話をである。


 サルヴァ王子はアリシアの部屋で、政策の成果、未来への展望を少年のように目を輝かせ語る。アリシアもそれは特別なものと理解しているが、それがどれだけ重要かを正確に把握しているとは言い難い。自分には心を許し色々と話してくれる。そうとだけ考え、それが権威になるなど夢にも思っていないのだ。


 俯くアリシアが気付かない世界で、戦いが始まり一瞬で勝敗が決した。ナターニヤの冷たい笑みが寵姫達を一瞥すると彼女達は次々と俯き屈する。政治的な相談まで受けるアリシアと自分達との格の違いを思い知った。そしてそれはアリシアグループの次席を占めるナターニヤの権力でもある。


「何もアリシア様のお手を煩わせるには及びません。チェーリア様には、私から言ってきましょう。皆さんもそれでよろしいですわね」


 一旦は強引に代えた話題をまた掘り起こした。にこやかに微笑むその下に冷たいものが潜む。アリシアに不信を感じたと見破られ、釘を刺されたと察した寵姫達の背筋が凍った。


「勿論で御座いますわ」

「ナターニヤ様にお任せすれば、間違いないですもの」


 サルヴァ王子がアリシアに政治的な話までするなら、自分だけの問題ではなくなる。貴族の娘の存在意義はいかに実家の役に立つかで決まるのだ。彼女達の結婚は彼女達自身の幸せよりも、いかに実家の権力が強くなるかを重要視し決められるのである。


「あの娘だけは止めておいた方がよろしいですわ」

 アリシアの不況を買い、そう言われるだけでも恐ろしいのに、

「あの娘の父親とて信用できません。要職に就けたりすれば殿下の為になりませんわ」

 とでも言われては実家に顔向けできなくなる。


 寵姫達が作り出した幻の楼閣は、ナターニヤによって補強され強固な要塞と化した。そしてその要塞の主人はアリシアだが、城代はナターニヤ。寵姫達はその兵士に過ぎない。


 王子の心情を思いやり心を痛めるアリシアが気付かぬその前で、忠実な下僕が未来の王妃へ忠誠を誓った。

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