第93話:影の薄い第二王子
東方の勇ランリエル王国の実権は、第一王子サルヴァ・アルディナが握っている。当然、未来のランリエル国王である。そして第三王子ルージ・アルディナは、現ベルヴァース王の一人娘ベルヴァース王国第一王女アルベルティーナ・アシェルと結婚し、次期ベルヴァース王と見なされていた。
「それで私はどこの王になれば良いのだ?」
サマルティ・アルディナ。ランリエル王国第二王子はその負の感情を隠そうともしなかった。金髪碧眼の彼は黒い髪と瞳の兄とは似ず、さりとてその険のある瞳は同じく金髪碧眼の温和な顔立ちの弟にも似ていない。
笑えば多少は弟に似るのだが、鬱積した感情に支配され笑顔を見せるのは稀だ。もし彼らとデル・レイ王アルベルドを並べれば、彼とアルベルドを兄弟と見る者も多いかも知れない。ただし、アルベルドがその王妃と2人きりの時の顔をしていればだ。
「殿下のお気持は察して余りありますが、カルデイ帝国には嫡子たるファリアス王子が居りますし、バルバール王国も同じで御座います」
宥めるのは、去年、高齢を理由に勇退した宰相に代わりその座に就いたヴィルガである。実務能力を買われた異例の抜擢で、まだ40を越えたばかりで政治家としては若い部類だ。頭髪も、宰相となってから蓄え始めた顎鬚も黒々としたものだ。
彼はサマルティに呼びつけられその鬱積をぶつけられていた。窓から日が差し更に高価な油を使い明かりが灯されているにもかかわらず、部屋は暗いものを感じさせる。それは、去年にドゥムヤータから贈られたドゥムヤータ胡桃の椅子に座る主の瞳の暗さだ。
「コスティラはどうなのだ! あそこはまだ嫡子が居ないというではないか!」
「は。仰る通り、コスティラ王国にはまだ次期国王たる嫡子は居ませんが、国王自身がまだお若く引退するというお歳では――」
ダン。中途半端な大きさの音が宰相の言葉を遮る。サマルティは渾身の力で机を叩いたが、ドゥムヤータ胡桃の頑丈さは彼の腕力を遥かに上回っていた。
「カルデイだろうがバルバールだろうがコスティラだろうが、全て我が国の属国ではないか! 王位など力ずくで奪ってしまえば良いのだ!」
その声は情勢を冷静に判断できぬ憤懣をはらんでいた。
「ですが、カルデイ、バルバールにしても後を継ぐ王子を廃嫡させ強引にその座を奪えば反発は強く――」
「反発が強いから、どうだというのだ!」
「カルデイ帝国の王位を望めば、今は大人しいベルヴァースも反旗を翻すかもしれず、そうなればバルバールもどう動くかしれたものでは――」
「だったらバルバールの王位を望めば良かろうが!」
「バルバールとの関係が悪化すれば、折角勢力を広げたコスティラへの道が閉ざされ――」
「では、コスティラだ!」
「コスティラの降伏は、現国王たるロジオン陛下に前国王が王位を禅譲するのも条件の1つで御座いました。それを反故すればランリエルの信用に係わります。またロジオン陛下がまだお若い事を考えれば、その次の王位を――」
「どうにかならないのか!」
サマルティは宰相に最後まで言わせず己の感情をぶつけ続けた。宰相に理不尽な怒りの視線を向ける。最後にはドゥムヤータの選王侯達に自分を王に選ぶように命じられないのかとまで言い出したが、それもドゥムヤータとは精々友好国程度の関係であると説明された。
彼にとっては当然の要求が否定されるたびに兄への不満が蓄積される。あまりにも理不尽ではないか!
昔はそうではなかった。兄がランリエルを継ぐのは当たり前。文武に秀でる兄を誇らしく思った。そして弟にしても、少し抜けているところはあるが素直で優しい可愛い弟だ。兄も自分と弟を愛し、弟も自分と兄を慕っている。
そうではなかったのか!
どうしてルージがベルヴァース王になる! どうして私ではないのだ! あの抜けたルージより、私がベルヴァース王になる方が遥かにランリエルの利益になるではないか!
彼の怒りはある意味正しい。ルージはアルベルティーナ王女への情からランリエルからの出兵要請を断った。サマルティならば、間違いなく兄の言いつけ通り出せるだけの軍勢を出した。
ルージ王子がアルベルティーナ王女と結婚したそもそもの発端は、数年前のベルヴァースに侵攻したカルデイ軍をサルヴァ王子が率いるランリエル軍が撃退した時の祝賀会での虚言である。
王女の父であるベルヴァース王がサルヴァ王子と王女との結婚をほのめかしたのだ。ただし、ランリエル王を継ぐサルヴァ王子と、一人娘でその夫がベルヴァース王となるアルベルティーナ王女との結婚は現実的ではない。あからさまなお世辞である。その見え見えのお世辞が気に触ったサルヴァ王子が、弟のルージ王子の方が年齢的に釣りあうのではないか。とやり返した。ただ、それだけの事である。
その後、サルヴァ王子を含め当事者のほとんどが忘れる中、その場に居なかったルージ王子がアルベルティーナ王女の肖像画に一目ぼれして結婚を熱望し、サルヴァ王子も実現すればランリエルに利すると話を進めたのだ。
だが、そこからでも強引に、アルベルティーナ王女との結婚相手をルージから私に代える事も出来たはずだ!
弟が自分を差し置いて王位に就く。にもかかわらずの出兵拒否である。その理不尽が彼の心を歪ませた。サマルティから見ればルージ王子の振る舞いは子供が駄々をこねているに過ぎない。
だがそれでも、自分も他国の王になれるというならば、それも笑って済ませ改めて兄にも感謝しようものだが、その気配すらない。それほど王位を熱望するならば自分からサルヴァ王子に訴えれば良いものだが、今更、自分から強請るのも癪に障る。
「サマルティ殿下のお気持はよく分かります。政治的に見てもサマルティ殿下がアルベルティーナ王女と結婚すべきでした。それをサルヴァ殿下がルージ殿下への情に流されたばかりに……」
宰相は同情の目を向けた。
「そうであろう!」
やっと分かったかと、またもどうにかして王位を用意しろと求めたが、宰相もやはりそれには首を縦に振らない。
「デル・レイを始め大陸中央の国々では反ランリエルの気運が高まっております。ここで無理に自陣営の反感を買うのは得策ではありません」
「あんな者共、ランリエルの力をもってすれば何ほどがあろうか。彼らの軍勢はかき集めても精々17、8万というではないか。我が方はランリエル一国でそれを超えるのだぞ!」
「近隣諸国を切り従えた我が国の軍事力は飛躍的に増大し、数年前の倍近い軍勢を持っております。ですが、反ランリエルの盟主たるデル・レイはグラノダロス皇国の衛星国家。第三国との戦いに向こうから介入して来るのを迎え撃つ分には言い訳も立ちますが、こちらから直接デル・レイを攻めれば流石に皇国も黙ってはおりません」
「まったく。兄上はなぜデル・レイなどと戦ったのだ! 面倒なだけではないか」
「ケルディラを攻めたサルヴァ殿下も、まさかデル・レイがケルディラの救援に出てくるとは予想していなかったので御座いましょう」
「それでも、デル・レイが出てきた時点で軍勢を引けば良かったのだ! そうしていれば、その後の面倒は無かったはずだ」
「サルヴァ殿下も覇気あるお方ゆえ、むざむざ引く事が出来なかったのでしょう」
「覇気があるで済まされる問題ではあるまい!」
サマルティ王子とて深く考えての言葉ではない。現状への不満が反射的に言葉となった。だが一度言葉にすれば、それが本心かのように心に刻まれていく。
何とかサマルティ王子を宥め、若いはずの宰相がその精神的労力に耐えかね暇乞いの挨拶をし部屋を辞した。その宰相の背中を、私の王位の件、決して忘れるのではないぞ! との言葉が追いかける。
部屋を出る時には伸ばしていた背筋が疲れから丸まる。高かったはずの太陽は既に傾き、窓から漏れる日の光が肩を照らす。その不快な暑さに廊下の端を歩いて日を避けたが、それでも腰の辺りを照りつける。
宰相はその足で執務室を目指した。サルヴァ王子が国政を掌握するのが現在のランリエル。実務は各担当の大臣だ。宰相はその中間管理職の態である。
秘書官から各大臣から提出された報告書を受け取り、時には大臣を呼び付け直接話を聞く。問題があれば指示を与え、自分では判断できかねる問題と大臣からの報告を更にまとめて今度は彼がサルヴァ王子への報告書を作成し指示を仰ぐのだ。
現在ランリエルでは様々な事業が進められ多忙を極める。しかも日中サマルティ王子の相手をした事もあり、宰相が屋敷へ帰れたのはとっくに晩餐の時間を過ぎた頃だった。
時おり踏む小石に揺れながら、華美にならぬように装飾が抑えられた品の良い馬車が進み、心地よい揺れに眠気を誘う。それを振り払い窓に向けた目に、新月の夜空は星々を一層輝かせた。そういえば、このような夜空を詠んだ詩があったなとおぼろげに考えたが、肝心のその句が思い出せない。
馬車が大きく揺れ目を覚ました。どうやら詩を思い出そうとしたまま結局眠ってしまったらしい。まだ老いた積もりは無い。疲れの所為だろう。
屋敷に着くと客が着ていると父の代から使える年老いた執事から報告を受けた。一旦私室に入り軽く身支度してから居間≪リビング≫に向かう。顔を出すと客は長椅子に足を投げ出し我が物顔である。出された葡萄酒を傾ける様も遠慮の無いものだ。
「随分と遅かったじゃないか。そんなに仕事が忙しいのか」
男は挨拶すらしない。口調やしぐさは宰相よりかなり若々しいが、顔に刻まれた皺の深さは彼らが同年代と告げている。言った後、葡萄酒を一口啜った。
「それだけではない。サマルティ殿下の相手もしていたのだ。いつも通り、自分が王位に就けぬからと不満たらたらだ」
男に釣られたのか元々これが地なのか、宰相の口調も変わった。曲がっていた腰も伸びている。
「ま。気持も分からないでもないがな。俺がサマルティ王子の立場でも納得できる話じゃない」
「そうは言っても、無理なものは無理なのだ」
言いながら客と向かい合って座った。空いている杯を手に取ると男が酒を注ぐ。最近では手に入り難くなったロタ産の葡萄酒の香りが部屋に広がった。
「今更サマルティ王子をベルヴァース王に出来る訳でも無いしな」
「それに他の国の王にも出来やしない」
「だがサマルティ王子にはそれが分からないらしい」
「というより、認めたくないのだ」
「認めては王位への道が閉ざされる。自分自身すら欺いての妄執と言ったところか」
「サマルティ王子も昔はそうではなかったのだがな」
「かなりサルヴァ王子への不満がつのりだしたか」
「ランリエルにとっては憂慮すべき事態、だな」
男と、そして宰相の杯が空となっていた。
「何を言うか」
言いながら男が宰相の杯に酒を注ぐ。
「お前がサマルティ王子をけし掛けたのではないか」
宰相が手にした杯を男の杯にカチリと軽く触れさた。その顔に不敵な笑みが浮かんだ。