表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚者達の戦記  作者: 六三
皇国編
181/443

第92話:男と女

 ゴルシュタット王家は代々政治に無関心だった。初代国王は純粋な武人であり、その武勇で王国を統一したものの政治には興味なく政治の才ある部下を宰相にすえ国政に当たらせた。その伝統が今でも生きていた。しかも初代以降の王は戦場に出る事無く享楽のみに耽った。


 国王は宰相が提出する決裁書に署名を行い式典に出る以外は狩りや舞踏会に明け暮れ人生を謳歌する。極々稀に政治にも目を向けねばと気紛れを起こしたりもするが、それも宰相や大臣を呼び付け、あれこれはどうなっているかと問うて、それはこうなっておりますと報告を受けて頷き、それで政治を行ったと満足する程度である。


 そして現ゴルシュタット王国国王グスタフ・ビュンテも一族の伝統にのっとりその類だった。宰相ベルトラムに政治の全てを任せ、自身は彼の耕した畑からの収穫を手にするだけである。だが、やはり彼も代々の国王が有していた気紛れも持ち合わせており、今まさにその気紛れが発生した。


 リンブルク南部が返還され、対応の仕事が山済みするベルトラムをわざわざ本国まで呼び戻したのだ。もっとも、国王が気紛れを起こしたのがそもそもリンブルク南部が返還されたと耳にしたからなのだから、ある意味もっともといえる。


 一段高い玉座に踏ん反り返り、直立する10歳以上も若いベルトラムを見下ろすが、その威厳はベルトラムの半分も無かった。威厳は無いにもかかわらず煌びやかな衣装を纏っているのが、喜劇に出てくる王様さながらに滑稽である。


「陛下にはご健勝、お喜び申し上げます」


 国王の10倍の威厳を持つ宰相が覇気と共に口上を吐き出した。国王は凡庸だからこそ、その覇気を平然と受け流したが、鈍い王の変わりに彼らを取り囲む騎士達が身じろぎ、甲冑の鉄板が擦れる音が微かに鳴った。


「うむ。ところでお主を呼んだのは他でもない。リンブルクの南部地方がデル・レイより返還された件についてだ。皆はこの機会にリンブルク全土を抑えるべきだと申しておる。お主も同じ考えであろうな」


 なるほど。南部返還を耳に入れただけではなく、焚き付ける者も居たか。単なる王へのご機嫌取りならば良いが、もし自分に失策を犯させようとの考えならば排除せねばなるまい。最近では面と向かって挑む者は姿を消したが、その代わりに小細工で足を掬おうとする者が増えているようだ。


「勿論で御座います。ですが、事は秘するが得策と申します。体制が整う前に不要にリンブルク貴族達を刺激しては成るものも成らなくなりましょう。ご賢明なる陛下におかれましては、お心の内にお仕舞いになって頂きたく存じます」

「その程度、予が分からぬと思うか」

「これは失礼致しました」


 本当は、その程度が分かっていない王の言い草を聞き流し一礼した。所詮この程度の男なのだ。一々感情を動かすのも面倒だ。


 王位を望むならグスタフ王は処理すべき相手だ。だが、どう処理すべきかはまだ決めかねていた。豪胆、苛烈の性≪さが≫を持つベルトラムだが、意外にも政敵を殺害して問題を解決する事は少ない。


 殺すなど誰にでも出来る最も短慮な方法である。生かしたまま役立てる方法は無いか。それを考えた末での最後の手段だ。そして殺すにしても、それによって問題を解決するのではなく、有益な新たな一手としたいところである。


 その後も王の取るに足らぬ幾つかの質問に答えると、王は政治にかかわったと満足し玉座を降りた。近習や取り巻き達を侍らせ、先日の狩りで仕留めた大物の話題に興じるのだ。その獲物は薬で弱らせてあり、ちょうど王が通りかかる時に槍で追い立て目の前に飛び出させたのは、無論、王の知るところではない。



 政治に興味の無いこの王族達は若い時分に子をなす事が多い。しかもその場合のほとんどが正式な嫡子ではなく庶子なのだ。妃を迎えるのは外交的な問題もあり晩婚になる事もあるが、享楽にしか興味ない彼らは自制心に乏しく王宮に出入りする令嬢や侍女に手を付けた。そして時には、人妻にもその手は伸びた。


 女性達にとっては、産んだ子が庶子であろうと王族には違いなく将来は明るい。また、貴族の奥方が懐妊したとたん王家から領地や多額の年金が支給されたりもする。更にその後も優遇され破格の出世をする事も多い。どうしてかといえば、多くの者が想像する通りである。


 現国王にも嫡子より先に産ませた庶子の王子フランツが居るが、実はこの王子は訳ありである。その庶子の母が産まれた時、王宮から多額の年金が支給されていたと後に発覚した。ならばグスタフ王とフランツの母はどういう関係なのか。当事者達はこの件に関して沈黙を守った。


 立ち去る王の足音が完全に消え去るのを待ってベルトラムは玉座から背を向けた。玉座への野心の炎を心に秘してから王への敬意も燃え尽きていたが、それを他に漏らさぬ為にも形式だけは過剰にも見せなくてはならない。


 しかし、忙しい最中にくだらぬ話でわざわざ本国まで呼び寄せるとは。度量の大きいベルトラムですら流石に苛立った。それでもこの足でそのままリンブルクに戻る気にはなれない。3日。いや、5日ほどは屋敷でゆっくりとしようか。忙しいからこそ、時には強引にでも休む事は必要だ。


 数ヶ月、主人が不在だった宰相専用の馬車に身を委ねた。主人が居ない間も手入れが行き届き、過剰な装飾を省いた黒塗りの馬車は磨きぬかれ品の良い光沢を出した。回りを少数の護衛が固め、松明の明かりが車内に差し込んでくる。照らされ浮かぶ顔の皺は、思いの外深く刻まれる。


 それは老いた為ではなく、若き頃は武人として戦場を駆け、戦塵に身体を晒し続けたが故である。だが、宰相としてのベルトラムの思慮はそれよりも深い。


 留守を任せる部下からの報告も、送らせている書面ばかりではなくたまには直接話しを聞く事も必要だ。リンブルクへの対応も、離れた土地から見れば別の思案も出るかもしれない。リンブルク国内の勢力争いに拘る必要はない。全ての者と、物と、ものを利用する。


 者は人であり、物とは物質であり、ものとは偶然をも含む全ての事象であり思考すら含まれる。リンブルク南部返還という事象。その源となるデル・レイ王アルベルドの思考。それに流されるのではなく利用する。リンブルク宰相としてではなく、ゴルシュタット宰相としての立場で観る。


「これではゆっくりなど休めぬな」


 苦笑しつつ呟いた。その苦笑に顔の皺が更に深く刻まれた。


 しばらくすると馬車は屋敷の門の前で止まった。リンブルクでの屋敷に比べ格段に危険は少ないが、リンブルクでの屋敷での数を超える数の兵士が固めている。以前はそれほどの警備では無かったのだが、ある時を境に突然兵士の数が増えた。しかも、襲撃に備えてか兵士達は

「屋敷の周りに誰一人近づけさせるな」

 と命令された。それだけではなく、屋敷の中に入るな。屋敷の住人とは一言も喋るな。とも厳命されている。


「屋敷の人間と喋るなとは、随分と奇妙な命令だな」

「全くだ。いざという時に、屋敷の者と親しくしなければ問題もある」

「しかし、宰相閣下のご命令だ」

「それはそうだが……」


 兵士達は納得しきれぬものを感じながらもベルトラムの命令には逆らえない。ゴルシュタット史上屈指の名宰相との呼び声も高いベルトラム閣下には、我らなどには計り知れない深いお考えがあるのだと、そこで思考停止するしかなかった。


 ベルトラムが馬車から足を伸ばし地面に触れた瞬間、思いも寄らぬ野太い声が聞こえた。


「父上。お久しぶりです」


 その声に足元に向けていた視線を上げると、彼と幾つかの特徴を同じくする顔があった。男はベルトラムよりも20歳ほど若く、ベルトラムが同じ年齢の時と比べれば更に似ているだろう。


 台詞からも分かる通りベルトラムの息子である。父から瞳と髪の色。そして大きな身体を譲り受けた。ただ、その優しげな目元から受ける印象は、彼の息子にしては温和なものだ。性格は母親から受け継いだらしい。


「オスヴィンか。元気そうだな」

「父上も、お元気そうでなによりです」


「いつこちらに着いた?」

「つい先ほどです。ちょうど部屋に荷物を運ばせているところでした。お父上ともしばらくお会いしておりませんでしたので、お父上がご帰国なさると聞き、急ぎ領地からやってまいりました」


「そうか。カッセンベルクはどうなっておる」


 ベルトラムの言葉は短く、要点が絞られていた。カッセンベルクとは、彼が父から受け継いだ領地だ。その意味では現シュレンドルフ家の当主はベルトラムではなくこのオスヴィンなのだが、実権は父が握っていた。オスヴィンは領地の管理人に過ぎないのが実情である。


「はい。詳しい話は落ち着いてからさせて頂きますが、災害や病気による被害も無く、民の生活や収穫には問題ありません」

「そうか。それはご苦労だった」


 ベルトラムが父親の笑みを浮かべ右手を差し出すと、オスヴィンはそれを硬く握り締めた。幼き頃から父は厳しかったが、息子が良き行いをすればその都度褒めてくれた。ゴルシュタットの名宰相は、名’父親’でもあった。歳の離れた妹が産まれてからどこか突き放すところも感じたが、それは自分の自立を促す為とオスヴィンは考えていた。


「クリスティーネとはもう会ったのか」

「いえ。父上とご一緒にと考え、まだ会ってはおりません」


 その言葉にベルトラムが頷いた。


 父上は妹を溺愛している。あの厳格な父上がと意外に思い、微笑ましくも思う。ただ、その溺愛も、男となれば兄である自分をも近づけさせないのは行き過ぎな気もする。しかし、それも妹が産まれた時に母上が亡くなった事を考えれば無理もないのかもしれない。そういえば、妹が産まれ母上が亡くなった時、産声を上げたばかりの妹を怒鳴りつけた事があった。


「お前の所為で母上が死んだんだ!」


 今にして思えば理不尽な言葉だ。産まれたばかりの赤ん坊に理解されるはずも無い言葉でもあった。だが、自分は当時まだ13歳で、突然母上が亡くなった現実が受け入れられずどうにも我慢出来なかったのだ。


 兄からの罵声を浴びた妹は言葉の意味よりも音量に怯え泣き叫んだ。その声に後悔が胸に湧き上がったが、それが頭に届く前に激痛が襲った。気付いた時には頬が燃えるように熱くなり、床に叩き付けられた頭部が激しく痛んだ。


 這いつくばって見上げると、今まで見た事もない形相の父が居た。


「お前は、母に向かって何を言うか!」


 今までどんな失敗をしようとも言葉で言い聞かせていた父上が始めて手を上げた。母上が命がけで産んだ妹を罵倒するのは母上を罵倒する事なのだ。父の言葉に赤面した。当時は、恥ずかしく忘れたいほどだったが、今では微笑んで思い起こせた。


 その後、親子は並んで屋敷に入りオスヴィンは自室へと向かった。父上はまず最初に書斎へと向かい、次に私室を目指すのを習慣にしている。なぜ父上がその法則を崩さないのかは分からないが聡明な父上の事だ。きっと何か深いお考えがあるのだ。いずれ自分にも話してくれるはずだ。


 久しぶりに入った我が部屋は、大きな机が1つに本棚も1つ。そして体格にあわせた少し大き目の寝台≪ベッド≫だ。国一番の有力者の跡取り息子の部屋にしては質素極まりないが、これも質実剛健を旨とする父上の方針だ。但しそれら1つ1つは、決して安物ではなく質によって選ばれた最高級の物だった。


 以前のままに保たれ部屋に懐かしさを感じると共に、まるで自分の部屋ではないような違和感も覚えた。机の引き出しに手を伸ばし開けて見れば、持っていくほどでは無いと置いていった小物などもそのままで、また懐かしさが込みあがる。しかしやはりどこかで、他人の部屋を探索するような興奮も覚える。


 人は生活の一部になっているものに懐かしさは感じない。懐かしいのは、現在から切り離された過去だ。その懐かしさを感じなくなった時にまた、自分の一部となるのだ。


「まあ、2、3日すればなれるだろう」


 呟き、寝具に仰向けに身を投げ出した。


 自分で考えろ。それが父上の唯一の教育方針だった。何々をしろと命ぜられる事もあったが、その方法を問うと、やはり自分で考えろ、だ。そして、自分で考えてやり遂げた結果、駄目なら駄目と言われたが、上手く出来たなら褒められた。父上に褒められるのが嬉しくて、次にはもっと上手くやろうと考え抜いたものだ。


 父上がゴルシュタットの宰相の他にリンブルクの宰相も兼ねると、ゴルシュタットの領地を譲り受けた。形式としては自分がシュレンドルフ家の当主となったのだが、まだまだ父上には遠く及ばない。


「しばらく領地に腰を落ち着け、民を治めよ」


 領地の運営は以前から任されていた。当主となり改めて父上から命ぜられたのだ。その時は今までと何が違うのかとも思ったが、何気ない事で管理者と所有者の違いに重圧を感じた。それでも父上の期待に応えようと懸命に働いた。収穫高は、自分が管理する前の毎年の平均値を下回らず、父上も満足してくれるはずだ……。



「オスヴィン様。晩餐の用意が出来ました」


 旅の疲れに少しうとうととし、侍女の声で目を覚ました。いや、その言葉ははっきり聞いたので、その前にあったであろう扉を叩く音で目を覚ましたのかもしれない。


「分かった」


 返事をし、侍女の後に続いて食堂へと向かった。この侍女はなんと言う名前だったか、見覚えがあるので自分が屋敷を出る前から居たはずだが思い出せない。もっともその理由は、彼が薄情なのではなく覚え切れないだけなのだが。


 屋敷には多くの侍女が居る。家政婦≪ハウスキーパー≫の下には家女中≪ハウスメイド≫に調理女中≪キッチンメイド≫など、オスヴィンには覚えきれないほどの様々な役目の侍女が居る。中でも妹の世話をする世話女中≪レディースメイド≫の数が一番多い。しかもだ。この屋敷では力仕事をする男も居らず、それらの仕事も侍女達が数人がかりで行うのだ。屋敷の男といえば年老いた執事とベルトラム。そしてオスヴィンだけだ。馬丁すら侍女が行い、馬車が居る時は屋敷の外に住む御者を呼びに行くのだ。


 領地の屋敷とこの屋敷との違いを改めて思い出し、目の前を進む侍女の名前が思い出せないのも仕方がないと、うんうんと頷き自己弁護を完了した頃、食堂に到着した。だが、見渡しても父上と妹の姿が見えず侍女達しかいない。


 父上はともかく妹は先に来ていると思ったのだが……。


「お兄様。お久しぶりでございます」


 振り返ると妹の姿が目に映る前に懐かしくも美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。


「唐辛子とチーズのじゃがいも焼きかな?」


 問うてから、料理が乗った盆を持つ妹が目に映った。唐辛子とチーズのじゃがいも焼きは妹が初めて作った料理で、今でも特別な時にはこの料理を作った。唐辛子の辛さをじゃがいもで和らげ、焦げたチーズが香ばしい。妹が初めて作った時はじゃがいもに火が通っておらず父上と一緒にぼりぼりと音を立てて無理やり胃の中に放り込んだ。勿論、可愛い妹が作った料理である。それでも苦労して笑顔を作り、美味しいよと感想を言うと妹はそれを真に受け何度も作った。幸運だったのは妹の料理の腕が上達した事だ。もし妹の腕が当時のままだったら、自分にとっても父上にとってもかなりの苦行と成っていただろう。


 だが、そう感慨にふける兄に妹はにべも無い。


「違いますわよ。お兄様」

 と悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「違う?」


 まさかそんなはずは無い。見た目も匂いも間違いないはずだ。だが、そういえば、確か似ている料理もあった気がしないでもない。


「じゃあ、チーズと扁豆≪ひらまめ≫の石焼かな?」

 じゃがいもの、とは言うまでも無い。これも妹が良く作る料理だ。同じくチーズを焼くので匂いも似ている。


「違います」

「何だと? では、いったいなんなんだい?」


 オスヴィンは困惑した目を妹に向けたが、妹は少し上目遣いの探るような笑みを浮かべたままだ。


「違いますわよ。お兄様」


 もう一度妹が言うと、やっと兄は、間違っている事が間違っているのに気付いた。


「久しぶりだね。クリスティーネ」

「はい。お兄様」

 そしてクスリと笑った。


「いくら長旅でお腹を空かせているからって、久しぶりに会う妹より料理で頭がいっぱいですか?」


「い、いや。とても良い匂いだったからね。あ。うん。元気そうでなによりだ」

「はい。お兄様こそ」


 妹はなおも笑みを浮かべながら料理をテーブルの上に置いた。改めて見る妹は記憶にあるより随分と大人びていた。まだ顔には幼さが残るものの、豊かな胸は品の良い深緑の衣装を押し上げお尻の肉付きも良い。そしてそれを結ぶ括れた腰は成熟した女性のものだ。


 いつの間にか美しく成長した妹に、遅ればせながら気付き見とれていると妹の声で我に返った。その声も記憶にあるよりも大人びて聞こえる。


「これは唐辛子とチーズのじゃがいも焼きですわ」


 微笑む妹はやはり美しかった。


 しばらくすると父上もやってきて晩餐が始まった。ゴルシュタットの名宰相として国内どころか外国からも恐れられる父上も、家族との晩餐の時は極普通の父親となる。妹の料理を褒め称え機嫌よく杯を重ねている。父上は酒が強く、母上は一滴も飲めなかった。自分も酒は強いので、やはり身体的には父上に似たのだ。


「そうだ父上。プライセルから今年の蒸留酒が届きました。父上に飲んで頂こうと持って来ています。晩餐の後、ご一緒にどうですか? プライセルが申すには今年は特に出来が良いそうです」

「ほう。それは楽しみだな」


 プライセルとは、領地に酒蔵を持つ蒸留酒作りの名人だ。その年に作った酒をシュレンドルフ家に持ってくる。去年はこの屋敷に戻らなかったので人に届けさせていた。


「それでは、後で父上の部屋でどうでしょう」


 オスヴィンは何気ない口調だったが、内心は緊張に鼓動が早くなった。彼ももう30歳にもなる男だ。晩餐の席で父上と酒を飲むなど毎度の事だが、私室でサシで飲んだ事は今まで無かった。一人前になれば父上とサシで飲む。いや、一人前と認められれば、サシで飲んでくれる。そう考えていた。


「良いだろう」

 その返事に小躍りしそうな身体を懸命に抑えた。溢れそうになる涙にも耐える。


「あら。駄目ですわよ。お兄様」


 向けた視線の先で、妹が頬を膨らませていた。


「お父様に、今日は一緒に寝ていただいて色々とお話を聞いて頂くのです。お兄様は明日にして下さい」


 まったく、もう20歳になろうというのに親離れしない妹だ。しかしこうなっては仕方が無い。父上の返事は分かっている。


「そうか。それでは、すまないがお前の飲むのは明日にしようか」


 予想通りの言葉にがっくりしたオスヴィンだが、断られた訳ではないと気を取り直した。明日になれば夢が叶うと確定したのだ。夢は叶うまでが一番幸福とも言う。その夢心地を丸一日味わえるのだ。


 晩餐の後、妹は言葉通りに父上の手を引き寝所へと向かう。自分も席を立とうと杯に残った酒を一気にあおって立ち上がった。一気に身体に回った酒に一瞬濁った意識の先に、成熟した大人の肢体を持つ娘が、年齢の割りに屈強な肉体を持つ精力溢れる男と寝屋に消えるのが見えた。


 あれ? と思った。しかし意識が落ち着いてくると、その違和感も消えた。ただの父と娘の微笑ましい光景ではないか。何も可笑しいところは無い。一緒に住んでいた時には見慣れた光景だった。久しぶりに会った妹が見違えるほど成長していたので戸惑っただけだ。


 そういえば、妹ほどの年齢の娘が父と一緒に寝るなどという話は聞いた事がない。しかし、父上のなさる事だ。間違いがあるはずがない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ